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暖簾をくぐって、ガラガラとスチール製の引き戸を開けると、普通にサラがいた。中華料理店だというのに何故か、白い洋帽子を被り、白い半袖タイプのコックコート、それから首元に緑のイージースカーフ、それから緑の前掛け。何事も形から入られるプロの演出がそこにあった。
中華料理店だけどね。
時速三八九キロで急降下する隼みたいに。
いわずもがな―――仕込みだった。
案の定というか、あれだけ動物たちがごった返している食事の時間帯なのに、僕とロボット以外、店にはいないという非日常感満載だ。大富豪がクラシックコンサートのチケットを買い占めて貸切りにする場面を何故か思い出す。
「オー、サラサンガ、何故コンナトコロニ・・・」
というような、ベタな猿芝居は、ロボットのやりすぎである。
しかし僕はちょっと笑った。
だが、笑うとロボットとサラは親指を立てた。
けれど、僕が中華料理は嫌だと言ったらどうしていたのだろう。
いや、ロボットとサラのことである。その時はまた別の店でやっぱり僕を出迎えるつもりだったのだろう。親指を立てた。
*
「你好!」と、サラが元気よく言った。
中華料理店仕様の挨拶だった。
カレー屋だったら、ナマステーに違いなかった。
なんだったら、なまはげのお面をかむりながら、言ったかも知れない。
「僕は中国語しゃべれないんですよ」
「私も喋れないわよ、どうして?」
シレッと言いやがる。
僕がもし、中国語で何か言ったところで、絶対ぬかりなく、マスターしているに違いない。サラの完璧主義の傾向は何となくもうわかっている。まあ、もちろん、本当かも知れないけれど。しかしまあ、そんなことを思うのは、外国人のルックスで日本語をペラペラしゃべるような違和感のせいかも知れない。
「ご注文はお決まりですか?」
それとも、と言った。
この、それとも、という強調のひきのばし、組み合わせはサラ独特の抑揚である。これは修得した技術ではない。彼女が持っている造形的直観のようなものかと思う―――あやふやでつかみどころがない、ミステリアスな女性の手口。
『ノッティングヒルの恋人』風に言えば、娼婦っていう差別表現だろう。
萌えも娼婦だ。集団幻想―――危険な童話、現実逃避の産物。
―――でも、娼婦が世界の虚無や、死刑執行を妨げることもある。
「ご注文は私ですか? 活け作りにされますか、お持ち帰りいたしますか?」
どういう料理店だ。
終夜営業のカフェでいきなり、おっパブが始まるような謎展開である。ちなみに、おっパブとは何か? それは語るのは難しい。それは、男性における一つの運命論的な独自の慣性の産物である。
片肘を立てて、無力なほど緩慢に見出されてゆく好意を見つけながら、
「それはいいよ―――」
と断ったあと、きらめくむなしさのレベルで、
「じゃあ、炒飯とラーメンにしようかな」と言った。
>おざなりのおべんちゃらをすればいい。
>世の中で一番醜悪な父親になってしまえばいい―――。
でも空っぽの世界のあまりのさみしさが、胸にしみてくるから。
サラは、やっぱり土曜日のボウリング場で汗を流すような追跡可能なルールを眼前にさらしながら、片目を閉じて、半熟卵の白身の面積を研究するみたいな、ウィンクをしてくる。嘲弄い。大人びた仕草―――何だか、十歳ぐらい年上の、調理師免許を持ったお姉さんに手料理を振舞われる的なシチュエーションを想像する。
「ちょっと待っててね」
と、背中を向けた時、ふと振り返ったワンショットの華麗。
僕はいまこの瞬間、カメラのシャッターを切りたくなる。
脳のエラー検出メカニズム。
美醜は実際、下らない人間の価値観だ。でもだからこそ、すべてさらけだしたいと考えるそういうすべてが美しいと感じられる。無言の絶望、化石のような無頓着があるからこそ、ビニール・ラップにくるむべき形而上的な意味があると思う。
「―――ちなみに、裸エプロンをするかどうか迷いました」
「そこは迷わないで」
やれやれ、と思う。
絶対、反応を楽しんでいる―――。
あの、ほくそ笑むような表情は一種の詳細な観察と柔軟な表現力あってのものだろう。彼女はもう、僕がどういうところを望んでいるかの瀬戸際を理解しているのだろう。どうして僕なんかにそんなことをする必要があるのかわからないところだけれど。ルービックキューブ・パノラマ、あなたはどうしてロミオなのと言っている、そうよ私はジュリエット。
*
パ ス し ま す か ?
パ ス し ま す か ?
