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少々腰をかがめて中に入るやいなや、晴はレトロな空間に一気に包まれていく。中でも目を見張るのは、天井から見下ろしてくるあまたもの本だ。
「あちらのカウンターにお飲み物をご用意しますので、しばし館内をご覧になってお待ちください」
「ああ、はい。ありがとうございます」
中に案内をしてくれたその人は、野ウサギのようにふわふわと去っていく。しゃきしゃきと働く姿だが、なんとなく初々しさも感じる。お客を出迎える楽しさが弾けており、晴は、自分がようやく働き慣れてきた頃を思い出した。三十を過ぎ、家庭を持った今、その頃がとても懐かしくなる。
さてここは一体どういうところなのかと、辺りを取り囲む本の壁を見回した。本棚のドームの中に導かれたという表現がふさわしいだろうと、隈なく目に焼きつけていく。
天井に向かって伸びる梯子まで壁に沿ってカーブしており、それでは落下するではないかとヒヤヒヤする。けれども好奇心はぬぐえず、梯子にだけ触れてみた。真上に収まる本を取りに行きたい気持ちはあるものの、敢えて足元の一段目にしゃがむ。
「あれ? この小説、ウェブで読んでるやつ。この人って書籍化してたの!? 連載してるんじゃ……」
一ヵ月に何度か投稿される一つのウェブ小説。晴も一時期、自分が書いた物語を同じように連載していた。更新する度に多くの読者が訪れ、ランキングにも入ったことがある。とはいえ、そうして常に注目を浴びているというわけではなかった。今は忙しさの都合から連載を止め、手元で完結させたら一息に公開することにしている。それもあって、その人の定期的な発信を見ると、自分にも数字という分かりやすい実績を積めていた日があったことが、少し懐かしく感じた。
「やっぱり。この間読んだところで止まってる。でも本になってるなんて、どういうことだろう……ん?」
クリーム色の折丁が幾つか縫い合わされてできた、現在ウェブ上で読書中の物語。それが納まっていたところから光が漏れ出ているのに気づくと、晴は床に手をついてのぞき込んだ。
「誰かいる……家じゃなさそう……何してるんだろう……?」
ラウンジのようなスペースが見えた。もしかすると食堂かもしれないが、顔の見えない誰かがスマートフォンにじっと何かを打ち込んでいる。小さな画面に長く向き合うのは、晴にとっては若干億劫なことだ。しかしその人は、そんなことなど気にならない、もしくは気になる余裕もないくらい、画面の中のことに没頭せねばならないようだ。
晴は、その誰かの様子からそっと頭を上げた。そして、手にしていた途中まで書かれた物語をじっと見つめた。表紙も帯も何もない。でもそこに掲げられたシンプルで短いタイトルは、内容を十分に引き立てている。
この物語は、あらゆる過酷な背景の中を生きる人物が現れ、彼らがタッグを組み、ひっそりと根付いた悪を払拭していくというものだ。どこかアクション映画のようで、酒や銃が出てくる大人テイストを含んでいる。晴はファンタジーを書くが、そういった雰囲気の話もとても好きだった。
「その作者さんは、ご自身の書き方をとても大切にされていますね」
ふいに飛び込んだ声に振り向くと、晴は案内の人と目が合った。その人は、足元の光を見ながら続けた。
「世間には創作論という、それぞれの作者さんの表現方法が山のようにございますが、その方はその中でもブレることなく、ご自身のやり方を貫かれており、とてもストイックです」
「そうです。本当にそうなんです、この人。だからかっこよくて好きなんですよね。え、もしかしてこの方もここに来たんですか!?」
晴は立ち上がると、手元の本をくるくると眺める。
「いいえ。今、その方の本の隙間から流れてきた情報です」
「え、ここから!?」
晴はまたぐわんと頭を下げ、そこをのぞいた。
「はい。本を抜いたら、その作者さんのお考えやお姿を見ることができます。何もかも、というわけではないのですが。ところでコーヒーをお持ちしましたが、いかがですか?」
晴は、その人が手を差し出す先を見た。ぼんやりと淡い水色の光が灯るカウンターに、マグカップが置かれている。
「もう少し早ければ、パンカーカもご用意できたのですが」
「パンカー……カ?」
それはパンケーキのことを言っているのか、それともそのような食べ物ということなのか。そういえばここに来てすぐいい香りがしたが、そのことだったのだろうかと晴は考えていると
「日本ではホットケーキと言います。けれどもまぁ、あれはクレープと呼ばれてもおかしくはないでしょう」
「うわっ!」
急に低い声が滑り込んだ。コーヒーを用意したと言われた際には、カウンターには誰もいなかったというのに。
「ニュースレターを読んでいましたが、貴方は“ハル”さんでよろしいですか?」
「はい、そうです……あの、ニュースレターとは?」
訊ねた矢先――目の前をスッと何かが通過し、鼻をかすめた。咄嗟にそこを押え、春は辺りを見渡す。すると、カラスがカウンターを一周しては声の主の肩に止まった。そして、くちばしの四つ折りの紙を差し出した。
「続けざまに持ってくるとは随分な働きぶりだねぇ、ポストマン。これがニュースレターですよ。筆の進みに悩む“表現者”のことが書いてあります」
晴は口を開いたまま、その人とカラスの組み合わせについてを想像してしまう。
言い出せないが、まるで幼少期によく見たアニメに登場していた魔法使いと、その召使いのカラスのようだ。とはいっても、見るからに魔女と分かるような姿をしているのではなく、あくまでもそんな雰囲気を感じるだけだ。
その時、その人の力強い視線を受けてしまった。晴は、その眼差しにどこかを掴まれたように固くなってしまう。向けられる瞳は黒く、金色の小さな光がチラついたように見えた。
「その想像力は、並みのものではありませんね。ようこそ“本棚の向こう側”へ。当館の館長です。さて晴さん、貴方は“なぜ書くのですか?”」




