12
日没とか夕暮れとかいう景色の推移があるわけではないが、地球の時刻における、夕方五時、グラウンドでサラがカレーを作るという。ピンク色の前掛けをして。ちなみにカレーはインドのスパイスで煮込んだ料理をそう呼称したところから始まっており、日本人がカレーを食べるようになったのは軍隊食がルーツである。それは長崎の文化のようなものとして理解できる。そしてクローバーみたいに、三つ葉や四つ葉ではなく、五六枚もある食文化の拡がり。
学校とカレーという盲目的信仰には給食制度があり、林間学習などの、ルルドの奇跡とか、忘却の河の水として振り返るべきだろう。
母親がカレーを作っている背中と金曜日の秘密。一九六八年に発売した世界初の市販用レトルトカレー である「ボンカレー」はまったく関係ない。
地下鉄の始発の出る時間だ。
「カレーはやっぱり肉だと思う?」とサラが言う。
でもそれは多分、イギリス人に聞くのが筋というものだろう。
しかし食文化のすごいところは現地に行かずして料理で何かをイメージさせてしまうところにある。もちろん、僕はインドにもイギリスにも行ったことがない。
そういう告解室の時間はこう締めくくられる。
「激辛でなければ何でもいいよ」
―――意外に根強い奇襲や待ち伏せの恐怖。トロイの木馬。
―――ドラゴンズ・ブレス。
そして、ロボットはキャンプファイヤーの準備をする。何をするつもりなのかハンドマイクを用意したり、ジュースの準備をしていた。海の家や、学園祭のノリなのかも知れない。なお、キャンプファイヤーも奥が深く、『星形の火』『狩人の火』『ネスムックの火』『蜘蛛の巣の火』というのがあり、基本的に三種類のキャンプファイヤーがあると考えられる。
一つは、身体をあたためるためのもの。
一つは、料理をしたりするもの。
一つは、実用を離れた趣味のもの。
ロボットに、フォークダンスはお好きですか、と変なことを言われた。
エチェル村の結婚式でもするつもりなのだろうか、いやいや、アメリカ流の熱意と献身が必要だ。
ポピュラーな楽曲は『マイム・マイム』『オクラホマミキサー』『ジェンカ』
しかしどうして、サラの顔がよぎるのだろう。やらしお、と、誰かが言った。なお、キャンプファイヤー時には、施設の天井に星空投影機でプラネタリウムするらしい。疑似神経細胞―――大気循環機構・・・。
何故だか僕は八月の朝のラジオ体操のことを思い出してしまう。
そして必ず誰かが太極拳をし、蝉取りをするのだ。
そしてぼんやりと惑星地球化計画について考えた。その時入れ違いに、プラネタリウムのナレーションのためのハンドマイクなのかなあとも考えた。
贋物の星空が展示されあたかも世界を修復したかのような光景―――。
その時になって、もしかしたら、あの第二人類とかいう五人組たちも仕込みだったのではないかという気もしてきた。
「夜になったら、校舎に肝試しに行こうね」とサラが言った。
*
その間、することもないので、学校部から少し離れたところにある農家を見に行った。農家の作物や、花を見るのが目的だった。やはりこういうのは汚れてもいい服装で行くべきなので、上下ジャージのままで言った。まあ元々ジーンズにTシャツみたいな格好で通路にいたわけなのだけれど。
そういえば、何故かその人物が育てると植物なら何でもとてもよく育つ―――いわゆる『みどりの指』を生まれつきに持つ人が稀にいるらしいけど、僕はなるほどなあ、と思った。ロボットを介して、これから見学に行きますといった農家らしい田圃からビニールハウスのなかへお邪魔すると、RPG系で見かける緑色のスライムがいた。そしてそれが、幾通りもの優美な野菜のかたちのなかを人畜無害に飛び回っていた。
行けばわかるとサラは笑いながら言っていたけれど、どうもそのスライムがこの施設で手に入る分の野菜だったり、米だったり、綺麗な花だったりを作っているようだった。別に詮索するつもりもないのだが、こういう時、「精魂こめて育てています」みたいな野良姿、麦藁帽のおじさんなんかが出てきて言うものだ。コマーシャルの不思議―――三分クッキングの秘密、あらかじめて用意しておいた下ごしらえが冷蔵庫の中から出てくる。
