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(第十五章 時空を超えて恋が始動する)

神泉のお店に行くと、おかみさんが「信さんが、こんな綺麗なお嬢さんを連れて来るなんて、隅におけないわね」と大袈裟に喜んだ。先月、連れて来た佐竹の会社の社長だと説明すると、余計にビックリしていた。同級生だと言うとエステの話になり、サロンがオープンしたら、一番にやってもらいたいと言う。確かに、お客様商売をしている女性にとっては、耳よりの情報なのかもしれない。小林はよく食べ飲んだ。「せっかくスリムになったのに大丈夫?」と聞くと「いくら食べても大丈夫なのよ。食べないダイエットとは違い、リバウンドも無いんだから。今度川口さんがいらした時、説明をちゃんと聞いて体験してもらったらわかるけど。体のデトックスをして、長年詰まっていたリンパのお掃除をしたら、必然的に若い頃と同じ、何を食べても栄養になり、全身に運ばれ、老廃物も集められてごみ箱に棄てられ、内臓で浄化されきれいになって、栄養と酸素が充分含まれた血液になって、また体中に運ばれるワケ。もちろん発酵食品や魚を中心にタンパク質をしっかり摂ることも大切だし、筋肉を創る体操も大切だけど。相対的なことがわかれば、極端なダイエットや健康法で人生を台無しにすることなどなくなるのよ」と、お酒でほんのり赤くなった顔は緩みっぱなしで、可愛かった。

健康について、食事やダイエットについて考えたこともない。テレビでは、納豆がいいとか、玉ねぎが癌に効くとか、アンチエイジングにココアやチョコがいいとか聞いたことがあるような気がするが、特に心がけたことはない。食事はお腹さえ膨れればいいという感じ。防腐剤や環境ホルモンがどうのこうのと言われようが、ファーストフードやコンビニは欠かせない。できあいの揚げ物ばかりのお弁当も必需品だ。一人暮らしの男性には有り難い食事だ。それが、健康に悪いと言われても、どうしようもない。健康を心配してくれる家族もいないのだから。無料の健康診断にも行ったことがあるが、少し血圧が高いくらいで薬を飲むほどでもなく、あれこれ数値が気になるものもあるらしいが、病気というわけでもないので無罪放免?何も出来ず、放置されている感じだ。医者は病気にならなければ、何もしてくれない。予防医学というセミナーにも友人から誘われて何度か行ったが、月に1万円以上かかるサプリを飲み続けるより、月に3度飲み会に参加した方がストレスも発散できるし楽しい。だいたい、60歳過ぎて、一体何歳まで生きたいという目的すらない。誰かのために長生きする必要もない。今、人知れず息が止っても、悲しむ人もいない。と言うか、知人や友人がいても死んだことすら知らせる人がいない。毎日ただ食事をし、平凡な老後を謹んで過ごしているだけの、肉の塊。社会貢献も、誰かの役に立つわけでもない。それどころか、死ぬまで誰かの迷惑にならないように気を使って生きるしかないと半ば諦めていた。

出会いによって人生は変わる。今あるお金をケチって何もしないように、節約ばかりしていたが、同窓会に行くという冒険をして得たこのチャンス。もちろん背負ったものが多いほど、大変だけれど、生甲斐はある。年甲斐もないと思う反面、リタイアして何ヶ月も何もしない生活には飽き飽きしていた。小林が何のとりえもない自分を東京オフィスの責任者にと考えてくれるだけで、これからの人生が輝き始める。嫌われたくない。そんな恐れから、無口になる。何も語ることのない空虚な60年の生き様が、何の問題意識もなく成り行き任せに生きて来た人生への劣等感が小林への恋心と混ざり合って複雑な面持ちになる。「つまらないでしょ?私の話って。仕事ばかりで色気がなくって」と上目使いで、か細い声で言う。

少し飲み過ぎたのか?ハードなスケジュールで仕事をこなしているので、疲れが出たのか?お勘定をして、お店を出ると外は雨。おかみさんに傘を貸してもらって、タクシーを呼んでもらったが、小林は支えなくては立てない状況。傘をさすのは無理だと思い、傘を返して小林を抱き留めながら小走りでタクシーに乗り込んだ。ホテルに行こうか?と迷った挙句、自分のマンションにとりあえず連れて行って介抱した方がいいと判断。頭の中で、部屋は綺麗にしていただろうか?贅沢な部屋ではないが、小林は嫌がらないだろうか?などと色々考える。ホテルに行って、フロントで変な目で見られたり、小林の知り合いに会って気まずい思いをしないだろうか?などと思うと、慣れている自分のマンションで酔いを醒ますのが一番いいと思ったのだが、内心少し期待もしていた。

新丸子のマンションに着いた時には雨は上がっていた。

小林の体を支えながら、部屋のキーを開ける。小林は、かなり酩酊しているようで足が絡んでベッドの上で、倒れ込んでしまった。冷たい水をキッチンに行って、ついで戻って来たが小林は寝息を立てていて、とても起きそうにはなかった。乱れた服を整え、バックやジュエリーなどを丁寧に外してやって、布団をかける。なすがままに無防備な様子に、自分を信頼してくれているのだと、いいように解釈して部屋を出ようとした。すると、小林の声がして、振り返るが可愛い顔をして眠っているだけだった。もう一度、小林の傍まで行って、しばらく、その寝顔を見ていた。ほとんど素顔のような顔のハリは、どう見ても四十代にしか見えなかった。たった二か月足らず、いや一か月くらいで成形手術でもしているかのように若返るものなのか?川口も、三十代から四十代にしか見えなかった。そっと枕元に座って、皮膚に触れてみた。柔らかくて、キメが細かくてハリがある。自分の顔に手をやると、ガサガサしているし、皮膚はたるんでいて六十歳ならの触感だった。もっと顔を近づけてみる。フローラルのような、アロマオイルのような爽やかな香りがした。思わず、そっと額にキスをしていた。唇に柔らかくて甘いスイーツのような感覚がして、愛おしさが、こみ上げてきた。あの憧れの小林が、息がかかるほど近くにいる。夢のようだった。あの高校生の頃よりも大人の色気と熟した芳香を醸し出して。若ければ抱きしめて燃え尽きるまで体を重ねたかも知れない。しかし、今の松村には、そんな欲情も起こらなかった。ただただ、美しいものを愛で、鑑賞するような老人のような静けさで、ずっとこうしていたいと思った。


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