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それは、棚の奥を点検しようと一度目をつむった瞬間の出来事だった。
蝉がわんわんと泣き喚く声が押し寄せ、急な状況変異に声も動きも失くしてしまう。喉や身体に力が入ったまま、それでも辺りをじりじりと見回し、どこにもシェアラウンジがないことに気づくと、サーッと顔が冷たくなっていく。
「どういうことだよ、何だココ! 時間ねぇのに!」
本を集めて席に着く頃には、店員がアイスコーヒーを持ってくる。その際に棚のストッパーが甘いことを伝えようと思った。その後、特別な一杯を一口飲み、メガネをかけて小説ページを開いて、いざ――という流れにつく。それを誰がどうやってぶち壊すことができるのかと、碧生は髪を掻きむしる。その時
「あら、こんにちは碧生さん。暑いですよ、どうぞまずはお入りください」
「ああいやいいよ俺帰らないと、こうしてる場合じゃ――」
一体誰と話しているのか。そしてそこは何だと、碧生は古びた二枚扉から現れた人から、ぐんと視線を上げていく。
ハイビスカスが点々と咲く茂みに覆われた、遥か高い、横の広がりに終わりを感じない怪しい建物。壁面には夏の雲と辺りの草木が映っており、まるでその場に溶け込もうとしている。
「ウユニ塩湖みたいだな……」
「さすが、ボリビアがお好きなだけあります! スペシャルティコーヒーは少々お高めですが、ご自身を奮い立せるための最強ドリンクなのだとか。どうぞ、ご用意しておりますよ」
「は!? 俺さっき店で頼んで……」
扉がキイッと鳴った。碧生を招き入れる丁寧なその人は、何がそんなに嬉しいのか、とても満面の笑みでいる。
「いやあの……そこは何なんですか――」
「ヴェーラいいよ。このまま私が案内して差し上げる」
背後からの低い声に碧生は跳び上がる。振り返ると、鍔の広い黒の麦わら帽子を被った人がいた。上半身が影におさまり、蒸し暑いというのに夏の風が相まって、見ているだけで少し涼し気だ。
「ようこそ“本棚の向こう側”へ。当館の館長です」
「……は?」
碧生は眉を寄せた。
「ヘッド、早かったですね。アイルランドのカブ農場の皆さんは、お元気でしたか?」
「アイルランド!?」
碧生は声が裏返り、二人を見やる。
館長はヴェーラに一つうなずくだけだったが、それが十分な返事であり、ヴェーラはそのまま建物の中へ去っていった。
「随分と焦っておられるようですね、碧生さん。無理もありません。締め切りはすぐそこまできていますから」
前を通り過ぎていく館長に、碧生は目をピリつかせる。情報の整理が追いつかないでいた。想像していた所とてんで違っており、おまけに気が休まらない事情まで知られているとなると、背中に何かが這うようだった。
またの扉の音に、碧生ははっとする。帽子の影に笑みをひそめる館長の瞳に、歪な艶を見た。
「……その眼も特別な石かなんかですか?」
細かな光とはいえ、確かに金色を放った。
「それはまた、独特な表現をして頂け光栄です。どうぞお入り下さい」
碧生は表情に迷いながらも、中へ優雅に手を差し伸べられるがまま、そろそろと入館した。




