私の太陽
「お風呂の時もウサ耳はつけたままなんだね」
湯船に浸かる櫛田が未だに洗い場にいる背中に声をかける。
彼女の言う通り、如月はウサ耳をつけたまま器用に自身の長い髪を洗っていた。
「日空様はいつ何時でも操縦デバイスを装着しています。補佐として彼のサポートをするためにも外せません」
「真面目だなー。私とは大違いだ」
「櫛田様はこのような場面ではデバイスを外されるのですね」
彼女の指摘通り、金髪から覗く耳には竜訳機の姿はない。
「防水ではあるけどお手製の一点物だからね。大事をとって外せる時は外してるんだ」
軽くなった自身の耳をそっと撫でる。
ふと、気になったことを如月に聞いた。
「そう言えばどうして千夜ちゃんだけ猫耳じゃないの?」
「私だけじゃないですよ。副長の方はジャッカル耳ですし。日空様も普段は王冠型です」
「えっ! じゃあ、どうしてさっきは猫耳だったの?」
「日空様の王冠型デバイスは高性能ゆえに大型化しており隊長室でしか使えないんです。一方で、日空様は常にドローンを操縦したい。ですので、入浴などどうしても部屋から出ないといけない場合などは一般隊員用の猫耳をつけているのです」
体を洗い終わった少女が席を立つ。
二メートルの長身と腰まで届く黒髪が艶めかしく揺れる。
気品を纏いながら長い脚で湯船に迫ってくる姿はランウェイを歩くモデルのよう。
あまりの美しさに青い瞳が思わず見惚れる。
反射的に目を伏せると自身の体が目に入った。彼女と比べるとそれはあまりにも貧相で……。惨めな気持ちになりそうなので櫛田は顔をあげる。
ちょうど如月が湯船に浸かりながら隣に座るところだった。
「千夜ちゃんが真面目なのは日空隊長を見習ってるってわけだ」
「その通りです。日空様は本当に素晴らしい方ですから」
すんとしながらも嬉しそうな声色。
櫛田もつられて笑顔になる。
緩んだついでにその口が動いた。
「で、日空隊長のどこが好きなの?」
「っ!?」
早速ぶっこむ。
切り込んだ内容に隣の長身はビクッとして固まる。
金色の双眸を丸くして櫛田を凝視していた。
その顔は耳まで真っ赤だ。
「どどどどうしてそれを」
「いやー、冥蘭ちゃんから聞いたんだけど……。たぶん聞かなくても分かったかも」
「そんなに分かりやすいんですね……。うまく隠してるつもりなのにどうも皆さんに知られているようで……。やっぱり私はダメな子です……」
恥ずかしさで顔を隠す如月。
先ほどまで纏っていた気品はすっかり湯に溶けてしまった。
なんだか可哀想なので櫛田はすかさずフォローを入れる。
「でも、猫耳デザインを決めたのは千夜ちゃんでしょ? 冥蘭ちゃんも評価してましたよ」
「……それはただの私情なんです。だって、猫耳姿の日空様の破壊力があまりにもすごくて……。あんなの、選ぶ以外に選択肢なんてないじゃないですか」
どうやら欲望全開で猫耳デザインが決まったらしい。
なんだこの大きくて可愛い生き物は。
思わず萌え死にそうになるのを櫛田は何とか堪えた。
「それで、日空隊長のどこが好きなの?」
質問を繰り返す。
口元を湯船に沈めぶくぶくするウサ耳。
やがて、観念したのか顔を出して呟いた。
「生き方です。誰かのために全力を尽くす日空様の生き方が好きなんです。そんな彼を私はそばで支えたいと思った」
「ふんふん! 詳しく聞かせて!」
前のめりになりながら青い目が輝く。
「たくさんのドローンを使ってまで隊員のみんなを見守る過保護とも言える優しさ。それには日空様の過去が関係しています」
ぽつりぽつりと少女が語り始める。
「日空様は前線から引退した元竜狩人の夫婦の間に生まれました。確か今は別の街で食堂を経営されています」
「外の世界でいう一般家庭ですね」
話しながらウサ耳が頷く。
「日空様の体は最初からあの状態でした。ご両親は五体満足に生んであげられなかったことをとても悔やんだそうです」
