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カグア山へ向かい、太陽が落ちていく。静かに宵闇が近付こうとしていた。
辺りはあっという間に暗くなり、王都を出て二回目の夜が訪れる。
今夜はダヒルが先に休むことになった。マルセイユは首を丸めて眠り、その背に凭れるようにダヒルも眠っている。
いびきが聞こえてきたのを確認して、ネオは刺しかけの刺繍を取り出した。
ダヒルが店に来てから今日まで、濁している話題にダヒルは触れてきていない。
昔からそうだ。深く踏み込んで欲しくない時、ダヒルは何も聞いてこない。ネオはダヒルのこういう所が気に入っていた。
ダヒルにまだ伝えていない秘密。混乱するかもしれない、受け入れられないかもしれない、と思うと何から話せばいいか分からなかった。とにかく、刺繍を仕上げようと手を動かす。大事なものが足りないから、何のお守りにもならないかもしれない。それでもダヒルを守るように思いを込める。
悪しきモノからダヒルを守りますように…
一刺し一刺し丁寧に綴る。思いを込める度にネオの体は淡く光り、糸までも光りだす。
最後の針を引き抜き、糸の始末を終えた。その時。
冷たい手で後ろからヒタリと触られたような感覚がした。背中から一気に熱が冷え、寒気がざわっと全身に広がる。
ネオは勢いよく後ろを振り返った。
木々の間に、居る。闇の中で煌々と輝く、黄金の体。
「黄金の鳥…」
枝にとまる鳥と目が合う。体は眩いほどに輝いているのに、こちらを見る目だけが白い。いや、白いというより空っぽだとネオは感じた。
いつから居たのだろうか。羽ばたきの音一つしなかった。さっきまで気配も無かった。鳥は動かず静かに、ずっとネオたちを見ている。
嫌だ。嫌な気分だ。気持ちが悪い。
高熱が出た時のように、体の奥から冷えて震えが追いかけてくる。それに似た気持ち悪さだ。こんなモノを皆争い、追いかけているのだろうか。
「ダ…ヒル…ッ あれッ」
ネオは鳥から顔を背けないまま、片手でダヒルを揺り起こした。
「ん… 何だもう交代… あ? 鳥! 黄金の鳥じゃねえか!」
ダヒルの目は鳥に釘付けになる。
「何て綺麗なんだ」
ダヒルはユラリと立ち上がり、ズンズン鳥に近付いていく。鳥は動かない。
ダヒルの手が触れるか、と言うところで鳥は逃げた。否、逃げたと言うより落ちた。
鳥は上手く飛べないのか、ばたばたと羽を動かし、少し浮いたり、地面に落ちたりしている。
「…怪我してる?」
その様子はまさに手負いの弱々しい鳥そのものだった。
「誰かが捕まえようとして矢でも当たったのか… しめた、チャンスだ」
鳥は拙い動きで必死に逃げようとしている。
「あと少し…もうちょいなのに… くそっ」
ダヒルは鳥の後を追い、捕まえようと手を伸ばす。だが鳥も懸命に逃げる。森の中で足場も悪く、枝や葉が邪魔をして中々上手くいかない。
少しずつ、少しずつ火を焚いていた場所から離れていく。
荷物のこともあるが、マルセイユもいる。そのままにしておくわけにはいかない。
「ダヒル!これ以上追うな…! だめだ!一旦引こう」
「今なら絶対捕まえられる。このチャンスを逃せるもんか」
ダヒルはもう鳥しか見ていない。
「黄金の鳥は捕まえるんじゃない、追うんじゃない。目的を見失うな…!」
「煩い!邪魔すんじゃねぇ!」
ネオの声は、もうダヒルに届いていなかった。ダヒルは止まらない。鳥に夢中だ。距離はどんどん開いていく。ネオは黄金の鳥が気味悪くて堪らない。この感覚は過去に味わったことがある。
「ワザワイノツカイだ」
口にして、一層寒気が走る。左手に先程出来上がった刺繍を施した布を握り締めた。手に力がこもる。
「お願い火の鳥、力を貸して…!」
パライアの火のようにーーー
ネオは空いた手で焚火から火の付いた枝を引き抜き、鳥に目掛け投げた。森では大きな火を使うのは危うい。火は小さいながらも、一本の矢のように鳥に向かって飛んでいく。
ギィエエエアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア…
鳥は火が来るや、顔を歪め、身を翻して闇に消えるように逃げた。叫び声を残して。
火は尾羽をかすめて落ち、近くの草とダヒルを焦がす。
「うわあっ! あっちい!」
急いでネオはマルセイユのために取っておいたモッセリを一掴み投げた。水分の多い草は燃えない。小さな火はすぐに落ち着き、地面の草は足で、ダヒルの方は外套で叩いて消火した。
火が落ち着き、嫌な気配が消えたのを実感すると、ネオは詰めていた息を吐いた。同時に強く握り過ぎていた左手を弛める。手の中の茜色の刺繍は、まだ僅かに熱を帯びていた。黒茶の布に施された三本の羽根模様。糸はヒバナで染めた茜色のものを選んだ。黄金の鳥にいい印象を抱けなかったから、パライアの火に出てくる火の鳥を象徴するような色を選んだのだ。




