(第十八章 ボディメイクのコンテストで大変身)
サロンは中目黒に決まった。代官山や白金台からも近い。おしゃれでハイソサイティな夫人や芸能人が多い町でもあった。隣は広々としたカフェあんどレストラン。ここはハイソサイティな女性で、いつも賑わっていた。その横に立っているスタイリッシュなデザイナーズのマンションの二部屋が会員制のサロンになった。新鮮な料理屋さんのおかみが紹介してくれた女性たちは、お金に糸目をつけずに週にに三度は予約を入れてきた。二か月もすれば、見違えるように美しくスリムになり、若々しくなるエステは広げるつもりなど無くても、美人オーナーたちや芸能人の間で話題になった。一日三組しか取らないので、二部屋のスケジュールは一年先まで満員になった。仕方ないので、一番ゴージャスな部屋以外は、仕切りを置いて、数人のエステティシャンを募集して対応した。病気や、顔出しできない会員たちのことを配慮して、お役同志が顔を合わせることのないよう考えられていた。それでも、時間厳守を守れない利用者のための配慮は怠らなかった。互いに顔を合わせることのない導入方法、地容赦に近いに顔を合わせたくない芸能人が多いからだった。その年の夏、リンパエステによるぼでぃめいくの大会が開催された。二月頃からノミネートが始まり、五月のゴールデンウィーク後に必要な書類と写真を提出。六月には本線に出ることのできる予選を通過した施術者とモデルが発表される。それから七月下旬の本選までに、モデルをブラッシュアップして採寸して最後の写真を送る。大会時にスクリーンに映し出される最終審査に使われる写真は、施術前と施術後のもの。そして、美しく変身した【素敵な写真】の提出が求められている。サイズもリハーサル前日に測ったものが審査の対象となる。小林由美がモデルで川口美奈子が施術者で大会のノミネートが始まる一か月前から用意していた。
このコンテストは年齢によって、それぞれ賞が設けられている。二十五歳までのスイートピー、四十歳までのマーガレット、六十歳までのローズ、そして六十歳以上のラベンダー部門に別れて競い合う。ノミネートしたのは六人だったが、最終の本選に残ったのは小林だけだった。全国から八百組のノミネートがあって、予選を通過できたのは、たったの百三十七人だけだった。川口と小林たちが挑む六十歳以上のラベンダー部門の出演者は四十組ほどいた。体の線がわかるドレスを着て、ダンスやパフォーマンス、モデルのようなポージングで美を競う。千人近くの観客の投票と、学園側の先生方や経営陣者たちの投票により賞が決まる。経営陣たちは、美しさに加えて、将来性にも重点を置いている。中目黒のサロンの繁盛ぶりは、トップ経営陣の耳にも入っている。もちろんトータルのサイズダウンが八十八センチという結果も言い分のない数字だった。百センチ越の人もいたが、ボディメイクコンテストでもあるので、最終の美しさには重点を置かれる。そういう意味では小林は群を抜いていた。小林がポージングするたびに、観客から溜息が漏れ、大きな拍手が巻き起こっていた。六十歳とは、とても見えない張りのある白い肌。ウエストは二十代の頃と同じ五十八センチだったし、ヒップアップして長い脚は際立っていた。黒髪はアップに結われていたが、真っ白なドレスに黒い大きな瞳、どう見ても三十代後半にしか見えなかった。再会した時の二重顎もお腹の膨らみも、すっきりと消え昔の美しさが蘇っていた。考えてみれば、この年が、リンパの学園の全盛期だったと言えるかもしれない。学園が経営しているサロンは、全国に十か所もあった。北は北海道、南は鹿児島まで、どこも一等地にあった。東京の本社は月の賃貸料だけでも一千万円だったし、大阪のサロンは億ションのワンフロア全部で広々としていた。施術の先生たちは、そこを自由に使うことができたので、日本中駆け巡って活躍することができた。