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【―――ヴァリス・医療・福祉スペース】
次の日、ロボットと一緒に、医療・福祉スペースへ赴いた。ちなみに黒い三連星は夜に落ち合う運びになっている。何をするか根掘り葉掘り聞かれないように、また疑惑が加速的に増大しないように彼等はシュワッチ言って去って行った。
ちなみにサラは学校よろしく、後で遅れてやって来るらしい。
ところで学校の校舎とは違い、病院の外観はかなり特徴があり円形建築物だ。『アメリカ合衆国の国会議事堂』とか、『原爆ドーム』が有名かも知れない。ちなみに、頭上から見るとドーナツに見える。ただ、『学校の校長先生の銅像』だったり、『屋上の給湯設備』だったりで予想していた展開ではあった。僕はマインクラフトというゲームを少し思い出す。
「ユウトサン、ココニハ、温泉モアルンデスヨ」
「―――温泉が!?」
もしかしたら、黒い三連星は僕と一緒に温泉で酒を飲むつもりなのかも知れない。農業施設にいたあのスライムが作っていた、胡瓜をふと思い出す。
まあそれはそれとして、サラだな、と思う。
今日は昼には『繁華街スペース』にも行く予定だから、もしかしたらそこでサラがやって来るのかも知れない。深夜の盗み聞きで、サラも仕事に奔走しているのかも知れないが。
ロボットはまず、救急車へと案内した。いわずもがなの傷病者輸送手段である。当時でも、救急車は有料化していなかった。アメリカやカナダだと、救急車を呼ぶとお金が発生してくる。さらに救急車の中で受ける応急処置にも料金が加算される。そこまでいくと、世知辛い世の中だなあと思うけれど。
軽傷なら有料化すべきではないかという見方に肯かせられるところがある。人間がたくさんいるのだからそれぞれ常識に違いがあるが、蚊に刺されたとか、日焼けしてヒリヒリするとかで救急車を呼ばれたらそれはそういう話だって出てくるだろう。救急車を呼ぶべきか否かのサインは三つある。
〇意識の障害
〇大量出血
〇食べ物を咽喉に詰まらせた
救急車の中には吸引器が見え、収納ボックスが見えた。加湿酸素流量計。ゴム手袋やペーパータオル。輸血セットや除細動器。近所の内科で何となく見ていたものもそこにあるのは驚いた。不意に高額医薬品のことを考え、国内初のアンチセンス核酸医薬として話題を呼んだバイオジェン・ジャパンの脊髄性筋萎縮症治療薬スピンラザを想像した。
(そこには、不思議な切実さが感じられる・・・・・・)
粘性や密度、有効作用などを黴とか緩歩動物のように想像するが、すぐに続かなくな―――る・・。
病院の中へと入っていく。いわずもがな、病院設備が整えられていた。しかし病院特有の強い消毒液の臭いはしなかった。クーラーの利いたロビーに診療待ちの患者の姿もない。
また、全面バリアフリーで、福祉スペースは老人ホームになっているらしい。しかし空気感染するウィルスとかだったらどうするのだろう。まあ、人間はいないのは承知しているのだが。
しかし、歩くのが恐ろしくなるほど清潔な廊下だ。靴音が響く。ロボットが内部の通路を宙空に浮かべた、透過型ディスプレイに簡単な見取図を見せてくる。
僕はボイラー室や、剖検室や使用済みリネン庫とか、およそどんな病院にも載っていない霊安室とかを探すが―――ロボットが見せてきたのは、円形という珍しいイメージを紹介し、目的地をあらかじめ僕に教えておくためだ。しかし何か変だな、と思った。何が変だなと考えながら歩いていたら、病院特有の貼り紙みたいなものがまったく存在しなかったからだ。
いやそれは―――学校でもそうだった・・・。
>でもロボットが言うには、医療は大きく変わったと言う。
>そもそも、病院へ来るのは大怪我をした人だけだ、と。
誰もいない受付ロビーに照明がともり続けていたりするのは明らかに変だと思ったけれど、医療コンピューターというのが病症録を作ったりするためらしい。
―――その昔、・・・・・・ああそれも大都市を高台から俯瞰すと、きれいな夜景が見えたということを思い出す。『夜景スポット』というのがあり、その中には『工場夜景』も含まれていたと。
それがまるで、夢。まるで、まわり燈籠―――。
僕は今更ながら・・・・・・。
*
―――マトモってどういうことだったのかなあ、と思う。
*
砂の城を作る場所は波で壊されないように近すぎない場所と相場は決まっている。そうでなければ指の先で砂浜に意味のない模様を描くのに等しい。そもそも、いい砂の城を作るためには、水を含ませることがポイントなんだ。砂に接着剤や糊があるわけではない、適度に湿らせなければ作れるものも作れない。足場も重要だ、そこにバケツの水を何度もかけ、足で踏みつけ基礎を作る必要性がある。砂の城は、何もないところにどうズームを合わせるかということだ。
*
