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でも、いま青春がポスターのように死んでゆく。不良に非行に横道にそれる、そういう道が何故か救済の道のように見えてくるのは何故だろう。深く得体の知れない感情がどこからともなく突き上げてきて身体を揺さぶる。昆虫が蝶になって、繭を食い破って飛び出ようとするみたいに。
自分の奥に燃え燻くすぶってしまった青春の夢をインストールする。
[高校球児の数が減少している]
[公園でキャッチボールできない]
高校野球、社会人野球、プロ野球、メジャーリーグ。
流れ去っていく情報。
情報には何か底意地の悪いものがいつも蠢いているような気がした。
個人の天分の階梯。学校という縮図。生活の侵略者たち―――。
もう一度グラウンドに出ると、軟式のテニスボールが落ちていた。裁判官の眼下に、蒼くなって、神妙に控えている少年さながらに僕はテニスボールを握る。ちなみに僕はロボットが用意してくれた、上下ジャージに着替えた。サラは、用具倉庫から取り出してきたグローブを渡してくる。手元には硬式の野球ボールがあった。
ただ、制服姿のままで、『ユニフォーム』とか『練習着』とか『体操服』に着替えようという気はないらしい。
数メートル離れると、スッとサラはふりかぶってこちらにビュッと右腕を捻転させてスピードボールを投げてくる。腕が上がってくる時に内側に少し捻られながら上がってくる。重心の移動速度とリリース時の円の半径。オーバースローというより、スリークォーター気味だな、と思う。上から振り下ろすというのではなく、サイドスローというのでもない肩口の四分の三。自分ではオーバースローで投げているつもりでも、形としては横手投げになっているというのとは大きく違っている。
バシッと、それは来た。
グローブを構えた場所にピタリであることも流石だと思ったが、全然本気を出しているように見えないのに百三〇キロは出ているんじゃないかというスピードに驚く。制球力の高い投手にバントの構えをして攪乱したい相手打者の気持ちを想像する。少年野球では投球版から一六メートルの距離。また彼女のいる場所は四メートル五七.二センチの円形である。
ちなみにだが、悪送球がスタンドやベンチに飛び込んだ場合、ボールデッドとなり、走者に二個の安全進塁権が与えられる―――男前の運動神経。
ロージンバッグを小麦粉とすりかえる嫌がらせを想像してしま―――う・・・。
『山なりのボールがくるかも知れない』という妄想を一瞬していたあたり、どうも、雰囲気に呑まれてるなという気がする。判断に迷う、インフィールドフライと故意落球みたいなものだ。
>カメラのファインダーが切り取ってゆく。
>下手糞な漫画なら、身体のサイズがいびつになって向かい合う場面。
「君の好きなように生きていいよ」
ボールをスッと投げ返したあと、サラがそう言った。
心臓が咽喉までせり上がってくる。
バチカンとローマにあるサンタンジェロ城をつなぐ秘密通路みたいだ。
ケビン・コスナー主演の『フィールド・オブ・ドリームス』を思い出す。
「どういう意味ですか?」
―――また少し離れる、十数メートル。
後ろへ、後ろへ。
そしていつか辿りつく―――【架空のマウンド】
「センパイの言うことは絶対なの。この意味わかるでしょ」
そう言いながら、ボールを投げ返してくる。
何だか、抜き打ちテストみたいだな、と思う。
魚のように口をパクパクとさせていると、自分が酸素のない水槽の中を沈んで行く。もちろん、そんな意味、全然僕にはわからない。
物事をひねくれた視点で眺める思春期の少年らしい考え方―――。
「センパイのことがわからないんです!」
「女の子だから・・・?」
僕等はいつからか、男の子と女の子に分かれてゆく。
生物学的分類とは関係なく。
はたして男らしさって、女らしさって、かくあるべしって何だったんだろう。
キリスト教の女性差別的な一面は暴かれてなお、遺恨のように残る、支配の影。口から入った卵が孵化して腸で成虫になるのではなく身体を一周して腸にたどり着き成虫になるという話みたいに―――。
専制と隷従。
「君はあの雨の夜のバス停のことを気にしてる」
―――そんなの知らねえよ。
「それから踏切の向こう側で君にあのことを叫んだけど―――」
かえすがえすもであるが―――。
これ、全部嘘シナリオである。
というか、あのことって何だ、思わせ振りに言うけど、僕にはわからない。
「―――電車が通り過ぎてしまって、言えなかった」
その腕からふしぎに動く肉体の連想。
その微かな響きを、遠くの雷鳴を聞くときのように感知する。
体温に革命的な多感がしめやかにしみわたってゆき。
懶惰の歌留多。
夏が不意にフラッシュバックする。
―――サラは一六二センチぐらいなのだろうか。
「ハッキリ言ってくれないとわからないんですよ、僕は」
そう言いながら投げ返した。
フォームは俄かに色めいた。
というか、何、嘘シナリオに便乗してるんだと思いながら。
でも便乗しながらも、その実、自分のことを口にしていたりもする。
一秒か二秒の静かで緩慢な気配が通り過ぎてゆく。
パシン、受け取る。
そして土埃の臭いが強くなる、不思議。
怎うせ―――。
怎うせ―――。
舌の付け根へと落ちてゆく。でも、交通整理は終わっていない。
片方の耳の奥では、動脈の張る音が高く明らかに鳴っている。
