3 回数券
「ケネリー、報告を」
アレックス・グレイウルフは、グレイウルフ公爵家が所有する王都の別邸で家令のケネリーと執務室にいた。お茶をひと口飲んだところを見計らい、家令が口を開く。
「はい、アレックス様。シェリル・ホープ伯爵令嬢について、お調べしたことをご報告いたします。シェリル様はホープ伯爵家の三女。長女が跡継ぎとして婿を取り、次女は某伯爵家と婚約が調ったばかりです。前伯爵の下手な投資癖のせいで没落しかけておりましたが、息子に代替わりし現伯爵の奔走でなんとか持ち堪えた様子。シェリル様は、貴族にしては珍しく特待生として学園に通われていたそうです」
「特待生というと、学費が免除されるな」
アレックスも同じ学園の騎士科を卒業したので、特待生のほとんどが平民だということも知っていた。主に貴族の子女が通う学校ではあったが、優秀な平民も将来国の担い手として入学が許可されていた。優秀だから高額の学費も免除される……経済的に余裕のある貴族には、あまり関係のない制度ではあった。
ゆえにそれを利用して入学した伯爵令嬢というのは、かなり珍しいと言える。
ケネリーはひとつ頷くと話を続けた。
「左様でございます。在学中は常に上位の成績をキープし、教授の研究室でアルバイトなどもされていたようです」
「なるほど、あまり生活に余裕がなかったようだな」
「おそらく……王都の伯爵邸も早々に手放されたようで、寮生活をなさっていたとのこと。教授から聞き込んだ情報では『うちにはふたり分の持参金など残っていない。だから私は自立した女性になるのだ』と仰っていたそうです」
「次女の婚約が決まった事と一致する。結婚は姉に譲ったということか……なんと健気な」
「そういうことになりますね。卒業後は、給料が安定していて官舎のある王宮事務官か騎士団事務官を目指していて、みごと騎士団に採用されたということです」
「今年の事務方の募集はたったのひとりだったと聞いている。なかなか努力家のようだ」
アレックスは、どんどんシェリルに惹かれていくのを止められなかった。
裏庭で出会ったあの日、狼の姿をした自分を怖がると思ったのに、どういうわけか犬と勘違いして『かわいい』とモフられてしまったのだ。普段なら『誇り高き狼に向かってワンちゃんとはどういうことだ!』と怒るところだが、そこでなにかに目覚めてしまった。甘やかされ撫でられるのがあんなにも心地良いだなんて……彼女のふわふわした栗色の髪と、眼鏡の奥で優しく微笑むアメジスト色の瞳が浮かんでくる。
アレックスはグレイウルフ公爵家の次男としてこの世に生を受けた。グレイウルフ家は狼獣人の家系で、代々政治的、軍事的分野でも要職に就いている。
しかし次男という立場は微妙で……家を継ぐのは長男ではあるが、長男にもしものことがあれば順番が回ってくるため、産まれたときから長男と同じく厳しい教育を施されていた。
今のところタウンハウス本邸には、長男がお腹の大きな妻と暮らしている。おそらくこのまま行けば、アレックスは公爵家が所有する伯爵位をもらって分家することになるだろう――結婚すれば。
すでに二十六歳という若さで騎士団長の地位に就いているため、爵位などは正直どうでもいいと思っていた。だから無理に結婚する必要もない、婚約者もいらない、見合いなど興味もないと突っぱねていたのに。アレックスはあの心地良さを知ってしまった。
家族からも、グレイウルフ家の一員として幼い頃から厳しくされた記憶しかない。使用人達からも、主人の子息として大事にはしてもらえたが、どこか一線を引かれていた。あんなに真正面からかわいがられて、頭を撫でられたことなど一度もないのだ。
