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*新作 完結* 本棚の向こう側  作者: Terra
◆ いったりきたりな素直 ◆
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6




「へ?」


 館長は穏やかなまま、しかしその眼差しは、僅かであれ尖っていた。


「“なぜ書くのか”……“なぜ書くのか”……」


 いくらでも考えてきたことだ。けれどもこうして誰かに問われるのは初めてで、言語化をしたことがなく、まとめるのにてんてこまいになる。


「しゅ、趣味です。ただの」


 もともと別の趣味があったが、気持ちの変化から、他の芸術に触れる機会を得て新しい刺激を受けるようになった。そして、自分で物語を書いてみたくなった。それだけのことだった。


「そうですか。随分と熱意がこもっており、まるで伝えたいことがあって仕方がないようですね。趣味、つまり外からの圧力を受けず自分の心のままに行い、心地よく楽しむ。娯楽とも表現できることが、今や貴方を煮詰めてしまっている……」


「え……いや、そんな、私に熱意があるだなんて! ないない、ないですよ!」


 ところが、ぶんぶん振ってしまう両手はだんだん弱くなっていく。


「ただ楽しめたらよくて。でもそれが、自然と誰かの癒しになれればなって。そしてそのままなりゆきで、大切なものとの出会いに繋がればと……」


 あれ――と、紫穂は口を止めた。実際にそう思ってきたが、他にもっと考えていることがあったはずだ。


 自然に、ただなりゆきで――それは窮屈さのない、歩いていたら偶然珍しい花に出会ったという感覚に似たものだった。そんな感覚で物語を開いた時、とても大切なことに出会えたならば、素敵なことではないか。そして頑張ってきてよかったと、どこかの誰かが頷けるキッカケに自分の物語がなれればいいと思うようになったのだと、紫穂はパッと顔を上げる。


「い、生きること! そう、生きることを表現したいんです!」


 コツッと、小さな音が割り込んだと同時に、ふんわりと香ばしい匂いが漂った。


「まぁ素晴らしい。現代は窮屈に感じることもしばしばですから、紫穂さんの物語はきっと支えになってくれそうですね」


 ヴェーラは館長の前にコーヒーを出すと、自分のカップをちょいと手にし、また引き返していく。

 紫穂はその行き先を再び目で追うも、カラスの激しい羽のバタつきに驚き、視線が逸れてしまった。


「凄い苦みだけど、遠くに感じるこれは……カカオのよう。偶然鉢合わせた、というような味わいはいいものですね」


 館長が口元に浅い弧を描くところ、紫穂はまばたきする。


「秋に中央アメリカの“表現者”が、これを持ってまたここに来たんですよ。コーヒー店に並べるための本を書き上げられた、そのお礼にと言って」


「その方はどんな本を? ここにありますか?」


「コーヒープロフェッショナルの世界や、焙煎の知識本ですよ。ここにはもうありません」


 天井にまで収められていてもまだ無い本があるのかと、紫穂はミルクティーを口にしながら見上げてしまう。そこへふと、館長の言葉の一部が引っかかった。


「どうして無いのか、ですね」


 するりと答える館長に、紫穂は激しくむせた。分かりやすいとはよく言われるが、そんなにも筒抜けとは知らず顔に熱がこもる。


「ここに並ぶのは本の卵だけだからです」


「本の、卵?」


「棚に並ぶ手前の段階にある本です。少し心無い表現に聞こえてしまうかもしれませんが」


 紫穂は、これまで自分が書いてきた本を振り返る。どれも完結させた自信作ではあるが、別の角度から眺めたそれらは、まだまだ熟させた方がよい“未完成な本”とも言える。


「好きなだけ世に出すわけにはいかない事情もあります。例えば、設けられている関門を通過する必要があるなど」


 館長がカップを啜る音に引き出されるように、紫穂は小説の公募やコンテストが過った。その世界に踏み込む人達が苦労する声をSNSで見かけたことがある。その姿はとても挑戦的でかっこよく、自分にはまず無い姿勢だった。


「ということは、プロになったり商業作品になった本は、ここから無くなるということですか……?」


 ソーサーを置くと、館長は顔を上げる。


「簡単に言うとそうです。個人で世に出し、実績を納められた場合も同じです」


「……それ、何だかちょっと寂しく感じますね。館長さんやヴェーラさんがずっとここで管理してきた本が、減るってことじゃないですか」


「まさに、新しい世界へ巣立っていく生命を眺めるようです。しかしそれは、決して悪いことではございません。また、ここでずっと息をしていることも。どこにいようと、誰かに振り向いてもらえるものです」


 しんと、館長の声が静寂に萎んで言った時、紫穂は、まだ広く行き渡っていない本の裏側にいることをじっと噛みしめる。

 執筆は趣味だと言いながらも、いつからか、その感覚から離れはじめた。きっと読む人が増えてきたからだ。そこに心があると意識するようになった途端、それにどう向き合おうかと、長い時間を使って考えるようになった。


「私、生きるのが苦しいと思ったことがあるんです……生きづらいというか……」


 同じ経験をした人にも会ったことがある、と、口は自然に動きだす。






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