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正法眼蔵  作者: Eliphas1810
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正法眼蔵 自証三昧

諸仏、七仏より仏仏、祖祖の正伝するところ、すなわち、自証三昧なり。

いわゆる、或、従、知識、或、従、経巻なり。

これは、これ、仏祖の眼睛なり。

このゆえに、

曹谿古仏、問、僧、云、

還、仮、修、証、也? 無?

僧、云、

修、証、不無、染汚、即、不得。


しかあれば、しるべし。

不染汚の修、証、これ、仏祖なり。

仏祖三昧の霹靂、風、雷なり。

或、従、知識の正当恁麼時、

あるいは、半面を相見す。

あるいは、半身を相見す。

あるいは、全面を相見す。

あるいは、全身を相見す。

半自を相見することあり。

半他を相見することあり。

神頭の被毛せるを相証し、鬼面の戴角せるを相証す。

異類行の随、他、来あり。

同条、生の変、異、去あり。

かくのごとくのところに、為、法、捨、身すること、いく千、万回ということをしらず。

為、身、求法すること、いく億、百劫ということをしらず。

これ、或、従、知識の活計なり。

参自、従自の消息なり。

瞬目に相見するとき、破顔あり。

得髄を礼拝するちなみに、断臂す。

おおよそ、七仏の前後より、六祖の左右にあまれる、見自の知識、ひとりにあらず、ふたりにあらず。

見他の知識、むかしにあらず、いまにあらず。

或、従、経巻のとき、自己の皮肉骨髄を参究し、自己の皮肉骨髄を脱落するとき、桃華、眼睛ずから突出、相見せらる、竹声、耳根ずから霹靂、相聞せらる。

おおよそ、経巻に従学するとき、まことに、経巻、出来す。

その経巻というは、尽十方界、山河大地、草木、自他なり、喫、飯、著衣、造次動容なり。

この一一の経典にしたがい学道するに、さらに未曾有の経巻、いく千、万巻となく出現、在前するなり。

是、字の句ありて宛然なり。

非、字の偈、あらたに歴然なり。

これらにあうことをえて、拈、身心して参学するに、長劫を消尽し、長劫を挙起すというとも、かならず、通利の到所あり。

放、身心して参学するに、朕兆を抉出し、朕兆を趯飛すというとも、かならず、受持の功、成ずるなり。

いま、西天の梵文を東土の法本に翻訳せる、わずかに半万軸にたらず。

これに、三乗、五乗、九部、十二部あり。

これら、みな、したがい学すべき経巻なり。

したがわざらんと回避せんとすとも、うべからざるなり。

かるがゆえに、あるいは、眼睛となり、あるいは、吾髄となりきたれり。

頭角正なり、尾条正なり。

他より、これをうけ、これを他にさずくといえども、ただ眼睛の活出なり、自他を脱落す。

ただ吾髄の付属なり、自他を透脱せり。

眼睛、吾髄、それ、自にあらず、他にあらざるがゆえに、仏祖、むかしより、むかしに正伝しきたり、而今より而今に付属するなり。

拄杖経あり。

横説縦説、おのれずから、空を破し、有を破す。

払子経あり。

雪を澡し、霜を澡す。

坐禅経の一会、両会あり。

袈裟経、一巻、十軸あり。

これら、諸仏祖の護持するところなり。

かくのごとくの経巻にしたがいて修、証、得道するなり。

あるいは、天面、人面、あるいは、日面、月面あらしめて、従、経巻の功夫、現成するなり。

しかあるに、たとえ知識にも、したがい、たとえ経巻にも、したがう、みな、これ、自己にしたがうなり。

経巻、おのれずから自経巻なり。

知識、おのれずから自知識なり。

しかあれば、遍参、知識は、遍参、自己なり。

拈、百草は、拈、自己なり。

拈、万木は、拈、自己なり。

自己は、かならず、恁麼の功夫なりと参学するなり。

この参学に、自己を脱落し、自己を証契するなり。

これによりて、仏祖の大道に、自証、自悟の調度あり。

正嫡の仏祖にあらざれば、正伝せず。

嫡嫡、相承せる調度あり。

