曇天、脈
暗い。遮光カーテンの隙間からわずかながら光があるとはいえ、暗い。曇りよりも暗い部屋の隅に目を凝らすと色々と細やかなものが入れられた瓶が並ぶガラス棚がある。目線を上げたところにある棚にも、ラベルを貼られた似たような瓶がきちんと並べられていた。几帳面なのだろうか、ラベルの向きが全て同じだ。
近づいてみる。何かの動物の角らしきもの、色褪せた花か草かわからないもの、なんだこれ、岩?ほんのりと光が脈打っている。ふむ、なるほど、全然わからないな。
つんとした匂いが鼻をくすぐる。振り返ると少年__いや先輩だし青年か__が大きな瓶を抱えながら中身を取り出している。
「グレゴール、血は止まったかい?」
瓶の蓋を閉めながらこちらを振り向いたグリム先輩が、慣れた仕草で聞いてきた。やめてくれ、今必死に意識を逸らしていたのに。ああ思い出すと痛みが。
ハンカチをのけて、右の手のひらを見てみる。脈打つ度にじんじんとした熱をもつ痛みが襲ってくる。痛い。貧乏ゆすりが止まらない。
「止まりましたけど……」
「けど?何か異変でもあるのかい」
「……痛いです」
「……そりゃあこれだけザックリいってたらね。それにしても、うん。綺麗な傷だね」
傷に綺麗も糞も無いだろ。小指の付け根から親指の根本まで走る赤い一本線を憎たらしく思いながら、先輩の方を見ると今度は違う瓶から何かを取り出していた。もうあれが何なのかすら考える気分ではない。
「それにしても驚いたよ。廊下の窓から外を見ると君がうずくまっていたんだから。何事かと慌てて駆けつけたんだからね」
そんなことを言われると、ぐ、と言葉に詰まってしまう。魔法の練習をしていたら力加減を間違えてザックリいってしまいました、あまりの痛みに動けなくなってしまいました、なんて言いずらい。一年生じゃあるまいに。
「おおよそ魔法の練習でもして失敗したのだろう?まあ、気を付けることだね」
先輩はお見通しだったようだ。はい、と情けない声を絞り出すしかない。なかなかに恥ずかしい。
もう一度傷を見せて、と言われたので右手を差し出す。彼は傷周辺を軽く触りながら何か考えているようだ。痛いからあまり触らないでほしい。というかこの人、意外と手が冷たいんだな。
「……うん、この傷、火元素魔法のものじゃないよね?」
おれの右手から手を離しつつ、左手首に目をやりながら尋ねられる。そこには三角形に磨き上げられた赤い魔法石が静かに光を反射していた。自身の得意な火元素魔法と括られるものは、確かにこのような傷にはならない。もっと広い範囲に燃えたようなものができる。あれはあれで結構痛むんだよな。考えると痛みが増す気がする。今ある傷だけでも十分痛いのに、過去の傷の分まで思い出してどうする。
「その、雷元素の魔法を試してみたくて」
相手の反応を伺いながら尻すぼみになってしまう。先輩は大きな目を更に大きく見開いた後、どうりで、と笑いながら軽く息をついた。
「なかなか見ない傷だと思ったんだ。使いこなせる人も、やろうと試みる人もあまりいないからね」
「やってみる人もいないんですか」
「ああ。少しだけ試して、これは危険だと察してすぐ止める者が多数だよ。君のような者は稀だね」
おれが間抜けってことですか。でもだってちょっと出来そうだったんだよ。まあ、結果この様ではあるが。
「いないと言っても、一人もいないわけでは無いけどね。ほら、キャロルがそうだろう?」
キャロル。誰だと言いそうになるが、すんでのところで立ち止まる。ああ、同じ班の人だ。
「え、でも一年生でしたよね、そのキャロルって人」
「そうだよ。一年生なのに難しい魔法が得意だからか知らないが、班の集まりどころか授業にも出てないそうだがね」
薬の材料が砕くには硬いのか、それとも怒りのせいなのか、グリムは力任せに乳棒を叩きつけていた。ガンガンという音が傷に響いている気がする。あまりキャロルの話はしない方が良さそうだな、とグレゴールはしみじみ思った。
薬の匂いが部屋に広がる中、グリムが薬剤を調合をするのを眺めながらグレゴールは箱椅子に座った。痛みを忘れさせようとしてくれているのか、グリムは途切れることなくグレゴールに話かける。少し怒りっぽいところは否めないが、なんだかんだ世話焼きで優しい人のようだ。グレゴールはどこか胸の中が温まるのを感じた。
「よし、出来たよ。さあ、薬を塗布するから手を出して」
右手を差し出しつつ、乳鉢の中を覗き込む。……なんかすごい色をしてないか。草花でもみないようなやけに鮮やかな青緑色でほんのりと発光している。しかもかなり匂いがきつい、思わず鼻を覆った。何だこれは。おれは今から一体何を傷口につけられるんだ?
「少し痛むけれど、すぐに治るからね」
「どれぐらい、ですか……?」
「うーん、明後日ぐらいには痛みも傷も完全になくなっていると思うよ」
そうではない。痛みの方を聞いている。少しって、どれぐらいなんだ。
グリムの微笑みに嫌な予感を覚える。どうしてそんな作って貼ったような笑みなんだ。
「大丈夫だよ、心配しなくても。少し痛みを我慢すれば、すぐに治るから」
そう言いながら、グリムは座ったグレゴールの背後にまわり腕を回し、逃げられないように右手を捕まえた。
心臓がうるさく脈打つのを感じる。傷の赤い痛みが先ほどよりも強く主張しているのがわかる。
いったい、一体どれほど痛いんだ。絶対少しどころじゃないだろうこの色は。覚悟の時間をくれ。
必死に顔で訴えるグレゴールを見下ろしながら、グリムはばつが悪そうにすまないね、と続ける。
「傷ができた時よりも、痛いかもしれない」




