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正法眼蔵  作者: Eliphas1810
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正法眼蔵 三十七品菩提分法

古仏の公案あり。

いわゆる、三十七品菩提分法の教行証なり。

昇降、階級の葛藤する、さらに葛藤、公案なり、喚、作、諸仏なり、喚、作、諸祖なり。


四念住。(四念処とも称す。)


一、者、観、身、不浄。

二、者、観、受、是、苦。

三、者、観、心、無常。

四、者、観、法、無我。


観、身、不浄というは、いまの観、身の一袋皮は、尽十方界なり。

これ、真実体なるがゆえに、活路に跳跳する観、身、不浄なり。

不跳ならんは、観、不得ならん。

若、無身ならん、行取、不得ならん、説取、不得ならん、観取、不得ならん。

すでに観得の現成あり。

しるべし。

跳跳得なり。

いわゆる、観得は、毎日の行履、掃、地、掃、牀なり。

第幾月を挙して掃、地し、正、是、第二月を挙して掃、地、掃、牀するゆえに、尽大地の恁麼なり。

観、身は、身、観なり。

身、観にて、余物、観にあらず。

正当観は、卓卓来なり。

身、観の現成するとき、心、観、すべて、摸、未著なり、不現成なり。

しかあるゆえに、金剛定なり、首楞厳定なり。

ともに、観、身、不浄なり。

おおよそ、夜半、見、明星の道理を観、身、不浄というなり。

浄、穢の比論にあらず。

有身、是、不浄なり。

現、身、便、不浄なり。

かくのごとくの参学は、

魔、作仏のときは、魔を拈じて降魔し作仏す。

仏、作仏のときは、仏を拈じて図、仏し作仏す。

人、作仏のときは、人を拈じて調、人し作仏するなり。

まさに拈所に通路ある道理を参究すべし。

たとえば、浣、衣の法のごとし。

水は、衣に染汚せられ、衣は、水に浸却せらる。

この水を用著して浣洗し、この水を換却して浣洗すといえども、なお、これ、水をもちいる、なお、これ、衣をあらうなり。

一番、洗、両番、洗に、見、浄ならざれば、休歇に滞累することなかれ。

水、尽、更、用、水なり。

衣、浄、更、浣、衣なり。

水は、諸類の水、ともに、もちいる、洗、衣に、よろし。

水、濁、知、有、魚の道理を参究するなり。

衣は、諸類の衣、ともに、浣洗あり。

恁麼功夫して、浣、衣、公案、現成なり。

しかあれども、浄潔を見取するなり。

この宗旨、かならずしも衣を水に浸却するを本期とせず、水の、衣に染却するを本期とせず。

染汚水をもちいて衣を浣洗するに浣、衣の本期あり。

さらに火、風、土、水、空を用著して衣をあらい物をあらう法あり。

地水火風空をもちいて地水火風空をあらいきよむる法あり。

いまの観、身、不浄の宗旨、また、かくのごとし。

これによりて蓋身、蓋観、蓋不浄、すなわち、嬢、生、袈裟なり。

袈裟もし嬢、生、袈裟にあらざれば、仏祖、いまだ、もちいざるなり。

ひとり商那和修のみならんや?

この道理、よくよく、こころをとめて参学、究尽すべし。


観、受、是、苦というは、苦、これ、受なり。

自受にあらず、他受にあらず、有受にあらず、無受にあらず。

生身、受なり。

生身、苦なり。

甜熟瓜を苦葫蘆に換却するをいう。

これ、皮肉骨髄に、にがきなり。

有心、無心、等に、にがきなり。

これ、一上の神通、修、証なり。

徹蔕より跳出し、連根より跳出する、神通なり。

このゆえに、将、謂、衆生、苦。更、有、苦、衆生。なり。

衆生は、自にあらず。

衆生は、他にあらず。

更、有、苦、衆生、ついに瞞、他、不得なり。

甜瓜、徹蔕、甜。苦匏、連根、苦。なりといえども、苦、これ、たやすく摸索著すべきにあらず。

自己に問著すべし。

作麼生、是、苦?


