5 ボール遊びがしたい
結局、昨日は食堂で夕食を食べ終えたあと、官舎の部屋の前まで団長に送ってもらうという大変恐縮する事態になってしまった。
「団長に送っていただくなんて、新人の分際で恐れ多いです」
「構わん。俺も今日はもう上がりだからな。それより夜道を女性ひとりで歩かせる方が問題だ」
「夜道って……騎士団の敷地内ですけど?」
「どこに不届き者がいるかわからないからな」
「はあ……」
それはそれで問題じゃなかろうか。騎士団の敷地内に不届き者が潜んでいるなんて。
もうよくわからないけど、素直に送ってもらうことにした。ここでいくら遠慮しても、一歩も引いてくれそうにないから。
星がきれいだなぁなんてボーッと眺めながら歩くと、同じ敷地内なのですぐに部屋の前に着いた。団長は『鍵は必ずかけるように』と念を押して、帰っていかれた。
そして今は昼休み。いつものように裏庭のベンチでランチをしている。昨日は夕食を食堂でとったため残り物がなく、お昼は売店でパンを買ってきた。ナッツとレーズンがたっぷり入って、なかなか美味しい。他のパンも美味しそうだったな、今度は家で食べる分も買って帰ろう。
パンを食べ終わると、水筒に入れてきたコーヒーを飲んでホッと一息ついた。
「ゔう」
「金ちゃん!」
ガサガサという物音に振り返ると、植え込みの中から金ちゃんが姿を現した。今日もなにか口に咥えているみたい。
「金ちゃん、今日は何を持ってきたの?」
私が両手を差し出すと、その上にポトリとボールが落とされた。子供が遊ぶような柔らかいボールだ。
「ボール?」
「がう!」
また落とし物かしら……でも、金ちゃんはお行儀よく座って尻尾をパタパタと振っている。金ちゃんの尻尾、フサフサで気持ちよさそう。いつか触らせてくれないかしら。
「がーう!」
私が尻尾に見惚れていると、金ちゃんは立ち上がり鼻先をクイッと裏庭の奥に向ける。まるで、『そのボールを投げろ』と言っているみたい。喋れないから憶測だけれど。
「これ、投げたらいいの?」
「がう!」
「わかったわ。えーい!」
ボールなんて最近は投げたことがないから、あまり遠くには飛ばずテンテンテンと転がった。それでも金ちゃんはそのボールを追いかけ捕まえると、口に咥え尻尾をフリフリ戻ってきた。
「金ちゃん、よしよし偉いわ。さすが足が速いわね。また投げる?」
「がう!」
私は金ちゃんがボールを捕まえて戻ってくる度、頭を撫でて褒め、またボールを投げた。やっているとコツを掴んで段々と飛距離も伸びてくる。私、ボールを投げる才能があるんじゃない? 金ちゃんも空中でボールをキャッチしたり、動きも激しくなってきた。
「ハァハァ、金ちゃんちょっと休憩してもいい?」
「くぅん」
「私ったら運動不足ね。少しボールを投げたくらいで息が切れるなんて。最近は貴族の間でも、美容と健康のために運動をするのが流行っているっていうし。私もジョギングでも始めようかしら?」
「がう!」
街には専門のトレーナーがいる施設まであるらしい。しかし、入会だけでもそれなりにお金がかかる。私には贅沢すぎるわ。
その点、その辺を走るだけならタダだし騎士団の敷地は広い。さすがに騎士の訓練場までは入らないけれど、敷地内を騎士以外の働いている人が散歩しているのを見かけるもの。
「うん、いいかも。明日の朝から敷地内を走ろうかな。金ちゃんも一緒に走る?」
「がうがう!」
「ふふっ、冗談よ。朝からいなくなったら、お邸の方が心配するわよ」
「くぅん」
金ちゃんがしょぼんとうなだれたように見えた。
◇◇◇◇
翌日、いつもより少し早起きをして運動着に着替えた。と言っても、学生時代に学園で使っていた運動着だ。地味メガネのことなんて誰も見ていないでしょうから、服などなんでもいいわよね。
栗色の髪を後ろの高い位置でポニーテールにして、準備万端! 私は靴ひもを結び、朝日が昇ったばかりの外に出た。
「えっ、金ちゃん?」
「がう!」
私の部屋の前で座ったままパタパタと尻尾を振って待っていたのは、まさかの金ちゃんだった。
「あなたこんな朝早くから、本当にお邸を抜け出してきたの?」
「くぅん」
「ああ、怒っているわけじゃないの。お家の人は大丈夫なの? 心配してない?」
「が〜う」
金ちゃんはウンウンと頷いて『大丈夫』と言っているように見えた。ふふっ、本当に言葉が通じているみたいね。
「じゃあ、私のジョギングに付き合ってくれる?」
「がう!」
金ちゃんは嬉しそうに立ち上がると、私を誘導するように後ろを振り返りながら歩き出した。騎士団の敷地を熟知しているようで、騎士の訓練場の周りを走るコースを選んだらしい。ここなら騎士達の邪魔にもならないし、平坦な道なので初心者にも走りやすそう。
金ちゃんがそこを歩き出したのは偶然かもしれないけれど……いつものお散歩コースなのかな?
「体を動かすのは学生時代の授業以来久しぶりだから、ゆっくりめで行きましょう」
「がう!」
屈伸で準備運動をしたら、金ちゃんと並んで走り出した。金ちゃんは私を気にしてくれているのか、チラチラと様子を見ながらペースを合わせてくれている……が。
「――金ちゃん、私のことは、気にせず、ふぅ、先に行って。ハァハァ」
ごめん、思っていた以上に体力がなかったわ。一周もしないうちに、息が上がってしまった。膝に手をつきゼエゼエと息をしていると、金ちゃんが腰の辺りを鼻で押して前に進もうと促してくれる。私は顔を上げ、汗でずり落ちた眼鏡を元の位置に戻した。
「そうね、こんな中途半端なところで止まってちゃ、部屋にも帰れないわよね」
今日は初日だもの、一周にしておこう。というか、これ以上は無理だわ。
私はうしろから金ちゃんに鼻で押してもらいながら、なんとか部屋までたどり着いた。
「金ちゃん、ありがとう。もう少し走れるように明日からも頑張るわね」
「くぅん」
体力がないのに、いきなりジョギングは無謀だったわ。明日からはウォーキングにしよう。うん、それがいい。ウォーキングで少し慣れてから、ジョギングにすればいいわ。
金ちゃんは私が部屋の扉を開けるのを見届けると、どこかへ去っていった。
「本当に賢い子ね。あ、こんな時間! 私も準備しなくちゃ」
私は軽くシャワーを浴びると、仕事へ行くために事務官の制服に着替えた。
◇◇◇◇
――その日の夜。
「ケネリー、この辺りにペット用品を扱っている商会はあるか?」
「ペット用品ですか? はい、ございますが」
「では、明日にも呼んでくれないか」
「ペットを飼われるのですか?」
「いや? 飼わないが」
「では、贈り物かなにかで?」
「贈り物と言えばそうだが……俺が使う」
「んん?」
「とにかく、大型犬用の品を揃えて持ってくるよう言ってくれ」
「かしこまりました、アレックス様」
家令は首を捻りながらも、主人の希望に添うペット用品店をリストアップした。




