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すがすがしい土曜日の朝。晴はいつものように窓や玄関を開け放ち、家中に春風を通した。その後、ちょっとひと手間かけてコーヒー豆を電動ミルにかけた。
ベトナム製のもので、少しの贅沢感を欲しさに、近くのスーパーで若干お安く手に入れたものだ。とろとろと湯を注ぐにつれ、休日の朝が心地よい香りに包まれていく。その一方で、取材のために入手した本を開いていた。
「振り向いてもらうのは、やっぱり難しいのかな……」
近頃はそんな疑問ばかりが浮かぶ。自分が手掛ける物語に、他人は果たして興味を持ってくれるのか。仮に興味を持ったとして、どれくらいそのことについて考えてみようと思えるのか。そんな風に晴を唸らせているのは、世界にとっての課題が詰まった啓発本だ。
少しばかり海外経験をかじったことがあり、外国が好きだ。 日本での暮らしは当然ながら長いのだが、それでもこの国のことをよく分かっていない。なのに海外に目を向けてしまう好奇心に、いつからか拍車がかかっていた。遥か遠い所に足を踏み入れた人達が見聞きして感じたものに、重要性を見出すようになったのだ。
「触れやすくしたいし、読みやすくしたいし……でも親しみやすいように柔らかくし過ぎてしまうと、その大切さに覇気がなそうだし……あーもう!」
休みの朝だ。これからみっちり執筆できる。だから悩む時間もたらふくある。とはいっても、八割九割も悩みに時間を割くことなんてできない。廻らせた思考が生み出したものを翻訳していかねば意味が無いじゃないかと、晴は溜め息をついては、コクの深いブラックを口に含んだ。
その時、ある投稿を思い出した。一時は隈なくチェックし、自分も作品の宣伝のために積極的に活用していたSNSだが、近頃は執筆仲間を励ますことを中心に使っている。そのアクションが蔓のように伸び、画面に様々な人の創作論を引き寄せるようになってから、気になる話題が目につくようになった。
「本棚の向こうだっけ? そこに行けばいい書き方を聞けるのかな?」
「いい書き方の基準は? そんなもの知れるなら皆やるよ」
「けど体験した人の話だと、新しい視点を得られたとか」
「つまり噂の棚の裏系の物語を読んで気づけたことなんかをメルヘンに語ることで、自分の作品も見てもらおうっていう作戦かなー」
探し当てた例の噂話の画面を閉じると、晴は口を尖らせた。
冷静になりすぎるのもどうかと思ってしまう。晴にとってその噂は、とても胸をくすぐるものだった。それと同時に、そこがどういった世界なのかを想像することそのものが、単純に想像力を鍛えるキッカケになっていた。
片や、ただ一冊の物語として存在しているという話ならば穏やかだ。ところが誰がはじめたことなのか、実在するような言い方で噂は広まっている。それは確かに、現実に生きる者として混乱する。ノンフィクション作品であると伝えたいのであれば、ハッキリ言って
「ちょっとぶっ飛んだ広め方だな……」
ただ晴には、その話題について様々想像するうちに、結局辿り着くところがある。自分で書いた物語に取り入れ続けている想い――目に見えないから存在しないというわけではない、というものだ。
テーブルに置いたマグカップの横で指を忙しなく叩きつけながら、目の前で寝そべる付箋だらけの啓発本を見つめた。
「体験した人が語るものが、どんどん違う風に言い換えられていくのは……」
また一つの問が浮かぶと、こだわりたいことや、早く新作の物語をウェブで公開したい気持ちでいっぱいになり、キュッと目を閉じてしまった。そうやって現実逃避をしている場合ではないと分かっていながらも、何か別の力が目元に働いたように感じた。
瞼の裏で、だんだん胸のつかえが緩み、ざわつきが縮んでいく。そして、悩みを招くもの自体を一度視界から取り払ってしまうことの良さを思い出すと同時に、目を開けた。そのまま、読むのに三周目に入る手元の啓発本を取ると、本棚のある部屋へさっさと向かう。
「ああそうだ、この子は斜めにしないと」
晴は膝をつき、文庫本よりも大きいその本を入れようと、同じ列に並ぶ他の本を取り出していく。出したまま、置いたままにするのは好きではなく、こうしてまた元に戻すくせに、目的の本を取り出すために一度抜いた他の本を片付けてしまう。余分に動きが発生してでも、目の前のスッキリさが欲しくなる。
そうして本が再び床に出されていき、啓発本を斜めに納めようとした時だった。晴は、そこに広がる数冊分の広い隙間に目が留まった。
「棚の、向こう……」
ファンタジーが好きだ。それもメッセージ性があり、多くを語らずに問を残すようなものが。だから自分も、幻想性を中心とした、それでいて未解答が残る物語を書きたいと思い、今日まで執筆してきた。
もし棚の向こう側に世界があるならば――そのテーマは自分にはうってつけではないかと、少しにんまりしてしまう。そして、小さな穴から外をのぞくように棚の隙間に両手をかけ、一人の時間のちょっとしたおふざけだと、顔をすっぽりとはめてみた。




