第15話『私の作品は、隠せない裏側を持つ』
会場となる工房の外、通りに面した場所で、招待名簿にないロランの旧知の客が古い試験布を広げて騒いでいる声が微かに聞こえていた。
だが、案内役を任されたセリアは、決して挑発に乗らなかった。彼女は事前に承諾された招待者――マリアンヌ様やエマといった少数の顧客だけを、毅然とした態度で工房の奥へと案内し、表の戸をしっかりと閉ざした。
外で騒いでいる客も、もしロラン本人が現れたとしても、この神聖な作業場には一歩も入れない。ここは吊し上げの告発大会の会場ではなく、私たちの仕事を見てもらう場所なのだから。
静まり返った工房の作業台の前に、数名の顧客が並んだ。
「……リゼットさん。外で言われている『色落ちする藍色』というのは、今あなたが縫おうとしているその糸のことなの?」
エマが、作業台に置かれた新しい藍糸の束を見て、不安げに問いかけた。場にピンと張り詰めた緊張が走る。
かつてのセリアなら、ここで反射的に「違います!」と熱弁を振るっていただろう。だが、彼女は一度私に視線を向け、言葉を待った。
「先生。私から、手元の記録をご説明してもよろしいですか?」
セリアは勝手に釈明を始めるのではなく、公開してよい範囲を先に私に尋ねてきた。私が頷くと、彼女は一歩前に出た。
「外で彼らが広げている布は、七月二十二日の日付が記された不採用の試験見本です。販売委託品ではなく、当時、無償の見本として渡されたものに過ぎません」
セリアが私の旧試作台帳と糸札を示しながら端的に説明する。
「では、今の糸はどうなのですか?」
エマの問いに、私は自分の引き出しを開けた。
取り出したのは、三日前に不合格と判定して保管した簡易試験布だ。私はそれを机の上に置き、その隣に、ノアが手持ちの淡藍から選び直し、今朝納めてくれた合格ロットの試験布を並べた。
「失敗は、うちの工房でも出ます」
私は不合格の布の、うっすらと青がにじんだ部分を隠さずに指差した。
「ですが、だからこそ出荷前に止めるんです。このにじみが出た糸は、製品には一切使いません。今使っているのは、こちらの合格したロットの糸だけです」
そこで、壁際で控えていたノアが静かに進み出た。
「染色を担当した、ノア・レインです」
彼は両者の検査帳を開き、淡々と試験の内容を読み上げた。
「こちらは先日の簡易試験で不合格になった記録です。こちらが、手持ちの淡藍ロットを、新しい図案の密度で試した記録です。指定した洗い方を繰り返し、摩擦も調べ、基準を満たした分だけを納めています。《雨燕》の糸も別に検査し、すでに合格しています」
彼は私の作品の美しさを代弁するようなお世辞は一切言わず、ただ第一の争点である「今の品質」にだけ、職人として確かな答えを出してくれた。失敗した見本を並べる私の横に立ち、逃げずに共に責任を背負ってくれる彼の横顔を、私は胸の奥が熱くなるような、特別な感情で見つめていた。
「なるほど、今の品質管理については分かりました」
マリアンヌ様が頷く。
「しかし、外の者は『ロラン氏が昔から監修していた頃は問題がなかった』とも言っていましたわ」
その二段目の風評に対し、私は小さく息を吐いた。
「彼が販売取次を始めたのは、七月二日です。ですが、外にある色落ちした不採用見本は、同じ月の二十二日のもの。つまり、彼が監修していたと称する期間中の試作品です」
私は台帳の日付を指差した。
「ご自分が監修していた時期に失敗はなかったと仰りながら、その時期の不合格布を今お見せになっている。彼の主張は、内部で食い違っています」
客たちが「ああ」と納得の声を漏らす。
「それに、昔から監修していたというのも事実ではありません。……セリアさん」
私が促すと、セリアは鞄から大切そうに白い絹の手袋を取り出した。
「これは私が愛用している《冬灯の手袋》です。そしてこれが、ロランが取次を始めるよりずっと前に、白枝工房から直接購入した時の購入票です」
セリアが提示した古い購入票には、確かに売主と作者名として『白枝工房』と記されていた。
「ロランが取次を始めるずっと前から、先生はご自身の名前で、この難しい裏糸の始末や品質管理を全うされていました」
セリアはそれ以上語らなかった。《冬灯》は銀糸であり、藍糸の耐色性を証明するものではない。ただ、「昔から彼が監修していた」という第二の誇張を、彼女の持つ確かな購入記録が完全に崩し去ったのだ。
最後に、弟子のミナが布の張りを均一に保つための下地縫いの工程を説明し、私たちの工房がどのようにして一つの作品を支えているのかが、全て可視化された。
「……疑って申し訳なかったわ、リゼットさん。あなたの誠実な仕事ぶり、よく分かりました」
エマが安堵の笑みを浮かべ、《雨燕》の完成を待ち望んでいると語ってくれた。マリアンヌ様も深く頷く。
「ええ。私も、十月二十四日の《星雨》の納品を改めて楽しみにしています。……それと、セリア」
マリアンヌ様は、控えめに立っていたセリアに向き直った。
「告知の回収状況と、お詫びの書状も受け取りました。今日は、許可された事実だけを説明してくれましたね。あなたのその知識は、確かに価値のあるものです。十月二十四日の記念会、あなたの同席を認めます」
「マリアンヌ様……! ありがとうございます!」
セリアの顔にパッと華やかな喜びが広がった。『ファンだから知っている』という彼女の熱意が、ルールを守ることで再び実益に変わった瞬間だった。組合の審理のように他者を糾弾するのではなく、私たちは自らの手仕事の証明によって、信頼を取り戻すことができたのだ。
*
見学会が成功に終わり、顧客たちが満足して帰った翌日の、十月十五日の夜。
昼には《山影》をギャラリーの係へ渡し、受領票を受け取った。工房の戸締まりを終え、ランプの灯りの下で進行中の《雨燕》の布端を点検していた私は、布の端に違和感を覚えた。
「……ミナ。ここの縫い目、少し糸の引きが甘いわね。小さなほつれが出ている」
私が指摘すると、横で片付けをしていたミナがビクッと肩を震わせた。
「す、申し訳ありません……!」
ふと見ると、彼女の目の下には薄く隈ができており、言い出しにくそうに俯いている気配があった。
ハッとした。《雨燕》の納期と、新しく受けた《星雨》の準備。そして昨日の見学会の手配。私が自分の根性で乗り切ろうとしている無理な進行が、一番弱い立場の弟子にまで重い負荷をかけているのだ。
ここで彼女のミスを叱責するのは間違っている。私が、工房主として工程全体を見直さなければならない。
「……今日はもう帰りなさい。明日の朝、二人でもう一度、全ての工程表を洗い直しましょう」
私は《雨燕》の布をそっと机に置き、ミナを休ませるために静かにランプの火を落とした。




