17.経験者
他の生徒に混ざって練習の様子を見ていたリーゼに、隣で休憩していたレイスが声をかけた。
「……リーゼさんもやらない?」
「ああ……あの、私は」
リーゼはそう促されると、おどおどと視線を落としていた。
「いいよリーゼ。本気でやってきて!」
「っ?!」
別の生徒が魔法を放って去っていく中、慌てるリーゼの魔力に反応したのか、ツバキが大きな声で呼びかけてきた。
「わぁ……! えっと……」
リーゼが目を白黒させていたが、やりたくないというわけではないらしい。
彼女は慌てたまま、ジャージのポケットから何かを取り出しては隣に差し出す。
「わ、わかった。レイスさん……ごめん……これ、持ってて、ほしい」
そう言ってレイスの手に乗ったのは、スマホだった。
差し出されたそれを見てレイスは頭に疑問符を浮かべる。
普通、授業中にわざわざグラウンドに持ち込むものではないからだ。
「スマホ? リーゼちゃんのじゃないけど」
「えっと、ツバキのものだ」
と、リーゼは慌てたまま生徒たちの集まりから抜け出していった。
「すぅ…………えー」
疑問の上から別の疑問が重なってきて、瞬きはするも完全にフリーズしていた。
おかしかった。ツバキというのは彼女の知る限り、つい先ほど自分の魔法を無傷で受け切ったギルドの社員なのだから。今だってリーゼの準備を待っている。
「……え? なんで?」
そんな処理が間に合うはずもなく、レイスはこの謎のスマホを持った手を差し出したまま固まっていたが、周りの生徒たちの歓声によって顔が跳ね上がった。
リーゼとツバキの対面が始まっているのだ。
「でやあっ!」
そこでは、アクロバティックな動きでツバキに飛び掛かるリーゼの姿があった。
「リーゼってあんなに動けたのかよ……」
「なんていうか、ガチじゃん」
手のひらから生み出した光の刃を手に、体を捻り繰り出す一撃。避けられたのを見て即座に第二の攻撃を放つ。
それは、運動神経が良いという程度の話ではなかった。距離の詰め方も、次の動きへ移るまでの迷いのなさも、全てがあまりに早い。
まるで、相手がどう動くのかを最初から知っているような戦い方だった。
「あの羽は?」
「さあ」
組み手とは思えない戦いに見入る中、誰かがポツリと呟いた。
なんのことかといえば、戦闘中のリーゼが背中に伸ばしている翼のような光の塊だった。
高く飛び上がっては落下の速度を緩めたり、低空飛行で下段から攻めたりと使いこなしている様子。
それが生徒たちには不自然に見えた。
「なぁレイス」
レイスがスマホを差し出した手のまま戦いに見入る隣で、女子生徒が声をかけた。
クラスでも同じような位置にいた水色髪の女子生徒。彼女の話し方は親しげで、どこか特徴的な抑揚があった。
「うちのデータに違いがなかったら、あの子が使うのって、光から武器を作り出す魔法……それだけやったよね」
「そのはず。マオがまとめた通りのはずだけど……知らない魔法でもあったかしら」
マオ。そう呼ばれた水色髪の女子生徒は息を呑んだ。想定外な光景を前にふわふわとした髪に手を当て、戦いの様を引き続き見ていた。
その時だった。
「ん?!」
遠くでツバキとリーゼの動きがぴたりと止まった。
何故か組み手をやめた二人は、揃って方角を見てはその視線の方へ構えをとっていた。
「ツバキ……またくるのか」
「みたいだね」
小声でやり取りするツバキとリーゼの視線の奥で変化が訪れる。グラウンドの中央付近に紫に光るモヤのようなものが浮かんできたのだ。
二人はその中から感じる魔力を感知し、即座に戦いの構えをとっていた。
「全員下がれ!」
