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「私が“なぜ書くのか”は、人の気持ちや葛藤もですが、世の中どんなことに悩んでいる人がいるのかや、そもそもどんな悩みがあるのかを、色んな人に知ってほしいなと思ったからです。でも、こんなこと言うとすごく偉そうだし、まだまだ若いくせにって思われますよね……そういうものを扱うのが難しいのは、分かってるんですけど……」
目に見えない気持ちは、口に出して表現せねばならないことも多く、その難しさに苦しんだ。面と向かって伝えられず、別の問題を引き起こしたこともある。
そしてある日、言いたくても言えない、どう伝えていいか分からない気持ちが胸いっぱいに膨らんだ時、文章に全て書き出してスッキリしたことがあった。その経験が、物語を書いてみたいという欲に変わっていった。
見聞きしたものをドラマのような舞台にし、そこにありとあらゆる気持ちや感情を乗せ、その変化を描けたらどうか。文章なら、聞こえない心の声をもっと可視化させることができるのではないか――
「それが私にとって、現時点の“なぜ書くのか”です。とか言いつつも、こんな性格なんで積極的になれないんですけど」
カップの影に視線を落とすと、紫穂は力なく笑う。そこへ、ギイイッと、館長の座り直す音がした。見ると館長は、まるでクラシックを聴いているかのようにゆったりと目を閉じている。奥の止まり木では、カラスはふっくらと丸まり、背中に顔を埋めて眠っていた。
「どうしてそう思うのですか?」
ポツリ、館長の問がころがると、紫穂は手前のクリソコラを見やる。
「傷つけないかなって。この書き方をして、この描写をして、本当に大丈夫なのかな、とか考えちゃうんです」
眉がじわじわと寄るにつれ、両手を握り締めていく。
「小説投稿サイトに上げてみようと決心するのも、結構時間がかかりました。だって読書って娯楽じゃないですか。いや、それだけを目的にしたものなんてないですけど、私が書くものはそうであってほしいんです。なのに、それが誰かを傷つけてしまうものになっていたらと思うと……」
そんな自分からふらりと、カウンターの杢目に目を逸らしてしまう。
「とにかくそんな風に考えちゃうので、出来上がるまでも大変で。早く誰かに読んで欲しいくせに、めちゃくちゃ慎重になって、ローペースで書いて。ずっと穴の中に引っ込んだままみたいで……変なヤツですよね」
心に寄り添える物語を書きたい。だからこそ人物設定は親しみやすくし、あるあるな出来事をつけて共感を得られそうなヒューマンドラマを選んだ。人間味を描きたいという自分の気持ちがそのまま、ジャンルの名前として滲み出ていて好きなのもある。
「忘れられない読書体験をさせてくれた作家さんみたいに、少しでもなれたらなと思ったりするんですけど……ああでも、趣味の範囲でですが!」
より大きくなることを目標にはしていない。プロではないのだから、そこまで力んでやる必要はない。それでいて力んでしまう自分を、なんだか恥ずかしい形でさらしているような気がしてくると、ずっと温かいままのミルクティーに縋った。ぐいぐい飲み干すと、どこかカチカチになってしまった空気をほぐしたくなり、館長に笑いかける。
「ところで、ここ素敵ですね。アンティーク感があって、おしゃれで。ここの噂は聞いてましたが、本当にあるなんて思ってなかったんです。私、普段こんなにしゃべらないんですよ。そこが本当に不思議だなぁって……」
館長はカップを取るかたわら、天井をそっと指差した。
「ここには“表現者”の味方がおりますので」
静かな声に導かれるように紫穂が天井を仰ぐと、館長は続けた。
「水色はインディゴライトトルマリン。冷静さや集中力をくれる。透けた白色はオパール。創造力や魅力を高めてくれる。紺色はソーダライト。鮮明な思考が閃く時を呼ぶ。紫はフローライト。学習力と発想力をくれる」
それぞれの役割を聞くにつれ、紫穂はクリソコラに改めて目をやった。ただ光って佇んでいるだけの石達に、知らぬ間に支えらえていたということなのかと、鼓動が少し早くなる。
その時、眠っていたはずのカラスが飛び上がった。急な翼の音に、紫穂はその行き先を目で追ってしまう。
カラスは優雅にパワーストーンの照明を囲んでいく。翼が時折それぞれの光に触れ、足輪の小さな煌めきと合わさっていく。と、ジリジリと焼けるような音がしたかと思うと、広大な紫色の魔方陣が炙り出された。その静かな迫力に、紫穂は声を漏らしてしまう。
ところが、そんな幻想的な出来事など風に当たるようなものか。館長は、空になったカップをソーサーに置くと、口を開いた。
「貴方は本当に素直なお方。また、多方面に想いを廻らせる力が備わっている。その書き方は、貴方そのもののようです」
滑らかに連ねられた誉め言葉に、紫穂の鼓動は更に速まる。
「い、いえいえそんな! そんなことないです!」
言われ慣れていない言葉にはどうしても、お決まりの返事しかできない。
「ところで、そんなに“心”が詰まった作品であれば、その声はとてもよく聞こえていそうですね」
「声……ですか?」
小首をかしげる紫穂に、館長は薄ら笑みを浮かべる。
「趣味であることを否定はしません。ただ、物語は生まれました。それはつまり生きており、そして、読まれたいと思っているものです」
独特な表現に聞き入る中、紫穂は館長の瞳に見入ってしまう。その金色の微光の集まりは、この場のあらゆる光を吸い寄せているようだった。どこか鋭い眼差しであっても、確かな安心をくれる。
館長がふと、肘掛けで休ませていた左手を横に差し出した時――カラスが舞い降りた。ゴールドに光る何かをくちばしから差し出すと、何事もなかったかのようにまた止まり木へ戻っていく。
紫穂が目をしばたくところ、館長はゆるやかにそれを差し出した。
「……これは、ブックマーカー!?」
紫穂は思わずそれに飛びつき、じっくりと眺めた。ゴールドに輝く、緩やかなS字カーブを描いた平たい棒。その終わりの部分は丸い底面になっている。
その構造にあることが過ると、それをカウンターに立ててみた。玄関灯のようになったブックマーカーは、本に挟む用がない時はインテリアにもできる。しかし、先端でチロチロと揺れるのは黒い球ではなく、紫色をしていた。
「恐れ知らずのチャロアイト」
知らない言葉に、紫穂は館長を振り見た。次々と起こる不思議な出来事を焼きつけようとするあまり、目元が熱くなる。
「恐怖心を浄化してくれ、意識の変革をもたらしてくれます。貴方の意志と合わされば、きっと前向きな変化へ導いてくれるでしょう。もっと自信を持ってください」
紫穂は思わず立ち上がった。響き渡る椅子の音は、心で渦巻いていた何かを一気に弾いた。
それでいいのか、いやよくない――そんな同じ流れを繰り返す思考が今、潔く押し出され、流れていく。激しい滝が岩を打ち砕き、柔らかな虹を生み出すミストを浴びるように、胸が開けていく。
カウンターの横でヴェーラが小さく手を叩くのが見えた。薄っすらとぼやける視界の中で、紫穂は微笑み返すと、頬の震えに押されて滴るものが、この世界の輪郭を取り戻した。
そこに漲る数々の小さな光の集まりに押されるように、目の前の二人に大きくうなずいた。