>農薬を使わないで昆虫を駆除する方法。
>それでいて、欲しい時にすぐ収穫ができる未来の科学の魔法。
どうやって手入れとかしているんだろう、と思ったら、そのスライムが突如、僕に姿形を変えて、「こうやってだよ」と教えてくれた。というか、ヒト化できるんだったら教えてからしてほしかった。眼の緊張は胃の神経によくない、というのは驚かされた誤魔化しだったが。
それからスライムに戻って、「ヒトに見てもらえると嬉しいね、ずっと人間的知識のもと作ってたから」と言った。改めて、宇宙人って一体何を食べて生きていたのだろうかと思った。かすみを食べているのは、仙人だけど。
そういえば、農業を一番重要視していたのは、始皇帝だという話を何処かで聞いたけど、あれは本当なのだろうか。
でも精魂こめて育てているというヤラセ臭いCM、いわゆるポーズ的時間はなかったけれど、―――スライムが愛情をこめて育てているのは、その発言ですぐにわかった。自分の仕事に誇りを持っているのは、素晴らしいことだ。そういうのが創造的な仕事のサインなのかもしれない。
幸せなことだな、と思った。
「宇宙からここにやって来て、農業するのが夢だったんだ」
しかし前後の状況を考慮すると、あの飛び跳ねている姿が不意に印象にのぼってきた。それは許可証とか、身分証明書さながらの風船だった。
そういえば田圃の前に、鍬が置かれてあったことをふと思い出した。
またそれは外国人相撲力士の話を聞いているようにも思えた。その時にぽつらぽつらと、『焼き畑したいよね』だとか、『棚田したいよね』とかマニアックなことを言ったりした。
もっぱら焼き畑は森林消失、煙害などで禁止されていたし、棚田はもしかしたらスライムが勘違いしているだけで、段々畑のことかもしれないが―――あれは山や丘の斜面を切り開いて作ったもので、わざわざそれをしたがる理由があるとはどうにも思えなかったが。
それはむしろ、危険な情念の暗渠ともいえるのかもしれなかった。
しかしそうは言いつつ、日本の風物ではあるし、大山千枚田だとか、姨捨の棚田とかには確かに心惹かれるものがある。
そしてそれは今現在、失われ、もう取り戻すことができない。そういう感じが入り組んだ水路をぐるぐるとあてもなく漂った。何だかキリコの絵みたいだなとも思った。未知なるへりへ身を乗り出すと、睥睨したくなるものだ。
しかし、印刷インクから文字になるだけの過程にさえロマンというのは存在する。野放図な素直な心、という風に僕は解釈した。盲滅法の情熱とも言えるかも知れなかったが、世界が一幅の静止した絵になる緑の甃に数十の引き出しは必要ないのだろう。
―――彼はこの星の農業というものに興味を持っているのだ。
「遠くの星から来たんですか?」
「まだ近いよ、百兆光年ほどだけどね」
無辺際な、雑多な漂流物にみちた、気まぐれなで暴力的な、奇跡の、宇宙。百兆光年の光なんてさしのべられた白い無力な手にしか思えなかったけど、それがいま、『精緻とした田圃』だったり『管理されたビニールハウス』だったりになっていることを思うと、その奇妙な様式の混淆はともかく、僕等の文化とか、世界の在り方は本当に遠くの時代や遠くの場所まで伝わっていたんだなあ、と感慨深くなった。名前の残る歴史ばかりではないとは思いながら―――。
「そういえば、宇宙の大きさって判明したんですか? あれは膨張しているんですか、それとも縮小しているんですか?」
「それはね―――機密事項だよ」
もしかしたら、秘密にしておいた方がいいということなのかも知れなかった。
―――例外の方が多い規則。
*
でも人類は確かに宇宙へと出掛けたんだ。
上昇する地平線。
彷徨する巷から離れて。
けったいな宇宙服を着て。
スペースシャトルとかいうものを作って。
―――祇園精舎の鐘の音、そして世界は灰色の冬を迎えた。
*
制御の観点から見た正しいシステム動作を各交点に記入するみたいに。
