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サラが第二人類たちへの面倒な連絡をしたり―――だって交渉が『不能』で、そもそも『行われない』という契約不履行の前提があるにもかかわらず、無表情を装った、事務的な調子で難なくやり過ごしたんだから―――次いで警備ロボットなり、各部署へと通信を入れたりしているあいだ、僕はすっかり、背後だけではなく、前や横や上に、つまりいたるところに施設の人間というものがいて、彼女は仕事にあたっているのだな、と思った。それは社会の縮図である学校なり、あるいは社会における経験論の図式というよりは、サラが、仕事をしているという表情をしていたのをつぶさに見て取れたからだと思う。何だか虫歯で痛い奥歯をペンチで引き抜いてしまえばいいじゃないかという無茶苦茶な考えを想像する。
吹っ切れた、ということだ。
*
ファインダーでフォーカス・ロックする。ナビゲーション・システムが起動して行き先の候補を、いくつか同時的に作り出す。
*
それが終わったあと、サラが、「今から話すけど、ちょっと待って」と調理スペースのドリンクコーナーへ行き、コーヒーを二つ淹れて持ってきた。それは鬱展開の合図だった。さもなければ、審議中のそれであった。
僕にクリープや砂糖を持ってきたが、僕はそのまま飲んだ。サラもそうした。神経的な疲れのようなものを振り払うように、それでいてコールタールでも流し込むような調子で、一口、二口飲んだ。
骨まで硫酸で溶けてしまうような、重たい空気。
その間、ロボットは、僕に合うパワードスーツを探してくれている。できるだけ目立たないようなやつ、と頼んでおいたが、まあ、これは期待するだけ無駄かも知れない。その上に服を着込んでどれぐらい目立たなくするか、だ。いやもうなんだったら、彼等と同じ囚人服みたいなスタイルで臨んで、意表をついてやるべきなのかも知れない。
>本当は、作戦会議をしたい。
>でも、避けては通れない道というのがある。
*
「ユウトさんには、ファーストコンタクトの話はしましたね」
無難な着地点からの―――開始。
「うん」
「あの時、ワープ航行をして、地球に到着したの。問題はないように思われたわ。私たちは、十七か国の首脳と一斉に交渉をする準備をととのえていたし、とても忙しかった。だから―――まさか、異次元の穴がその時、偶発的に開いて、そこに何の関係もない人間が入り込むなんて思わなかった」
「それが―――僕?」
サラの眼には、ある種の諦観のようなものが宿っていた。
てのひらのくぼみに影が溜まる、湿り気を帯びながら。
「私たちの科学力や先見性にも、人為的過誤があります。何度も行き来していながら、何度も見過ごしました。ユウトさんはその時、仮死状態で、ずっと異次元のはざまで、眠り続けていました。歳も取らず、時間を感じることも出来ず、何処へ辿りつくことも出来ず・・・」
*
もういいよ、と思った。
なんか辛気臭くなるだけだから。
でもそれでは気が済まないのは、僕が人質交換を申し出た時の様子で先刻承知している。打楽器のような響きが、叩く。建設的じゃない。時間の無駄だと思う。でも、水は砂地に吸い込まれる。
*
「本当に、申し訳ないことを、ユウトさんにしてしまった―――」
*
でも、一歩、一歩、向こう側へ行こうとした。
その未知の輪郭にやさしくふれようとする。
*
サラの眼が赤くなった。彼女がどれだけ自分を責め続けていたのかよくわかった。また、彼女はファーストコンタクトをするにあたって世界平和だとか、全宇宙の平和だとかいう、大きなスローガンを立てたに違いないことも、古い瘡蓋のように、読み取れた。そんな博愛意識に満ちたサラが、自分たちのつゆとも知らないところでそんなとんでもないことを起こしていたら、まあ、そういう反応になるのかなと思った。ただ、サラにとっては肩身が狭く、頭を下げるほかないシチュエーションであるけれど、僕だって、もういいじゃないかとか、気にするなとか、軽はずみに言えなくて、これはこれで結構辛い時間である。咽喉の裏側に、錆びたゼンマイのようなものを感じる。
