39好きが重なる場所
約束の時間が近づくにつれ、中庭には少しずつ人が集まり始めていた。
それでも、ライトアップ開始前のざわつきにはまだ余裕があり、階段の上のほうは誰も来ていない。
待ち合わせの階段へ向かうと、すでに柳瀬さんが立っていた。
夕暮れの残光に照らされ、髪が淡く揺れている。
「若松くん……来てくれたんだ」
「もちろん。約束だからな」
彼女は一瞬、胸に手を当てるような仕草をして、ほっと息をついた。
「じゃあ……行こう?」
柳瀬さんが案内したのは、中庭の端にある古い倉庫の影だった。
人通りのほとんどない場所で、中庭全体を見渡せる“特等席”。
「ここ、先輩に教えてもらったんだ。
誰も来ないのに……すごく綺麗に見えるんだよ」
「へぇ……そんな場所が」
「うん。……二人だけで見たくて」
その言葉に、胸が熱くなる。
校内放送のスピーカーが短い音を鳴らした。
『まもなく中庭ライトアップを開始します』
カウントダウンが始まる。
柳瀬さんの指先が、そっと俺の袖をつまんだ。
「若松くん……」
小さく呼ばれた名前は、光が灯る前の静けさに溶け込んでいく。
『3……2……1……点灯!』
一斉に灯る光。
並木の根元から柔らかな黄色の灯りが立ち上がり、フェンスに沿うLEDが細い光の道を描く。
中庭全体が、静かな輝きに包まれた。
「……わぁ……」
驚きと喜びが混ざった、透き通るような息。
その横顔を見た瞬間、俺の胸は完全に撃ち抜かれた。
こんな場所で、こんな顔を見せられたら──。
「ねえ、若松くん」
光の中で、彼女がこちらを向く。
「今日一日ね……すごく楽しかった。
若松くんと一緒に動き回るの、トラブルもあったけど……全部、楽しかった」
「俺もだよ」
「それでね……」
柳瀬さんが、ほんの少し距離を詰める。
「勝負のお願い、本当はこれが言いたかったの」
心臓が跳ねる。
光の粒が柳瀬さんの睫毛に反射し、瞳が揺れていた。
「若松くんのこと……好き」
一瞬、世界が止まった。
遠くで歓声が上がっているのに、俺たちの周りだけ切り取られたように静かだった。
この言葉を受け止め、答えるだけで、俺と彼女は恋人同士になる。
──そのはずだった。
今、柳瀬さんから向けられている想い。
そして、あの日、墓参りの帰りに美羽から向けられた想い。
それらを比べた瞬間、俺はようやく、美羽の言葉の意味に気づいた。
ああ……俺は、美羽に振られたんだ。
俺が美羽を好きだという気持ちに、美羽は気づいていた。
でも、俺たちは義理とはいえ兄妹だ。恋人という関係は認められない。
当然、その先を見据えた関係も。
「家族としては見ていなかった」という美羽の言葉。
美羽も、もしかしたら俺と同じ気持ちだったのかもしれない。
だからこそ線を引き、家族として関係を再出発させるために、区切りをつけた──そう思えた。
その役を美羽にさせてしまったことを、兄として情けなく思う。
同時に、どこかで安心している自分もいた。
俺はもともと柳瀬さんが好きで、彼女を振り向かせるために変わろうと決めた。
だから、柳瀬さんと恋人になり、美羽とは家族として歩いていけばいい。
そう決意を固め、口を開こうとする。
……けれど、言葉が出てこない。
「若松くん?」
返事がないことに、不安を滲ませた声。
その声で顔を上げた瞬間、倉庫の奥が目に入った。
ライトアップの光が届かない、木々の影。
そこに、こちらをじっと見つめる人影があった。
……美羽?
柳瀬さんに気づかれないよう、そっと目を細める。
俺に見られていることに気づいていないのか、美羽は光に照らされた中庭と、俺たちを見つめていた。
不安げで、それでも決意を秘めた表情で何かを見届けようとするように。
蓋をしたはずの感情が、抑えきれずに溢れ出す。
俺は、柳瀬さんと美羽の二人を好きになった。
けれど、美羽は義理の妹で、家族だ。
だから同じ「好き」なら、何の制約もない柳瀬さんを選べばいいと思ったんじゃないか?
義理の妹だから好きになってはいけない、好きになっても仕方がないと、どこかで逃げていたんじゃないか?
そんな中途半端な気持ちのまま、柳瀬さんの想いを受け止めていいのか。前に進んでしまっていいのか。
それは、柳瀬さんに対してあまりにも不誠実だ。
美羽の兄として、あまりにも情けない。
そして何より、変わろうと誓い、努力してきた自分を裏切ることになるような気がした。
そう思ったとき、答えはもう決まっていた。
さっきまで固まっていた口が、今は驚くほど軽く動く。
「柳瀬さん。俺も……柳瀬さんのこと、好きだよ」
不安げだった表情が一転し、彼女は頬を赤らめ、照れたように呟く。
「それじゃあ……私たち、恋人に――」
「でも――」
俺は、その言葉を遮った。
「柳瀬さんとは、付き合えない」
「……どうして?」
笑顔は消えた。
けれどその瞳は、非難でも悲しみでもなく、ただ真剣に俺の言葉を待っていた。
目を逸らさず、彼女に向き合う。
そして、少しだけ離れた位置にいる誰かにも届いてしまうかもしれない声で、答える。
「俺……もう一人、好きな人がいるんだ。
気づいたのは最近だけど……その想いを抱えたまま、誰かと付き合うことはできない」
ありのままの本心だった。
最低だと思う。それでも、この想いから目を背けるわけにはいかなかった。
「そっか……」
柳瀬さんは一瞬目を見開き、それから視線を落として呟いた。
その表情はなぜか、少しだけ嬉しそうだった。




