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「藍斗、母さん出るからね」
「んあー」
声が毛布に埋もれようと、返事をしなかったことはない。
母が夜のパートに出かけたということは、夕方の六時前。配送員として夜勤をする藍斗にとっての朝のはじまりだ。といっても今日は休みなので、別にこのままもっと寝ていてもいい。しかし敢えてそうせず、うんと起き上がると、いそいそとデスクのモニターの電源を入れた。
「さっさと書いて投稿投稿!」
十七歳の時から執筆をはじめて三年。まだまだ修行の身だが、一作一作を安定して完結させられるようになった。学生の頃は毎日のように小説投稿サイトで連載しており、そのお陰で読者がつき、コメントも貰えるようになった。
パニック系のSFや、バトルファンタジーが好きな人が多いのか、そのジャンルを中心に手掛けてみたところ、数字もよく伸びるようになった。先週はパニック部門でランクインでき、跳び上がったものだ。
部屋を出ると階段を駆け下り、顔を洗いに行く。適当にうがいを済ませ、その足でリビングのドアを開ければ、いつも通り母の手料理がテーブルに並んでいた。
「あ、父さん。おかえり、早かったね」
「うん」
藍斗は食卓に着くと、向いの父がテレビを見ながらアジフライにソースをかけすぎているところを、何も言わずに眺めた。
「あーー」
父のやらかした声に藍斗はゲラゲラ笑うと、いただきますと手を合わせ、取り皿におかずを集めていく。
「父さん、ビックリしないでよ。僕の小説、なんとランキング八位!」
「ほおー。お前まだそんなことしてたのか」
まあね、と返しながら目についたのは、とび職をする父の焼けた厚い腕だった。箸が枝に見え、なんだか笑ってしまう。
「国語の成績を気にしなくて済むようになってから、よけいに続いてる」
「ふうん。ならもうアレだな、小説家に転職」
「ゆるいなー、さすがにゆるすぎるよ」
藍斗はソース塗れのアジフライをかじる父を笑うと、ご飯を大きく頬張った。
少しだけニュースキャスターの声だけになると、父が何かを思い出したように箸で気を引いてきた。
「お前も、あそこ行けばいいんじゃないのか。“本棚の向こう側”ってとこ」
「ええっ!?」
藍斗は膝をテーブルにぶつけ、声が途切れる。父は構わず、千切りキャベツに胡麻ドレッシングをそっとかけながら続けた。
「ほら今、校舎のメンテナンスしてるからな。学生の会話はよく聞こえるんだ。小説の書き方を教えてくれるんだろ?」
それにしても近頃は小説を書く若者が多いのかと、父は感心する気持ちをシャキシャキと噛む。
藍斗は、父の言葉に眉がいつまでも歪んだままになっていた。その噂は、SNSを開く度に流れてくるので知っていた。ろくに知ろうとしてこなかったが、そこがどういう場所かを訂正できる程度には把握しているつもりでいた。
「“本棚の向こう側”は、小説教室じゃないはずだけど?」
「あそう? いやお前、そんなイイ感じなら、そういうところ行ってみりゃいいのにと思って」
父はいつまでもおおらかだ。そのお陰で、藍斗は不登校があってものびのびやってこられ、無事に就職もできた。上手く通学できていれば、もっと違う仕事に就けていたのかもしれない。そんな風に考えていた時、何気なく続けてきた執筆が少しずつ結果を見せるようになってきた。
「……アリかも」
「うん。でもそこってどこにあるんだ?」
「“本棚の向こう側”?」
「やっぱりそうなのか? でもそこに入るって、ちょっと」
「そんなわけないだろ! 父さん違うって、“本棚の向こう側”は、ただのいきすぎた空想!」
「……ほぉん」
藍斗が凍てつくところ、父はビールで長々と喉を鳴らし、ただただ置いてけぼりにした。




