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マルセイユにモッセリを食べさせ、ネオは冷めた湯の残りを皮袋に詰めた。次にいつ水場があるか分からない。再び水を濾して汲み、火に掛ける。
「ワザワイノツカイは出ないにしてもよ、オオヤマネコみたいな獣とか追い剥ぎとか出ねえかな」
湯を冷ましているネオの横でダヒルが眉を寄せながら呟いた。
「オオヤマネコなんて会う方が難しいよ。この道はかなり安全だってトルコスさんが言ってた」
ネオは道端の石碑を指差す。
「何だよ、石碑が守ってくれんのか」
「違うよ。トルコスさん達が使う交易路の印だよ。大きめの街への交易路は王都の警邏隊が時々巡回してるんだって。あ、石碑にお祈りしとかないと」
右手を半身にして、ネオは石碑に向けて2回振る。
「今まで石碑にお祈りなんかしてなかったじゃねえか」
「急いでる時はやらなくても良いんだって」
「何じゃそりゃ」
心配だから交代で寝よう、とのダヒルの提案により、ネオが先に休む事になった。
マルセイユの背から薄い綿入れと木綿の広い布を引っ張り出し、ネオは地面に草を敷いて布を掛けた。
荷物を降ろした時には陰が広がっていただけの森は、今やすっかり夜に包まれていた。虫の声と火のはぜる音、何かの生き物の鳴き声が遠くで聞こえる。
「テッキンコンの路、こっちで合ってんだよな?」
「合ってると思うけど。一応方向確認しとこうか」
ネオは空を見上げた。周りは森だが、野営地は木が払われているため、そこだけ空が見えた。夜の帳が下りた空は星々がさざめいている。
「星見法か。でも俺、星追い詞覚えてねぇんだけど」
「一級星は分かる?」
「リガーだけなら… ヤマグマ座の。だが方角は覚えてない」
「…教会学校、真面目に通ってたんだろ」
星見法とは、旅人が方角を知る一般的な方法である。輝きの大きな一級星の中でも、季節や時間に縛られず、毎夜現れる星を頼りに方角を読む。大小の星をつなげて生き物などに見立てた星座や、星見法に欠かせない一級星を覚える『旅人の星追い詞』は教会学校で習うものだ。
「一等輝く天の星々 旅する我の行く路照らせ
リガーは輝く山熊の目 見つめる先は北北東
メジブとカッテー 杯の縁 雨を湛えて祝杯上げる
左に傾きゃ北の地が染み 右に傾きゃ北東潤う
メルスはコブラ王の牙 クヨギを尾に秘め 天を這う
東南東に毒牙をかけて ずるり尾を引く南南東
キサラムはナシウリの種 鈴生り実る南南西
サモンが飾る長い耳 シロスギウサギの左耳
南西に吹く風の便りを 能く能く聞こうとそばだてる
ロトを頂く木馬の鼻先 西向き揺れる天の原
ワガンを背負うオオプナドリは北西目指す渡り鳥」
「お前、よく覚えてるな。つーかよ、星座って無理あると思わねぇ?木馬に見えるか?あれが。棒人形にもほどがあるぜ。シロスギウサギ座とか頭しかないじゃん」
「僕が作ったんじゃないから知らないよ」
「俺なら小っせえ星をちまちま入れないで、一級星を九つどーんと繋いでよ… モッセリ座にするぜ。三角三つと茎が一本に見えるだろ」
「いや、大きすぎない?一つ一つがすっごい離れてるよ。ここからじゃ全部見えないし」
木が払われているとはいえ周囲は森で、この野営地から見える一級星は精々半分。西の空は木々に遮られている。
「俺はスケールの大きな男だからな。テッキンコンは王都から東南東ってことは、メルスの方を向いたこの路で大丈夫ってことか」
「方角と距離をより詳しく知るなら、いいものがあるよ」
ネオは背負袋の中から金属製の道具を取り出した。手にちょっと余るくらいの大きさで、変わった形をしている。
「何それ」
「星尺分儀だよ」
「こんなもんも持って来てんのか」
「ちょっとの旅だけどいいだろ」
目印の無い海を渡る航海士達の必需品。星尺分儀とは、方角だけでは無く、星を元に目的の場所までの方位角度や距離を計算できる道具である。横に向けた弓に下方にも半分の弓を取り付けたような形で、手前に硝子の付いた覗き穴がある。下方で角度を測り、目盛が付いた前方の部分で距離を計算するのだ。
数日の陸路の旅であれば必要なものでは無いが、ネオは上都する際にトルコス達が星尺分儀を使うのを見て強い憧れを抱いた。王都で働いて初めて自分の為に買った物が星尺分儀で、以来、ちょっとの旅でも持ち歩いている。
「かっけえな。ロマンがあるっていうか」
「だろう。ちょっと待って…」
ネオは星尺分儀を肩の高さに水平に持ち、硝子を覗いた。メルス星の方向へ向け下方の向きを調整し、左手で前方の目盛を動かす。
「角度が四ツ刻、目盛が左三十だから… ここからテッキンコンは五十二尋だよ。すごいな、一日でここまで来たんなら、あと二日もかからないかも」
「おお… 俺もそれ買おうかな」
「トルコス商店で売ってるよ」