観、心、無常は、

曹谿古仏、いわく、

無常、者、即、仏性、也。


しかあれば、諸類の所解する無常、ともに、仏性なり。


永嘉、真覚大師、云、

諸行無常。

一切、空。

即、是、如来、大円覚。


いまの観、心、無常、すなわち、如来、大円覚なり、大円覚、如来なり。

心もし不観ならんとするにも、随、他、去するがゆえに、心、もし、あれば、観も、あるなり。

おおよそ、無上菩提にいたり、無上正等覚の現成、すなわち、無常なり、観、心なり。

心、かならずしも常にあらず、離四句、絶百非なるがゆえに、牆壁、瓦礫、石頭大小、これ、心なり、これ、無常なり、すなわち、観なり。


観、法、無我は、長、者、長法身。短、者、短法身。なり。

現成、活計なるがゆえに、無我なり。

狗子、仏性、無なり。

狗子、仏性、有なり。

一切衆生、無仏性なり。

一切仏性、無衆生なり。

一切諸仏、無衆生なり。

一切諸仏、無諸仏なり。

一切仏性、無仏性なり。

一切衆生、無衆生なり。

かくのごとくなるがゆえに、一切法、無一切法。を観、法、無我と参学するなり。

しるべし。

跳出、渾身、自、葛藤なり。


釈迦牟尼仏、言、

一切諸仏、菩薩、長、安、此法、為、聖胎、也。


しかあれば、諸仏、菩薩、ともに、この四念住を聖胎とせり。

しるべし。

等覚の聖胎なり。

妙覚の聖胎なり。

すでに一切諸仏、菩薩とあり、妙覚にあらざらん諸仏も、これを聖胎とせり。

等覚よりさき、妙覚よりほかに超出せる菩薩、また、この四念住を聖胎とするなり。

まことに、諸仏、諸祖の皮肉骨髄、ただ四念住のみなり。


四正断。(あるいは、四正勤と称す。)


一、者、未生悪、令、不生。

二、者、已生悪、令、滅。

三、者、未生善、令、生。

四、者、已生善、令、増長。


未生悪、令、不生というは、

悪の称、かならずしも、さだまれる形段なし。

ただ地にしたがい、界によりて、立称しきたれり。

しかあれども、未生をして不生ならしむるを仏法と称し正伝しきたれり。


外道の解には、これ、未萌我を根本とせり、という。

仏法には、かくのごとくなるべからず。


しばらく、問取すべし。

悪、未生のとき、いずれのところにか、ある?


もし未来にあり、と、いわば、ながく、これ、断滅見の外道なり。

もし未来きたりて現在となる、と、いわば、仏法の談にあらず、三世、混乱しぬべし。

三世混乱せば、諸法、混乱すべし。

諸法、混乱せば、実相、混乱すべし。

実相、混乱せば、唯仏与仏、混乱すべし。

かるがゆえに、未来は、のちに現在となる、と、いわざるなり。


さらに、問取すべし。

未生悪とは、なにを称すべきぞ?

だれが、これを知取見取せる?

もし知取見取することあらば、未生時あり、非未生時あらん。

もし、しかあらば、未生法と称すべからず、已滅の法と称しつべし。

外道、および、小乗、声聞、等に学せずして、未生悪、令、不生の参学すべきなり。

弥天の積悪、これを未生悪と称す。

不生悪なり。

不生というは、昨日、説、定法、今日、説、不定法なり。


已生悪、令、滅というは、

已生は、尽生なり。

尽生なりとは、半生なり。

半生なりとは、此生なり。

此生は、被、生、礙なり、跳出、生之頂寧頁なり。(「寧頁」は一文字の漢字と見なしてください。)