でもそうは言いつつ、サラの情報によってジグソーパズルが見事に収まっていく感覚は、不謹慎だけれど、さながらミステリードラマの真骨頂みたいで楽しくもあった。どちらかというと、ああなるほどな、というアハ体験をして。
*
遠い呼び声が、自分のひそかに隠れている感情を見つける瞬間。
*
「この施設は、ユウトさんのお詫びのしるしなんです。私たちの―――いえ、私の配慮が少し足りなかったことで、ユウトさんを浦島太郎にしてしまった。だから、ユウトさんが望むような素晴らしいものを、差し上げることで―――いえ、」
*
〔早送り〕してしまいたい展開というのがある。
〔巻戻し〕をしたいという展開と同じように。
―――そこは、サラが安全だと思っていた部屋、
何者も侵入してこれないと思っていた、心の部屋・・。
*
角刈りや坊主頭のホモ、激しい性的プレイがハードゲイ、
女性の肉体を追求するのがニューハーフ、女装を楽しむのが女装マニア。
*
サラは、何度も言葉を区切った。
僕を怒らせないようにという細心の注意を払おうととしているということもあったが、それ以上に、嘘をつくまいとする、サラの誠意。
微弱な電流が、肌の表面を無数に駆け巡ってくる。
分節線。
だって僕はそれを知っているから。
そういう感覚を―――知っているから・・・。
*
「私は本当のところ、ユウトさんに失礼だと思いながら、それもよかったんじゃないかと思う日もありました。だって、四〇年間かけて世界は終わりに向かっていく。世紀末です。大恐慌や大災害の比ではありません。たくさんの人が死んで宇宙へ出てゆくのが理想というような世界です。第二人類たちが、ユウトさんを人質に取ったのは、そういう価値観からも来ています」
*
それでようやく、第二人類の狙いというのがわかってきた。
僕が交渉道具でありうるとすれば、彼等ではどうしても出来ないことをするための布石だからだ。宇宙へと出るため、というシンプルな言葉ぐらい、凪ぎの前に渡る最後の風はない。
「だから―――ユウトさんだって、そんな世界は嫌かも知れない。いえ、」
*
もし漫画だったら一頁に三十コマ以上もあるような細かさ。
それを、繊細と思う人もいるだろうが、神経質通り越した、偏執―――。
*
―――でも、サラの気の済むようにさせてやろうと思えば思うほど、話が長引く。サラの蛞蝓のような緩慢な遅延行為。いわばヤンデレ気味のストレスフルな事態。これでもかという渋滞。脳味噌が一回腐ったあと、さらにまた腐って、また腐るような、渋滞
惑星の一つが崩壊と再生を繰り返していようが、
そのダイナミズムは孤独な惑星探査ロケットにしか知りえない。
*
でも、どうして学校の屋上であんなことを言ったのか、わかるような気がした。
僕が望まないなら、この施設など爆破してしまえばいい、と言った意味。
この施設には何か一つ欠けているのだ。
それを上手に言うのなら―――【未来】が・・・。
*
複雑な歯車、それでも無意識に求めている選択と許可。
複雑な歯車、それでも無意識に求めている選択と許可。
気息音のあとの破裂音―――。
*
「でも、どうして第二人類みたいな目の上のたんこぶを残したの?」
サラたちなら、彼等をつまみ出すことも出来たんじゃないか、と。パワードスーツしかり、超能力を使えなくさせる音波しかり―――動物たちが何度も殺されるような事態なんて、サラが望むわけがない。
「―――こわかったの」
と―――サラが静かな声で。
*
昆虫のような、鳥の帰巣本能のような、一番大事なものを見失っている。