病院といえばという問い掛けがあり、それはつまり緊急度、暗黙の衝動に駆られてしまう場所こそが観光すべき場所という定義をロボットは話した。それはたとえば、警察署や、消防署を覗いてみたくなる心理なのかも知れない。またそういう心理が、幽霊を住まわせていたのではないかとも僕は思った。
やけに生々しすぎるATMコーナーが見えた。ちなみにATMは本当に使われていて、いわゆる毎月お金が振り込まれる形式だが、お金はあくまでも子供銀行の延長線上らしい。お金というのは所詮紙切れやメダルにすぎないという施設上の通念だが、施設の何か所かにあるスーパーマーケットを兼ねたようなコンビニで買い物をするのが割と基本らしい。ともあれ自動販売機コーナーを通過し、一階のコンビニスペースを通過する。ドアの付近に車椅子が置かれ、ショッピングカートが置かれているあたりが病院のコンビニだ。そこに、カンガルーがポテトチップスを買い求めようとしていたり、虎がおにぎりを買おうとしているのが見えた。不思議な光景だったが、じきに慣れるかも知れない。
綺麗に形を揃えた爪や歯のようにはいかない。
人は変わってゆくし、景色は変わってゆく。自己陶酔的な響きと詠嘆と抑揚のないつぶやき。そして、そういうさみしさは、いつのまにか心に沁みてくる。皮膚感覚や神経細胞のその奥にある死という絶望の迷路。憂鬱な膠着物。僕はタージ・マハルで使われている植物文様を想像する。それから中国甘粛省で巨大砂嵐が発生し、高さ百メートルの砂の壁が街を飲み込んだ映像を思い出す。ラスコーリニコフの斧――― 経験と知識とが調和して、その上に築かれた美しい空想の世界、それは多分SFとか、ウロボロスの迷宮に入りこんだような幻想なのだろう・・・。
ロボットが言うには、ここには床屋(美容院とも言うが、)もあると言う。定期的なトリミングをする動物たちもいると言う。ロボットは冗談のように、ベッドモ、ラブホテルノ回転スルノガアリマスヨ、と言った。
*
―――第二人類が、また殺害をしたそうよ。
*
僕は不意にそのことを思い出す。
召喚し、告発し、判決をくだしたくなる。
でもそこに痛みがない。
それはニュース記事と一緒だ。
聴診器やピンセットや血圧計を想像する。
人間って死んだあとに口から虫が出てくるって話があるよな。
ぼんやりと想像する。
どうしてか理科室の昆虫標本を想像する。
動物の檻のように並んだ病室。
でも何処にも暗い洞窟のような気配はない。
ロボットは何も喋らず、案内してくれている。
各病棟への矢印や看板。
咽喉を締め付けられる・・・・・・。
胃の寄生虫、『アニサキス』のことを考える・・。
―――魚介類の調理や加工中、身や内臓の中から二、三センチほどの白く半透明の寄生虫がいるという話。
死んだら蛆がわくという自然発生説も、腐肉の入ったビンに布で蓋をすればハエが卵を産めず、そのためウジが発生することはないことを示した実験がなければみんな信じていた。
白鳥の首フラスコ実験・・・・・・。
僕はゴム手袋を想像している。
ベッドサイドのモニターが異変を知らせる警報音を想像する。
でも音は鳴らない。
音が聞こえない。
音が聞こえないだけで、白黒映画みたいになる。
恍惚とした、失神の底。
モーメントが―――。
停止する。
鉗子やメスを想像する。
古代エジプト人はエンバーミングの際、
ガラス状の火成岩である黒曜石を鋭利に加工した。
ロボットは黙っている―――、黙っている―――。
*
僕とロボットは消毒後、誇張したけだるさのような集中治療室へと入った。その中には部屋の面積を覆う巨大なマシーンだけがあった。
―――【医療ポッド】である。
*
顔めがけて、途方もなく高いところから秩序正しく落ちてくる世界の常識。僕は集中治療室の反響を試すように響いてくる部屋の空気を味わう。
一歩一歩心に何のわだかまりもなく死へと近づいてゆく―――。
ロボットが言うには、僕が眠っている間に医療技術は進歩して、『再生治療』もしくは『復元治療』というのが主流になったのだと言う。科学万能の神話の行き着く先の一つかも知れない。医療事故が起きないマシーンの開発というのは。
クローン作製、臓器培養、多能性幹細胞(ES細胞、iPS細胞)の利用、自己組織誘導の研究―――。
具体的にどういうものかと質問すると、全身をスキャンし、僅かその数秒後、多様な復元を約一分ほどで修復するように働きかけると言う。その際たとえば銃弾、砂粒があれば除去してくれるらしい。ただ、あまりにも煩雑な場合は一旦修復してから違う機会で取り除くという場合もあるらしい。具体的には、硝子の破片が無数に突き刺さっているとかいう場合とか、釘を何百本呑み込むとかいう場合らしい。
>かなり特殊な事例なので十分後には誰でも全快しているというわけだ。
>医療ポッドが医者一億人よりも優秀であるというのはすぐにわかった。