これをして滅ならしむ、というは、

調達、生身、入、地獄なり。

調達、生身、得、授記なり。

生身、入、驢胎なり。

生身、作仏なり。

かくのごとく道理を拈来して、令、滅の宗旨を参学すべきなり。

滅は、滅を跳出、透脱するを滅とす。


未生善、令、生というは、

父母未生前の面目、参飽なり。

朕兆已前の明挙なり。

威音(王)以前の会取なり。


已生善、令、増長は、

しるべし。

已生善、令、生といわず、令、増長するなり。

自、見、明星、訖、更、教、他、見、明星なり。

眼睛、作、明星なり。

胡乱、後、三十年、不曾闕、塩、酢なり。

たとえば、増長するゆえに、已生するなり。

このゆえに、

谿、深、杓、柄、長なり。

只、為、有、所以、来なり。


四神足。


一、者、欲神足。

二、者、心神足。

三、者、進神足。

四、者、思惟神足。


欲神足は、

図、作仏の身心なり。

図、睡快なり。

因、我、礼、爾なり。

おおよそ、欲神足、さらに身心の因縁にあらざるなり。

莫涯空の鳥、飛なり。

徹底水の魚、行なり。


心神足は、

牆壁、瓦礫なり。

山河大地なり。

条条の三界なり。

赤赤の椅子、竹、木なり。

尽使得なるがゆえに、

仏祖心あり。

凡聖心あり。

草木心あり。

変化心あり。

尽心は、心神足なり。


進神足は、

百尺竿頭、驀直、歩なり。

いずれのところか、これ、百尺竿頭?

いわゆる、不驀直、不得なり。

驀直、一歩は、なきにあらず。

這裏、是、甚麼所在、説、進、説、退?

正当進神足時、尽十方界、随、神足、到、也、随、神足、至、也。


思惟神足は、

一切仏祖、業識、茫茫、無、本、可、拠なり。

身、思惟あり。

心、思惟あり。

識、思惟あり。

草鞋、思惟あり。

空劫已前、自己、思惟あり。


これをまた、四如意足という。

無躊躇なり。


釈迦牟尼仏、言、

未運、而、到、名、如意足。


しかあれば、すなわち、

()きこと、(きり)の口のごとし。

方なること、(のみ)の刃のごとし。


五根。


一、者、信根。

二、者、精進根。

三、者、念根。

四、者、定根。

五、者、慧根。


信根は、

しるべし。

自己にあらず、

他己にあらず、

自己の強為にあらず、

自己の結搆にあらず、

他の牽挽にあらず、

自立の規矩にあらざるゆえに、

東西、密、相付なり。

渾身、似、信を信と称するなり。

かならず、仏果位と随、他、去し、随、自、去す。

仏果位にあらざれば、信、現成あらず。

このゆえに、いわく、

仏法大海、信、為、能入なり。

おおよそ、信、現成のところは、仏祖、現成のところなり。


精進根は、

省、来、祗管、打坐なり。

休、也、休、不得なり。

休得、更、休得なり。

大区区生なり。

不区区者なり。

大区、不区、一月、二月なり。


釈迦牟尼仏、言、

我、常、勤、精進。

是故、我、已得、成、阿耨多羅三藐三菩提。


いわゆる、常、勤は、尽、過、現、当来、頭正尾正なり。

我、常、勤、精進を我、已得、成、菩提とせり。

我、已得、成、阿耨菩提のゆえに、我、常、勤、精進なり。

しかあらずば、いかでか常、勤ならん?

しかあらずば、いかでか我、已得ならん?

論師、経師、この宗旨を見聞すべからず。

いわんや、参学せる、あらんや?


念根は、

枯木の赤肉団なり。

赤肉団を枯木という。

枯木は、念根なり。

摸索、当の自己、これ、念なり。

有身のときの念あり。

無心のときも、念あり。

有心の念あり。

無身の念あり。

尽大地人の命根、これを念根とせり。

尽十方仏の命根、これは、念根なり。

一念に多人あり。

一人に多念あり。

しかあれども、有念人あり、無念人あり。

人に、かならずしも、念、あるに、あらず。

念、かならずしも、人に、かかれるにあらず。

しかありといえども、この念根、よく、持して究尽の功徳あり。


定根は、

惜取、眉毛なり。

策起、眉毛なり。

このゆえに、不昧因果なり、不落因果なり。

ここをもって、入、驢胎、入、馬胎なり。

石の、玉をつつめるがごとし。

全石、全、玉なり、というべからず。

地の、山をいただけるがごとし。

尽地、尽、山、というべからず。

しかあれども、頂寧頁より跳出し跳入す。(「寧頁」は一文字の漢字と見なしてください。)


