14 グレイウルフ公爵家(3)
しばらく経つと、ふたりはふと我に返ったように私の元へ駆け寄ってきた。
「ハァハァ、シェリルちゃん、放っておいてごめんね! このワンコがムキになるから」
「ハッハッハッ、がうがう!」
「いいんですよ。見ているだけでも楽しかったので」
ふたりは肩で息をしながらも、私を気遣ってくれた。たくさん遊んだし、少し休憩した方がいいわよね?
そう思っていると、執事がお茶が入ったと声を掛けてくれたのでお言葉に甘えることにした。
「私、ワンちゃん用のクッキーを焼いてきたんですが、金ちゃんにあげてもいいですか?」
「シェリルちゃんの手作りクッキー?」
「はい、実家の犬にも時々焼いていたんです。お砂糖が入っていないので人間には物足りないんですけれど、歯ごたえのいいシンプルなクッキーですよ」
「ありがとうございます、きっと喜びますよ」
家令からも許可が出たので、かばんの中からクッキーの入った袋を取り出した。抜き型など持っていなかったので、薄く伸ばした生地をナイフで四角に切って焼いただけのシンプルなクッキー。今朝、官舎の小さなキッチンでお土産用に作ってきたのだ。
金ちゃんは、先程までグレイウルフ団長が座っていた私の隣の席にお行儀よく座っている。私は金ちゃんにクッキーを一枚差し出した。
「金ちゃん、はいあーん」
「あー」
金ちゃんは私の言葉を理解したかのように、口をあーんと開けた。クッキーを口元に近付けると、私の指をぺろりと舐めてクッキーを口に入れた。ボリボリと噛み砕く音がしている。
「金ちゃん、どう?」
「あうーん!」
「ふふっよかった。お口に合ったみたいね」
「アタシもひとつ。ん、たしかに甘みはないけど素朴で美味しいわよ」
「ぐるる!」
金ちゃんは『それは俺のクッキーだ!』と言わんばかりに、つまみ食いをしたルーちゃん隊長を威嚇した。
「なによ、ひとつくらいいいでしょ?」
「金ちゃん、まだあるから、ね?」
「がう!」
金ちゃんは機嫌を直すと、またあーんとクッキーをねだった。
「うわ、甘えちゃって」
「ルーちゃん隊長、どうしました?」
「ううん、何でもないわ。それより、この子なにか芸ができるのかしら?」
「芸……ですか?」
うーん、裏庭で遊ぶときは特に何もしていなかったけれど。これだけ賢い子だもの、なにかできそうね? 私が家令の方を窺うように見ると、
「あーその、お手、とか?」
と、なぜか目を泳がせながら答えてくれた。うんうん、犬の芸と言えばお手は基本よね! うちで飼っていたクロちゃんもお手は上手だったわ。
「金ちゃん、お手!」
「がう!」
金ちゃんは私が出した手のひらに、たしっと右の前足を載せた。
「じゃあ、おかわり!」
「がう!」
今度は左の前足をたしっと載せた。
「凄いわ! 金ちゃん上手よ〜!」
私が金ちゃんの顔をモフりながら褒めていると、家令や執事は拳を口に当て肩をプルプルと震わせている。あれ? どうしたのかしら。ルーちゃん隊長も、テーブルに突っ伏してプルプルしているわ。
「ヒィーーお手、お手してる!」
「はい、とっても上手ですよね」
ルーちゃん隊長は、なぜか笑いすぎて死にそうになっている。ひとしきり笑い転げゲホゲホとむせた後、同じように金ちゃんに向かって手のひらを差し出した。
「お手」
金ちゃんはルーちゃん隊長の手をペシンと払い除けると、フンと鼻を鳴らして横を向いた。
「あら、女の子にしかしないの?」
「クッキーをあげてみてはどうでしょうか? 仲良くなればきっとルーちゃん隊長にもしてくれるはずです!」
「そうねぇ、だんっ……じゃない、金ちゃん。クッキーをどうぞ」
金ちゃんはしぶしぶといった顔でクッキーを口に入れると、ボリボリと噛み砕き、ルーちゃん隊長が『お手』と言う前に、高速でたしったしっと左右の前足を手のひらに載せた。
「ほら、よくできました!」
「がう」
顔をモフって褒めると、金ちゃんは椅子の背もたれにバシバシと当てながら尻尾を振った。
――そういえば、団長は執務の確認に行ったまま戻ってきていないわね。お忙しいのかしら? だったらあまり長居をしても申し訳ないわ。金ちゃんとも思い切り遊べたし、そろそろお暇しようかな。
「あの、団長はまだお仕事がお忙しいんですよね? あまり長居をしても申し訳ないですし、私そろそろお暇しようかと」
「うおっ!? が、がう?」
「金ちゃん、ご主人様がお仕事をされているのにいつまでもお邪魔していては悪いわ。団長にご挨拶だけして今日は帰るわね」
「あら〜、シェリルちゃん帰るの? じゃあ送っていくわよ」
「がう! がう!」
金ちゃんは椅子から下りてウロウロと歩き回り、焦っているように見えた。するとすかさず家令が駆け寄ってくる。凄いわ、毎日一緒にいたら、ワンちゃんの言いたいこともわかるようになるのかしら。
