2
*
汗が入った目を閉じた一瞬の出来事だった。
緋向は急に辺りが開けたかとおもうと、はっと顔を上げる。そこには、石畳が連なる開放的な空間が広がっていた。
「え、ちょっ……はあ!?」
古本屋はどうしたのか、オーナーはどうしたのか、そもそも帰り道はどこへ消えてしまったのかと、全身でぐるぐる見回してしまう。目に飛び込んでくるのは植物ばかりで、植物園か森林に入り込んだのかと心臓がバクバクする。道を引き返そうにも、ただ石畳とレンガ張りの敷地が果てしなく続いているだけだ。
まずは深呼吸を繰り返す。そして、改めて元の方角を向いた。道の先には、黒いくせに温かい光を放つ玄関灯があり、建付けの悪そうな二枚扉がある。壁には夕方を彷彿とさせるグラデーションな空模様が描かれているのだろうか。
「どういうことやねん……」
先に進まねば帰れないのだろうかと、ソワソワしてしまう。主人公の冒険者が、与えられたミッションをこなす毎にレベルが上がっていく、という話を実際に書いてみたことはあった。だが自分にその主人公のような武力は無い。そのドアから何かが出てきても戦えないと、周りをキョロキョロと探る。茂みや木々があるならば、長い棒が落ちているかもしれない。そう思いついたのも束の間、キイイッと音がした。
「あら、やっとおいで下さったのですね。こんばん――」
「わああっ! ああ止めろ、止めろまだ来んな! まだ何もしてへん!」
真っ黄色な人に恐れおののき、緋向はリュックサックを盾に雄叫びを上げてしまう。ところが、自分の声が夕方の風に拭われ、シンッと空気が流れていく。
前をうかがうと、黄色い姿をした人がじっと立っていた。目を大きく見開き、まばたきもしないで、まるで人形だった。近づいて来る様子はなく、緋向は少しずつリュックサックを下ろすと、その人はまたニッコリする。
「とても元気そうで何よりです。なかなかいらっしゃらないので、悩みに折れて寝込んでしまったのかとばかり。どうぞお入りください」
「え、いやいやいや、おかしいやん。そこどこですか? あなたは、その……どちらさん?」
酷い態度なのは重々承知しているが許してもらいたいと、緋向は構え続ける。しかし、その無礼を何とも思わないまま、その人はクスクス笑った。
「本当はヘッドのご挨拶なので気が引けますが、先にお伝えした方がよろしいようですね。ようこそ“本棚の向こう側”へ。私は当館のガイド、ヴェーラです。貴方のことは“ヒナタさん”とお呼びするでよろしいでしょうか?」
「いやちょっと待って……何でやねん……」
緋向が膝から崩れ落ちると、ヴェーラは慌てて近づいていく。その間も、お互いに視線を逸らさないでいた。
「びっくりさせてごめんなさい。私どもも、緋向さんのことをずっと前に聞きつけていたものですから、稀な方法でお呼びしてみたのですよ」
「稀な方法って何!? え、それって魔法使ったってこと……いやいや俺何言うてんねん……」
働きすぎて頭がおかしくなったのだろうか。でもどんなに頭を振り、目をこすっても、状況は変わらない。見上げたそこにヴェーラの手が差し伸べられており、それをまずは突いてみる。実態があると分かると、おそるおそる手を掴ませてもらい、緋向はやっと立ち上がった。
「当館は図書館ですよ。緋向さんの未完結作も全て揃っております」
「ちょっ……何かグサッとくんねんけど」
「ところで汗をかいておられますね。冷たい飲み物をご準備しますので、どうぞ」
「本棚のって……え……」
例のワードが頭にぐにゃぐにゃと浮かび上がるまま、緋向はたじたじとヴェーラに導かれていった。




