10 王立中央植物園
今日はウォーキングをお休みして、朝から身支度を整えた。選んだのは、薄いイエローのくるぶしまであるふんわりしたワンピース……私が持っている私服の中で、珍しく明るい色味の服なのだ。
紺色や茶色など落ち着いた色を選びがちな私に、お姉様達が『あなたには明るい色が似合っているわ』と選んでくれたワンピース。えー地味な私にこんなかわいらしいデザインが似合うわけがないのに、と思ったけれど『王都でお友達ができたら、お出かけに着るといいわ』と学園入学の際に持たされた数少ない服のうちのひとつだ。
――どこにも行く機会がなくて今日まで着ることがなかったのだけれど。
髪を編み込み、薄くリップを塗って鏡の前に立った。ヒルダさん達のアドバイス通り、おしゃれとまではいかないかもしれないけれど、見苦しくはない程度にはなったかな。
私はパンプスを履くと、植物園のある公園へ向かった。
◇◇◇◇
「あの、このチケットは使えますか?」
「前売り券ですね。ええ、もちろん使えますよ。どうぞごゆっくりお楽しみください」
「ありがとうございます」
植物園の入口でチケットを見せると、何事もなくすんなりと入れてしまった。外からしか見たことがなかったガラスの温室は、ドーム状になっていて天井が思っていたよりもずっと高い。
「わあ、すごい……」
私は首を反らせて天井を見上げた。天気がいいからか、キラキラと光が差し込んでいる……と思ったら、そこにフッと影が差した。
「シェ、シェリル嬢?」
「えっ?」
私の顔の上に突如知っている顔が覗き込むように現れて、そのまま後ろにひっくり返りそうになってしまう。
「ひぇっ!」
「あぶない!」
ガッシリとした腕に腰を支えられ、そのまま後ろにあったたくましい胸にもたれかかったおかげで、なんとか尻もちをつくことは免れた。でもなぜこの方が?
「だ、団長?」
「すまない、驚かせてしまったようだ」
「いえ、大丈夫です。あの、ありがとうございました」
支えてもらった腕から離れると、改めてグレイウルフ団長に向き合いお礼を言った。それにしても意外な人に会ったものだ。
「団長も植物園に来られるのですね。デートですか?」
「いや、ひとりだ。君は?」
「私もひとりです。お友達からチケットをいただきましたので」
「そうか、だったら一緒に回らないか?」
「でも……」
いいのかしら? 私は婚約者もいないし、これから先も結婚の予定などないけれど、団長は由緒ある公爵家の方で婚約者もいらっしゃるでしょうし。こんなデートスポットで、他の女と歩いていたなんて変な噂にでもなったら、ご迷惑なんじゃ――
「迷惑だったか?」
「いいえ、私の方がご迷惑なのじゃないかと思いまして」
「なぜだ? 迷惑だったら誘わないよ」
「でも、ご婚約者の方に誤解などされては申し訳ないですし」
「婚約者などいない!」
「あら、そうなんですね?」
団長に婚約者がいないなんて意外だったわ。公爵家の御子息で騎士団長という肩書もあり、しかも容姿も悪くないのに。というか、格好いい。私服姿を初めて見たけれど、凛々しい騎士服の時とはまた違った品の良さがある。やっぱり、うちみたいな名ばかりの貧乏貴族とは次元が違うわね。
「シェリル嬢?」
「えっ? あぁ、ぼんやりして申し訳ありません」
「俺と回るのは嫌だろうか……」
「いえ、そんなことはございません! 団長がよろしいのならば、ぜひ」
「よかった!」
一瞬しゅんとした顔が誰かに似ているようで、放っておけなかった。思わず誘いに乗ってしまったら、満面の笑みが返ってくる。おっと、こんな顔もされるのね。まるで尻尾を振る金ちゃんみたいでかわいいわ。いや、大人の男性にかわいいって失礼かな。
「シェリル嬢、腕を」
「はいっ?」
「その、迷子になるといけないから」
「なるほど?」
カーラさんも言っていたわね、広すぎて迷子になるって。私はありがたくエスコートを受けることにした。
思えば、男性からエスコートをされるのは初めてかもしれない。社交界デビューもしていないから当然か。団長の腕はジャケットの上からでもわかるほどガッシリしていた。
「団長はよくこちらに来られるのですか?」
「子供の頃に兄や家庭教師と勉強がてら来た覚えはあるが、大人になってからは初めてだ」
「そうなのですね。私は初めてなんです」
「学生時代は勉強で忙しかったと言っていたな」
「それもありますが……まあ、その、あまり余裕がなかったのもありますね」
植物園の入園料は、庶民でも入れるくらいだからそんなに高いわけではない。実家からも多少は仕送りもしてくれていたし、行けなくもなかった。だけど、あの頃の私は『なんとか自立しなくては』という焦りもあり、休日に遊びに行くという心の余裕がなかったのだ。
王都は田舎の領地と違って、色々な娯楽施設が揃っている。劇場や美術館、ショッピングを楽しむことだってできる。だけど、それらに出向くということさえ頭から抜け落ちていた。
「学生時代の私は、自分の足で立つことにいっぱいいっぱいでした」
「事務官になるために頑張っていたのだな」
「ええ、先生方のご指導のおかげでなんとか事務官になれました」
「そうか。偉かったな」
団長は立ち止まると、私の頭をよしよしと撫でた。
「えっ?」
「あっ、すまない。せっかくきれいに結ってあるのに」
「いえ、大丈夫です」
誰かに頭を撫でて褒めてもらったのは、いつぶりだろう。なんだか妙にくすぐったいわ。
「ある人が……」
「はい」
「俺が何か頑張ると、こうやって頭を撫でて褒めてくれるんだ。それが妙に嬉しくてな。つい君にもしたくなった」
子供の頃にご家族から褒めてもらったのかな? さすがに、こんなに大きな男性をよしよしする人なんかいないわよね。
「まあ、そうでしたか。私も、人からこんなふうに褒めてもらったのは久しぶりです」
「なぜだ? 君はとても優秀な成績だったと聞いている。褒められ慣れているのではないのか?」
「貴族の娘が優秀な成績を取っても、周りは褒めてくれませんよ。見た目が美しいとか、社交的だとかそういう人のほうが価値があるんです」
「そんな馬鹿な、」
「ごらんの通り、私は地味メガネですから」
「そんなことはない! 誰だそんな失礼なことを言ったやつは……噛み殺してやる」
「団長?」
なんか最後のほうがよく聞こえなかったけれど、深く追求するのはやめておこう。
「あの、自分でもわかっていますから大丈夫ですよ」
「なにを言っているんだ。君は普段もかわいらしいが、今日のその服も似合っているし本当にきれいだ」
「ふぁっ?」
ちょっ、真顔で物凄いことを言われているんですが。きれいって誰が?