滅亡を記す日記の中には、きっと、
「何も記すことがない」という文字が舞踊る―――。
―――世界は終わったんだ。
*
グラウンドに戻ると、薪木を作ることになった。また、ロボットはどういうつもりなのかはわからないけど、帝政様式の椅子を持ってきた。学校の机と椅子でよかったんじゃないかという気はしたが、いやもうなんだったら、ビニールシート敷いて座って食べればいいんじゃないかと思ったが、―――そういうものが、用意されていた。
それと同じように、何処から持ってきたのかわからない、伐採された木々がシュールレアリスムにグラウンドに置かれていた。脚注があればすべて解明してくれるというような光景だった。
僕はひとしきり、ダリの置き換えである『靴帽子』だったり、ダリの描いた大ロブスターが付いた『ロブスター・ドレス』だったり、胴体や胸部に引き出しがある『引き出しの付いたミロのヴィーナス』を想像した―――ダブルイメージ、偏執狂的批判的方法・・・。
それからサラにお願いされて、木を斧で割った。やれと言われてやらないわけにはいかない。こういう時、一番適当なのは、働かざるもの食うべからず、だったりする。門番小屋の裏庭で使用され、広刃剣よりも重そうな武器にもなりうる重い斧を「てりゃあーっ」とか「うりゃあーっ」と持ち上げ振り下ろしながら割る。気分は、剣道であり、掛け声はアニメ式バトルモードだったりするから変なものだ。
―――レディ・ジェーン・グレイの処刑と言っても誰もわからないが。
そしてサラが超原始的な火のつけ方である、キリモミ式火おこしをする。傍らには新聞紙があった。
『ガスコンロ』とか、『着火マン』などの類は一切禁止らしい。ちなみにサラは随分慣れていて、もうサバイバル環境でも生きていけるようなたくましさのもと、五分で火を用意した。薪のいぶりのなか、石で囲んだ飯盒場で、薪を丁寧に放り込みながら火力調節しながら飯盒する。
でもそこまでやるなら、竈作ればいいんじゃないかという気もふっとした。
というか、キャンプファイヤーの火を使えばいいんじゃないかとも思った。
しかし気分というのは、時としておそろしく無駄な贅沢でありうる。
(飯盒の底の部分だけに火があたっていたのではうまく炊けない)
(飯盒全体を炎が包むように火力を調節する―――)
そしてカレーの時分になると、サラやロボットにお呼ばれされたらしい、服を着た、たぬきとあらいぐまとレッサーパンダがやって来た。たぬきはパンダのTシャツに、緑の半ズボンのようなものをつけ、スポーツキャップを後ろかぶりにしていた。そして何かのアクセントのようにリストバンドをしていた。nikeならぬairと書かれたリストバンドである。あらいぐまは、あめりか、と書きなぐったような筆記体のTシャツを着て、フォーマルスーツのようなものを羽織り、そして正直それどうなのかという白いズボンのようなものを穿いていた。挑戦的だった。
そして黒地にドット柄の、いわゆる水玉模様のネクタイをしていた。
レッサーパンダは、半袖のボディスーツ、いうまでもなくドラえもんを意識した服を着用していいた。レッサーパンダの自分は可愛いという攻撃には随分まいった。それをあざといと言うべきなのだろうが、動物の可愛さにおけるあざとさは攻略ルートを持たない。
また、靴下も忘れなかった。
―――おはよう靴下、社会の窓が開いている状態だったけれど。
(色んなところに無茶や問題がある格好をしていたけれど)
(―――人間がコーディネートしなければ、こういうものなのかも知れない)
でもわざわざこの三匹を呼んだのは、サラのネタだろう。つまり―――何となく似ている生き物、ウォーリーを探せ、みたいなノリだろうと。
見た目は何となく似ているが、雑食と夜行性という面を抜いてしまえば、生物分類学上、全然違う。蝶と蛾ぐらい全然違うといえるような知識量があればいいが、何事にも例外はあり、比較分類の必要性というのを感じる。
>結論から言えば、蝶と蛾の違いは、夜飛ぶか、昼飛ぶか、である。
