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館の扉を開けるやいなや、蝉の声がどっと押し寄せた。碧生もヴェーラも、一気に汗が滲んでしまう。
日差しが照りつける中、碧生は石畳を進むと振り返った。見送りに出るヴェーラと目が合うと、ポケットで握りしめていたブックマーカーをおもむろに取り出す。
「これ……他の用途に使っても別にいいでしょ……? 俺のだし」
ヴェーラは目をパチパチさせる。来た時とは打って変わった碧生の様子がどこかぎこちなく、ふと、あることを察した。その途端、ポッと新芽が開くように笑い弾ける。
「まぁ、もちろんです! パートナーさん、きっとお気に召しますよ!」
「いや何も言ってねぇし!」
しかしヴェーラは髪を揺らし、顔だけでジタバタする碧生に手を叩く。
それがまたたまらなく嫌で、碧生はすり替えるための話題を宙に探した。
「てか君、バイト?」
「いえ。ここは誰もお金を頂かないんです」
碧生は今日一番、顔にしわを寄せてしまう。
「ホント、何言ってんだよマジで……」
鼻でせせら笑う碧生だが、ヴェーラは、この対応も慣れたものだと言わんばかりに背筋を伸ばす。
「ヘッドの願い、とでも言いましょうか。とても難しいことですが、それでも願い続けていることなんです」
「稼ぎを得ないことを? ならある意味もう叶ってンじゃないの? ここには不思議なモンがあるわけだし」
この時ヴェーラは、碧生が先ほどから何かを懸命に隠そうとしている気がした。
「私の事情を説明しますと、私の本業は母国にある福祉施設でして、ここでは副業をしています」
だけど一銭も発生しません――そう言い添えられ、碧生はまたしてもタスクのように積み上がる疑問に深々と息を吐く。だが、とある話題がチラと頭の奥に閃いた。
「そうか……思えば、海外の一部の地域では試験的に導入してるとかは聞いたことあったわ。でもこっちの国だと現実的じゃないね」
含み笑いを止めて真顔で話す碧生に、ヴェーラはご機嫌に目を細めた。
「ところで碧生さん。この後は予定通り、勝利に向けた執筆ですか?」
碧生はくいと顎を上げると、夏空に考えを廻らせる。
「……いや、一旦リセットする」
「へ!?」
ヴェーラは肩で跳び上がり、カンカン帽が転がってしまう。碧生はその大げささに呆れると、落ちた帽子を差し出した。
「勝負しないんじゃない。戦法を変えるだけだ。あと武器も」
ヴェーラは上半身から首をかしげるも、ぐんと姿勢を戻し、にっこりと帽子を受け取る。
「それはきっと良い選択だと思います。ただ、綿密に幅広く注視するのもいいですが、時に昔を見つめ直すのもどうでしょう。あと、肩の力を抜いて、もう少しご自身を甘やかしてください。せっかくですから!」
碧生はつい口が緩んでしまうところ、そそくさと背けて強く息を吐いた。そしてもう一度ヴェーラに向き直るも、早くも気配が扉の向こうへ遠のいていた。
「碧生さんの小説、引き続き読ませていただきます。私、こう見えてホラーも好きなんです。小説家をエンターテイナーや記者と表現されるだけあって、撮影のカメラワークを見るようなストーリー展開は、技だと思います。ゾッとさせられて、思わず後ろを振り返ってしまったこともあるんですから。碧生さんの研究は、選考員の方もちゃんと認めておられましたし、私も嬉しいです」
そんなコメントばかりだったら、今頃自分はどうなっていただろうか。碧生は、ふわふわと手を振るヴェーラをただ何も言わずに見つめることしかできなかった。そして、扉が閉じていくところ――




