闇に堕つ
「起きろ、櫛田! 頼む、目を開けてくれ!」
須佐野が新人の顔を、肩を、軽く叩く。
息はある。だが意識がない。
所々に切傷。
服には焦げた跡もある。
放電を直に浴びたか?
はたまた落下で頭を打ったか?
とにかく一刻も早い治療が必要なのは明白だった。
自分のせい。
悔しさで歯を食いしばる。
油断した。
明らかな慢心が最悪の事態を招いてしまったと彼は理解する。
後悔してももう遅い。
だからこそ、今は彼女の救助が最優先だ。
あたりを見回し周囲を確認する。
落ちた先は地下鉄のホーム。いたるところに崩落した破片が散乱している。それを抜きにしてもここは経年劣化によりすっかりボロボロであまりにも損傷が激しい。竜災以降何十年と放置されていた場所。当たり前だ。
比較的綺麗な一角に櫛田を寝かせると、上を見上げる。
暗闇にぽっかりと空いた穴から差し込む光。
その向こうに広がる青空。
穴はかなり高い位置にある。自分の想像より深く落ちてしまっていることに須佐野は絶望した。
「くそっ! これじゃあワイヤーロープでも届かないぞ」
老朽化した水道管からの水漏れ。もしくは単に排水に難があったのか。雷竜と戦っていた地面は空洞化でもしていたのだろう。断ち切った尻尾の最後の足掻きでそれが限界を迎えたに違いない。
ひとまずそう判断した。
「先……輩……」
そんなホームに弱々しくか細い声が響く。
「櫛田!」
駆け寄る。
闇の中に叫びが反響した。
「大丈夫か? 痛いところはないか?」
「私は……大丈夫……です。それより……竜訳機は……」
自分よりお手製で一点物の竜訳機が心配らしい。
こんな時でもいつもの調子を崩さないとは。
少女の姿に思わず笑みがこぼれた。
「見たところ無事だ。……ったく。お前って奴は……」
その時。
「GYANN! GYANN!」
竜の声が響く。
その方向にすかさず須佐野は目を向けた。
ホームの下。
線路があるだろう闇の中からだ。
そして、それは一つではなく――。
GYANN!
GYAANN!
GYAAATH!
GYASHAAAA!
四方八方から上がる小さな咆哮。
やがて、ホームの上に一つの影が躍り出る。
暗緑色の鱗を持つ小型ドラゴン。
廃墟で狩ったのとおそらく同種。
警戒しながらこちらを睨んでいる。
ふと、脳裏に櫛田の言葉が甦る。
『あそこに大規模なコロニーがあるようです』
『あっちのコロニーよりこっちのほうが日当たりがいいとかなんとか』
廃墟のコロニーは想定より大きくなかった。竜と人とのちょっとした認識の齟齬。そうだと思って流していた。
もしあのコロニーが大規模なコロニーの一部だとしたら?
そして、大本のコロニーは日当たりが悪いとしたら?
そう。
例えば、地下鉄のホームとか。
須佐野が周囲の闇に目を凝らす。
こちらを狙っているように怪しく輝く金色の双眸。
その数はあまりにも膨大で――。
「……五十匹はいるか」
唇を噛む。
数匹程度はどうとでもなる。
だが、この数は今の装備ではどうにもできない。
最悪の状況だった。
急いで少女の体に手を回す。
頭を打っている怪我人は本来動かさないのが賢明だ。だが今はそうも言っていられない。ここにとどまれば二人揃って共倒れは必至なのだから。
素早く思考を巡らす。
すぐに一つの結論に至った。
ここは地下鉄のホーム。ならば地上へと続く通路があるはずだ。今回の崩落の影響や経年劣化で使えなくなっているかもしれない。しかし、通路は何個もある。最悪奥の手でこじ開ければいい。ここに留まるよりその方が希望がある。
とにかく新人を担いででもここから離れなければいけなかった。
「少し動かすぞ」
そっと彼女の頭を持ち上げる。
そして、気づいた。
その頭がしっとりと濡れていることに。
もしやと思い自分の手を見る。
その手は赤く染まっていた。
その瞬間。
須佐野の頭にフラッシュバックする記憶。
生温かい血の感覚。
弱々しくも最期まで微笑む妹。
その体が徐々に冷たくなっていって――。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
呼吸が乱れる。
彼の心を恐怖が支配した。
自分はまた失うのか?
また守れないのか?