医学博士や薬の専門家やリンパの話をしてくれる施術の先生たちが、いつもどこかでセミナーや施術の資格を取得するための教室を開催していた。慎吾が東京オフィスにいた時、サロン経営を考えているオーナーらしき男性が大きな財布から十人分の登録料の二百万円を払っていたのを見たこともある。スタッフに「十パーセントの消費税は、いらんのか?」と、もう一つ百万円の束を差し出していた。「えーっ。消費税、頂いていいんですか?」と冗談を言って差し戻す。「消費税がいったら、税金だけで二十万円になるんだ」と隣の席で慎吾は驚いたものだった。財布の中には、札束が、まだまだ入っていた。「現金をこんなに沢山、持ち歩く人がいるんだ」と、今までいた世界との違いに改めて気がついたものだ。東京のオフィスには、夕方からバーカウンターの所で、お酒も飲めたし、真正面にレインボービレッジが見えるので、夕刻からはライティングされて美しかった。家賃が月一千万円と聞いて、自分の定年時の年収よりも多いのに戸惑った。会社も一番勢いがあったし、まだまだ成長するだろうと誰もが信じて疑わなかった。海外進出も意識しながらの製品開発。実際、日本に旅行して、このリンパの施術法を学んで自国に持ち帰っている人も少なくなかった。塗った瞬間、皮膚は変わり、老廃物による疾病までもが嘘のように良くなるのだから、ビジネスセンスのある人は見逃さないだろう。しかも、今までの流行のオピニオンリーダーだった団塊の世代が憧れる美と健康が手に入るリンパの施術は、これからますます需要が高まるだろうと考えられていた。まさか、次の年にコロナによる、全世界的な脅威に、その勢いがそがれるなんてことは想像すらしなかった。
それはともかく、二千十八年のボディメイクアーティストのコンテストは、ものすごい熱気に満ちていた。有名なアーティストによるコンサートの間に集計しなければ間に合わないくらい、観客の投票も多かった。リハーサルは前日から、二度行われた。ミスユニバースのビューティキャンプで最終エステを施す役割を担っていた先生たちの実力は噂には聞いていた。二年連続、ミスユニバースを、この大会から出していた。リンパ美容学園がスポンサーとなって、ミス日本になるべく受賞者を育て上げる。ミスユニバースになるには、ダンスや英会話、スピーチの練習や立ち居振る舞いやウォーキングと様々なレッスンが必要で、かなりの費用がかかってしまうからだ。この美の祭典に出場するモデルたちは、豪華なドレスに身を包み、メイクもヘアーもプロにしてもらえる。もちろん、ファイナリスト全員、プロのカメラマンに写真を何カットも撮ってもらえる。その写真は、来年のカレンダーに掲載されて、一般にも販売される。大会の模様はDVDに収められ出演者皆に送られてくる。付受賞者には、ハワイ旅行やマットなどの豪華景品とクリスタルのトロフィー、賞状と受賞者全員の集合写真がプレゼントされた。この大会に会社が費やしたのは数千万円。そんな贅沢な夢のようなステージに登るのは、簡単なことではない。それぞれが様々な壁を乗り越え、色々な事情もあっただろうに同じ舞台に立って美しく変化した自分を披露するコンテストなのだ。日本にいるリンパエステの先生たちが、一同に集まり、毎年新しいモデルを美しく変身させる。そこには、涙と感動のストーリーがあり、まるでスポーツマンシップのような達成感があった。川口は十五年前からのキャリアがあり、数度の受賞歴があるが最高位のグランプリは取ったことがなかった。もともと美少女だった小林が、太って見る影もない様子に川口は出会った時から、このコンテストに出場してもらおうと考えていた。ボデジメイクアーティストの大会ではお腹周りの三か所とヒップと両太ももの五か所で、トータル三十五センチ以上サイズダウンさせなければならない。しかし、近年は百センチ減が当たり前になっている。ただその数字だけ出せばよいのではないのがコンテストの難しいところだった。痩せて、見違えるほど若く美しくなければ賞は取れない。