8日目 非非日常
8日目。
まあ、こんな感じで俺の非日常な一週間をお届けしたわけだが、面白かったなら幸いだ。
ゾンビ世界とはいえ、人間は案外たくましい。
飯を食い、筋トレをし、ゲームをして、たまに幻覚を見て隣人に振り回される——そんな日々が続くと思っていた。
油断していた。
ピンポーン、という軽い音が、すべてを変えた。
『五郎さん!!』
インターホン越しに聞こえた奏子さんの声は、明らかに壊れていた。
『テレビを見て!テレビ!早く!!』
テレビをつけた瞬間、俺の常識が粉々に砕けた。
『日本各地で大規模感染が発生!』
『これまでにない規模のゾンビが発生しています!』
『全域に避難指示が——』
画面は地獄そのものだった。
東京の街が、人の波に飲み込まれていく。
大阪も、福岡も、同じ。
ヘリからの映像は、まるで灰色の海が陸を侵食しているようだった。
「……は?」
理解が追いつかない。
田舎で一日数体程度だったはずのゾンビが、なぜ急に。
外から悲鳴が上がった。
ドンッ!!
ドンッ!!
ドンッ!!
アパートのバリケードが、激しく揺れる。
俺は窓に駆け寄り、カーテンを乱暴に開けた。
「……嘘だろ」
道路が、ゾンビで埋め尽くされていた。
百や二百じゃない。視界の限り、腐った肉の津波。
呻き声が地響きのように響き渡る。
アパートの住民たちが廊下に飛び出してきた。
「バリケードが持たねえ!」
「時間稼ぐぞ!」
下の階から、ムキムキのおじさんの怒声が飛ぶ。
家具を叩きつけ、ゾンビを叩き潰す乾いた音が連続する。
俺はすぐに部屋に戻り、最低限の荷物をバッグに詰め込んだ。
ハンマー、水、財布、スマホ、充電器、ラジオ。正直財布とか必要のないものも入れたかもしれない
ピンポーン。
ドアを開けると、血の気の引いた奏子さんが立っていた。
「五郎さん……」
「今すぐ裏口に!」
俺たちを含めてアパートの全員は全力で非常階段へ向かった。
一階のロビーを見下ろした瞬間、吐き気がした。
ゾンビが蟻のように溢れ、家具のバリケードを押し崩している。
「若いもんは逃げろ!」
「早く行けぇ!!」
背中を押されるように、俺たちは裏口へ飛び出した。
幸い、まだ数は少ない。
数体のゾンビがふらつきながら近づいてくるだけだ。
ハンマーを振り回しながら駐輪場に着くなり、俺は愛機のバイクに跨った。指が震えて鍵がなかなか刺さらない。
「頼む……!」
ブォォォォン!!
エンジンが咆哮を上げた瞬間、背筋が震えた。
これほどエンジン音を愛おしく感じたことはなかった。
「乗ってください!」
奏子さんが後ろに飛び乗るや否や、アクセルを全開にした。
腐った指が、ほんの数センチ横を掠める。
住宅街を爆走する。
風が頰を切り、奏子さんが背中に必死にしがみついてくる。
交差点に出た瞬間、俺たちは言葉を失った。
道路が、ゾンビで埋め尽くされていた。
灰色と赤の死者の海。
ゆっくりと、しかし確実にこちらへ押し寄せてくる。
「……なんだよ、これ」
アクセルを握る手が汗で滑る。
後ろから、奏子さんの小さな声が聞こえた。
「ひゅうごさん……」
「大丈夫です…」
全然大丈夫じゃない。
でも、そう言うしかなかった。
俺は歯を食いしばり、ハンドルを切り直した。
エンジンが再び唸りを上げ、エンジンが唸る。
バイクは林道へ飛び込んだ。
こうして俺の”非日常”は終わった。
そして。
本当の地獄が始まった。




