ダヒルの覚悟
「ほら、講釈はもうえいろう。あっしらは疲れちゅうきにゃ、もう帰るで」
「ああ、帰れ帰れ。これを持って帰れ。聖域の入り口は火の熱で溶ける物が詰められとったんだろう。材料はこれだ。次は手に入れてから来いよ。閉じる方法はその時までに考えといてやる」
ザキハは薄い木の板に色々走り書いたメモをよこしてきた。ゴロナンは板を受け取ると、ネオとダヒルに帰るで、と声を掛け、扉を開けた。
ダヒルはザキハにまだ言いたいことがあった。聞きたいことがあった。あり過ぎて、上手く言葉が出てこない。ネオはそんなダヒルを横目でちらりと見たが、何も言わず外へ向った。このままモタモタして二人に置いて行かれては困る。ダヒルは釈然としないまま、すっきりしない顔でザキハに一礼し、踵を返す。
扉を閉めるちょうどその時、ダヒルは確かに聞いた。
「どんな道を歩むか、決めるのはお前だ。赤毛の坊主。扉はお前を招き入れた。知りたければ、来るがいい。扉はいつでも開いている」
小走りでダヒルはゴロナンとネオを追った。もう二人は表通りに出る所まで進んでいる。
「ザキじぃは話が長いのがいかん所やにゃ。まあ、ほとんど人に会わんき、会った時ばあ話したいがやろうけど…
二人とも、ようやったにゃあ。本当に。ザキじぃのお使いはあっしがやっちょくき、二人はもう帰りや」
たった数日だが、何月も掛かった出来事のような気がする。気を張って疲れを気にしないでいたのか、ネオとダヒルは今になって急に体が重くなったように感じた。
「ほんにゃら、またにゃ〜」
ゴロナンは朝と変わらない軽快な足取りで去って行った。何という体力なのだろう。自分達の方がかなり年若いのに、あの元気さは知ってはいけない何かが隠されていそうで、凄さ以上に恐怖を感じる、とダヒルは思った。
「ああ… テッキンコン行きは明日だって」
停留所で馬車の予定を確認する二人。ゴロナンと別れてそのまま停留所まで来たが、人の多さにどんどん体力を奪われる。
「はぁ…もう… 仕方ないな、また荷物のふりしてテッキンコン方面の荷馬車に乗り込んで…」
「もう一日くらい、泊めてあげるよ。荷物に化けずに明日帰ればいいでしょ」
「すいません。厄介になります」
日が傾いてきた頃、二人はネオの店に戻った。
ダヒルは大量の荷物を抱えている。無事マルセイユを返した報告と礼を言いに寄ったトルコス商店で買った物だ。厄介になるのだからと、手当たり次第に会計に通そうとするダヒルをネオは何度も止めなければならなかった。そうやって妙にはしゃいでいるかと思えば、帰り道はずっと黙り込んでいた。
店の中へ入ると、扉の内側に設けられた金属の箱に何通か伝言板が入っているのが見えた。留守中は外から配達物を入れられる仕組みになっている。
ダヒルが水屋に食料を運び入れ、戻ってくると、ネオは応接室に居た。長椅子に腰掛けて伝言板を読んでいる。
「それ、仕事の依頼か?」
低い脇机に置かれた薄い木の板には、デザイン画のようなものが描かれているのが見えた。
「ああ、うん。前に世話になっていた店からだ」
「ほんとにやってけてんだな。店相手にやってんの?」
ダヒルは隣に腰掛けながら、感心したように言った。
「いや、個人からも受けてるよ。まだ少ないけどね。これとか… スカーフに入れてくれってさ」
ネオが見せてきた伝言板にはデザイン画は入っていなかった。代わりにざっくりとした要望が書かれてあった。
好きな色、入れて欲しいモチーフのいくつか。候補の一つに、桃色の花、と書かれていた。
「桃色の花か… なあ、ネオ。昔、マリサにやった刺繍を覚えてるか」
「クシナダの花だね。…懐かしいな」
ネオはフッと表情を和らげた。
「俺、気になってたんだけどよ。何でマリサの刺繍には何も無かったんだ?」
「…何も無いって…何が?」
「俺の水トカゲにはあったじゃん、ご利益が」
「ああ…」
ネオはダヒルの首に下がった刺繍を見た。ダヒルも目線を下げて、それを摘まみ上げた。
「刺繍のご利益について、マリサにも聞いてみたんだけどよ、あいつポカンとしてよぉ… 聞く度に意味不明って顔されて。あれってマリサが鈍感だっただけか?」
「あの刺繍には何も力が入ってないんだよ」
「何で?」
「相手を思いながら… 例えばその人の身を案じながら刺してると、自然に魔法の力が籠もるんだ。クシナダの刺繍はマリサにあげたけど、僕の手習で刺したものだ。彼女の為にって刺したものじゃなかったから」
「へえ…」
ダヒルはコクコクと頷いて、依頼の伝言板を見た。
「それには込めんのか、魔法」
「まさか」
ネオは目を伏せて笑った。
「依頼主と顔合わせりゃ、ハッキリ分かんじゃん。誰が為のもんかよ」
「意識すれば、魔法の力を込めないことぐらいできるよ。余計なことを考えずに刺せばいい」
「売れると思うけどなぁ。ご利益刺繍…。 あの鳥関係の眉唾品でさえ、あんだけ出回ってたんだぜ」