>羽根を立てて止まるとか、鱗粉がどうとかなんて誰も聞いてない。
もっと言うなればだが、動物も人間化したということだ。これはその時になってわかったが、ロボットがそれとなく口もしていた。先程の宇宙人よろしく、とも言えるかも知れない。ファーストコンタクト以後、様々な宇宙人が来て、動物たちにもひとしく知性が与えられたということだった。それに加えて、動物の食生活や、衣服、居住空間も見直されたらしい。それはなにか、人間は無能だから動物を人間と同格として扱えないと言っているような妄想もした。
(カレーを食べる、レッサーパンダ、あらいぐま、たぬきの図・・・)
(三匹が卓袱台を囲むと、三匹の子豚を思い出してしまう不思議―――)
「サラ、カレー、シーフード、ビーフ?」垂れ目のたぬきが言う。
ちなみに、何故か僕の肩に攀じ登って聞く。
振り落としたい衝動に駆られるが、動物の毛の感覚は温かい。
茶目っ気で許されてしまう。
「ビーフよ、馬鈴薯や人参や玉葱入った」
「ビーフ好き」と、あらいぐまが言った。
隠し味は、『珈琲の粉末』と『牛乳』それから『おろし林檎』
ちなみにあらいぐまは前足を水中に突っ込んで獲物を探る姿をしていた。
知性はあるけど、やはり、昔の癖がついつい出てしまうらしい。
と、おもむろにレッサーパンダが、踊り始めた。
「フィーバー」
立ちあがって前脚をぐるぐる円を描くように回転させながら、ふさふさした尻尾をそれに合わせてぶんぶかリズミカルに動かす。レッサーパンダの十八番芸らしい。僕は何故だか、音ゲーの太鼓の達人を想像した。
「あの人、またやってるよ」とたぬきが言った。
「やってるやってる」とあらいぐまが言った。
しかしそのあと、たぬきが顔に昔の泥棒のように『頬被り』をして、どこから出したのかそれは秘密という風呂敷を担いで、そろそろと周囲をうかがいながら歩くようなそぶりをした。もうなんだか、隠し芸大会みたいになっている。しかし、クオリティは高い。
―――住宅街から森林部へと猛ダッシュするたぬきとのギャップの問題はあるとは思うけど。
あらいぐまはといえば、どこから用意したのかわからない盥に手を突っ込んで、ちゃぷちゃぷ、やっていた。可愛いけれど、何故ちゃぷちゃぷやっているのかはわからなかった。憂鬱の薬という風にも思えた。
「ユウトサンヲ、歓迎シテイマス」とロボットが言った。
などということをやっている間に、サラがカレー皿やサラダを用意した。サラダはレタスとポテトサラダで、ほかに茹で卵が何個か入っていた。しかしカレー皿がならぶと、隠し芸大会の時間はあっという間に終わった。眼をきらきらさせて、「背中にくっつきそうなぐらい、お腹減った」「サラ、早くいただきます言って」「ユウト、うで卵とって」とそれぞれ色んな準備をはじめられた。
それにしてもカレー皿にスプーンが置かれている光景は聖杯と葡萄酒のような組み合わせだと思う。しかしレッサーパンダが悪戯なのか、僕のカレーにタバスコを入れようとする。
僕がじいっと見つめるという冷淡なもてなしをすると、一瞬眼を点にして、ハテととぼけたこを言って、タバスコですけど何かと普通に言って、
「意外と合うんだよ」と可愛い顔をして言ってきた。
そこへ、たぬきが、僕の肩によじ登って来て、僕の頭をよしよし、した。あらいぐまは、僕の膝に奈良の大仏のポーズきめながら、「何怒ってるのアナタは」と言ったりした。どうも、この三人組は本当に仲がよいらしい。
「ピザやパスタだけみたいに言われてるけど、カレーにタバスコ、牛丼にタバスコ、本当だよ」
たぬきとそんな話題をするとは夢にも思わなかったけどね。
「でも、内緒で入れたらアウトだよ」と僕が言った。
「驚きを提供したい」と、レッサーパンダがにこにこして言った。
リアクションを楽しみにしていると正直に言え。
それにしても彼等の世間話は、すみやかに薪を燃しつくす炉のごときもの。饒舌である。しかし、動物というものが、こんなに純粋だなと思うのはやはり僕が人間だからなのだろうか。