一瞬、金髪の下で自身の過去が脳裏を駆ける。
昔の傷痕が疼いた気がした。
櫛田は雑念を振り払い、話に注意を向け直す。
「それでも絶対に不自由させまいとご両親は懸命にサポートし続けました。ご両親の人柄もあり、食堂の常連さんを中心にたくさんの方が日空様とご両親を助けてくれた。それだけ彼はみんなに愛されていたんです」
如月が自分のことのように微笑む。
それを見たこちらも心が温かくなった。
「だから、物心ついた時からどうにか周囲に恩返しをしたいと思っていたようです。でも日空様はあんな体だから、結局周りに助けてもらってばかり。それでも、彼は腐ることなく周囲に感謝をし続けました」
先ほどのやりとりを思い出す。
隊長とは思えないほど謙虚な姿勢。
きっとそれは周囲への感謝から来るものなのだろう。
「転機となったのは〈養成所〉の入学検査です」
養成所。
小学校と中学校が一体となった封竜域における教育機関。
普通科と竜狩人科の二つのコースがあり、保有する個別遺才や適性を検査して入学時に振り分けられる。
現役の竜狩人の子供は出生後に遺才検査を行うことが多く、この検査結果に新鮮味はない。一方、そうでない者はここで初めて自分の遺才を知ることになる。
「そこで日空様が〈過重処理〉を持っていることが判明しました。お母様からの遺伝らしいです」
過重処理。
複数のドローンを同時操縦することが可能になる貴重な遺才だ。
「日空様はとても嬉しかったようです。ずっと助けてもらってばかりの人生だった。ドローンを操れるようになれば今度は自分がみんなを助けられる。封竜域を解放してみんなに恩返しができる。無我夢中で操縦デバイスの扱いを習った。そして、そんな彼に神は微笑みました。その才能が覚醒したんです」
一年生の時点ですでに二十機のドローンを自由に操る圧倒的操縦センス。
彼の〈過重処理〉は一般のそれとは格が違った。まるで手足のようにいとも簡単に多数の同時操縦をこなしたのだ。
手足の欠損により容量の空いた脳の運動野がフル活用されていることが分かったのはずっと後だった。
「操縦可能なドローンの数はとどまるところを知らず。史上稀に見るドローン捌きにGUILDも一目置きました。その結果、彼は飛び級により養成所を一年早く卒業したのです。そして、卒業後に配属されたD隊。その配属初日に日空様は当時の隊長に昇格戦を挑みました」
昇格戦。
各部隊において階級を上げるために行われる、いわば下克上制度。
その内容は部隊ごとに異なる。
D隊は汎用ドローンを使った模擬戦。
互いに相手の体についた風船をドローンで割るものだ。
「汎用ドローンしか使えない昇格戦は日空様にとって圧倒的不利です。なぜなら、先ほどの車椅子も技術的には走行型ドローンの一種ですから。つまり、汎用ドローン限定の模擬戦では日空様は初期位置から動けない。相手からすれば格好の的だったのです」
「それでどうしたんですか?」
「とても単純な話です。日空様は数にものを言わせた力技で迎え撃ちました」
「確か二〇〇機操れるんですよね?」
その答えに如月が意味深に微笑む。
「それは常時安定して動かせる最低数ですね」
「最低……数?」
耳を疑う櫛田。
呆気にとられる彼女に如月が告げる。
「日空様はとある事情で普段は力をセーブしています」
「つまり……セーブして二〇〇機なんですか!?」
「そうですよ。本気を出せばもっと操れます。少なくとも当時の記録ではとても試合にならなかったとありますね。日空様による一方的な蹂躙だったと」
大量のドローンが空を覆う様を想像し思わず身震いした。
自分なら戦わずにすぐに降参してしまうだろう。
「昇格戦に勝った日空様ですが、隊長職就任を十五歳の誕生日まで延期しました」
「どうしてそんなことを? そのまま隊長になればいいのに」