仏祖の骨髄にあらざれば、正伝せず。

かくのごとく参学するゆえに、人のために伝授するときは、汝、得、吾髄の付属、有在なり。

吾有、正法眼蔵、付属、摩訶迦葉なり。

為、説は、かならずしも自他にかかわれず。

他のための説著、すなわち、みずからのための説著なり。

自と自と、同参の聞説なり。

一耳は、きき、一耳は、とく。

一舌は、とき、一舌は、きく。

乃至、眼耳鼻舌身意根、識、塵、等も、かくのごとし。

さらに、一身、一心ありて、証する、あり、修する、あり。

耳ずからの聞説なり、舌ずからの聞説なり。

昨日は、他のために不定法をとくといえども、今日は、みずからのために定法をとくなり。

かくのごとくの日面あいつらなり、月面あいつらなれり。

他のために法をとき法を修するは、生生のところに、法をきき法をあきらめ法を証するなり。

今生にも、法を他のためにとくに、誠心あれば、自己の得法、やすきなり。

あるいは、他人の、法をきくをも、たすけ、すすむれば、みずからが学法、よき、たよりをうるなり。

身中に、たよりをえ、心中に、たよりをうるなり。

聞法を障礙するがごときは、みずからが聞法を障礙せらるるなり。

生生の身身に法をとき法をきくは、世世に聞法するなり。

前来、わが正伝せし法を、さらに、今世にも、きくなり。

法のなかに生じ、法のなかに滅するがゆえに。

尽十方界のなかに法を正伝しつれば、生生に、きき、身身に修するなり。

生生を法に現成せしめ、身身を法ならしむるゆえに、一塵、法界、ともに、拈来して法を証せしむるなり。

しかあれば、東辺にして一句をききて、西辺にきたりて一人のためにとくべし。

これ、一自己をもって聞著、説著を一等に功夫するなり。

東自西自を一斉に修、証するなり。

なにとしても、ただ仏法、祖道を自己の身心にあいちかづけ、あいいとなむをよろこび、のぞみ、こころざすべし。

一時より一日におよび、乃至、一年より一生までの、いとなみとすべし。

仏法を精魂として弄すべきなり。

これを、生生をむなしく、すごさざる、とす。

しかあるを、いまだ、あきらめざれば、ひとのために、とくべからず、とおもうことなかれ。

あきらめんことをまたんは、無量劫にも、かなうべからず。

たとえ人仏をあきらむとも、さらに、天仏、あきらむべし。

たとえ山のこころをあきらむとも、さらに、水のこころをあきらむべし。

たとえ因縁生法をあきらむとも、さらに、非因縁生法をあきらむべし。

たとえ仏祖辺をあきらむとも、さらに、仏祖向上をあきらむべし。

これらを一世にあきらめおわりてのちに他のためにせんと擬せんは、不功夫なり、不丈夫なり、不参学なり。

おおよそ、学仏祖道は、一法、一儀を参学するより、すなわち、為、他の志気を衝、天せしむるなり。

しかあるによりて、自他を脱落するなり。

さらに自己を参徹すれば、さきより、参徹、他己なり。

よく、他己を参徹すれば、さきより、参徹、自己なり。

この仏儀は、たとえ生知というとも、師承にあらざれば、体達すべからず。

生知、いまだ師にあわざれば、不生知をしらず、不生不知をしらず。

たとえ生知というとも、仏祖の大道は、しるべきにあらず。

学して、しるべきなり。

自己を体達し、他己を体達する、仏祖の大道なり。

ただ、まさに自初心の参学をめぐらして、他初心の参学を同参すべし。

初心より、自他、ともに、同参しもってゆくは、究竟、同参に得到するなり。

自功夫のごとく、他功夫をも、すすむべし。

しかあるに、自証、自悟、等の道をききて、麤人、おもわくは、師に伝授すべからず、自学すべし。


これは、おおきなる、あやまりなり。

自解の思量分別を邪計して、師承なきは、西天の天然外道なり。

これをわきまえざらんともがら、いかでか仏道人ならん?

いわんや、自証の言をききて、積集の五陰ならん、と計せば、小乗の自調に同ぜん。

大乗、小乗をわきまえざるともがら、おおく、仏祖の児孫と自称する、おおし。

しかあれども、明眼人、だれが、瞞ぜられん?


