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(第十二章 松村慎吾の選択)

2018年の一月にあった同窓会に出席して、止まっていた時間が動き出した。高校時代の憧れのマドンナだった小林由美子との出会い。互いに老いて、太って、美しい初恋の思い出が崩れ落ちた日、天使のような川口美奈子が舞い降りて来たという感じだった。高校時代にフォーリーブスと言われ、男子生徒からイジメられていた川口の豹変ぶりに、度肝を冷やしたとはこのことだった。あの時から、自分に好意を持ってくれていたと言う川口が気になり始めていた。関西に行くのが楽しみになった。川口も東京に来ることが多かったので、デートを重ねた。彼女の娘の恵ちゃんが、中野でエステサロンをやっていた。子供ができなくて離婚したと言う恵は、他でアルバイトをしながらエステティシャンとして自立できるのを夢見ていた。まだ、三十代だった。この器量なら、いくらでも恋人もできるだろうと思ったのだが、本人は結婚もしないのに男性と付き合うのは嫌だと言う。お金目当てで結婚した母親への反発もあるようだった。

「松村君も、私みたいなおばあちゃんにしてもらうより、娘にしてもらいたいでしょ?」

と言われて、エステをしてもらった。汗をかくのは辛かったが、終わると体が軽くなった。何か月も家でダラダラしていた体は、自分では気づかなかったが、腹も出て、あちこちがつまめるぐらいタプっていた。しかも、リンパ節を開く時には、痛くて思わず声が出た。肩こりもひどい。そういえば、四十肩も放置していた。自分の体について無頓着だったことを改めて思い知らされた。施術代一万五千円は、リタイアして、まだ年金ももらっていない慎吾には痛い。

「ああ、お金は由美ちゃんから頂いているから大丈夫。松村君にもリンパエステして欲しいって言われているの。なんだか、東京でビジネスパートナーになってもらいたいから、見た目を整えて欲しいんだって」

と川口が笑った。

「とは言っても、私は神戸のサロンがあるし、毎回行ったり来たりしたら、交通費もバカにならないじゃない?それで、娘のサロンを紹介したワケ。ひと月、二十万円の契約だから、できるだけ来ないともったいないわよ。由美ちゃんも、神戸で必死に頑張ってる。人生をかけて。私は彼女を必ず受賞させてみせる。だから松村君も、ここでエステして長年溜まった老廃物を掃除して、若返って頂戴ね」

と笑顔で厳しいことを、スンナリと言い放つ。

その日一回やっただけで、肩の痛みはなくなっていた。その部分は集中的に川口がやってくれたおかげだと思う。

「二人の美女に、至れり尽くせり。王様気分でしょ?高くつくわよ」

と冗談を言っていたが、さすがに手業はキャリアを感じさせる。娘の恵は、エステティシャンになって数か月と言うが、それでもウエスト周りが四センチも減った。三か所で十一センチダウン。着て来たジーンズのお腹周りが苦しくなくなって、少し余裕があるのに驚いた。たった二時間で、ウエストのボタンがはち切れそうだったのに、スッキリして嘘みたいだった。

若い子に裸を見せるなんて、恥ずかしい気がしたが、相手はなんとも思っていないのがわかって滑稽だった。

「この子は色気ないから、その気になっても無駄よ」

と川口が予防線を引いた。

「色気はないけど、これでもオジサンたちにはモテるのよ」

と恵は口を尖らせている。

親子がこうして一緒の仕事をして仲がいいのは羨ましい。エステの後は、中野にある庶民的な居酒屋で三人で酒盛りをした。

「ビールは二杯までよ。ほら、言うじゃない?お酒と女はニゴウまでって」

と恵がおどけて言う。

「なるほど。うまいこと言うね」

と慎吾が感心していると、

「女も二号はダメでしょ」

と川口がしかめっ面する。

「これだから、ママはダメなのよ。いつまでたっても、夢見る少女なんだから。永遠の愛なんて、いまだに信じているから男に騙されてばかりいるのよ」

と、生ビールを五杯飲んでも全然酔わない恵が、ほろ酔い気分の母親を叱りつける。

「まったく、どっちが親かわからないでしょ?」

と川口が苦笑する。

それから、慎吾は週に二度、恵のサロンでエステをしてもらった。小林が払っていると言うが、バツイチで女一人暮らしで生きていくのは大変だと思い、食事をご馳走したり、おこづかいを包んだりした。子供がいたならば、恵のような年頃なんだろうと思うと、娘ができたようで嬉しかった。