昆虫のような、鳥の帰巣本能のような、一番大事なものを見失っている。
前頭葉に届いている光学的なサイン。
アーサー王、アトランティス、セイレーン、ムー大陸に黄金伝説・・。
でもそのどれもに、手の届かないような気持ちがある。
――口の中の味、血の味、鉄分、ヘモグロビンの味・・。
*
「私たちは、あなたを四〇年前の世界にも帰せることが出来る。タイム・パラドックスが起こることは別として、そういう意見もあったの。記憶を消去して、後の責任は取らないみたいな考え方をする人もいたの。私はそうじゃないと思いました。最低、ここにいるユウトさんがそれを決めるべきだと思ったんです。だから、ユウトさんが第二人類のことをどう思うか、―――つまり仮装のファーストコンタクト以後の世界を、考えさせる不穏分子を残すことで、ユウトさんの考えを知りたいと思ったの。そのために、たくさんの犠牲が出てしまったけど」
*
僕は古井戸をこわごわ覗くように、どう答えていいのかわからない。
そんなの、仮想現実という拡張型の世界で試運転すればいい。誰がどう考えたってそんなの馬鹿げている。どんな霊媒の霊界通信だ。どんな通知表だ。
僕一人にそこまでする必要なんか絶対にない。そんな価値なんか絶対に僕にはない、と断言できる。
モザイクのように見える人間の顔や―――表情、皺の動き・・・。
けれど、サラの思いつめたような考えを、馬鹿という一言で済ますことはできない。でも多分、僕はこういうべきだろうと思った。
*
ひっくり返された砂時計は―――。
石膏の赤ん坊。
*
「―――サラが僕を見つけてくれたんだろう?」
サラは肯いた。
誰かに何かを囁かれた、あの感覚を思い出す。
少しの装いもない、素直な感情の吐露―――。
「僕はサラに抱き上げられた感触を覚えているよ。
あの時、なんだか僕はすごく嬉しかったんだ。
正直、異次元の穴に入ったっていう話は全然覚えていないけど」
「知覚の限界を越えていますから。
ブラックホールに取り込まれるようなものです」
*
「でもサラ、論理的な根拠も、相互の結びつきもわからないけど、僕は、静かに輝きだしているのを感じる。難破しそうな船みたいな人生かもしれないけど、その人生なりに、自分で選ぶものなんだと思う」
僕はそう言った。
サラは自分の額を二三度撫でた。
重く湿った毛布は、キリコの絵の中の情景のように続く。
でも、と僕は言った。
*
「でも、サラは優しいから、色んなことを間違える。僕なんかにそんなことをしなくてもよかったんだ。四〇年前にクロネコヤマトすればよかったんだ」
*
そんなこと言わないで、とサラが言った。
そんな悲しいこと嘘でも言わないで下さい、とサラが言った。
*
「ユウトさんを見つけた瞬間に、私はこれは神の奇跡かと思う自分もいたの。何千年も生きている私が、何、世迷言を―――」
*
こんな言葉は一体何処から来るんだろう。
何千年も生きるってどういう感覚なんだろう。
―――回転する歯車が独立した動作をおこなっているというのに。
いつのまにか、
まったく別の歯車に変わっている。
何千年もかけて大陸が移動し、空に浮かぶ星座が変わる。
太陽の光は強くなり、温度も上がる。
そして、世界はアクロポリスの遺跡であるとは限らない・・。
*
「私たちがやって来たことで、地球は滅亡のシナリオへと向かった。たくさんの人を宇宙へと案内したけど、それと同時に心の中では、ああ、ここもやっぱり壊れてしまうんだなと思ったの」
*
普通の台詞に見えるけれど、そこには百倍ぐらいの疲労が滲んでいる。
ドアの隙間から覗く、異世界の景色・・。
*
「長生きの種族だから、そしてたくさんの知識を保有しているから、きれいごとや理想が好きなの。肉体を持たないから、自由な風船のような夢物語を見る。私たちは愚かを絵にかいたような呪われた生き物だと思うわ。今日、地球のような惑星が生まれても、やっぱり私たちではそれをどうすることもできないと知りながら、手助けをしようとするのよ」