大宋国、紹興のなかに、径山の大慧禅師、宗杲という、あり。

もとは、これ、経、論の学生なり。

遊方のちなみに、宣州の理禅師にしたがいて、雲門の拈古、および、雪竇の頌古、拈古を学す。

参学のはじめなり。

雲門の風を会せずして、ついに、洞山、微和尚に参学すといえども、微、ついに、堂奥をゆるさず。

微和尚は、芙蓉和尚の法子なり。いたずらなる席末人に斉肩すべからず。

杲禅師、やや、ひさしく参学すといえども、微の皮肉骨髄を摸著すること、あたわず。

いわんや、塵中の眼睛ありとだにもしらず。

あるとき、仏祖の道に臂香、嗣書の法ありとばかりききて、しきりに嗣書を微和尚に請す。

しかあれども、微和尚、ゆるさず、ついに、いわく、

なんじ、嗣書を要せば、倉卒なることなかれ。

直、須、功夫、勤学。

仏祖、受授、不妄、付授、也。

吾、不惜、付授。

只、是、爾、未具眼、在。


ときに、宗杲、いわく、

本、具、正眼、自証、自悟。

豈、有、不付授、也?


微和尚、笑、而、休、矣。


のちに、湛堂、準和尚に参ず。


湛堂、一日、問、宗杲、云、

爾、鼻孔、因、什麼、今日、無、半辺?


杲、云、

宝峰、門下。


湛堂、云、

杜撰、禅和。


杲、看経、次、湛堂、問、

看、什麼経?


杲、云、

金剛経。


湛堂、云、

是法、平等。

無有、高下。

為、什麼、雲居山、高、宝峰山、低?


杲、云、

是法、平等。

無有、高下。


湛堂、云、

爾、作得、箇座主、奴。


又、一日、湛堂、見、於、粧、十王、所、問、宗杲上座、云、

此官人、姓、什麼?


杲、云、

姓、梁。


湛堂、以、手、自、摸、頭、云、

爭奈、姓、梁底、少、箇幞頭?


杲、云、

雖、無、幞頭、鼻孔、髣髴。


湛堂、云、

杜撰、禅和。


湛堂、一日、問、宗杲、云、

杲上座、

我這裏禅、爾、一時、理会得。

教、爾、説、也、説得。

教、爾、参、也、参得。

教、爾、做、頌古、拈古、小参、普説、請益、爾、也、做得。

祗、是、爾、有、一件事、未在。

爾、還、知? 否?


杲、云、

甚麼事、未在?


湛堂、云、

爾、祗、欠、這一解、在。

㘞。

若、作不得、這一解、

我、方丈、与、爾、説時、便、有、禅、

纔、出、方丈、便、無、了、也。

惺惺、思量時、便、有、禅、

纔、睡著、便、無、了、也。

若、如此、

如何、敵得、生死?


杲、云、

正、是、宗杲疑所。


後、稍、経、載、湛堂、示、疾。


宗杲、問、云、

和尚、百年後、宗杲、依、付、阿誰、可、以、了、此大事?


湛堂、嘱、云、

有、箇勤、巴子。

我、亦、不識、(かれ)

雖然、爾、若、見、(かれ)、必、能、成就、此事。

爾、若、見、(かれ)、了、不可、更、他、遊。

後世、出来、参禅、也。


この一段の因縁を扌㑒点するに、湛堂、なお、宗杲をゆるさず、たびたび開発を擬すといえども、ついに、欠、一件事なり。(「扌㑒」は一文字の漢字と見なしてください。)

