15.メトリア高等学校魔法科
異世界という字面からは想像がつかないほど、ここではひどく普通の生活がある。
とはいっても、そのような呼び方をしているのはおそらく自分だけ。この世界の人たちは、この世界のこの瞬間を精一杯に生きているのだと実感する。
「まさか私が代わりに特別講義をするとはな。下痢は多少楽になったらしいが、あの声で立ち話は無理だろう」
4月20日火曜日。この日は朝からニコレスの運転でギルドの社用車が都内の道路を走っていた。
「店長が苦しそうにひり出す音と、トイレに響く深いため息……。聞いてるだけで俺も腹を壊しそうでした」
「人の下痢を詩的に語るんじゃない」
ウィンカーと走行中の音が響く車内に、あるはずもない悪臭が漂った気がした。
「……だが、君は待機で良かったんだぞ。こんな急な依頼は」
「どうしても行ってみたかったんですよ。あの高校」
助手席で窓から外を覗くツバキ。その視界の遠くに白く目立つ建物やグラウンドが見えた。
「君は学校に行かないままギルドに来た。そうだったな」
「はい。……経歴上は色んな設定が生えちゃってますけど、修行を打ち切って師匠の家から出てきただけですもん。あの人、あんな捏造ができちゃうなら学校に編入だってできたでしょうに、せめてギルドを選んでくれって」
「本当に、入社試験で堂々と捏造を解説するとは驚いたものだよ。君の馬鹿力がなければどうしていたものか」
ニコレスはまっすぐ進行方向を見据えながらも、その横顔はどこか切なく見える。
そんな彼女に対して、ツバキは苦笑いを浮かべた。
「……だからかな。未練が残ってるんです。学校生活」
「なら良かったじゃないか。青春の空気をしっかり味わうといい」
数分ほど都内を走らせた車は、やがて学校へ到着した。
社用車の助手席を降りてすぐに目線が上がった。青空に浮かぶように映る白い校舎。
「……ぁあ」
刹那、日の光を浴びた桜の木々が風に揺れる。さざめく桃色の鼓動と甘い香りが風に乗り、懐かしくも遠い記憶がツバキの全身を吹き抜けた。
「どうだ。学校に来てみた感想は」
「まだ校舎にも入ってないのに、変な気分です」
魔法科のある高等学校。これまたファンタジーな代物ではない。魔法科と聞いてもっと奇妙なものを想像していたが、目の前にあるのは拍子抜けするほど見慣れた校舎だった。
そんな廊下を大して歩きもせず、階段のすぐ手前に魔法科の教員室はあった。
「先生も久々に見れて嬉しいよ。今日は講習代理よろしくな。一限目はA組で、その次にB組ね」
教室だったスペースを利用した魔法科の職員室。
ニコレスと学年主任の先生が親そうに打ち合わせをしていた。
ふと、ニコレスの目尻が下がった。
「二組ですか。……減りましたね」
「時代だねぇ。ニコレスの代は……」
「C組までありました」
そんな会話を耳に挟みつつ、ツバキは扉から廊下へ顔を覗かせた。三年A組と書かれた札のついた教室がすぐ目の前にある。
生徒たちの活気ある声に、ツバキは自然と耳を傾けていた。
「…………」
「ツバキ君。もう始めるぞ」
気がつけば、既に三年A組の教室の前で呆然としていた。一限目が始まり、いよいよ登壇というタイミングだった。
「は、はい」
二人を待って静まり返る教室。ニコレスが開いた扉へ向かってツバキは一歩を踏み出した。
「どうも。どうもどうも」
教室へ入った瞬間、生徒の拍手と共にごく普通の学校風景が広がる。ひどく動揺しながらも、ヘコヘコと頭を下げながら教壇の前に立った。
後から入る形になったニコレスも隣につき、生徒たちとは少し高い位置から全体を見渡す。
「初めまして。GUILDLINEメトリア支店から特別講習にまいりました。業務主任のニコレス・ラディと」
「……あ、今年入った新人のツバキ・ソウタです。よろしくお願いしまーす」
ニコレスの挨拶に遅れてツバキも自己紹介を済ませた。
この世界での少しぼやけたような感覚がより一層強くなっている気がした。
「あの人スタイル凄くね?」
「ツバキって人すげぇ筋肉してる」
仲の良さそうな生徒同士が、授業中の教室で小さなざわめきを作り出す中、ツバキは遠くから視線を受ける。その視線の主は、ツバキにとってよく知るものだった。
「…………」
最後尾の席で、結んだ銀のツインテールをどこか恥ずかしそうにいじる少女。ここの生徒であるリーゼが、ツバキとニコレスへ向けて小さく会釈した。
さりげなく手振りで応え、あくまでもギルドからの特別講師とメトリア高等学校魔法科三年A組の生徒として対応した。
