第7話『証言は、好意と別にしてください』
組合から届いたロランの反論書を読んだセリアが、「彼の言葉はもう、何一つ信じません」と怒りを露わにした。
白枝工房の作業台の上に広げられたその書面には、ロランの苦し紛れとも言える主張が書き連ねられていた。
『リゼットからは事前に口頭で承諾を得ていた。私たちは近く結婚する予定であったため、わざわざ書面に署名をもらう必要はないと思ったのだ。彼女は商売の素人であり、納期の短さに恐れをなして勝手に仕事を投げ出したに過ぎない』
読めば読むほど、胸の奥が冷えていく。彼は職人組合の厳格な規約を『結婚予定』という私情で上書きし、自身の無断受注を正当化しようとしていた。あまつさえ、私の技術的な判断を『素人の逃げ』と貶めることで、全責任を私に押し付けようとしている。
「本当に、最低です。自分が何をしたか全く分かっていないんですね」
セリアは震える手で鞄を開け、一枚の便箋を取り出して反論書の横に叩きつけるように置いた。
「先生、これを見てください」
それは、以前ロランからセリアへ宛てて送られた手紙の一つだった。流麗な筆跡で、こう書かれている。
『君と結ばれたら、白枝工房をベルティエ工房に統合して、君にも作品選びを任せるつもりだ。君の素晴らしい審美眼で、僕たちの工房を支えてほしい』
私はため息をついた。
ロランは、セリアの私へのファン心と、彼自身への好意の両方を利用していたのだ。彼女を工房の共同経営者のように持ち上げ、甘い言葉で囲い込みながら、私の工房を乗っ取る青写真を描いていた。
「私、組合の審理の場で証言します」
セリアは強い口調で言った。
「彼が私にどんな嘘をついて近づいたか、工房をどうしようとしていたか、この手紙を出して全部話します! そうすれば、彼が嘘つきだと証明できるはずです!」
彼女の義憤は本物だった。騙されていた自分への怒りもあるのだろう。だが、私は静かに首を振った。
「気持ちは嬉しいですが、それは駄目です」
「どうしてですか!?」
「あなたが受け取ったこの便箋の存在と、彼からどう説明されたかについては、証言をお願いします。ですが、彼が私から注文の承諾を得ていたかどうかまでは、あなたは知らないはずです」
私は彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「彼の人間性を非難するために、推測を交えて語る必要はありません。事実を証明する場で、好意や怒りを混ぜてしまえば、証言自体の信用が落ちます。知っている範囲のことだけを語ってください」
私の厳しい言葉に、セリアは一瞬ハッとしたように目を見開き、やがて冷静さを取り戻して深く頷いた。
「……分かりました。彼のために嘘をつかされた私が、また別の感情で真実を歪めてはいけませんね。事実だけを、そのままお話しします」
私たちは連れ立って職人組合へと出向き、調停責任者であるオルガに面会を求めた。
オルガは私たちが提出した便箋の写しと証言の予定内容に目を通すと、感情の読めない冷ややかな声で言った。
「承知しました。この便箋は、取次人が工房の管理権を不当に誇張し、第三者に吹聴していた状況証拠として受理します」
自分の提出した証拠が公に認められたことで、セリアの表情がパッと明るくなった。すると、彼女の中に眠る特有の熱が抑えきれなくなったのか、突如として身を乗り出した。
「そもそもですね、彼は白枝先生の作品の何たるかを全く理解していないんです! 《星雨》のような大作をあんな短期間で作れるわけがない! 先生の針目は、一本の糸の張り具合で光の反射を変えるほど緻密で……」
「お嬢さん」
オルガの氷のような一言が、セリアの熱弁を真っ向から切り捨てた。
「証言は事実のみで結構です。ここは作品の品評会場ではありません」
ピシャリと制止されたセリアは、「……はい、申し訳ありません」と肩をすくめてシュンと小さくなった。
私は咳払いをして必死にこらえたが、口角が上がるのを止められなかった。張り詰めていた空気が緩み、少しだけ心が軽くなるのを感じた。
組合からの帰り道にセリアと別れ、工房に戻ると、染色職人のノアが待っていた。
「リゼットさん。《雨燕の肩掛け》に使う、三段階の藍染めの件です」
彼は挨拶もそこそこに、一枚の書類を私に手渡した。それは、先日の試験と修正の内容を踏まえた、正式な見積書だった。
一番下にある合計金額の欄を、私は指で追った。
『染色・色止め費 十八銀貨』
それは、当初彼に依頼していた通常の染色費と全く同じ金額だった。彼の手元で試験を繰り返し、手間を増やさせたというのに、追加料金が一切上乗せされていない。同時に、私に同情して安く見積もるような値引きの痕跡もなかった。
「本当に、あの時のお話のままでいいのですか?」
私が尋ねると、彼は不思議そうな顔をした。
「必要な工程に、必要な値をつけているだけです。色落ちしない糸を納めるのが私の仕事ですから、試験はその十八銀貨の範囲内で行うべき責任です。……それとも、もっと高い方が安心しますか?」
「いえ、そういうわけでは……」
私は小さく笑った。
彼は、困窮している私を可哀想な被害者として扱わず、一人の自立した取引相手として対等に向き合ってくれている。甘やかすわけでも、不当に搾取するわけでもない。ただ、自分の仕事の責任を数字で示してくれたのだ。
「十八銀貨で、お願いします」
「分かりました。糸が仕上がり次第、すぐにお持ちします」
彼が去った後、私は見積書を丁寧に帳簿へ挟んだ。仕事上の確かな尊敬が、胸の奥で静かに、だが確実に温かいものへと変わり始めているのを感じていた。
その日の夕刻。再び組合から使いの者が工房を訪れ、私に正式な日程の通知をもたらした。
明日、十月七日。
組合の立会いのもと、ロランの店に預けてある預託品《山影の額布》の現物を点検し、返還する手続きが行われることが決まったのだ。
いよいよ、彼に奪われていた私の作品を、この手で物理的に取り戻す時が来た。私は作業台の上の針袋をそっと撫で、明日の対決に向けて深く息を吸い込んだ。




