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「あらら! あらっ……」
ランは本棚に手をついたところで、目をまたたく。右手にはあのブックマーカーが、左手には整理しようと抜きかけていた海外ファンタジーがあった。
急な出来事にしばし視線が揺れ、ふううっと肩で息を吐き出していく。そして、掴んだままの本の表紙と向き合った。キラキラした素材とパステル風の絵柄が、文字だけの世界に奥行きを作っている。その背は固い表紙に覆われており、そこにもまた、誰かの手が加わっていると指先で感じ取る。
「旅は一人でしているんじゃないのね」
しんとした部屋に小さくころげた声に続き、ドアが開いた。ひょっこり、夫が顔をのぞかせてきた。
「……なんだ、書いてるのかと思いきや、片付けの方をやってるのか?」
どっこらしょと、夫はランの隣に腰を据えると、その手の本を見ては膝元に積まれていた一冊を取る。
「そうバタバタと綺麗にしなくていいだろう? ここに思い出が詰まっている景色をまだ見てちゃいけないのか?」
「そうですか?」
デスクの向こうからの西陽が、互いと、そこに散らばる思い出に触れてくる。
「そうだ。まだまだこんなことをする時じゃない」
夫は言うと、空になった本棚に本を戻していく。そして、一冊の背表紙をじっと見てから、少しうなった。
「ほら、お前の本を俺はまだ縫ってないんだ。もっと先にすることがあるじゃないか」
ランの中でその懐かしい感覚が、ほんのすぐそばに見える夢の糸口に変わる。
「そうなのよ……貴方から縫い方の基本を教わって、そこから応用すればいいって話してた……」
けれども、時間にも力にも余裕が無かった。だからひとまず、書き続けることだけに絞ってここまできた。
「俺だって、別に諦めてたわけじゃない。覚えてたさ。でも今になった」
夫が視線を逸らすと、ランは口をへの字にした途端、じわりと笑みが滲み出てしまう。
「じゃあ、少し案をちょうだいな。誰かに私の書きぶりを見てもらおうかと思うんだけど?」
「……それはでも、嫌なんじゃなかったのか?」
「そうよ。でもまぁ……何も、大衆と同じやり方をしなきゃいけないわけじゃないもの」
「それはそうだ。じゃあ、読んでもらう人を絞るのはどうだ? その道の先生とか。すると、お前が恐れていたことは無いんじゃないか?」
ランはふらりと宙を見やる。書き方を習うこと――夫の助け船が勇気のオールを握らせてくれた時、恐怖心の波を越えられるような気がした。それでもやはり
「笑われるかしら……」
不安の石が、ポトンと胸に落っこちる。ところが、ドボンと、夫の笑い声が大きく落ちてきた。
「お前のそういうところには、この先も笑うよ。でも俺は、お前の夢を笑ったことなんて一度もない」
それは息子も、きっと孫も同じではないだろうかと、夫は言い添えた。
ランは目をしばたくと、込み上げてきたムズムズしたものに思わず吹き出してしまう。そして、手にしていた本を棚に戻しては、瞼に力をこめた。
「私はね、“新しい世界への道標になるお話”を書いてみたいの」