二人から少し離れた位置にいた生徒たち。その後ろからニコレスが声を上げながら前へ飛び出し、光沢がギラリと輝く鉄の杖を、紫の靄に向かってまっすぐに構えた。
そんなニコレスの警戒態勢とは別に、ツバキとリーゼはやり取りを続けていた。
「こんなところに……。ツバキ、私にやらせてくれないか」
「リーゼが? その迷いのなさは、できるってことで__」
ツバキが言い切るより先に紫の靄が動いた。その奥で蠢く影が地面を踏みしめた瞬間、重い音がグラウンド全体に響いた。
「先生なにあれ」
「え……? さあ、魔物……? いやいや」
生徒や教師たちが不気味なほど騒がず、出し物でも見るように周辺で話していた。
毛皮越しに筋肉の筋が浮かぶバネのような両足に、それを支えるように立つ尻尾。ツバキが元いた世界の動物で例えるならば、カンガルーに近いだろうか。
突如として、グラウンドの真ん中にカンガルー型の魔物が出現した。
「ギルドの出し物……じゃないよね」
「なんか変だってこれ」
あまりに突然の出来事。誰もそれを本物の魔物としては認識しなかった。
結界の中に魔物は湧かないのだから、その反応は当然のものだった。
ギルドの仕事で壁の外に出たことのあるツバキとニコレスはそれ自体に驚くものではなかったが、この場の生徒の中で、リーゼだけが違った。
「手出しは無用だ。あれなら私でも倒せる」
「言ったね。やばそうならすぐに倒すから」
互いに見合った後、リーゼは光の翼を広げ、全神経に弾かれるようにして飛び出した。
まるで何度も交戦したことがあるような、当たり前の事のようだった。
「な……リーゼさん!」
少し離れた位置でニコレスが名を呼んだが、迷いのないリーゼには、それが聞こえていたかは定かでない。生徒たちが皆怯えているにも関わらず、一人勇敢に魔物に突撃していった。
魔物は尻尾だけで大きな全身を支え、太ももから足先にかけて鋭利な形状をした両足を、飛翔するリーゼへ向ける。
「なあ……もしかしてあれ」
「グギャアアっ!!!」
「あ……!」
威嚇の如く魔物の雄叫びで、他の生徒たちが身震いした。ようやくあの場にいる動物の正体を思い知ったのか、グラウンドから逃げ出すものや後ずさる者も出てきた。
「ギェアっ!」
リーゼは、魔物のバネのように放たれた両足を体を逸らして回避し、その勢いのまま魔物の尻尾へ向かって刃を滑らせた。
「グエッ?!」
弧を描いた刃があっさりと振り切り、尻尾と体が分裂。
支えを失った巨体が地面に叩きつけられ、全身をバタバタとさせてもがいていた。
「ギィエエア!!」
口から唾を飛ばし、怯えの混ざった威嚇で抵抗をするが、その上空、魔物へ向かって降りかかるはリーゼの影。
「黙れえっ!」
怒気に満ちた形相と華奢な体は槍の如く勢いで、着地と同時に魔物の脳天を光の刃でひと刺しした。
魔物が断末魔を発し、完全に動きを止めると同時に光の柱になって天へ昇った。
「ふぅ……」
突き刺した跡を見つめ、リーゼは一息ついていた。
周囲は昇った魔物に騒然とする中、ニコレスはリーゼの残心に呆気に取られた。そして杖の構えを解いて、胸を撫で下ろした。
「あれほどまで動けたのか。リーゼさんは……」
迷いも無駄もない、あまりにも速い制圧だった。
刃を作り出すまでの間も、距離の詰め方も、とどめを刺すまでの流れも、すべてが一筆書きのように繋がっていた。
ニコレスは素直に感嘆しながらも、同時に胸の奥へ鈍い冷たさが落ちていくのを感じていた。
「いや、動けざるを得なかった。ということか……?」
以前聞かされたタイムスリップの話。
あの時は、正直なところ現実味の薄いものとして受け止めていた。未来から来た少女。滅びた世界。どれも重い言葉ではあったが、実感も体感も追いつかなかった。
だが今の動きは違う。