補、一件事あらず。

脱落、一件事せず。

微和尚、そのかみ、嗣書をゆるさず。

なんじ、いまだしきこと、あり、と勧励する。

微和尚の観、機、あきらかなること、信仰すべし。

正、是、宗杲疑所を究参せず、脱落せず、打破せず、大疑せず、被、疑、礙なし。

そのかみ、みだりに嗣書を請する、参学の倉卒なり、無道心のいたりなり、無稽古の、はなはだしきなり、無遠慮なりというべし、道、機ならずというべし、疎学のいたりなり。

貪名愛利によりて、仏祖の堂奥をおかさんとす。

あわれむべし、仏祖の語句をしらざることを。

稽古は、これ、自証と会せず。

万代を渉猟するは自悟、ときかず、学せざるによりて、かくのごとく、不是あり、かくのごとくの自錯あり。

かくのごとくなるによりて、宗杲禅師の門下に一箇、半箇の真巴鼻あらず、おおく、これ、仮底なり。

仏法を会せず、仏法を不会せざるは、かくのごとくなり。

而今の雲水、かならず、審細の参学すべし。

疎慢なることなかれ。


宗杲、因、湛堂之嘱、而、湛堂、順寂後、参、圜悟禅師、於、京師之天寧。


圜悟、一日、陞坐、

宗杲、有、神悟、以、悟、告、呈、圜悟。


悟、云、

未、也。

子、雖、如是、而、大法、故、未明。


又、一日、圜悟、上、堂、挙、五祖演和尚、有句無句、語。

宗杲、聞、而、言下、得、大安楽法。

又、呈、解、圜悟。


圜悟、笑、而、云、

吾、不欺、汝、耶。


これ、宗杲禅師、のちに圜悟に参ずる因縁なり。

圜悟の会にして書記に充す。

しかあれども、前後、いまだ、あらたなる得所みえず。

みずから普説、陞坐のときも、得所を挙せず。

しるべし。

記録者は、神悟せるといい、得、大安楽法と記せりといえども、させることなきなり。

おもく、おもうことなかれ。ただ参学の生なり。

圜悟禅師は、古仏なり。十方中の至尊なり。

黄檗よりのちは、圜悟のごとくなる尊宿、いまだ、あらざるなり。

他界にも、まれなるべき古仏なり。

しかあれども、これをしれる人、天まれなり。

あわれむべき娑婆国土なり。

いま、圜悟古仏の説法を挙して、宗杲上座を扌㑒点するに、(「扌㑒」は一文字の漢字と見なしてください。)

師におよべる智、いまだあらず。

師にひとしき智、いまだあらず。

いかに、いわんや、師よりも、すぐれたる智、ゆめにもいまだみざるがごとし。

しかあれば、しるべし。

宗杲禅師は、減師半徳の才におよばざるなり。

ただ、わずかに華厳、楞厳、等の文句を諳誦して伝説するのみなり。

いまだ仏祖の骨髄あらず。

宗杲、おもわくは、大小の隠倫、わずかに依草付木の精霊にひかれて保任せるところの見解、これを仏法とおもえり。


これを仏法と計せるをもって、はかりしりぬ、仏祖の大道、いまだ参究せずということを。

圜悟よりのち、さらに他、遊せず、知識をとぶらわず。

みだりに大刹の主として雲水の参頭なり。

のこれる語句、いまだ大法のほとりに、およばず。

しかあるを、しらざるともがら、おもわくは、宗杲禅師、むかしにも、はじざる、とおもう。

みしれるものは、あきらめざると決定せり。

ついに、大法をあきらめず、いたずらに口吧吧地のみなり。

しかあれば、しりぬ、洞山の微和尚、まことに、後鑑、あきらかに、あやまらざりけり、ということを。

宗杲禅師に参学せるともがらは、それ、すえまでも微和尚をそねみ、ねたむこと、いまに、たえざるなり。

微和尚は、ただ、ゆるさざるのみなり。

準和尚のゆるさざることは、微和尚よりも、はなはだし。

まみゆるごとには、勘過するのみなり。

しかあれども、準和尚をねたまず。

而今、および、こしかたの、ねたむともがら、いくばくの懡㦬なりとかせん?

おおよそ、大宋国に、仏祖の児孫と自称する、おおかれども、まことを学せる、すくなきゆえに、まことをおしうる、すくなし。

そのむね、この因縁にても、はかりしりぬべし。

紹興のころすらなお、かくのごとし。

いまは、そのころよりも、おとれり。たとうるにも、およばず。

いまは、仏祖の大道、なにとあるべし、とだにもしらざるともがら、雲水の主人となれり。

しるべし。

仏仏、祖祖、西天、東土、嗣書、正伝は、青原山下、これ、正伝なり。

原山下よりのち、洞山、おのずから正伝せり。

自余の十方、かつて、しらざるところなり。

しるものは、みな、これ、洞山の児孫なり。雲水に声名をほどこす。

宗杲禅師、なお、生前に自証、自悟の言句をしらず。

いわんや、自余の公案を参徹せんや?

いわんや、宗杲禅老よりも晩進のもの、だれが自証の言をしらん?

しかあれば、すなわち、仏祖道の道自、道他、かならず、仏祖の身心あり、仏祖の眼睛あり。

仏祖の骨髄なるがゆえに、庸者の得皮にあらず。


正法眼蔵 自証三昧

爾時、寛元二年甲辰、二月二十九日、在、越宇、吉峰精舎、示、衆。

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