足が竦む。
手が震える。
立ち上がるのさえ難しい。
一匹、また一匹とホームに上がってくるノラゴン。相手が弱っていると見るやその勢いを増していく。いつ襲いかかってきてもおかしくない状況だった。
「先……輩……」
少女が口を動かす。
今にも消え入りそうなあまりにもか細い声を出しながら。
「私の……こと……は、見捨てて……くだ……さい」
「何言ってんだ! 一緒に逃げるぞ」
須佐野が右手で新人の手を握る。
彼女は弱々しくも力強く握り返した。
そして、静かに呟く。
「生きて……先輩……」
力なく項垂れ、再び少女は意識を失う。
須佐野は思わず目を見開いた。
死んだ自分の妹。
その最期の言葉と重なったから。
ふと、彼の心に火が灯る。
熱くなる体。
湧き出た感情が恐怖を上塗りしていく。
彼は理解した。
これは怒りだと。
自分の、そして妹の、運命を狂わせた竜に対する怒り。
そして、目の前には仇敵と同じ形をした同族の群れ。
ならば殺す。
徹底的に。
もう二度と自分から奪わせない。
もう誰も死なせない。
決意を胸に義手を強く握りこむ。
「……ありがとう、櫛田」
そばに落ちていた自分の上着。
それをそっと少女の上に掛けた。
そして、青年はゆらゆらと立ち上がる。
「お前はしばらく休んどけ」
そう言いながら左腕を櫛田に向ける。
直後、破裂音。
彼女にワイヤーネットが覆いかぶさった。
その周囲に粘着弾を乱射。
竜の牙も爪も通さないネットと近づく者を邪魔する粘着弾。即席のバリケードが完成した。
天井の穴から差し込む光が彼女を照らす。
まるで聖なる守りであるかのように。
「その中ならまだ安全だ」
小さく微笑む。
そして、一寸先の闇に彼は踏み出した。
「どうかしばらく起きてくれるなよ、お姫様」
視線を周囲の竜の群れに向けながら左腕を構える。
とはいえこちらの手札は厳しい。
ワイヤーネットも粘着弾もさっきので使い尽くした。
裂爪も砕けて使い物にならない。
スタンガンもあるがあと何回撃てるか。
櫛田の荷物は爆風でロスト。
竜宴香すら使えない。
あったとしてもここは開けすぎている。
そもそも起動させる時間がなかった。
奥の手も群れ相手には効きが悪い。
ならば、残された手段は一つだけだ。
「こっからはゴア表現がキツくなる。か弱い女の子には見せられないからな」
口元に義手を寄せて青年は静かに囁く。
「リミッター解除、認証コード……666(トリプルシックス)」
音声起動。
直後、鳴り響く警報音。
義手のランプが赤く明滅し、彼を照らす。
そんな音と光が収まると――。
ガチャン。
闇の中。
鈍い金属音が木霊した。
それを合図にノラゴンが一斉に襲いかかる。
対して、青年は左腕をひと薙ぎして――。
「うっ……」
「気づいたか!」
櫛田の意識が戻る。
彼女を担いでいた須佐野が喜びの声を上げた。
「先……輩……」
「大丈夫だ。もうすぐ地上に出られる。生きている通路があったんだ」
少女が寝ている間に彼は脱出路を探した。
そして、なんとか一本の通路を発見したのだ。
ふと、彼女の鼻がかすかな匂いを捉える。
錆びた鉄のような匂い。
それよりも生臭く湿っぽい。
少女はすぐに理解する。
それは血の匂いだと。
自分はどこか怪我をしているのだろうか?
それとも先輩が?
よく見れば、須佐野の顔は真っ赤な血で汚れていた。
シャツなんて元の色が分からないくらいだ。
先輩がドラゴンから守ってくれた。
朧気ながらそんな記憶がある。
それで怪我をさせてしまっていたら申し訳ない。
聞きあぐねていると、それを見透かしたように青年が口を開く。
「……ごめんな、櫛田」
悲しげな赤い瞳。
何でそんな顔をするのか彼女はわからなかった。
「どう……したん……ですか?」
「いや、お前は知らなくていいんだ」
頭を振って赤い瞳が再び前を向く。
「それより急ぐぞ。早くお前を治療しないと」
小走りで、それでいて揺らさないよう気をつけながら、櫛田を背負った須佐野は地上へと急いだ。
残されたのは無人のホーム。
ぽっかり空いた穴からは赤い夕日が差し込む。
それに照らされるのは――赤く輝く血だまり。
広がっていたのはまさに地獄絵図だった。
夥しい数のノラゴンの死骸。
それも鋭利な刃物でズタズタに切り裂かれたような無惨な姿で。
その数、成体と幼体を含めておよそ百。
ぐしゃぐしゃに踏みつぶされた卵はもはや数え切れない。
それらが無造作にホームと線路に散らばっていた。
その光景を生み出したのは一人の青年。
それもたった数分で。
あっという間の鏖殺。
この場でその事実を知る者は本人以外誰もいない。
やがて日も沈む。
全ては闇の中だ。
本日はあと2回更新します(12時/21時)。
お楽しみください。