慧根は、

三世諸仏、不知、有なり。

狸奴、白牯、却、知、有なり。

為、甚、如此? というべからず、いわれざるなり。

鼻孔、有、消息なり。

拳頭、有、指尖なり。

驢は、驢を保任す。井は、井に相見す。


おおよそ、根、嗣、根なり。


五力。


一、者、信力。

二、者、精進力。

三、者、念力。

四、者、定力。

五、者、慧力。


信力は、

被、自、瞞、無回避所なり。

被、他、喚、必、回頭なり。

従、生、至、老、只、是、這箇なり。

七顛、也、放行なり、八倒、也、拈来なり。

このゆえに、信、如、水清珠なり。

伝法、伝衣を信とす。

伝仏伝祖なり。


精進力は、

説取、行、不得底なり。

行取、説、不得底なり。

しかあれば、すなわち、

説得、一寸、不如、説得、一寸なり。

行得、一句、不如、行得、一句なり。

力裏、得、力、これ、精進力なり。


念力は、

拽、人鼻孔、太殺人なり。

このゆえに、

鼻孔、拽、人なり。

抛、玉、引、玉なり。

抛、瓦、引、瓦なり。

さらに、未抛、也、三十棒なり。

天下人、用著、未磷なり。


定力は、

あるいは、如、子、得、其母なり。

あるいは、如、母、得、其子なり。

あるいは、如、子、得、其子なり。

あるいは、如、母、得、其母なり。

しかあれども、

以、頭、換、面にあらず。

以、金、買、金にあらず。

唱、而、弥、高なるのみなり。


慧力は、

年代、深遠なり。

如、船、遇、渡なり。


かるがゆえに、ふるく、いわく、

如、渡、得、船。


いう、こころは、渡、必、是、船なり。

渡の、渡を罣礙せざるを船という。

春、氷、自、消、氷なり。


七等覚支。


一、者、択法覚支。

二、者、精進覚支。

三、者、喜覚支。

四、者、除覚支。

五、者、捨覚支。

六、者、定覚支。

七、者、念覚支。


択法覚支は、

毫釐、有、差、天地懸隔なり。

このゆえに、至道、不、難易。唯、要、自揀択のみなり。


精進覚支は、

不曾、攙奪、行市なり。

自買、自売、ともに、定価あり、知、貴あり。

屈、己、推、人に相似なりといえども、通身、撲、不砕なり。

一転語を自売すること、いまだ、やまざるに、一転心を自買する商客に相逢す。

驢事、未了、馬事、到来なり。


喜覚支は、

老婆心、切、血、滴滴なり。

大悲千手眼、遮莫、太多端。

臘雪、梅華、先、漏泄。来春、消息、大家、寒。なり。

しかも、かくのごとくなりといえども、活鱍鱍、笑、呵呵なり。


除覚支は、

もし、みずからがなかにありては、みずからと群せず、他のなかにありては、他と群せず。

我、得、爾、不得なり。

灼然、道著、異類中行なり。


捨覚支は、

設使、将来、他、亦、不受なり。

唐人、赤脚、学、唐歩。南海、波斯、求、象牙。なり。


定覚支は、

機先、保護、機先眼なり。

自家、鼻孔、自家、穿なり。

自家、把、索、自家、牽なり。

しかも、かくのごとくなりといえども、さらに牧、得、一頭、水牯牛なり。


念覚支は、

露柱、歩、空、行なり。

このゆえに、口、似、椎。眼、如、眉。なりというとも、なお、これ、栴檀林裏、薫、栴檀。獅子窟中、獅子吼。なり。


八正道支。(また、八聖道とも称す。)


一、者、正見道支。

二、者、正思惟道支。

三、者、正語道支。

四、者、正業道支。

五、者、正命道支。

六、者、正精進道支。

七、者、正念道支。

八、者、正定道支。


正見道支は、

眼睛裏、蔵、身なり。

しかあれども、身先、須、具、身先眼なり。

向前の堂堂、成見なりといえども、公案、見成なり、親曾見なり。

おおよそ、眼裏、蔵、身せざれば、仏祖にあらざるなり。


正思惟道支は、

作是思惟時、十方仏、皆、現なり。

しかあれば、十方、現。諸仏、現。これ、作是思惟時なり。

作是思惟時は、自己にあらず、他己をこえたりといえども、而今も、思惟、是事、已、即、趣、波羅奈なり。

思惟の所在は、波羅奈なり。


古仏、いわく、

思量、箇不思量底。


不思量底、如何、思量?