騎士団に入ってからも、狼獣人という強い種族に恐れをなし、アレックスを飼い犬のように扱う者など当然いない。軽口を叩いてくるのも、第一隊長のルークくらいだ。ルークも黒豹の獣人であるから、強さで言えばほぼ互角だった。団長であるアレックスを立てながらも、いつもあの調子で絡んでくるのだ。
「アレックス様は、あのお嬢様をどうされるおつもりで?」
「もちろん、俺のものにする。いや、俺が彼女のものになる」
「はい?」
「そんなことはどっちでもいい。とにかく、他のやつらには絶対に渡さない……」
◇◇◇◇
騎士団に入団してから、二週間ほどが経った。お弁当作りも、裏庭でのランチにも慣れてきたところだ。今日は冷蔵庫に残り物がなかったので、熟れすぎて安くなっていたバナナをスライスして、市販のチョコレートクリームを塗ったパンに挟んできた。うん、絶対に甘い。だけど、疲れたときにはよさそうだわ。私は持参したコーヒーと一緒にパンを食べ始めた。
どうせ誰も見ていないんだし、見た目が悪くてもそこそこ栄養があってお腹が満たされたら十分だ。
――ガサガサ
「あっ、金ちゃん!」
「ぐゔ」
私が食べ終わったのを見計らったかのように、いつも金ちゃんはやってくる。家から抜け出せなかったのか何度か来なかった日もあったけれど、会うのは決まって昼休みだ。会うたびに存分にモフらせてもらっている。今日は口になにかを咥えてるからか、うまく返事ができないらしい。
「金ちゃん、何を咥えてるの? 紙かしら」
金ちゃんは、私に手を出せと言っているかのように首を振り目で訴えた。もちろん、喋れないから憶測だ。私が両手を出すと、金ちゃんはその上にポトリとなにかの紙を落とした。
「えっと、これは騎士団食堂の回数券かな?」
「がう!」
よく見ると、十一枚綴りになった食堂の食券みたいだ。これ、十枚分のお金を払うと、一枚オマケが付いてきてお得なのよね。私は買ったことはないんだけど。
「金ちゃん、どこかで拾ったの? きっと落とした人が困っているんじゃないかしら。まだ一枚も使っていないみたいだし、受付の落とし物係に預けてき――」
「がうがう!」
「えっ、なに? 駄目なの?」
「が〜う」
金ちゃんは立ち上がった私のスカートを咥えて引っ張り、引き止めた。でも、落とし物よね? なおも金ちゃんは、私の手の平に食堂の回数券を前足でたしたしと押し付ける。
「私にくれるの?」
「がう!」
「う〜ん、いいのかしら」
金ちゃんは尻尾をパタパタと振って、ニカッと笑ったように見えた。
◇◇◇◇
昼休みが終わり総務部の席に戻ると、ヒルダさんとカーラさんに先ほどの話をした。だって、本当に私がもらってもいいのか不安なんだもの。新人事務官が横領で捕まったなんて、笑い話にもならない。
「ちょっとそれを見せてちょうだい」
「はい、この券です」
ヒルダさんは蛇腹折りになった券をひっくり返し、裏側を見て言った。
「シェリルちゃん、あんた大きな灰色の犬にもらったと言っていたね?」
「ああ、なるほどそういうことか」
ヒルダさんの手元を覗き込んだカーラさんは、何か納得したような顔をしている。
「大丈夫、もらっときなさいよ」
「そうそう、だんっ、いやワンちゃんからのプレゼントだよ。気にせず使っちゃいな」
「本当に大丈夫ですか〜?」
「絶対に大丈夫」「まったく問題ない」
ふたりはウンウンと頷いている。
私は返してもらった券の裏側を見た。そこには『天001』と、暗号のような物が書かれていただけだった。
表を見ると『騎士団食堂 夕食用』と書かれている。昼用と夜用では値段が違うのかしら? 今日の仕事帰りにでも寄って帰ろうかな。正直、食費が浮くのはありがたい。そんなことを考えながら、なぜかニコニコと楽しそうなヒルダさん達に午後の仕事を割り振ってもらった。




