29勝負服、そして兄の試練
新入生歓迎祭の準備も滞りなく進み、あっという間に一週間が過ぎた。
そして、いよいよ美羽との遠出の約束の日がやってきた。
「お兄ちゃん見て! すっごく速いよ!」
新幹線の窓に張りついた美羽が、興奮気味に声をあげる。
「美羽、他のお客さんもいるから、あんまりはしゃがないようにな」
「はーい」
素直に返事をして、また外の景色に視線を戻す。
車窓を流れていく街並みに、きらきらとした瞳を向けていた。
美羽を妹としてではなく、一人の女の子として改めて自覚した夜。
その日以降も、今日の予定を話していたけど美羽の態度は案外普通だった。
それもあって、浮わついた心がないと言えば嘘になるけど、純粋に今日という日を楽しみにできていた。
「美羽、新幹線は初めてか?」
「うん! 県外に出るのも、実は初めて!」
笑顔でそう言う美羽を見て、俺はふと納得する。
仕事で忙しい郷太さんと二人暮らしじゃ、旅行の機会なんてそうなかったんだろう。
「郷太さんも、母さんと旅行に行くのもいいけど……まずは美羽と行ってやれよな」
「やだよ〜。この年になってお父さんと旅行なんて。私はお兄ちゃんと二人がよかったの」
美羽は照れくさそうに笑いながら俺の手にそっと触れた。
不意に胸が跳ね、慌てて顔を上げると、美羽は頬を赤くして、まっすぐに俺を見ている。
気まずくなって、話題を逸らす。
「こ、今回は新幹線に乗ってる時間も短いからな。次はもっと遠出してみるか」
「うん! 約束だよ!」
満面の笑みで言われ、俺は自然と添えられた手を握る。
美羽はその手を、大切なものを包み込むように、そっと握り返してきた。
手を繋いだまま、しばらくして目的の駅に到着する。
電車を乗り継ぎ、やがて“ザ・アウトレット”へと辿り着く。
「あれがそう? 実際に見るの、初めて!」
「ああ、俺もだ」
広大な敷地に、ガラス張りの建物と白い屋根が整然と並んでいる。
遠くからでも目を引くその景観は、まるでひとつの街のようだった。
中央の広場では子どもたちが噴水の水しぶきの中で笑い声を上げ、カフェの香ばしいコーヒーの匂いが風に混じる。
駅前や商店街とはまるで違う、特別な時間の流れる場所だった。
まだ初夏の気配が遠い四月下旬。
暖かな陽気の中、俺たちは屋外を歩きながら、気になる店を順番に覗いていく。
「すごいね……こんなに広いんだ」
「そうだな。もともと遊園地だったからな」
懐かしい記憶がよみがえる。
子どもの頃に一度来たことがある。
当時はジェットコースターの音が響き、人々の笑顔が溢れていた。
けれど、コロナ禍による経営不振で閉園し、今はこうして新しい形に生まれ変わっている。
「遊園地、行ってみたかったなぁ……」
美羽が小さく呟く。
その横顔に、俺は静かに言葉を返した。
「他にもあるさ。いつか一緒に行こう」
「ほんと!? じゃあデズニーランドに行きたい!」
嬉しそうに顔を上げる美羽。
その輝く瞳に思わず笑いそうになり、「もちろん家族で――」と言いかけた瞬間。
「もちろん、私たち二人っきりでね?」
「えっ?」
上目づかいでそう言い、すぐに頬を染める。
デズニーランドは俺たちの住む場所から遠い。飛行機で行く距離で、行くなら泊まりがけになる。
美羽の“二人きり”の意味を考えて、言葉が詰まる。
「……な、なんで黙るの? 冗談じゃないんだからね。約束、守ってよ?」
「いや、それは……家族で――」
「私とお兄ちゃんの二人でお泊まり旅行、楽しみだね! あ、お父さんたちに旅費の相談もしなきゃ! あ、見てあのお店、かわいい!」
有無を言わせず、俺の腕にしがみついて美羽は店の中へ引っぱっていく。
入ったのは、有名ブランドの服屋だった。
値札を見ただけで、学生の俺には場違いだと分かる。
「お、おい……俺たちが行くならGIかヨニクロで十分だろ」
「えへへ、実はね。お父さんから“勝負服くらい持っとけ”ってお小遣いもらってるの!」
そう言って、美羽は得意げに財布からクレジットカードを見せる。
郷太さん、甘やかしすぎだろ……学生にお小遣いでクレジットカード渡すなよ。
しかも“勝負服”って、どういう意味で言われたんだよ。
「てか、俺も?」
「もちろん! お兄ちゃんいつもシンプルでかっこいいけど、一着くらいとびきりおしゃれなの着てみようよ!」
「いや、こういう店の服は……似合わないって」
店内を見回す。
大人っぽくてシックな服ばかり。
モデル体型のイケメンならともかく、俺には敷居が高い。
「お兄ちゃんは、自分で思ってるよりずっとかっこいいよ?」
「……お、おう」
真正面からそんなことを言われ、それっきり言葉が出てこなくなる。
お互いに照れて、しばらく視線を逸らしたまま沈黙した。
「なにかお探しですか?」
突然、店員に声をかけられ、美羽が反射的に答える。
「あ、えっと……勝負服を探しています!」
「お、おい!」
店員が一瞬ぽかんとするが、すぐに営業スマイルで対応した。
「デートなど、特別な日に着るお洋服ですね? でしたら、こちらなどいかがでしょうか」
さすがプロ。美羽の変な言葉にも動じず、完璧なフォローだ。
「わぁ、かわいい服がいっぱい!」
美羽は次々と服を手に取り、俺に見せてくる。
「これなんてどう?」
「ああ、いいと思う」
「じゃあ、これは?」
「それもいいと思うぞ」
答えるたびに、美羽の眉が少しずつ寄っていく。
「ねぇ、適当に言ってない?」
「い、いや、本当に思ったまま言ってるだけで――」
ジトーとした視線のあと、美羽はむふーと息を吐く。
「店員さん! この二着、試着お願いします!」
「両方!?」
「お兄ちゃんはここで待っててね! どっちの服を着た私と並んで歩きたいか、ちゃんと選んでね!」
そう言い残して、美羽は試着室の奥へと消えていった。