非思量。


これ、正思量、正思惟なり。

破、蒲団、これ、正思惟なり。


正語道支は、

唖子、自己、不、唖子なり。

諸人中の唖子は、未道得なり。

唖子界の諸人は、唖子にあらず。

不慕、諸聖なり。

不重、己霊なり。

口、是、掛、壁の参究なり。

一切口、掛、一切壁なり。


正業道支は、

出家、修道なり。

入山、取、証なり。


釈迦牟尼仏、言、

三十七品、是、僧業。


僧業は、大乗にあらず、小乗にあらず。

僧は、仏僧、菩薩僧、声聞僧、等、あり。

いまだ出家せざるものの、仏法の正業を嗣続せること、あらず、仏法の大道を正伝せること、あらず。

在家、わずかに、近事男女の学道といえども、達道の先蹤なし。

達道のとき、かならず、出家するなり。

出家に不堪ならんともがら、いかでか仏位を嗣続せん?

しかあるに、二、三百年来のあいだ、大宋国に、禅宗僧と称するともがら、おおく、いわく、在家の学道と、出家の学道と、これ、一等なり、という。

これ、ただ在家人の屎、尿を飲食とせんがために、狗子となれる類族なり。

あるいは、国王、大臣にむかいて、いわく、万機の心は、すなわち、祖仏の心なり。さらに、別心あらず。という。

王、臣、いまだ正説正法をわきまえず、大悦して、師号、等をたまう。

かくのごとくの道ある諸僧は、調達なり。

涕唾をくらわんがために、かくのごとくの小児の狂語あり。

啼哭というべし。

七仏の眷属にあらず。

魔党、畜生なり。

いまだ身心、学道をしらず、参学せず、身心、出家をしらず。

王、臣の法、政にくらく、仏祖の大道をゆめにもみざるによりて、かくのごとし。

維摩居士の、仏出世時にあうし、道、未尽の法、おおし、学、未到、すくなからず。

龐、蘊、居士が祖席に参歴せし、薬山の堂奥をゆるされず、江西におよばず。

ただ、わずかに参学の名をぬすめりといえども、参学の実、あらざるなり。

自余の李駙馬、楊文公、等、おのおの、参飽とおもうといえども、乳餅、いまだ喫せず。

いわんや、画餅を喫せんや?

いわんや、喫、仏祖粥飯せんや?

未有、鉢盂なり。

あわれむべし、一生の皮袋、いたずらなることを。

普勧すらくは、

尽十方の天衆生、人衆生、龍衆生、諸衆生、はるかに如来の法を慕古して、いそぎて出家、修道し、仏位祖位を嗣続すべし。

禅師、等が未達の道をきくことなかれ。

身をしらず、心をしらざるがゆえに、しかのごとく、いうなり。

あるいは、また、すべて、衆生をあわれむこころなく、仏法をまもるおもいなく、ただ、ひとすじに在家の人の屎、糞をくらわんとして、悪狗となれる、人面狗、人皮狗、かくのごとく、いうなり。