「ママが憧れて忘れられなかっただけあるわ。松村さんて、本当に紳士。私のパパとは大違いだわ」

と少しずつ心を開いて、悩みを打ち明けてくれる。

「ねえ。子供の産めない女って、生きていていいのかなぁ?」

と言う恵の目はうつろで光がなかった。飲み過ぎたのかとも思った。帰途についた時、いきなり慎吾に抱きついてきた。

「抱いて」

と言う恵の体を、そっと撫でて

「いい子だから。飲み過ぎだよ。タクシーで今日は帰った方がいい」

と来た車に押し込んで行き先を告げて五千円を恵に渡した。

【据え膳食わぬは男の恥】と頭をかすめたが、このことが川口から小林に知られたら?と思うと、若くもないのに、目の前のご馳走に食らいつく元気もなかった。いつものリスクばかりが頭に浮かんで、どんなに小さな不義理も、自分の衝動に任せて冒険するなんてことは絶対にできない性質だった。

それでも、それからのエステの折には、恵のことを女性として意識し始めていた。

サロンでは二人きりだと気付いてから、会話がぎこちない。最近、そそくさと施術が終わると出て行く慎吾に恵が「ちょっと相談したいことがあるんだけど。この後、時間ありませんか?」と、ちょっと他人行儀な口調で言われて、いつもの居酒屋に行くことになった。

今日の恵は、お酒が進まない。

「相談というのは、今モデルしてもらってる友人のことなんですが」と、遠慮がちに話しだした。先日、抱き着いて来たことなど忘れたかのように真剣な面持ちで話す。

「友人だから、格安にしているんだけど、先日、『友達なのに、お金を取るつもりなのか?』って言われちゃって。これ以上安くしたら、マイナスになっちゃうし。どうしたらいいのか、わからなくて悩んでいるの」と。

慎吾は「友達だったら、経営しているレストランで、タダ食いするわけ?」と聞くのだが、意味がわからないのか返事がないので、

「エステは恵ちゃんの仕事でしょう?施術の資格を取るのだって、サロンを使うのだって、もちろん製品代だってかかってるのに。それを恵ちゃんに出させて、ダイエットの施術をしてもらおうなんて、ドロボウでしょ?それとも、その友達に何か借りでもあるの?」

と言うと、

「だって、友達だからエステの練習に付き合ってあげてるんだから、タダにしろって」と口ごもる。

「最初、技術が無かった時に、練習台になってくれたんだね」と聞くと、

「そう。感謝してるよ。でも、その時だって、無料でしていたし」と言うので、

「だったら、もうプロなんだから、今までのことを感謝して離れなさい。キツイこと言うようだけど、友達なら恵ちゃんの経済状況くらいわかっててもいいはずだよ。言い方が悪いかもしれないけど、そういうの【タカリ】って言うんだ。

恵ちゃんにはショックかもしれないけれど、友人って奴はね。何か事を一緒にやり始めて本性がわかるものなんだ。表面のいい奴ほど、裏で何言ってるかわからない。こういう波風立った時に、恵ちゃんのことを安く見てるのがわかるだろう?

でも、落ち込むことないよ。たまに良かったことを思い出すこともあって辛いかもしれないけれど、これからのことを考えると、縁は切った方がいい」

と言って恵を見ると、涙をいっぱい溜めて口を真一文字に食いしばっていた。声も出さずに。

恵は、こうやって、いつも涙を見せないよう声を凝らして泣いていたのかもしれない、と思うと、切なくなって抱きしめていた。

胸の中で、くぐもった恵の声がした。

「私って、いつも友達や恋人から、こういう扱いを受けるの。そんなに、私って、ダメな人間なのかと思うと情けなくなる」

と言って、また泣いた。

「自分を大切にしなさい。恵ちゃんは、つい他人のために尽くして自分を、ないがしろにしてしまう。そんな優しさに、つけ込む人が多いんだから。自分が大切にしてあげないと、誰が恵ちゃんを大切にしてくれる?」

と、背中をトントン叩いてあやす。まるで赤ちゃんのように。

「ありがとうございました。もう大丈夫。私、寂しくて友人も少ないし、彼女に依存して重かったのかも?」と笑顔を作ろうとする。

「また、自分を責めるようなことを言う」と頭をコツンと軽く叩く。

「オジサンが恵ちゃんを守ってやるから、安心して別れるといい。寂しかったら、いつでも飲みにくらい連れて行ってやるから」と偉そうに言うと、

「たまには、フレンチとか、お寿司なんか食べたいなぁ」と甘える。

「儲かったらな」と言うと、

「今度のコンテストで受賞して、賞金頂けたら、恵が奢ってあげるよ」と笑った。

涙の跡はなかった。

こうやって、何かを必死にやり始めると、切れる人間関係がある。不思議なことだが、どんなに大切に思っていても、手放さなければならないことが起こる。

しかし、何かを得るには、何かを手放さなければ掴めない。一瞬空いた手が寂しく、もて余すこともあるだろう。しかし、きっともっとビッグなプレゼントを受け取るための準備なんだって信じよう。

今、目の前のことを一生懸命頑張っているなら、もうすぐ神様から贈られて来るはずだから。その手放した手いっぱいの祝福が、次のステップへの扉を開いてくれると信じて。

恵は、慎吾と親子のように腕を組んで、新宿の高層ビルの方を仰ぎ見ていた。



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