特にトップは、やはり見た目が重要。そういう意味では小林は言うことなかった。東京でサロン経営を考えている小林にとっても、全国の施術の先生たちのトップに立つという野望は、よりダイエットに向き合うモチベーションになった。真面目で努力家の小林が、たった二か月余りで美しく変身できたのも、このコンテストにチャレンジしたおかげでもあった。小林のサイズダウンのトータルは八十八センチで百センチには届かなかったけれど、痩せることは必須だが、より健康で若々しく美しくなることが目的なので、充分受賞する射程範囲にいると川口には手ごたえがあった。確かに、小林のステージでのポージングは最高だった。いきいきとした笑顔が眩しかった。六十歳の還暦だと誰が信じるだろう?四十代の美魔女?見ようによっては三十代でも通用しそうだった。慎吾も、チケットを買って、コンテスト会場にいた。そして、もちろん川口と小林の組に一票を投じた。小林は舞台の上でも、輝くライトに映し出されて綺麗だった。その初々しい様子には、あの高校時代の小林が見え隠れしていた。会場の千人近くの観客の心を捉えたことは、湧き上がる拍手の数でわかる。今朝、一緒に食事をしていた同じ人だなんて、信じられない。まるで、芸能界のスターのように美しく堂々としていた。雲の上から降りたった天女にたいだと思った。自分はは、さながら天女に恋した昔話みある村の男というところだろうか?自分には手の届かない存在のような気がした。あの高校時代の初恋の苦い思いが蘇ってくる。誇らしいような思いと、同時に『自分は、小林にはふさわしくないかも?』とコンプレックスが頭をもたげて来て、不安に苛まれる。あの思いが遂げられることのなかった初恋にも似た、せつない甘酸っぱい失恋の味が蘇ってくるのだった。小林と川口の二人は皆の期待を裏切らなかった。六十歳以上のラベンダー部門でグランプリを受賞した。赤いマントとティアラが昨年の受賞者から手渡された。学園長から、大きなトロフィーと花束をいただき、二人共、涙ぐんでいた。あちこちからフラッシュがたかれて、他の受賞者からも一緒に撮って欲しいと頼まれ、なかなかパーティー会場には行けないくらいだった。パーティー会場では、ステージ衣装からロングドレスに施術者の先生方もドレスアップしていて華やかだった。美しさの饗宴。小林も川口も、真っ赤なドレスだった。「還暦のお祝いだから、赤のドレスにしたの。これで邪気を飛ばして、元気に百まで生きられるかしら?」と皆を笑わせた。二人共、六十歳とは思えない素晴らしいプロポーションを誇るかのようなマーメイドラインのドレスだった。まるで社交界の貴婦人のようだった。特別、このパーティーに身内として入れてもらえた松村だったが、ひいき目かもしれないけれど、どこにいても、小林と川口ペアは目立っていた。二人のいる所は、光輝いているように見えた。若くて美しい女性は沢山いるのに、オーラが違う。死に物狂いでチャレンジしてきた二人には、成し遂げたという自信が、みなぎっていた。そのうえ、グランプリに輝き、他人から認められたという嬉しさに、誇らしく頬が紅潮していた。パーティー会場でも食事や飲み物を取るヒマが無いくらい、多くの人と一緒に撮影していた。少ない男性陣の中で松村も目立っているようで、代わる代わる話しかけられ、小林のサロン経営のスタッフだと言うと名刺交換を求められる。とにかく会場に集う皆が明るく元気だった。みんなノリがいい。誰が誰だかわからないけれど、飲んで騒いでハグして写真を撮影したら、皆仲間だという信頼感が会場を埋め尽くしていた。こんな感覚、初めてだった。これほど熱くなったことなどない。こんなにバカ騒ぎをしたこともない。そして、こんなにたくさんの美魔女たちに囲まれることなんて、絶対にありえなかった。銀座あたりで、金をまいても、これだけの美しい女性たちの間で、飲み食いして騒いだら、どうなることか?人生が一気に楽しくなってきた。