込み入った地図の中から、目的の場所をうまく見つけられない。でも晴れた日のグラウンドでキャッチボールをする、という行為によって和解し、大団円を迎える筋立て―――石炭の赤熱。
*
紙を撚り、火薬を詰め、強弱をつけ、紙の硬さを調整する。この色とりどりの火花のなかには、期待や不安や失望や夢が詰まっている―――花火。
急激な爆発的な燃焼という化学変化。火花、白熱に・・・、暗い手がぼんやりと浮かび上がる。それは心の中にあるものだったり、思い出だったりするだろう。
盛んに小さい炎を出しながら燃え上がり、赤熱する―――。
―――そこに美しい鳥がいる。
*
「―――君が考えてるようなことも、考えていないようなことも、あったことも、なかったことも、全部、君が選択することだよ、後輩クン」
サラも多分そうなのだろうと思う。
楽しんでいるところもあるとは思うけど―――。
そしてサラは世界中に聞こえるぐらいの大声で叫んだ。
僕は笑った。というか、笑わずにいられたらその人は神だと思う。
大きな声で叫ぶだけで面白いというのは盲点だった。
狡い―――というか、反則、しかもまだ可愛いから犯罪である。
「でも悩んでいるいまの君が好きいぃいいぃぃ!」
*
サラとのキャッチボールを終えたあと、サラは、「ありがとう、楽しかったよ」と僕の腕をつかまえて、頬にキスをした。それは忽ちのうちに力を増し、ありもしない想念へと結びついて行った。サラは顔を不自然に歪め、涙までポロリと片目からこぼしてみせた。それは僕を背景へ埋もれさせるひとかたならぬ情念である。すさまじい演技力とはこういうことを言うのだろうか。人と歴史のあやは目に見えぬ密度の糸で縢られ・・。
―――【大規模集積回路】
(東方見聞録で万里の長城がないのはあれとしても―――)
(スポーツの後で火照りを鎮めたい・・・・・・)
「このまま、体育倉庫で、初めてを君に捧げたい」というエロゲー展開はさすがに断っておいたけれど、最後の最後まで、サラは二歳年上の憧れの先輩だった。しかしそれと同時に、サラの嘘シナリオの趣向がこのキャッチボールという行為を通じて何となくわかってきた気がする。やはり、何か引っかかるところが、あるのだ。指針、ヒント、実践的アドバイスを隠れ蓑にしながら、大事なことを何か一つ隠すための、喋り方。その薄皮一枚向こうに、公式情報がある。しかしそれはいまのところ肯定のニュアンスを持って迎えるべきなのだろう。何の考えもなく、そうしているわけではないようだし。
カエサルに対してブルータスが行動を起こした動機みたいなものだ。
ところで殆どキャラクター性を失っていたロボットであるが、キャッチボールが終わるや否や僕とサラのために、ポカリスウエットや、ミニタオルなどを持ってきたりした。もし時間があれば、檸檬の砂糖漬けを作って持って来たり、部室に水道水で冷やした薬缶のお茶を用意していたかも知れなかった。事情はどうあれ、基本的にそういう興趣であり趣向なのだろうなというのがよくわかってくる。サラとロボットは何かを作り上げ、僕に見せようとしている。そこには、多分、『僕の失われた記憶』だったり、『二十年の空白の意味』だったりがあるのだろう。それは第一次世界大戦中の一九一六年五月一六日にイギリス、フランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約したサイクス・ピコ協定みたいだった。
―――でも本当のところ、ありとあらゆるものは幻だ。
―――ただ、それをつかまえようとしていないだけで。
僕は先程までキャッチボールをしていたグラウンドの隅で―――影を見た。この閉塞した回路に。それは小鳥に催眠術をかけている大蛇の魔力というのだろうか、それは、旅立ちたい心の影のようなものだった。それは、百メートルを全力疾走する影であり、走り高跳びの線を越えてゆく影だった。
こちらへ向いたらしい人影が一つ、朧ろげな輪廓を浮き上らせる。それは飴細工でこしらえた顔の内側から息を入れてふくらましたような、影。
―――それはやっぱり、僕なんだろ・・う・・・。
束の間の春、あっという間に過ぎる夏、胸をしんみりとさせる秋、それからすべてを雪で覆い尽くしてしまう冬。僕はそんな影に、うち慄え、蒼褪めている。水々しい夾竹桃の一むらや、ドアノブの鍵穴なんかに。永久に呪わしい光景が開けたなら、微笑する影も見えてきたかも知れない。淋しい笑みを見せて、僕を凝っと見詰めている。僕の身体は萎縮する。しかしそのことによって、思いがけない出来事が、もう一度はっきり見えるような気がした。でも影は向きを変えて、距離を取ったまま、やがて校舎に入って見えなくなった。僕は無意識の内にグラウンドの砂を掴んでいる。
過去と未来は入れ子上なのだ、ただ、行き来できない蓋と閂があるだけで。不意に、アフリカでは肝臓だけが抜き取られたホオジロザメの死体が打ち上がっている、という話を思い出す。シャチが肝臓だけ食べて残りは捨てるのだと言う―――現在、いま急速に過去にも未来にも、いわずもがな朝にも夜にもなってゆくこの時間の装置が、そんなものであるのだ、と。膝裏に届く影が寄生虫のように人の心を支配する・・アキレス腱。何者とも知れぬ権威の命令で、自分は未来永劫この闇の中に封じ込められてしまったのだと思う。
砂をつかんでさらさらと下へと漏斗のようにこぼしてゆくと、さらさらとさみしい音が聞こえる。足の裏に影はつくられてゆく、付け入る隙もなく、完璧に―――完全に。誘導法。あるいは、盲目の花売り。ハッと、鼻をしかめて、鼻で笑うのが上手なナイスボート・・・。