学校の訓練や、壁の外へ出たことのない者の実戦経験で身につく類のものではない。
彼女をそうさせるだけの戦いがあったのではと、そんな考えが脳裏を過ぎった。
「滅びた世界……その時の私は、何をしていたのか」
思わず漏れた声は、周りに聞こえないほど小さく尻すぼんだ。
リーゼのいたという未来に、自分はいたのか。いたとして、何を見て、何を守れずに、何をしていたのか。
考えようとするほど、胸の奥にひりつくような焦りだけが広がっていく。
「い、今の……本物だったよね。どういうこと」
遅れて、周囲の生徒たちが現実へ引き戻されたようにざわめき始めた。
先ほど魔法で自滅したザイルが、腕のかすり傷を不安げにさすりながらレイスの隣へ並ぶ。
その顔からは、さっきまでの調子の良さがすっかり抜け落ちていた。
「動けなかった……もしこっちに向かってきてたら、俺たちやられてたんじゃねぇのか。レイスは、どうだ」
「さっきみたいに集中して魔法が出せたか……分からないわね」
レイスの手は、杖を握ったまままだ震えていた。
さっきまで自分の全力をぶつけようとしていた相手は、人とはいえ、一応ただの的だった。
だが今グラウンドに現れたのは、自分たちを殺し得る存在だった。
その差を、彼女たちは初めて肌で理解した。
生徒たちの視線の先、戦いが終わったリーゼの背に生えた翼や武器は粒子となって消えた。そこへツバキが駆け寄っては、肩に手を置いた。
「やるじゃん。あんなに綺麗に動けるなんて」
「私がいた世界では、これが日常になっていたさ。ここにいるみんなも、ほとんどやられて……」
そこまで言ったところで、リーゼの声が弱くなった。
魔物を倒した直後だというのに、その顔には達成感はないようだった。
「そっか。だったら変わるよ。この世界の未来は。俺とリーゼが会ってるんだから」
「そう……だな。ここにいる間くらい、全力で戦い抜いてみせるさ」
リーゼは小さく息を吐いてから頷いた。
笑ってはいなかったが、先ほどより少しだけ視線に熱のようなものが戻っているように見えた。
生徒たちの元へ戻ったツバキとリーゼ。
彼ら彼女らが固まる近くでは、ニコレスがスマホを耳に当て、すでにどこかへ連絡を入れている様子だった。
張りつめた横顔と短く切られる言葉を見れば、連絡先がどこなのかは想像するまでもなかった。
グラウンドに現れた魔物が本物である以上、ここから先は学校だけの問題では済まない。
「本当に魔物をやったの?!」
「う、うん。みんな大丈夫だった。よね?」
「すげぇじゃん! いつも落ち着いてるのに戦うとああまで強いんだ!」
「ま……まあな」
張りつめていた空気がようやく少しずつほどけ始め、生徒たちの視線が一斉にリーゼへ集まる。
賞賛の視線に囲まれ、リーゼは照れたように目を逸らしたり、返事に詰まったりと、戦闘時の切羽詰まった雰囲気から、ようやく普段の彼女らしさを取り戻していた。
そのそばでは、また違う集団の塊ができていた。
ツバキと、その周りに集まる魔法科の生徒たちだった。
「あの、ツバキさん」
声をかけてきたのはレイスだった。
休憩して少し楽になったのか、顔色が良くなっていた。
「なに?」
「これ、リーゼさんから預かってました」
「あ、スマホか。ありがとう」
差し出されたスマホを受け取りながら、ツバキは何気なく礼を言う。だがレイスはすぐには離れず、その場でツバキをじっと見つめていた。
疑い深いような、細い目だ。
「……その、ツバキさんとリーゼは、どういう関係なんですか。スマホ預けちゃって」
周りへの配慮からか、口元に手を当てて小声で問いかけてきた。
「俺の仕事周りで少しお世話になってたんだ。学校で唯一知ってたからぱっと預けた」