*
ロボットはそのあいだ、お茶を淹れてきたりした。ロボットはまた、壁にあるコンセントに、自分の身体からプラグを取り出して差し込んだ。電気を補給する。
蜂蜜のマヌカハニー、ブロッコリースプラウト。
それは残量時間が少なくなっているからではなく、僕が食事中なので、ということのようだった。
ロボットは何気ない様子でこう言った。
「調理フロアニ、自動料理装置トイウノガアリマスガ、
ユウトサンニハ、サラガ作リマス」
「それはどんな店にでもあるものなの?」
「勿論デス、シカシ、手料理ホド有リ難イモノハアリマセン」
それには、全面同意である。
しかしラーメンのスープを一から作っていたとすれば、今日の朝、何をしていたかわかるのが恐ろしい。ちなみに僕は厨房が覗ける格好になっているカウンターに座っている。サラが丼にスープを入れている場面や、麺を切っているのが見えたりする。それから、炒飯を手際よく作っているのが見える。ジャージャーという音はそちらから聞こえてくる。
シュック、シュック、シュック―――という擬音は伝わりづらいが・・。
列車に石炭を入れるような気分。
まーいいじゃん、って言いたくなる。
それでいいじゃん、って言いたくなる。
厨房には何かの呪いのように大蒜がぶら下げてある。
―――意味不明。
*
困ったらイミナンテアリナシオンとでも言っておけば大丈夫。
困ったらイミナンテアリナシオンとでも言っておけば大丈夫。
*
ちなみに椅子は色んな動物が座るためだろうか、伸び縮みできるかなり特殊なスツール仕様になっている。重量負荷があってもいいようにするためだろう。あと、客スペースには、絵画的な図柄を描き、余白部分に題句を書き入れた皿が飾られてあったり、シンプルなプラスチックのコップがあった。セルフサービスということだろう。また、頭上にはラーメン屋らしいメニューが手書きで書かれてあったりする。でもそれらも、空虚な経文のように理解できる。全部、中華料理店らしさの産物なのだろう。
深刻な欠落、形式論的悪循環。
(階段のように一つ一つの窪みを再現するという試み―――)
(年齢、趣味や興味、嗜好一つ一つ丁寧に、遠隔操作する)
味気ないといえばそうかも知れないが。記憶回路を開くような見事な中華料理店らしさ、あるいは、化学調味料の味の何が悪いって言うんだろう。人間の精神もメモリー・バンクに貯蔵されている。万人に好む味、それは微妙でも入念でも秘儀でもないかも知れないが、いつでも同じ調理時間で、いつでも同じ味が好きな時に楽しめる。それが、贅沢というものだ。けれどそういう科学万能な流儀に染まりきれないものが、人間というものだという気もした。
*
いやーあのー僕は何も全然聞いていないから。
本当だよ、いやーあのー僕は何も全然聞いていないから。
というか、そいつ誰だ?
*
やがてサラがラーメンと炒飯を盆に載せて持ってきた。鼻先にトン、と置かれた炒飯は、きちんとお椀型になっていたし、何とも言えない香ばしい匂いがしていた。湯気も出ていた。食欲をそそるような美味しそうな匂い。僕は矢も楯もたまらず、なにか郵便受けの底を探るような気持ちで、チャイニーズレンゲスプーンで炒飯を口にする。サラは盆を胸にあてながら、その様子をジッと見ている。
―――很美味!
サラの調理技術の高さというのが、非常によくわかる一品になっている。炒め料理の目配せ。揃った米粒と卵の均等な混ざり具合、これはいかに水分を蒸発させるかという要諦、またご飯と卵を掛けあわせるかという基本が見られる。またこの匂いから見て、植物系ではなく、動物系の油。細かく刻まれたチャーシューと葱。中華用の鉄ベラで何回もすくい取ってひっくり返した焼き加減。醤油の味付け。またうまみ調理だろうと思うが、それが全体に拡がっている。
「美味しい?」
天国の徑のぼりゆける、と言ったら大袈裟だろうか。
新聞の切り抜きのような一点を見つめながら。
動かない、だから―――動、か、せ。
ゆっくり・・・ふ――――――っと・・。
僕は肯きながら、もそもそと食べ続ける。美味しいものを食べると、基本みんな黙る。大袈裟なリアクションは料理漫画の基本だけれど、あれって結局は他人にこんなに美味しいを強調しているにすぎない。
これはラーメン屋で毎回頼みたいという種類の炒飯だった。
「リクエストがあれば納豆キムチ炒飯なんかも作れるわよ」
「あれも美味しいですよね」
それから、ラーメンに浮気する。丼をかかえて、スープを一口飲む。こちらは濃口醤油タレを使用した醤油味のスープのようだ。いい味がしている。基本的に、とんこつや、塩、味噌そのどれもが美味しいラーメンは存在する。というか、この道も相当奥が深い。チェーン店の味だったり、あるいはインスタントラーメンの味だったり、あるいは、名店の味だったりのどれもが、ありなのだ。 日本人における『ラーメン』や『カレー』に接する時の感情というのは愛情と屈折とぎこちなさによって成立していると言ってもいい。たとえば、そこそこ美味しいラーメンを家族で食べた時の不思議な満たされ方みたいなのを僕は思う。美味しいラーメンがすべてじゃない。そこに、日本人の嗜好があり、様々なニーズがある。
>今日の君はリラックスしているせいで語るねえ。
>語る語る―――カタルシス・・・・・・。
ラーメンの具は葱とチャーシューとメンマ。そこに海苔が一枚載せられてある。王道だと思う。よりぬきの材料を使って優れた調理師が腕をふるったご馳走。
左線条体と前頭前皮質腹内側部のドーパミン活性化。
サファリパークライオンエリアを素っ裸で駆け抜けろ!
協奏曲・・。
番組が少し変わっているような気もしないではないが。
*
ス ル ワ ケ デ ー ス ! ! !
ス ル ワ ケ デ ー ス ! ! !
*
「もしよかったら、ラー油や、唐辛子や、ニンニクを使うといいわよ」
僕はあえてはそうしなかった。
もっちりとした細麺を食べながら、うん、これは本当に美味しいと思った。茹で加減もしっかりしているし、醤油の味に馴染んでいる。
「サラは、すぐにでもラーメン屋をはじめられるね」
僕がいま考えられる最大限の賛辞―――でも昨日のビーフカレーと言い、このラーメンや炒飯といい、合計として、料理が本当に上手だ。それはもしかしたら、農業をしているスライムと同じ類の情熱なのかも知れない。
百八次元の煩悩の狭間エキセントリックがシーハーするところ。
百八次元の煩悩の狭間エキセントリックがシーハーするところ。
「グッジョブ」と、ロボットが親指を立ててサラに言った。
「マジンガーZ」と、サラも応じた。親指を立てた。




