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そもそも棚をのぞいたのは偶然にすぎず、普段からそのようなことはしないのだから、とまで言い添えてしまう。そんな碧生に、ヴェーラの眉が困ったように下がっても、館長は瞳に金色の光のうごめきを見せながら、にんまりした。
「よろしいですよ、率直に訊ねて頂いても」
碧生は目を丸める。館長が向けてくるいやらしい眼差しは、どこか意地の悪い自分だった。そしてふと、昔の自分に足りないとされていた言葉の変換方法に、今こそ不具合があるのではないかということに察しがついた途端、我に返った。
「貴方が促したんだから、罰だの術だのを下すとかは無しですよ。魔女なんですか?」
こうなれば直球だと、何もこだわらずに真っすぐ投げたのだが
「よくそう表現されますが、残念ながら……」
館長はおっとりと首で否定する。
妙な返答に碧生は眉を寄せ、更に口が開きかける。ところが、そばのブックマーカーの光に目が逸れ、言葉がそろりと引っ込んだ時、館長を見守るヴェーラの表情が少し和らいで見えた。
長らく失っていた光と向き合うにつれて、思い出されていく。じわじわと汗が滲み出るように、懐かしい気持ちが全身を縛る何かの結び目を解きはじめた。
「落とさないように気をつけてたつもりだった。あいつに言えなくて黙ってた……でも、お陰様で見つかった……ついでに色んなもんも……」
一つの落とし物が引き寄せたものを心で見つめながら、碧生は手元のブックマーカーと処女作を取ると席を立った。しばし周りの本達を見て回ることにした。
見たことのあるウェブ小説もあれば、手書きの小説もある。外国語の作品にもあふれ、とにかく目移りしてしまっていると、碧生はヴェーラに呼ばれた。そこを振り返った棚の一部からは、柔らかな光が漏れ出ていた。
「よろしければのぞいてみてください」
碧生は首をかしげ、ヴェーラに導かれるがまま中腰になり、その隙間をのぞいた。眩しい光の空間に浮かび上がってきたものに、だんだん鼓動が大きくなる。
「ニュースとか政治的な話も、およそ中学生くらいに伝わるような言い方がいいって聞いたよ」
「でも選考員には、子どもじみた書き方より、こんな文章が書けるのかって思わせた方がいい」
「じゃあ聞くけど、ここにある言葉、あんたも私も普段から使わないのに、読む人は一回で理解できんの?」
「選考員は偉いんだからできるだろ」
「もー、違うよ碧生。これを読むのは最終的に、選考員の人達以外の人だよ? だったらまず、私達こそ“コレが一番好きだ”って感じられるものじゃなきゃ。カッコつけは要らない!」
あんた、すっかり仕事人になっちゃったね――ワーキングホリデーへ出発する前、笑いながら言ったパートナーの表情の裏側には、本当は何が渦巻いていたのか。
碧生は、棚の向こうに流れる昔の自分達に、淀んでいた感情がスッと消えていくのを感じた。
「確かにそうですね。最初の読者は、作者さん自身ですもの。作者さんこそが楽しめるものであって、いいのですよ。そちら、持ち帰りますか?」
ヴェーラの呼びかけに、碧生は顔を上げる。その隙間は、自分達の処女作が入っていたところだった。
「え、いや……てか、そんなことできんの? あ、図書館だからいいのか」
「はい。それに碧生さんの本ですから。このままの見た目になりますけど」
頑張って十万字も詰め込んだそれは、文庫本ほどの厚さがある。ここでは単行本と似た大きさをしており、クリーム色の紙束が黒糸で綴じられていた。文字は、メガネが要る人にはまだ楽な大きさかもしれない。
けれども碧生は、過去の扉をそっと閉めるように、そっと本を棚に戻した。
「いいです。原本データあるんで」
ヴェーラはこの時、碧生の声がとても澄んで聞こえた。尖って見えていた表情からは角が取れ、その優しい変化に、やんわりとうなずき返す。