同坐すべからず。

同語すべからず。

同依止すべからず。

かれらは、すでに生身、堕、畜生なり。

出家人もし屎、糞、ゆたかならば、出家人、すぐれたり、と、いわまし。

出家人の屎、糞、この畜生に、およばざるがゆえに、かくのごとく道取するなり。

在家心と、出家心と、一等なり、ということ、証拠といい、道理といい、五千余軸の文に、みえず、二千余年のあと、なし。

五十代、四十余世の仏祖、いまだ、その道取なし。

たとえ破戒、無戒の比丘となりて、無法、無慧なりというとも、在家の有智、持戒には、すぐるべきなり。

僧業、これ、智なり、悟なり、道なり、法なるがゆえに。

在家、たとえ随分の善根、功徳あれども、身心の善根、功徳、おろそかなり。

一代の化儀、すべて、在家、得道せるもの、なし。

これ、在家、いまだ学仏道の道場ならざるゆえなり。

遮障、おおき、ゆえなり。

万機心と、祖師心と、一等なり、と道取するともがらの身心をさぐるに、いまだ仏法の身心にあらず、仏祖の皮肉骨髄、つたわれざらん。

あわれむべし、仏正法にあいながら、畜生となれることを。

かくのごとくなるによりて、曹谿古仏、たちまちに辞親尋師す。

これ、正業なり。

金剛経をききて発心せざりしときは、樵夫として家にあり。

金剛経をききて仏法の薫力あるときは、重担を放下して出家す。

しるべし、身心もし仏法あるときは、在家にとどまること、あたわず、ということを。

諸仏祖、みな、かくのごとし。

出家すべからず、という、ともがらは、造逆よりも、おもき罪条なり、調達よりも、猛悪なり、というべし。

六群比丘、六群尼、十八群比丘、等よりも、おもし、としりて、共語すべからず。

一生の寿命、いくばくならず。

かくのごとくの魔子、畜生、等と、共語すべき光陰なし。

いわんや、この人身は、先世に、仏法を見聞せし種子より、うけたり。

公界の調度なるがごとし。

魔族となすべきにあらず。

魔族と、ともならしむべきにあらず。

仏祖の深恩をわすれず、法乳の徳を保護して、悪狗の叫吠をきくことなかれ。

悪狗と、同坐、同食することなかれ。

嵩山高祖古仏、はるかに西天の仏国をはなれて、辺邦の神丹に西来するとき、仏祖の正法、まのあたり、つたわれしなり。

これ、出家、得道にあらずば、かくのごとくなるべからず。

祖師西来、已前は、東地の衆生、人、天、いまだかつて正法を見聞せず。

しかあれば、しるべし。

正法、正伝、ただ、これ、出家の功徳なり。

大師、釈尊、かたじけなく父王の位をすてて嗣続せざることは、王位の貴ならざるにあらず、仏位の最貴なるを嗣続せんがためなり。

仏位は、これ、出家位なり。

三界の天衆生、人衆生、ともに、頂戴、恭敬する、くらいなり。

梵王、釈王の同坐するところにあらず。

いわんや、下界の諸人王、諸龍王の同坐する、くらいならんや?

無上正等覚位なり。

くらい、よく、説法、度、生し、放、光、現、瑞す。

この出家位の諸業、これ、正業なり、諸仏、七仏の懐業なり。

唯仏与仏にあらざれば、究尽せざるところなり。

いまだ出家せざらんともがらは、すでに出家せるに奉覲、給仕し、頭頂、敬礼し、身命を抛捨して供養すべし。


釈迦牟尼仏、言、

出家、受戒、是、仏種子、也。

已得度人。


しかあれば、すなわち、しるべし。

得度というは、出家なり。

未出家は、沈淪にあり。

かなしむべし。

おおよそ、一代の仏説のなかに、出家の功徳を讃歎せること、称計すべからず。

釈尊、誠説し、諸仏、証明す。

出家人の破戒、不修なるは、得道す。

在家人の得道、いまだあらず。

帝者の、僧、尼を礼拝するとき、僧、尼、答拝せず。

諸天の、出家人を拝するに、比丘、比丘尼、まったく答拝せず。

これ、出家の功徳、すぐれたる、ゆえなり。

もし出家の比丘、比丘尼に拝せられば、諸天の宮殿、光明、果報、等、たちまちに破壊、墜堕すべきがゆえに、かくのごとし。

おおよそ、仏法、東漸より、このかた、出家人の得道は、稲麻竹葦のごとし。

在家ながら得道せるもの、一人も、いまだあらず。

すでに仏法、その眼、耳におよぶときは、いそぎて出家をいとなむ。

はかりしりぬ。

在家は、仏法の在所にあらず。

しかあるに、万機の身心、すなわち、仏祖の身心なり、という、やからは、いまだかつて仏法を見聞せざるなり。

黒闇獄の罪人なり。

おのれが言語、なお、見聞せざる、愚人なり。

国賊なり。

万機の心をもって仏祖の心に同ずるを詮とするは、仏法のすぐれたるによりて、しかいうを帝者よろこぶ。

しるべし、仏法、すぐれたり、ということ。

万機の心は、仮令、おのずから仏祖の心に同ずとも、仏祖の身心、おのずから万機の身心とならんとき、万機の身心なるべからず。

万機心と仏祖心と、一等なり、という禅師、等、すべて、心法のゆきかた、様子をしらざるなり。

いわんや、仏祖心をゆめにもしること、あらんや?