「こんなに素敵な女性をエスコートできて光栄だ」
「おぅふ。あ、ありがとうございます……」
聞き間違いじゃなかった! 本当に私を褒めてくれてるんだわ。さすがは公爵家のご子息ね。どんな女性であろうとサラッと褒め言葉が出てくるように、小さい頃から訓練されているのかもしれない。そうでないと、地味メガネ相手に『きれい』だなんて出てこないと思うの。
そうとわかれば、浮かれないようにしなくては。勘違いしても痛いだけだもの。
「シェリル嬢? 次はあちらを見に行ってみようか」
「は、はい。そうしましょう」
さすがは王立の植物園。近隣諸国から取り寄せられた珍しい花が咲く樹木や、珍しい果物がなる果樹なども植えられていて、どれもが新鮮で見飽きることはなかった。
「まあ! 室内なのに滝があるわ!」
「水生植物もあるそうだ。小柄な人なら、あちらの池にある大きな蓮の葉に乗れるらしいぞ」
「あれですか! 確かに大きいですが、さすがに大人は無理そうですね。子供とかワンちゃんくらいの大きさなら大丈夫そうですけど」
「ワンちゃん……」
ふふっ、金ちゃんが乗ったらかわいいだろうなぁ。金ちゃんが蓮の上でキリッとおすわりをした姿を想像していると、隣から咳払いが聞こえてきた。
「ん゛ん、シェリル嬢? あちらにショップがあるみたいだ。行ってみないか?」
「はい、何があるんでしょうね」
出口付近にあるお店には、押し花を使ったレターセットやキャンドル、しおりなど植物園らしい小物が並んでいた。花びら入りのクッキーやハーブティーなどもあって、見ているだけでも楽しい!
「なにか欲しいものはないのか?」
「欲しいものですか?」
「ああ、今日の記念に……」
「記念、ですか?」
「いや、その、デートの記念ゴニョゴニョ」
「えっと、ごめんなさい。よく聞こえなかったのですが」
「んん、気にしないでくれ。なにか、好きなものとか」
「好きなもの……」
いつもは節約しているけれど、たまには自分にご褒美があってもいいかもしれない。素敵なものがたくさんあって目移りするわ。店内を見渡していると、鉢植えになった苗のコーナーが目についた。
「あっ! これにします!」
「んん?」
「お嬢さん、いいところに目をつけたね。それなら支柱もいらない品種だし、窓辺のフラワーボックスでもよく育つよ」
店番をしていたおじさんがニコニコと近付いてきて、苗の育て方を教えてくれた。
「いいですね! それなら私の部屋でも育てられそうです」
「シェリル嬢、それは……」
「ミニトマトです! 実が生れば食材になりますし!」
「お、おう。君らしいな。これをひとつもらおう」
「毎度ありがとうございます!」
「え、え? 団長、自分で買いますよ?」
「いいんだ。今日付き合ってもらったお礼に贈らせてくれ」
何度か遠慮したが、『他にも欲しいものがあれば……あれもどうだ?』などと増やされそうになってしまったので、お言葉に甘えてミニトマトの鉢植えだけ買っていただいた。
「今日は楽しかった。ありがとう」
「こちらこそ。ひとりで見るつもりだったのに、思いがけず団長とご一緒できたのでとても楽しかったです」
「ふぅー」
団長はまぶたに手のひらを当てて上を向いてしまった。なんかデジャヴ。どこかで見たような光景だわ。
「ランチでも誘いたいところだが、俺はこのあと騎士団に顔を出さないといけないんだ。官舎まで送ろう」
「これからお仕事なんですね! それはお疲れ様です。ではお願いいたします」
官舎まで送っていただくのにもだいぶ慣れてきた。最初はあんなに恐れ多いと思っていたのに。団長の気さくなお人柄のおかげかしら。今度なにかお礼をしましょう。




