第14話『失敗した見本も、私の仕事です』
前日の転送発覚から一夜明けた十月十三日の朝。直接の顧客である仕立屋のエマが、険しい顔で工房を訪ねてきた。
「リゼットさん。嫌な話でお耳を汚すことになって申し訳ないのだけれど……」
《雨燕の肩掛け》の依頼主である彼女は、声を潜めて切り出した。
「昨日から、旧知の客や社交の席で、白枝の品質を疑う声が出ているの。なんでも、『白枝の藍はひどく色落ちする』『昔、ロラン・ベルティエ氏が工房を監修していた頃は問題がなかったのに』って」
私は息を呑んだ。セリアの告知が転送され、マリアンヌ様の新作の件が知れたことで、ロランが標的を絞って動き出したのだ。
エマの口から詳細を聞くと、ロランは営業資格停止中であるため直接的な売り込みや受注は行っていない。しかし、個人的な社交の場で、ある「証拠」を見せびらかしているという。
それは、七月二十二日に、私が藍色の色移りを確認して『不採用』とした実物の試験布だった。当時、彼に「この色はまだ売れない」と説明するため、不採用と記した見本を無償で渡し、返却不要で所有権を移してしまったものだ。当然、販売委託品ではないため組合の預託目録には載っておらず、私に返還を請求する権利はない。
彼はそれを今の製品であるかのように見せかけ、「昔から自分が監修していた」という事実以上の誇張を交えて、二段構えの風評を広めていた。
「なんて卑劣な男ですか!」
エマからの報告を同席して聞いていたセリアが、椅子から立ち上がって激昂した。
「自分が資格停止になったからって、こんな嫌がらせをするなんて! 先生、私が大きな社交会を主催します。そこで彼が嘘つきだと大々的に反論して、名誉を回復しましょう!」
セリアの瞳には、私のために戦おうという熱意が溢れていた。彼女なりの誠意なのだろう。だが、私は静かに首を振った。
「お気持ちは嬉しいですが、お断りします」
「どうしてですか!? このままでは先生の評判が……!」
「セリアさん。百人のお客様を集めて、私が壇上で言い訳の演説をするとして、それにどれだけの時間がかかりますか?」
私が冷静に問いかけると、セリアはぽかんと口を開けた。
「その時間があるなら、私はその分、百針でも二百針でも多く布に糸を刺したいのです。ご説明は必要ですが、注文の品を遅らせては、かえって信用を失います。それに――」
私は手元に視線を落とした。
「彼が持っている古い試験布が色落ちするのは、本当のことですから。全面的な『根も葉もない中傷』として跳ね除けることはできません」
私の泥臭い実務感覚と、社交界の華やかな解決策との見事な食い違い。セリアはハッとして顔を赤らめ、「……そう、ですよね。また私、ズレたことを言ってしまいました」としゅんとうつむいた。
「大々的な反論ではなく、私たちの仕事そのものを見ていただきましょう」
私は、エマとマリアンヌ様、そして本当に作品に関心のある少数の関係者だけを工房に招き、明日、十月十四日に「小人数の制作過程公開」を行うことを提案した。エマも「ええ、私自身の目で確かめられるなら、それに越したことはないわ」と承諾してくれた。
「セリアさん」
私は、情報漏洩で信用が揺らいでいる彼女に向き直った。
「手伝っていただけるなら、一つ条件があります。明日の招待者名簿を確認し、試験布や非公開の資料が持ち出されないようにしてください。案内の文面も、送る前に私とお客様に見せてください」
「はい……! 今度こそ、絶対に皆様にご迷惑はおかけしません!」
セリアは深く頷いた。名簿と案内を私たちに見せ、了承を得てから、配達の手配に向かった。
その日の午後、私はノアの工房を訪れ、明日の見学会への同席を依頼した。
「……事情は分かりました」
私の説明を聞き終えたノアは、腕を組んで静かに頷いた。
「検品結果の説明担当として、明日は私も同席します。ですが、私はあくまで染色職人として、検査帳の記録と試験の事実だけを話します。あなたの作品の素晴らしさや、あなたの発言を代弁するようなことはしません」
「それで十分です。ありがとうございます」
情に流されて肩入れするのではなく、事実だけを提示するという彼の適度な距離感は、今の私にとって何よりも信頼できるものだった。
さらに私は、ロランの「昔から自分が監修していた」という歴史の誇張を崩すため、セリアにあるものの準備を頼んでおいた。彼が嘘を重ねてきたからこそ、私たちが提示する事実は、細かく、確実なものでなければならない。
*
翌、十月十四日。
午後からの小人数の見学会に向けて、工房内の清掃と、試験布や検査帳の配置を終えたところだった。
「先生! 大変です!」
表で招待客の受付と名簿の確認を行っていたセリアが、血相を変えて飛び込んできた。
「どうしましたか?」
「招待名簿に載っていないロランの旧知のお客様が数名、会場の前の通りで、あの古い試験布を広げて大きな声で話しています!」
私は眉をひそめた。どうやら、見学会が開かれることを聞きつけ、公の場で白枝の品質を貶めるためにわざわざ足を運んできたらしい。
「追い払いますか!? 名簿にない方はお断りするルールですから……!」
セリアが焦ったように言うが、私は首を横に振った。
「ここで力ずくで追い払えば、かえって『やはり品質の欠陥を隠蔽した』と騒ぎ立てられるだけです」
逃げるわけにはいかない。彼が持っている古い試験布は、確かに私が不採用にした失敗作だ。だが、失敗した見本もまた、私が職人として歩んできた仕事の痕跡の一部なのだ。
「セリアさん。予定通り、事前に承諾された招待者だけを中へ案内してください。外で騒いでいる方々や、もしロラン本人が来ても、作業場には入れないでください。ここは告発大会の会場ではありませんから」
私は静かに告げ、品質を疑う声にどう答えるか腹を括り、招待客を迎えるために作業台へと足を向けた。