「そうなんですね」
それに対して、ツバキも自然と小声になった。
レイスは納得したような、していないような曖昧な相槌。
それでも今はそれ以上踏み込まず、小さく頷くだけに留めた。
ツバキはなんとなく微妙な空気を振り払うように、今度は生徒たち全体へ向けて声を張った。
「あ、そうだ。みんな俺のこと、タメでいいよ」
「え?」
「こんなんだけど俺、まだ十七でさ。みんなと同じ世代だから」
「え……ええええ?!」
今でも騒然としていたのが、一瞬の間を挟んで、生徒や教師たちがざわついた。
その中でも最も大きく反応したのが、魔法で自爆してしまった金髪の生徒、ザイルだった。
しばらくあんぐりとしていた彼だったが、やがて呆れたように目を見開いては、レイスに割り込んでツバキの顔をじっと見ていた。
「いや、若いとは思い、思ったけどよぉ……悔しいなぁ。あんなに強いなんて」
疑うより先に、悔しがっていた。
ちゃっかり敬語が出かかったのをツバキの言う通りタメに言い換えるあたり、テンションの高さに反してかなり礼儀正しいのかもしれない。
その隣、割り込まれてザイルに嫌味顔を向けたレイスが改めてツバキに尋ねた。
「じゃあ、同い年として聞きたいんですけど、ツバキ君がどんな魔法を使うのか、見せてくれない?」
魔法。ここは魔法学校なのだから当然の質問だったのだが、ツバキは苦い顔をするしかなかった。
「あ……俺、魔法はダメダメだから。肉体の強さしか自慢できないのよ」
「え……いや、よ、よかったぁ」
それを聞いて、レイスは一瞬困惑していたが、緊張が解けたようにほっと一息ついた。
「これで魔法もバリバリだったら、私完全にいじけてるところよ。本当に」
その一言をきっかけに、ようやくグラウンドの空気に笑いが戻った。
魔物が現れた直後とは思えないほど、あちこちで安堵混じりの声が弾む。
それでも誰も完全には平静を取り戻してはいない。
今日ここで、自分たちは訓練ではなく本物の魔物を目にしたのだと、その事実だけが全員の胸に静かに残っていた。
特別講義および特別授業が終わり、ツバキとニコレスが先に帰っていった。
その背を教室の窓から見送りながら、一部の生徒の間では、今しがた別の熱が立ち上がり始めていた。
「ちょっとザイル」
帰りの支度をする生徒たちの中、ザイルの広い肩にレイスの手が置かれた。
「んだよ」
「やっぱり、知り合っただけの子に、会社の携帯を渡すのかなって。こういうのって普通、仕事仲間に預けない?」
「まあそうだろうけど、だったらなんだよ」
「ここまで言えば分かるでしょ。歳も同じって言ってたし……本当はもっと親密な関係なんじゃない?」
「お前な。あんまそういうところに首突っ込むもんじゃねーぞ」
「分かってるけど、気になっちゃうじゃない!」
お互いひそひそ声のつもりだったが、そういう話題に限ってヒートアップして声が大きくなってくる。
特にそういった変化を感じやすいリーゼには、直感的に届いたような気がして。
「へぇ……ォホン!」
机の周りを取り囲むようにして、三年A組の生徒たちが集まり、その中心にいたリーゼが、ふとくしゃみをして咄嗟に腕で口を覆った。
「リーゼちゃん花粉?」
「……いや、別に。花粉には強いはずなんだが」
そのむず痒さの正体が、まさか自分に向けられた噂話だとは、リーゼはまだ知らなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ツバキやニコレスに続き、リーゼもかなり戦えるキャラになっています。
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