しかし、調子に乗って、二人共、飲み過ぎたようだ。どうやって、マンションまで帰って来たのか?覚えていない。タクシーの運転手に「つきましたよ」と起こされて、半分寝ている小林と、やっとのことで部屋まで、たどり着いたという感じだった。「大丈夫?歩ける?」と言って体を支える。細くなったウエストを抱き留めながら部屋に入る。ベッドに倒れるように寝かせホッと溜息をついた。数か月前にあった腰回りの肉は綺麗に無くなっていた。こんなに短い時間で変身できるものなのだろうか?しかも肌はたるみもなく、色も白くなっていた。胸元を少し開けてあげた。「何か飲む?」と聞いたら「水が飲みたい」と言った。本当に飲み過ぎたようで苦しそうだった。冷蔵庫から水を出して、コップに入れて持って行ったが、起き上がることもできそうにない。仕方なく、口に水を含んで口移しで飲ませる。最初抵抗があったようだが、飲み終えると「もっと」とせがむ。何度か口移しで飲ませると、美味しそうにいくらでも飲んだ。「美味しい」と言って目を開けた小林は、そのしなやかな白い腕を絡め、抱きついてきた。「ずっと、こうしたかった。」と言って、キスをした。それは濃厚なキスだった。そのまま、小林のワンピースをはぎ取り、口づけをしたまま片手で自分の洋服を脱いだ。小林の熱い吐息が漏れた。耳元で「ずっと好きだったのよ」とささやく。狂おしいほどの愛おしさに狂ったように求めていた。閉じた目の中に昔小林と見た黄昏時の空が見えたような気がした。あの時から、ずっと抱いていた恋心。こんな形でひとつになれるなんて思いもよらなかった。柔らかい肌。美しい声。まるで、少女のように恥じらい、処女のように体を委ねて来る小林に自分の年齢を忘れ、狂ったように求めひとつになった。小林の目から涙があふれているのに気が付いて「痛かった?」と聞いて優しく腕枕をして抱きしめた。「ううん。嬉しくて。夢みたい」と言って胸に顔をうずめる。自分たちの年を忘れそうになる。でも、二十年近く女を抱いていない体は思うようには動かない。リタイアしてスポーツジムにもあまり行かなくなったせいかもしれない。どうにか愛し合うことはできたものの、昔のように何回も相手の女性が白旗を上げるまで攻め立てる元気はない。しかし、二十代の頃、まるで野獣のように求め合った相手の顔が思い出せない。あの終わった後の、砂を噛むような空虚感。いきなり相手の女性が鬱陶しくさえ感じていた若かりし頃のセックスとは違い、終わった後のこの満ち足りた幸福感は何だろう?この手の中にいる、芳しい香りを放つ小林の匂いを嗅ぎ、その柔らかい肌に口を付ける。壊れてしまいそうな体を優しく自分の体で包むように愛撫する。本当に大切なものは、こうやって相手の吐息や漏れる声に耳を澄ませ、心臓の音に一緒に生きている実感を得ながら眠ることなのだと、この年になって初めて知った。男女の性欲を満たすための交わりではなく魂触れ合う溢れるほどの愛情。あの太った体の時に、一度寝てみたかった。小林なら年老いて枯れてしまっても可愛くて愛おしいに違いない。薔薇はドライフラワーになっても芳しくて華麗なのと同じように。僕たちは10代の頃に戻って海辺に立っていた。神戸の潮の香、船が行き交い、カモメが鳴いた。あれは須磨?それとも舞子浜?一緒にいたのは小林だったか?太陽が水平線に沈もうとする時、海は燃えるようにキラキラ光を放つ。空が色とりどりに様子を変える。この黄昏時が一番好きだった。人生の黄昏時に、こんなに美しい風景を見ることができるなんて思いもよらなかった。結婚もしないで、子供もいない孤独なはずの人生だったが。愛する女性がいるだけで、人生はこんなに輝いてくる。ずっと探していたジグソーパズルの最後のピースを見つけたような達成感。これからの人生はもう一人ぼっちじゃあない。
年甲斐もなく夢を見る。色とりどりに変わる人生の黄昏時、彼女の笑顔をずっとずっと見ている幸せそうな自分の未来を。