「アレッんん、金ちゃん、疲れましたか? そろそろ中に入りましょうか」
「がう!」
「スウィフト様とホープ様は、こちらで少しお待ちくださいませ!」
金ちゃんは私の手にスリっと顔を寄せたあと、お邸に向かって駆けていった。それを追いかける家令の姿をぼんやり眺めていると、ベテランそうなメイドが『お嬢様、失礼いたします』と近付いてきて、例のローラー状になった粘着テープで服に付いた毛をコロコロときれいにしてくれた。
そうか! 金ちゃんはメイドさんから借りてきたのね。
「あの私、金ちゃんからその粘着テープをもらったんです。メイドさん達の物ですよね? 勝手に使ってしまって困っていませんか?」
「そちらはお嬢様のものです。どうぞお使いくださいませ」
メイドはにっこり微笑んで、そう言ってくれた。ならば、ありがたく使わせてもらうことにしよう。
「ありがとうござ――」
「シェリル嬢!」
メイドにお礼を言っていると、お邸の方から焦ったような表情の団長が物凄い勢いで走ってくるのが見えた。相変わらず、足が速い。さすがは現役の騎士団長だわ。
そんなことを考えていると、団長はもう目の前まで迫っていた。
「まあ、団長! 私そろそろお暇――」
「そう言わず、もっとゆっくりしていってくれ!」
「ですが、団長もお仕事が立て込んでおられるようですし……金ちゃんも疲れてしまったようですから」
「疲れてなどいない!」
「そ、そうですか?」
なんで金ちゃんが疲れていないってわかるのかしら? でも、もうお邸に帰っちゃったしなぁ。
「今日のところは失礼します。結局、私の方が楽しませていただいて何のお礼もできていませんけれど」
「そんなことはないぞ。俺も楽しかったよ」
「でも……何かお返しがしたいです」
「そんなこといいのに。いや、そうだ。このハンカチに刺繍をしてくれないか?」
「刺繍、ですか?」
団長はポケットからお高そうな生地の白いハンカチを取り出した。刺繍は得意だけれど、ハンカチは団長の物だしそんなことでお礼になるのかしら?
「それは構いませんが、本当にそんなことでお礼になりますか?」
「ああ、君の刺繍がいい」
団長は嬉しそうに私の手を取ると、ハンカチを手に載せポンポンと叩き握らせた。
「どのような絵柄がよろしいですか? イニシャルとか?」
「君に任せるよ」
「承知いたしました。図案を考えますので、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、楽しみにしている」
んんっ、と隣から咳払いが聞こえた。あっ、静かだったから、ルーちゃん隊長のことはすっかり忘れていたわ。
「なにふたりの世界に入ってんのよ。アタシもいるんですけど〜」
「まだいたのか」
「いるわよ! あー団長だけズルいわ〜アタシもシェリルちゃんの刺繍入りハンカチがほしいなぁ」
「ええ、もちろん。この間ランチをごちそうしていただいたお礼をしたかったので、ルーちゃん隊長も刺繍でよろしければ」
「なっ!」「嬉しいわー! じゃあアタシもハンカチを渡しとくわね。はいこれ」
ルーちゃん隊長もポケットからハンカチを取り出すと、私の手に載せた。ハンカチくらいなら私でも買えるのに、気を遣ってくださったのかしら。ならばなおさら、刺繍を頑張らなくちゃね!
「なんでお前まで――」
「じゃあシェリルちゃん、そろそろ帰りましょうか!」
「俺が送っていく!」
「いえ、団長はお忙しいので大丈夫です!」
「そんな……」
「ちゃんとアタシが送るから、心配しないで〜」
なぜか団長はガックリとうなだれていた。ルーちゃん隊長はニマニマと楽しそうだ。
「団長、今日はありがとうございました」
「いや、よかったらまた遊びに来てくれ」
「本当によろしいのですか?」
「もちろんだ。うちの犬も喜ぶ。ケネリー、あれを」
「はい、こちらにご用意いたしております」
家令からそっと箱を渡される。何かしら?
「お菓子を気に入ってくれたみたいだから、お土産だ」
「まあ、お土産までいただけるなんて」
「手作りクッキーをごちそうになったからな。遠慮せず持って帰るといい」
「ありがとうございます……」
あれぇ? 人間用のクッキーはなかったんだけれど。あのときいなかった団長がなぜそのことを知っているのかしら。家令から話を聞いたの? さすがは公爵家、報連相が行き届いている。
「さっ、帰りましょうか」
「はい、お願いいたします」
行きと同じようにルーちゃん隊長に馬に乗せてもらい、官舎へと向かった。
「ルーちゃん隊長は何のモチーフを刺繍しましょうか?」
「そうねぇ、黒……猫がいいな」
「ふふっ、猫ちゃんかわいいですよね。承知しました」
ルーちゃん隊長が黒猫なら、団長の刺繍は何にしようかな。




