8.9日目裏切り
錆びた校門の前で、譲のバイクがゆっくりと止まった。
俺は少し遅れてブレーキを握る。エンジンの音が静かに消えていくと、辺りは不気味なほどの静寂に包まれた。
校庭には膝丈の雑草が生い茂り、校舎の窓ガラスは所々割れて、黒い穴のように口を開けている。風が吹くたび、錆びた鉄製の校門が甲高い音を立てた。
「……ここか」
俺が小さく呟いた、その時だった。
「動くな」
低い、抑揚のない声が響き渡った。
次の瞬間、校舎の陰、体育館の裏、校門の左右から、次々と人影が現れた。
一人、二人……十五人ほど。
全員が金属バットや鉄パイプ、鉈を持ち、中には猟銃を構えている者もいた。明らかに、ただの生存者ではない。
「ひぃっ……!」
俺は思わずハンマーを両手で握り締めた。指の関節が白くなる。
(終わった……!)
ここまで必死に逃げてきたのに、まさか人間に囲まれるなんて。
リーダーらしき男が一歩前に出た。鋭い目つきに、腕一面の刺青。見るからに堅気ではない雰囲気をまとっている。
「お前ら、生存者か?」
譲は肩を竦めて答える。
「見れば分かるだろ」
男の視線が、ゆっくりと奏子さんへと移った。
その瞬間、俺は無意識に一歩前へ踏み出していた。
「み、見るな」
「……あ?」
男の目が細くなる。俺は慌てて言葉を濁した。
「あっ……いや……」
しまった。余計なことを。
男が俺をじっと見つめる。視線だけで胃が縮むような圧迫感だった。足が小刻みに震え始める。
(ごめんなさい、ごめんなさい……)
すると、男が突然大声で笑い出した。
「ガハハハハ!!」
周囲の男たちも一斉に笑い声を上げる。
「そんなにビビんなよ!」
「俺らも生き残りだぜ」
「助け合わなきゃ、こんな世界じゃ生き残れねえだろ!」
一気に空気が緩んだ。
「……え?」
「中へ来いよ。飯もある」
「今日は宴だ!新入り歓迎会だ!」
男たちは武器を下ろし、笑顔で俺たちを校舎へと案内し始めた。
俺は譲と目を合わせた。譲も小さく肩を竦める。
「どうやら、当たりだったみたいだな」
その言葉に、俺の胸の奥で固く張りつめていた何かが、少しだけ解けた。
校舎の中は予想以上に綺麗に保たれていた。廊下は掃除され、発電機が低く唸る音が聞こえ、電気まで通っていた。教室には缶詰、乾パン、ペットボトルの水が山積みになっている。
「すげぇ……」
体育館に案内されると、簡易テーブルには炒め物や煮物まで並び、人々が酒を飲みながら笑い合っていた。ラジオから懐かしい音楽が小さく流れている。
「新入り歓迎会だ!」
「乾杯!」
俺は渡された缶ジュースを恐る恐る受け取った。奏子さんも、少女も、ようやく表情を少しだけ和らげている。
(……助かった)
ようやく、安心して眠れる場所が見つかったのかもしれない。
気が緩んだ。
一週間以上、ずっと張りつめていた神経が、一気にほどけていく。
笑い声、談笑、料理の匂い、懐かしいメロディー——すべてが、崩壊前の日常を思い出させた。
その瞬間、視界が揺らぎ始めた。
幻覚だ。
体育館が、会社の休憩室に変わる。スーツ姿の同僚たちが笑っている。
「前田くん、お疲れ」
「今日は定時で帰れるぞ」
誰もゾンビなど知らない、平和だった世界。
「……あぁ」
自然と頬が緩む。
こんな日常が、もう一度だけでも——。
ゴッ!!
突然、頭に鈍い衝撃が走った。
「がっ……!」
床に崩れ落ちる。幻覚が一瞬で吹き飛び、現実が牙を剥いた。
目の前に、金属バットを持った男が立っていた。
「悪ぃな」
腹に強烈な蹴りが入る。
「ぐっ……!」
息が詰まる。立ち上がろうとした瞬間、今度は鉄パイプが背中に叩き込まれた。
「がぁっ!」
周りを見ると、譲がライフルを構えていた。
「お前ら、何のつもりだ!」
しかし、四方八方から男たちが一斉に飛びかかる。
「撃たせるかよ!」
「銃を取れ!」
譲は舌打ちすると、窓に向かって全力で駆け出し、窓ガラスを突き破り、校庭へ飛び降りる。
「逃がすな!」
数人が即座に追いかける。
俺は助けを呼ぼうと口を開いたが、
「余所見してんじゃねえ」
ゴンッ!!
再び頭に衝撃。視界が激しく回る。
奏子さんの悲鳴が響いた。
「五郎さん!!」
少女の泣き声も重なる。
「やめて!!」
男たちは下品に笑いながら言った。
「久々の女だぜ」
「逃がすわけねえだろ」
「こいつらは、もう俺たちのもんだ」
俺は必死に腕を伸ばす。指先が空を掴む。
その後、何人もの足が俺を踏みつけ始めた。
腹、背中、顔。
何度も、何度も。
意識が遠のいていく。
最後に見えたのは、男たちに引きずられていく奏子さんの姿だった。
「……ごろ……さん……!」
その弱々しい声を最後に、俺の意識は暗闇の底へ沈んでいった。