「まだD隊のことについて何も知らなかったからです。どんな決まりがあって、どんなやり方で組織が回っているのか。そして、隊員それぞれがどんな思いで任務に当たっているのか。それを知るための時間がほしかったそうです。そして、隊員たちの苦しみに触れました」
「苦しみ……ですか?」
「D隊にはいろいろな背景の人たちがいます。〈過重処理〉の遺才を持っていなくてもデバイス補正と訓練で最低限のドローン操作が可能だから」
日中の鬼灯の話を思い出す。
心得のない自分でも訓練を積めば十機は操れるようになるらしい。
それが事実ならD隊の門戸はかなり開かれていると言える。
「竜狩人に憧れたのにまともな遺才がなかった者。家族や友人を竜に殺されたのに抗う力を持てなかった者。前線で大怪我をして生身で戦う力を失った者。D隊は力を持てない者の拠り所でもあるんです。そして、そんな人々はみんな苦しんでいました。自分の力の限界に。無力さをどうしようもできない自分の弱さに」
ドローンによる哨戒や探索。
最も危険性が低い簡単な任務。
それを行う人々の中には、能力が及ばずその任務に甘んじている者も多分に含まれていた。
「そんな人々に日空様は言われました。『君たちの思いは僕がドローンで前線に運ぶ。だから、君たちは後ろで僕を支えてほしい』と。みんな、その言葉に救われたんです。かく言う私も。おかげで苦しんできた自分の弱さを受け入れられました」
胸に手をあてたかと思えば金色の瞳が閉じられる。
きっと当時の光景を思い出しているのだろう。
その目が再び開いた。
「だから日空様は私たちの分までドローンを飛ばす。これまでの恩に報いるため、できる限り見守って助ける。そんな不器用で真っ直ぐな生き方が私は大好き」
如月の顔にかすかに笑みが浮かぶ。
「でも、一方で私は彼に怖さを感じました」
笑みが消える。
金色の瞳に影が差した。
「怖さ?」
「あんなに小さな肩にたくさんの思いを乗せて。毎日過剰とも言えるほどの業務をこなして。それなのに弱音すら吐かない。常に自分ができることを全て捧げようとしている。その狂気とも言える姿勢が私は怖かった」
視線を落とす如月。
寂しげな顔が湯の水面に映りこんだ。
「ようやく掴んだ恩返しの機会。それを逃さまいと彼が必死に縋りついているように私には見えました。きっと本人にそんなつもりはない。でも、いつか彼が壊れてしまうんじゃないかと私は不安になりました。だから――」
顔を上げ、金色の瞳が櫛田を捉える。
それが力強く輝いた。
「彼が背負っている思いや責任。その半分を私も背負いたかった。心と体の丈夫さなら自信があったから。強さを纏う彼が誰にも見せようとしない弱さを受け入れたかった。彼の心の拠り所になりたかったから。だから補佐に任命されたときは嬉しかったんです。後から知りました。これが恋心なんだって」
全てを語りきった如月。
すっきりしたような顔で窓の外に浮かぶ月を眺めた。
その横顔に櫛田が言葉をかける。
「千夜ちゃんにとって日空隊長は特別なんだね」
「ええ。だって――」
ウサ耳が振り返る。
それを揺らしながら自信に満ちた顔で宣言した。
「日空様は私の太陽だから」
大きく眩しい笑顔が弾けた。
闇夜に浮かぶ満月のような輝きで。
月明りに照らされた幻想的な姿。
それを見て櫛田は痛感する。
恋する乙女は無敵だと。
自分もこんな風に輝きたいと。
ふと、そんな思いがよぎった直後。
「うっ!?」
背中にある十字の古い傷痕。
それが彼女を咎めるように疼く。
「どうされました、櫛田様?」
「……いや、何でもない。ちょっと怪我にしみただけ」
「それはそれは……。前線はやはり大変ですね」
「まあ、慣れるしかないね。それよりもっとおしゃべりしようよ!」
古傷という名の十字架。
それから逃れるように彼女は今日も嘘をつく。