こうして特別講習が始まるが、話の内容自体は毎年恒例のものらしい。ツバキが補佐としてノートPCを操作し、プロジェクターで視覚的な資料を映し出した。
「昔のギルドは依頼を壁に貼り出し、それを見た冒険者が個人で受ける仕組みだった。階級に分けてはいたものの、虚偽申告や実力不足による死亡事故も多く、次第に限界が来た。今のギルドは、依頼内容と人員の適性を見極めて割り振る、いわば仲介と管理の組織だ」
この講習自体は毎年恒例とのことで、普段からよく調べている生徒には退屈なものかもしれないと聞いている。
どちらかと言うと、この後に行われる質疑応答が本番なのだとか。
「それでは、質問のある方はいるかな。ギルドに限らず、魔法でも個人的なものでも構わない」
周り近所の生徒たちがざわつく中、真っ先に手を挙げた生徒がいた。先頭の席に座る、赤い髪が一際目立っていた女子生徒だ。
「この度は貴重なお時間をいただきありがとうございます。3年A組のレイス・コードと申します」
レイスと名乗った生徒は、堂々とした自己紹介と強気な目線をニコレスへ向ける。
「私は将来、かの勇者トルモ・スクロームのような強い魔法使いを目指しています。ギルドの方に聞く質問ではないかもしれませんが、どうすれば近づけると思いますか」
「トルモ・スクローム……?」
ニコレスがその名を聞いて言い淀んだ。
はるか昔に魔王を討ち取り暦にもなった伝説的な存在。古い歴史の人物を目指す目標として挙げるのは想定外だったのだろう。
「うむ……強い魔法技師か。君の目を見ればわかる。戦闘力の高い魔法技師を指しているのだな」
「はい!」
即答だった。
輝かしくも強い返事。それを受けてニコレスが息を呑んだ。
「今時珍しい。そうだな……みんな知っての通り、魔法は先天的な要素を多分に含む。ゆえに魔力容量そのものを大きくする事はできないが、魔法発動に想像するイメージや魔法陣での効率化が必要になる」
「効率化……ですか。確かにそうですけど」
「ありきたりな答えで悪いな」
ニコレスのアドバイスは正論に近かったが、それが彼女の求める答えでないことはわかっているだろう。
レイスは納得しきれないまま唇を引き結び、視線を机の上へ落とした。教室にわずかな気まずさが広がる中、もう一人生徒が口を開いた。
「レイスは、使う魔法の威力がありすぎるんです。ただの的当てじゃ威力を見ることもデータを取ることもできなくて……」
そう説明したのは、レイスとは対照的な水色の髪をした女子生徒だった。レイス本人が言いづらいことを、代わりに補足したようにも見えた。
伸び悩んでいるのではなく、出力に対して試す場所がない。それが分かったのならと、間の悪い空気が流れる中、ツバキが一人小さく手を挙げた。
「俺もいいかな」
「ツバキ君?」
ニコレスがツバキの方を向く。
「あの人を参考にするのは、難しいと思う」
「難しい……ですか」
「うん。だから、もし良かったら、俺に全力の魔法をぶつけてみない?」
言ってみて、やはり静まり返った。
さっきまで生徒同士が小さくざわついていたはずが、今は制服が擦れる音すらしない。
目の前のレイスは、ぽかんと口を開けていた。
「え?」
「俺、強さには自信あるからさ。そうだな……こ、殺しちゃうぐらい本気でやってみたら、なにかきっかけが見つかるかも」
「あの、えっと、ぜ、全力……ですか? 人に向かって?」
「昔は普通だったらしいよ」
レイスは目を白黒させていた。
彼女が目指すものは、おそらく実際にぶつけないと見えてこない種類のものだと考えた。
そして自分になら受けられる。そこには変な自信などではなく、威力の確認に近い感覚でしかなかった。
「……彼は新人ではあるが、言っていることは本当だ。どんな攻撃を受けても無傷だろう」
「ええ……?!」
隣で話を伺っていたニコレスもしばらく考え込みながら、添えるように言う。
業務主任が新人へ向けてはっきりと太鼓判を押すのだから、教室中がざわめき出した。
「先生。もしよければ、昼休みなどにこの子達の魔法を見てみてもいいでしょうか」
教室の端でずっと静かに講習を見守っていたこのクラスの担任教師へ、ニコレスは声を向けた。
「……学年主任としては賛成だけど、後で校長にも聞いてみるよ」
「お願いします」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
メインの3人が少し重たいキャラクターになっていますが、そんな世界に生きる普通の高校生たちは、年相応の明るさがあるはずです。
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