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夜中に眼を醒ましたのは、もっぱらビールのせいだったのかも知れない。トイレに行きたいと思って立ち上がろうとした瞬間、ロボットとサラが屋上の落下防止の手摺で何かひそひそと喋っているのに気付いた。声が反響するので、―――盗み聞きはよくないとは思いつつ、つい耳を澄ませてしまう。空虚な瞳に時刻証明だ。
しかし、テントの中で寝転がったままなのではたして盗み聞きといえるのだろうか。いや、これは正当化だろう。誤用である確信犯、誤用と知りながら故意と使う確信犯。
でも世界に二重市民権は与えられない。そうだろう?
『偶然聞こえてきた』のは本当だとしても―――『耳を塞ぐ』とかいうマナーもあるのだから。でもそこに、人の秘密を知りたいという情報化社会の暗部のようなものはなかった。矮小化は避けられないが、いわば無線機の回線を開けっ放しにさせて喋っているのを聞いているみたいなものだ。こういうのって映画みたいだなという心理もあったのかも知れない。
僕は施設一日目を終えたばかりだったわけだし。
ともあれ、少し姿勢を横向きにする。そして出来上がる。
どんな気分だい?
奇跡的なストライクゾーンにあるナチュラルな盗み聞き。
>心を読み取る能力が欲しいって真面目な顔して言ってた奴がいたな。
>カンニングしたいからと言ったので笑ったけど。
ところで、会話は口のきき方一つで方向は決まる。
頭の中でオーケストラがつくる全体のサウンドの中に様々な楽器があるようなものだと僕は思う。僕は画家のようにその楽器の音色を色や質感を付け加える鉛筆スケッチしようとしていた。またテレビ・カメラの微妙な向こう側を想像するように、活字化されたインタビューのように字幕付きで想像してみた。それは多分、傍らに動物たちがいて、それが僕にグリム童話のようなダークなファンタジーの回路を刺激していたからだろう。王様の心臓が機械だとか、天使と悪魔の頭上に傀儡の糸があるとか、そういうダークアートを僕は想像する。
「―――第二人類が、また殺害をしたそうよ」
そういう報告が入ってきたのだろう。サラはそう言った。
「蛇デスカラネ―――」
ロボットがさしあたりそういうものだという風に、理解を示す。
だが、それを、どう読み取っていいのかは第三者の僕にはわからない。
*
それは『第二人類が蛇の性質を持っている』という意味なのか。
それとも、『第二人類とはそもそも蛇である』という意味なのか。
*
僕の前向きさとか、人を信じたいという意識も価値観も通用しない、邪悪さみたいなものがあの地下室にはあった。
毒―――あるいは水銀の滴り・・・・・・。
僕は必死に言葉を探した。自分を言い繕うとしたのかも知れない、否定はしない。世界中には有名な拷問や、様々な殺し方がある。とてもゆっくりとした諦念のようなものが僕の意識に追いかけてくるのを感じた。しかし言葉は見つからない。ニュースが、生命の消失を軽視する。答えはすべて解決されていない。僕やサラやロボットが死ぬ。そういうことの中に特異点、肉体が魂になるという形態の変化の問題だけでは解釈できないような曲がり角を感じる。永遠は一瞬の中の建築、ハリウッド俳優の顔をポップアート風にプリントされたドレス。ゲルマン民族の大移動。僕は声を、言葉を呑み込んだ。埋葬される。罠に落ちたと感じる。僕は暗闇の奥を見つめる。見つめざるをえない暗闇の中には夏の匂いや、蝉の声が聞こえる。慈悲深い定規のようになりたい、どんな記憶でも消せる消しゴムになりたい。
*
第二人類が―――つまり超能力を持った彼等が誰かを殺したということ。
また、と言っていた。確かに、そう言っていた。
おそらく。
これまで何度もあるのだろう。
人間はいないのだから動物たちが殺されたのだろう。
殺された。
でも人間並みの知性を持った動物である。
つまり、たぬきであり、あらいぐまであり、レッサーパンダのことだ。
『猫が轢かれていて可哀想だ』ということとは意味が違う。
『犬が殺されていて可哀想だ』ということとも意味が違う。
見たり、聞いたり、感じたりして、実体を与えられる―――。
本当の言葉は、大抵、解き放ってやらなければ気が狂うという類のものだ。
そこには衝撃性や意外性というのがあり、復讐心や心の傷や暴力や抑圧がある。
そこに、息があり、心臓の鼓動がある。
〔恐い〕ということ―――。
〔自分の知っている誰かが殺される〕というのが―――。
*
「ユウトサン、ヘノ挑発デスカネ」
僕の、と思う。
「けれど―――わからないことよ」
この―――〝けれど〟には・・・。
思い込み―――先入観といった、へだたりを、区別する役割を担っている。ひとりの施設側の管理者の立場でもなく、こういう時に妥当な決断を下すという常識的な連想でもなく、またサラ個人の意見にも染まらない。苦しみや怒りや許すことのあいだの緊張感を表現している。ピンと張った布のような広大なコンピューターグラフィックス。作られた世界と思う。
みんな心の中に機械仕掛けに見せかけた情念の敏捷な動物を抱え込んでいる。アニメーションデータの圧縮。幾何学模様の可視化。そして無数のキーワードを打ち込んで手に入れる。知る。
しかし、どうして誘拐失敗のあとに殺害をするのが挑発になるのだろう。
つまり、こういうことか。卑劣な手法。
―――僕が動物たちの死を悼むのを知って。
―――自分たちはいつでも別のことができるんだというポーズ。
まどるっこしい、という気もした。
脳内のギアがシフトアップする。