おおよそ、梵王、釈王、人王、龍王、鬼神王、等、おのおの、三界の果報に著することなかれ。

はやく出家、受戒して、諸仏、諸祖の道を修習すべし。

曠大劫の仏因ならん。

みずや?

維摩老もし出家せましかば、維摩よりも、すぐれたる、維摩比丘をみん。

今日は、わずかに空生、舎利子、文殊、弥勒、等をみる。

いまだ半維摩をみず。

いわんや、三、四、五の維摩をみんや?

もし三、四、五の維摩をみず、しらざれば、一維摩、いまだ、みず、しらず、保任せざるなり。

一維摩いまだ保任せざれば、維摩仏をみず。

維摩仏をみざれば、維摩文殊、維摩弥勒、維摩善現、維摩舎利子、等、いまだ、あらざるなり。

いわんや、維摩山河大地、維摩、草木、瓦礫、風雨、水火、過去、現在、未来、等あらんや?

維摩、いまだ、これらの光明、功徳みえざることは、不出家のゆえなり。

維摩もし出家せば、これらの功徳あるべきなり。

当時、唐朝、宋朝の禅師、等、これらの宗旨に達せず、みだりに維摩を挙して、作得、是とおもい、道得、是という。

これらのともがら、あわれむべし、言教をしらず、仏法にくらし。

あるいは、また、あまりさえは、維摩と釈尊と、その道、ひとしとおもい、いえる、おおし。

これら、また、いまだ仏法をしらず、祖道をしらず、維摩をもしらず、はからざるなり。

かれら、いわく、維摩、黙然、無言して諸菩薩にしめす、これ、如来の無言、為、人にひとし、という。

これ、おおきに仏法をしらず、学道の力量なし、というべし。

如来の有言、すでに自余と、ことなり、無言も、また、諸類と、ひとしかるべからず。

しかあれば、如来の一黙と、維摩の一黙と、相似の比論にすら、およぶべからず。

言説は、ことなりとも、黙然は、ひとしかるべし、と憶想せるともがらの力量をさぐるには、仏辺人とするにも、およばざるなり。

かなしむべし。

かれら、いまだ声、色の見聞なし。

いわんや、跳、声、色の光明あらんや?

いわんや、黙の黙を学すべしとだにもしらず、ありとだにもきかず。

おおよそ、諸類と諸類と、その動静、なお、ことなり。

いかでか釈尊と諸類と、おなじといい、おなじからずと比論せん?

これ、仏祖の堂奥に参学せざるともがら、かくのごとく、いうなり。

あるいは、邪人、おおく、おもわく、言説、動容は、これ、仮法なり。寂黙凝然は、これ、真実なり。


かくのごとく、いう、また、仏法にあらず。

梵天、自在天、等の経教を伝聞せるともがらの所計なり。

仏法、いかでか、動静にかかわらん?