*
愛っていうものが五感を通して入って来るのを感じる。
理解できないものが、火や水や風や木を探している。
神が、数多ある部品から新しいシステムを作り出そうとしている。
サラが、言葉の輪や、後悔や懺悔をやめて安らぎの蜜を手に入れる。
僕はサラに新しい巣を与えようとしている。
*
「それが優しさというものじゃないの」
*
「僕は、この施設が好きだよ。一日半ぐらいしか見てないけど―――サラにはその答えが、一日半でも、何となくわかったんじゃないの。それを、信じていいんじゃないのかなあ」
*
光の切れ端はメモリーに触れる。
まるで恐ろしいコンクリート・ミキサーの中へと吸い込まれ――る・・。
*
でも、サラの瞳に、やさしい灯かりが戻った。
でも、回りくどいよなあ、と思う。
こういうのを、四〇年分のまわりくどさ、と言うべきなのか。
これって打ち明けるじゃなくて、聞いて欲しいなんだ―――。
だからこそ、砂糖を頭の中へ運ばなくてはいけない。
その奥にもう一枚、彼女の本音が隠れている・・・。
*
「ユウトさんがそう言ってくれるなら、ここで、暮らしてください。
ここは、ユウトさんの王国なんです。あなたは大統領です。
たくさんの動物たちや、宇宙人たちを支えてあげてください」
「サラもいてくれるんだろ?」
「―――私は・・・・・・」
*
ある瞬間に、ふわりと軽いクリームのように思えてくる。
―――『地雷』
―――『禁句』
*
「私はユウトさんの傍にいてもいいのでしょうか―――。
私は何千年も、―――それこそ、歳を覚えていないぐらい、生きています」
*
でもそのクリームの味の向こうには、
不確かな記憶を辿り続けようとする精神―――。
壊れやすい上っ皮を撫でるような言い方。
―――感傷的な繰り言。不安。歯切れよくしゃべれない、弱さ。
道路工事用ドリルで穴を掘りたいらしい、彼女の臆病さ―――。
*
見えてくるものがあるから、統計学だってある。
見えてくるものがあるから、心理学だってある。
―――人の心だってカットされたショットを隈なく漁りながら、
ある瞬間の、それも最低千回、十時間ぐらい見て、
黄昏てくるような、サラという女性の教科書が刷り上がってくる。
ようやくはじめて、気付く―――欲求の鍵だって見透かせる・・・。
*
「でも、サラがいないと淋しいよ」
やっぱり、たらしこんでいるような気がしながら。
いや、その実、もしかしたら僕は知らず知らず、
サラの理想の筋書きを演じている。
「サラが、もし、僕の傍にいたいんだったら―――」
僕はすうっと、息を吸い込んでから、言った。
―――それが僕等の国の最初の聖書だ。
*
「―――ずっといていいんだよ、サラさえよければ」
*
彼女は何千年どころか何万年も、
これからもしかしたら何億年も生きるかも知れない呪いを―――。
受け容れようとする。
*
そこでなら何だって夢に見れる。
これまで味わったことも味わえなかったことも―――。
だから彼女が僕を頬ずりするとき。
だから彼女が僕を力いっぱい抱きしめようとするとき。
―――記憶の中の悲しみがほどけてゆくように思えてくる。
*
でも、終わりにしなくちゃ―――。
僕等はそんなことをしている場合じゃない。
僕等はこれからこの施設を守らなくちゃいけない。
そして大切な友達を助け出さなくちゃいけない。
*
でも、水の上に落ちた、ほんの僅かな波紋―――。
その一瞬の息を感じ取るんだ。
もう何も語らなくなるまで、その何かが息づいているのを。
その息づいている黄金の空気の中で、生命が躍動するのを。
それは、何かに見つめられているような眼なのかも知れない。
それは、何かに見つめられているような眼なのかも知れない。




