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花と散るならこの場所で〜王都に散った花は、再び咲く〜  作者: ヒトガタナリ
第三章 五歳・逃走編
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第二十三話 静かすぎる朝

起きたくない。そう思っていても朝は来る。


「眩しい」

それが今の俺にとっては十二分な感想だ。

そんなことを思いつつ、俺は重い腰を上げる。


ふと、脳裏に昨日のことが過ぎる。

別に――いいか。


「……は」 

息だけが、出る。


泣いたはずなのに、何も変わっていない。

体も、頭も、昨日の続きみたいに、ただそこにあるだけだ。


「……くだらねぇ」

ぽつりと、漏れる。


そのまま、外に出る。

空気は、昨日と同じだった。

人の声も、足音も、何もかも、変わっていない。


当たり前だ。

変わったのは――俺の中だけだ。


いや。

それすらも、本当に変わったのかは分からない。


「行くぞ」

前から、声がした。

デズモンドだ。


振り返りもしない。

こっちを気にする様子もない。


ただ、それだけ。


「……はい」

口が、勝手に動いた。

声は、思ったより普通だった。


リリアが、少しだけ近づいてくる。


「フィーマ様、体調は――」


「問題ありません」

被せるように、答える。

少しだけ、間が空いた。


「……そうですか」

それ以上、何も言ってこない。

優しい声だった。

昨日と同じように。


――違う。

昨日よりも、少しだけ遠い。


歩き出す。

足は、ちゃんと動く。

昨日みたいに、止まったりはしない。


――当たり前だ。


何も起きていないんだから。


視界の端に、人影が映る。

座り込んでいる。


汚れた服。

浅い呼吸。


昨日と、似ている。


視線を――逸らす。

何も考えない。

何も見ない。


足は、止まらない。

――止めない。


止める理由がない。


「……そうだ」

小さく、呟く。


聞こえないくらいの声で。

「……これでいい」


誰にも聞かれないまま、その言葉だけが、内側に残る。


昨日、泣いた。

それでも、何も変わらなかった。


だったら――


「……俺は」

言葉が、少しだけ詰まる。


それでも、無理やり続ける。


「……これでいい」

そう決めた。

――決めてしまえば、楽だ。

選ばなくていい。

迷わなくていい。

見なければいい。

それでいい。


デズモンドの背中が、遠くなる。

追いつく気は、あった。

――はずなのに。


少しだけ、距離を残したまま、歩く。

その方が、楽だった。


「……これで十分だ」

ぽつりと、零れる。

それが今の俺に出せる、精一杯の答えだった。



―――



コッ、コッ、コッ、と単調な足音が街に響く。

その音はまるで通勤中のようで、気持ちが悪い。

誰もが、同じ速度で歩いている。

誰もが、同じ方向を見ている。

誰もが、何も見ていない。


「……普通、か」

小さく呟く。


視界の端に、また人影が映る。

――倒れている。


昨日と、よく似た光景だった。

違うのは、声がないことだけだ。


助けを求める声も、苦しそうな息も、何も聞こえない。

ただ、そこに“ある”だけだ。


「……」

足は、止まらない。

止める理由がない。


「……これでいい」

そう思った。

――思った、はずなのに。


ほんの一瞬だけ、足がわずかに遅れる。

気のせいみたいに、すぐ元に戻る。


何もなかったことにする。

それが、一番楽だからだ。


前を歩くデズモンドは、振り返らない。

リリアも、何も言わない。


誰も、止まらない。

誰も、関わらない。


それが――普通だ。


「……そうだな」

頷く。

納得した、はずなのに。


「……なんでだよ」


小さく漏れたその言葉は、誰にも届かないまま、足音にかき消えた。



―――



そのまま、歩き続ける。


視線は前に向けたまま、余計なものは見ないようにしているはずなのに、どうしてか、視界の端ばかりがやけに気になる。

倒れている人間。

壁にもたれて座り込んでいる人間。

道の端で、何かを諦めたみたいに動かない人間。


どこにでもある光景だ。


昨日も、きっと同じものを見ていたはずなのに、今はそれがやけに目につく。


――違う。

見えているんじゃない。


“気づいてしまっている”だけだ。


「……くだらねぇ」

小さく吐き捨てる。


気づいたところで、何も変わらない。

見たところで、何もできない。


だったら、最初から見なければいい。


「……そうだろ」

自分に言い聞かせる。


返事なんて、あるはずもない。


足音だけが、一定のリズムで続いていく。

コッ、コッ、コッ、と、感情のない音がやけに耳に残る。


前を歩くデズモンドの背中は変わらない。

大きくて、迷いがなくて、見ているだけで自分がどれだけ遅れているのか分かる。


距離は、詰めない。

詰める理由がない。


「……普通でいい」

もう一度、呟く。

言葉にしてしまえば、それで納得できる気がした。


特別じゃなくていい。

誰かを救わなくてもいい。

何かを変えようとしなくてもいい。


「……俺は、俺でいい」

そう続けようとして、

ほんの一瞬だけ、言葉が止まる。


――違うな。


「……俺は、“それでいい”」

言い直す。


自分がどうかじゃない。

どうでもいいんだ、そんなことは。


ただ、

“面倒なことをしなくていい理由”が欲しいだけだ。


「……は」

乾いた息が漏れる。


分かっている。


分かっているのに、

それでも、その言葉にしがみついてしまう。


――楽だからだ。



視界の端に、また何かが映る。


小さな影。

動かない。


一瞬だけ、足が、ほんの少しだけ止まりかける。

そして、すぐに動かす。

何事もなかったみたいに、そのまま通り過ぎる。


「……これでいい」

呟く。

今度は、少しだけ強めに。

そうしないと、足が止まりそうだった。


「……これでいいんだ」

繰り返す。


誰に聞かせるわけでもないのに、何度も、何度も。


――それでも。


胸の奥に残っているものは、昨日と何一つ変わっていなかった。


重くて、

鈍くて、

形も分からないまま、ただそこにある。


「……は」

息を吐く。

消えない。

何をしても、消えない。


「……めんどくせぇ」

吐き捨てる。

それ以上、考えるのをやめる。

考えても、意味がない。


どうせ――何も変わらないんだから。


「……行くぞ」

デズモンドの声が、少しだけ近くなる。


いつの間にか、少し遅れていたらしい。


「……はい」

短く返す。

足を速める。距離を詰める。


それだけのことなのに、

妙に、息が詰まる。


何も言わない。

何も考えない。


そう決めたはずなのに。

それでも、頭のどこかが、ずっとざわついている。


――静かなはずの朝なのに。


どうしてか、昨日よりもずっとうるさかった。







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