伝ーわーらーなーい、と意味がない。
意ー味ーがー理ー解ーでーきーなーい、と情報にはならない。
つまりこういうことか。
僕が施設側から離れて第二人類側に戻ってこいという意味か。
それとも、こちらの要求が通らないなら僕を殺すという意味か。
たとえばサラはそういう声明文を受け取っているのか。
敏速な通知をするタイミングサイドチャンネル。
悪口雑言の辞典のカタログ―――悪魔の辞典・・。
けれど、それが本当なら僕は第二人類たちを憎まなければいけないことになる。
*
(っ?!なんだ・・・・・・悪寒が―――)
「ハ、ハヒッ!!!」
背後から迫りくる―――。
ファンシーな生き物たちの寝相。
暮らしが染みついてしまったドアから半身を乗り出し、
シュールレアリスムの蝶を捕まえよう。
*
その時、たぬきとあらいぐまとレッサーパンダが、頭の上にのっかかってきた。折り返し問い合わせの必要あり。予約を取り消す旨の申し送り―――寝ぼけている。でも反面、現実感覚が戻ってくる。熱くなったあたまがさかりのついた犬のように思えてくる。
タイミングが良すぎる。でも蜘蛛の巣に救急車のサイレンは来た。そういうことである。たぬきは何故か髪の毛をべろんべろん舐めてきて。ああ、何故か僕は柴犬を思い出したよ。寝ぼけた柴犬は、髪の毛を舐めてくるものだ。本当かよ。本当なんです。根拠はないと思っているでしょ、でも、本当なんです。あらいぐまはやたらと口の中に前脚を入れてこようとしてくる。それはどういうプレイ内容なんだろう、アナル専門店とか、SM専門店みたいなものを村上龍的に想像する。あなた村上龍嫌いでしょ。そんなことないよ。フォーク・ミュージックからロックンロールへの移行。どういうことだよ。ないない。レッサーパンダにいたっては、立ち上がって「ふぁあぁぁ・・・おいらはよく寝たぜ!!」とか、言ったりしているが、完璧に寝ていた。というか、一人称おいらだったのね。
可愛いから、僕という一人称かとずっと思ってたよ。場合によっちゃそういうのがないのが動物スタイルなのかと思ってたのだけれど、ジュラシックパーク観た?
しかし、えらい遠くまで、お花摘みに行ってるんだなあ。それぐらいぐっすり眠れるのって才能だよ。人間って不眠するようにできているという話があるよね。いや、あるんです。知らない。まあ、知らないのは馬鹿でも無知でもないよ。
ワイヤーロープとトランポリンによる華やかな空中サーカス。
いま、知った。そういうことだよね。人間って二十四時間のサイクルじゃないから不眠症に陥るんだ。全然関係ないけど、精神科へ行く理由の大半って睡眠が大きく関連している気がする。きちんと寝ていたら精神科なんて行かないものね。だから科学だって、人が嫌なことや、困ることをどうすれば解決できるかに注がれる傾向があるのだ。というか、そうでなければただの変人だけどね。眠ること、ぐっすりやること。グウスカやること。人生の三分の一にあたるこの優雅な時間の研究に費やされたのだ。
―――しかし、そんなことを考えている場合ではない。
*
「ぐぁぁぁ!!!」
(口に前脚が―――スペアリブ・・・)
「がはっ?!」
(たぬきに奪われるファーストキス―――切ない記憶の始まり・・・)
*
大きな声をあげたが、サラの笑い声が聞こえただけだった。
レコードの針のようにこの午後聴いた旋律が流れ出す。
「みんなには感謝しています」とサラが唐突に言った。
(感謝してる、か・・・・・・)
しん、と静まり返っていた。
別に怪しまれてはいないようだ。
「ユウトサン、楽シソウデシタネ―――」
ロボットが言った。
不思議なもので、感情があると思い込むと抑揚が発生してくるように感じられてくる。またあの喋り方も、なくてはならない個性に思えるから不思議だ。
アンリ・マティスの『青い裸体』を僕は想像する。
「―――デモ、本当ニ教エナクテイイノデスカ、
ユウトサン、怒ルンジャアリマセンカ」
「―――でも施設の存続にユウトさんは必要不可欠、まずは案内が先です」
(施設の案内が終わったら、
サラは本当のことを話すと暗示している―――)
僕は寝ぼけたたぬきとあらいぐまとレッサーパンダを起こさないように、わきへよける。その時、サラが言った。
もう少しそのままで、サラとロボットの会話を聞いていたいと思った。
本当の気持ちだ。
それはたとえば、途中で打ち切られた連載漫画みたいなものだった。
でも素早い転換、焦点ボケのクローズアップで、時は凍りつく。
「―――でもユウトさんにその気がなければ、
施設はすべて爆破して灰になる方がいい」
確かにサラはそう言った。
まるで疫病のように屋上は―――あるいは施設全体はそういう破壊的なイメージに占領された。でも時間が来るまではその領域へと足を踏み入れることができない。知らないで済んでしまうのならそれでよかったのに、確かに、いま、眼の前を何かが通り過ぎたのだ。虚の回想。
――はっきり見えない燐寸を擦った。火花が散った。
心拍数百四十駆け上がるようなその感じ・・。
(ナガシメでミテイタヨウなカメラワーク・・・。)
でもその第一歩を始める。
僕は世界の流れから取り残されることに気付いた。そして僕はもうそれを閉め出すことはできなかった。それからすぐにサラとロボットは何処かへと行った、僕はトイレへ行った。トイレへ行って戻って来ると、黒い三連星たちは起きていて「心配した」「どうした、お腹減った?」「やっぱり夜這い?」と言った。僕はあやふやに笑って、「トイレだよ」と言ってもう一度寝た。みんな、丸くなって眠った。生き物の体温はやさしくて安心するのかすぐに眠れた。




