道化師少年の決断と丸々一匹のヒラメ(鯛でも可)
どれくらい時間が経っただろう。分からなくなるぐらい――僕にとっては五時間くらいに感じられる時間が流れた。
「分かった」
僕が散々迷って、ようやくか細い声を出すまで、稀子は何も語らなかった。
ただ、僕がそう呟いた瞬間、思わず言いさした言葉を呑むほどに綺麗な笑顔を浮かべて見せた。
『ありがとう』
シンプルなその一言と稀子の笑顔を、僕は一生忘れないだろう。
「稀子、どういうことか説明してよ。分かったんだろ?」
稀子は頷き、ちらりとドアを見た。
『無論、説明はする。だが、どうやらお客様のようだな』
稀子の画面を覗き込んだ瞬間、部屋の外で何か言い争うような声が聞こえてきた。
「困ります・・・・・・」
「事件を有耶無耶になさるんですか!」
「通してください」
佐々木さんの声ともう一人、女性の声。ドアノブががちゃがちゃと騒々しく動き、佐々木さんが入ってきた。
「やめてください! 早く病院へ戻りたいんです」
ドアの外へ強い口調で怒鳴った佐々木さんが、僕らを見つけて目をむく。事情を説明すると、すぐに目を伏せてしまった。
「大丈夫ですか」
何を言ったらいいか分からなくて、僕は定例句を口にした。佐々木さんはやつれた笑みを浮かべる。
明らかに大丈夫ではない。心身ともに激しくすり減らせているのだろう。
『マスコミですか』
稀子が語りかける。佐々木さんは微かに目の端を赤く染めた。
「私がやったんだろうって、追求してくるんです。皆そう明言はしないけれど、本当は何があったんだって・・・・・・追い詰めてくるんです・・・・・・」
声が震え、頬にも鮮烈な赤みが差した。
『あなたは、夏奈が落ちた瞬間を見たんですか?』
「いいえ。夕食の準備をしていたので、見ていません。悲鳴を聞いて、駆け出して・・・・・・その時に、七海君が入ってきたんです」
稀子が僕を見る。僕はそれで間違いないと頷いてみせた。
稀子はちょっと考える素振りをする。
『あなたは、まるまる一匹の鯛やヒラメを買い付けてくることはありますか?』