仏道に、動静ありや? 動静なしや? 動静を接すや? 動静に接せらるや? と審細に参学すべし。

而今の晩学、たゆむことなかれ。

現在、大宋国をみるに、仏祖の大道を参学せるともがら、断絶せるがごとし。

両、三箇あるにあらず。

維摩は是にして一黙あり、いまは一黙せざるは、維摩よりも、劣なり、とおもえるともがらのみ、あり。

さらに、仏法の活路なし。

あるいは、また、維摩の一黙は、すなわち、世尊の一黙なり、とおもうともがらのみ、あり。

さらに、分別の光明あらざるなり。

かくのごとく、おもい、いう、ともがら、すべて、いまだかつて仏法、見聞の参学なし、というべし。

大宋国人にあれば、とて、仏法なるらん、とおもうことなかれ。

その道理、あきらめやすかるべし。

いわゆる、正業は、僧業なり。

論師、経師のしるところにあらず。

僧業というは、

雲堂裏の功夫なり。

仏殿裏の礼拝なり。

後架裏の洗面なり。

乃至、合掌、問訊、焼香、焼湯する、これ、正業なり。

以、頭、換、尾するのみにあらず。

以、頭、換、頭なり。

以、心、換、心なり。

以、仏、換、仏なり、

以、道、換、道なり。

これ、すなわち、正業道支なり。

あやまりて仏法の商量すれば、眉、髭、堕落し、面目、破顔するなり。


正命道支とは、

早朝、粥、午時、飯なり。

在、叢林、弄、精魂なり。

曲木座上、直指なり。

老趙州の不、満、二十衆、これ、正命の現成なり。

薬山の不、満、十衆、これ、正命の命脈なり。

汾陽の七、八衆、これ、正命のかかれるところなり。

もろもろの邪命をはなれたるがゆえに。


釈迦牟尼仏、言、

諸声聞人、未得、正命。


しかあれば、すなわち、声聞の教行証、いまだ正命にあらざるなり。


しかあるを、近日、庸流、いわく、

声聞、菩薩を分別すべからず。

その威儀、戒律、ともに、もちいるべし。

といいて、小乗、声聞の法をもって、大乗、菩薩法の威儀、進止を判す。


釈迦牟尼仏、言、

声聞、持戒、菩薩、破戒。


しかあれば、声聞の持戒とおもえる、もし菩薩戒に比望するがごときは、声聞戒、みな、破戒なり。

自余の定、慧も、また、かくのごとし。

たとえ不殺生、等の相、おのずから声聞と菩薩と、あいにたりとも、かならず、別なるべきなり。

天地懸隔の論におよぶべからざるなり。

いわんや、仏仏、祖祖、正伝の宗旨と諸声聞と、ひとしからんや?

正命のみにあらず、清浄命あり。

しかあれば、すなわち、仏祖に参学するのみ、正命なるべし。

論師、等の見解、もちいるべからず。

未得、正命なるがゆえに、本分命にあらず。


正精進道支とは、

抉出、通身の行李なり。

抉出、通身、打、人面なり。

倒、騎、仏殿、打一帀、両帀、三、四、五帀なるがゆえに、九九算来八十二なり。

重、報、君の千、万条なり。

換、頭、也、十字、縦横なり。

換、面、也、縦横、十字なり。

入室来、上堂来なり。

望州亭、相見、了、也。烏石嶺、相見、了、也。

僧堂前、相見、了、也。仏殿裏、相見、了、也。

両鏡、相対して三枚、影あるをいう。


正念道支は、

被、自、瞞の八、九成なり。

念より、さらに、発、智する、と学するは、捨、父、逃逝なり。

念中、発、智、と学するは、纏縛之甚なり。

無念は、これ、正念、というは、外道なり。

また、地水火風の精霊を念とすべからず。

心、意、識の顛倒を念と称せず。

まさに、汝、得、吾皮肉骨髄、すなわち、正念道支なり。


正定道支とは、

脱落、仏祖なり。

脱落、正定なり。

他、是、能、挙なり。

剖来、頂寧頁、作、鼻孔なり。(「寧頁」は一文字の漢字と見なしてください。)

正法眼蔵裏、拈、優曇華なり。

優曇華裏、有、百、千枚、迦葉、破顔微笑なり。

活計、ひさしく、もちいきたりて、木杓、破なり。

このゆえに、落草、六年、花開、一夜なり。

劫火、洞燃、大千、倶、壊、随、他、去なり。


この三十七品菩提分法、すなわち、仏祖の眼睛、鼻孔、皮肉骨髄、手足、面目なり。

仏祖、一枚、これを三十七品菩提分法と参学しきたれり。

しかあれども、一千三百六十九品の公案、現成なり、菩提分法なり。

坐断すべし。

脱落すべし。


正法眼蔵 三十七品菩提分法

爾時、寛元二年甲辰、二月二十四日、在、越宇、吉峰精舎、示、衆。

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