でもそれは肉体に負担をかけることではないかとふと思って聞くと、枝ヲ剪定シタリスルノハ何故デスカ、果物ヲ甘クスルタメニ肥料ヲ与エスギナイヨウニシタリスルノハ何故デスカ、とロボットが言った。
人間の治癒能力を活性化させ、あらゆる欠損箇所を修復するというのは、コペルニクス的転回だったけれど、西洋式の医療技術も限界に来ていたからだと言う。僕は肯いた。
ただ、腕が千切れてなくなっても、その腕を復元するという信じられない話を聞かされると信じがたいなと思う。もう魔法だった。たとえば一秒の中に一億年があると想像する。変じゃない、一秒の中には一兆光年分の距離だってあるかも知れない。魔法は、いつも僕等に奇妙な後味を残していく。無限に続いてゆくようなぼんやりとした感覚のなかで蛇や蜥蜴のことを考える。アメーバのことを考える。たえず形を変えて、仮足とよばれる原形質の突起を伸ばして運動・捕食する〇・〇二ミリの生き物。僕はそこに、人類が辿りついた文明のすべてが隠れていたような気がしている。その身体の中にエネルギーというものがある。それがゲルニカを作らせ、原子爆弾を作らせ、それが都市を作らせた。差別や、迫害を作らせた。でも、僕は空っぽだ。何一つ考えず、ただ、わけのわからない力によって引きずられて何処かへと向かう。僕はそこに傲岸なまでの存在感を放つ神の片鱗を見たような気がした。でも、言葉を失ってしまった人のように、白と黒がそこにあった。白と黒の世界はやがて意識の表面へと拡がってゆく。濡れた服が衣服に張り付いてくるような感触を味わう。余分なもの、余剰なもの。僕はそういう生命の呪詛のようなものを感じた。エネルギーはそして、何処へと向かっているのだろう。そして僕等を何処へと、運ぶのだろう―――。
*
耳元でロールプレイングゲームのレベルアップ音がする―――。
*
いろいろ聞いたんだけど、付き合って半年ぐらいになるらしいよ。同棲してるらしい。最初は医者と看護婦によるコンパだって。でも、年収八〇〇万以上で、両親はお金持ちのボンボンらしいし、見た目はちょっと狸だけど、付き合ってもいいかなと思うわよね。まあ子供作るんなら、多少容姿劣ってる方が、精子濃いらしいから、すぐ子供できるよね。でも頭いいらしいよ。東京大学、京都大学、慶応大学の三大のうちの東大卒のエリートだし。子種も優秀。まあ、年間の学費は三百五十万ぐらいだから経済的だから両親に借りも少ないし、頭悪いと数千万の世界よ、医大って。
*
少し頭がインベーダーの侵略をされかかっている―――。
僕の知っている常識では、人工透析は患者負担が一万円で、保険から支払われる医療費は年間五〇〇万円。それは美味しいな、と思う。涎れものだよ、と。国民病といわれる癌も、入院をすると赤字になる、儲けられない、だから、外来で抗がん剤治療や検査を行ってその度に医療費を請求するのが儲ける方法なのだ。だのに医療の進歩は病気をなくし、医者をなくしてしまう・・・。
自己負担医療費+差額ベッド代+食事代+その他雑貨。入院服(検査衣ともいうが、)であるパジャマや洗面用品、スリッパ、TV代、食器、などの費用までかかる。日本人の大好きな保険がなければ成立しない。そういう妄想は渦をまき輪をえがきつつ無限の高さまでたちのぼってゆく。
世の中お金なんだなというのは至る所で気付かされる。お金は川底からのぼる沼気のあぶくのようなものだ。
―――いっそ、触れるものを黄金にしてしまうミダースという王様になりたい。へのへのへもじ達が色んな顔をしていた。彼等は東洋人か、モンゴル人みたいに見えた。ナースステーションでノート型のパソコンを使って事務作業をしている看護婦。チクッとするよと言いながら予防注射をする医者。
(それにしても、と、大きな機械を改めて見る)
(巨大な鉛筆削りを想像している自分がいた―――)
だが、僕はその話を疑ったわけではないが、どうしてそんな治療技術を持ちながら、病院のベッドや、診療設備が必要なのだろう。シンプルな話、機械さえあればよいではないか。
そこに僕は違和感を覚えた。
けれども、そこに施設で農業をしているスライムの顔がよぎった。みんなそれぞれ、そこで楽しいことをしているのかも知れない。『病む』ということだって、身体的、精神的、社会的生活のどこかが不健康であるというサインで、『治療する』―――『入院して退院する』というプロセスには、新しい人生や、新しい価値観、新しい自分を手に入れるということでもある。働かなくてもお金がもらえる社会もとい人工知能が労働をしてくれる社会。適切な医療行為って何なんだろうな、と僕は思った。たとえば膝をすりむいてそこを水で洗ってから消毒して絆創膏を貼りつけるような単純なものではないだろう。一体何が正常で異常なんだろう。でもそういう技術の中に何十億もの細胞を浮遊する不定形の群体生物を想起させた。それは暗く澎湃としていた。




