閑話:過剰なる眷属
「開発の進捗はどうですか?」
沙織は、小さなテーブルの向かい側に座る人物に問いかけた。
「順調ですぞ。ただ、モンスターのリファインは基本的に私が手を掛けているので、なかなか大変です」
髭の男は、スケッチブックに鉛筆を走らせながら答える。
沙織がスケッチブックをちらりと覗くと、そこには小鬼型のモンスターが描かれていた。
まだ色は塗られていないが、おそらくゴブリンだろう。
ただし、普通のゴブリンとは少し違っている。
「ヒレがあるんですね」
「はい。アクアゴブリンというやつです」
男は照れたように、自らの髭をつまんで伸ばした。
「深淵なる水底の住民であります」
沙織は仮想世界の中だというのに、紙のメモ帳へペンを走らせた。
「深淵なるアクアゴブリン、と……」
そのペンには、『gase-nomca enterprises』社のロゴマークと、ゆるキャラが並んでプリントされている。
ここは、開発が始まって間もないVR版MMORPG――『Eternal Online Fantasy』のプロトタイプ版仮想空間である。
ゲーム攻略雑誌『月刊バグ活用テクニック』の編集者、天川沙織は、新たに実装されたセレノス港湾地区の酒場『白鹿亭』を訪れていた。
沙織のアバターは、前回に引き続き、ガチムキ筋肉の女戦士である。
向かいに座る髭のダンディーは、『Eternal Online Fantasy』のチーフデザイナー、神楽坂響。
そのアバターは、現実と同じ立派な髭をたくわえたセレノス警備隊の隊長である。
銀色のフルプレートアーマーを着込んでいるため、いかにも窮屈そうだが、それでも器用に鉛筆を走らせていた。
「んま! んま!」
背後から、可愛らしい感嘆の声が響いてくる。
沙織がちらりと様子を窺うと、ショッキングピンクの忍び装束に身を包んだウッドエルフの少女が、夢中になってホットケーキを頬張っていた。
ホットケーキは三段積まれていて、少女は一段目を攻略中。
ホットケーキの皿の横には、クリームソーダを満たした金魚鉢型のグラスが置かれていた。
グラスの中では、小さな泡の列がゆっくりと上昇している。
いっぱいに膨らんだ少女の頬は、まるでリスのようである。
「編集長、注文できてよかったですねー」
そう。
このショッキングピンクのくノ一こそ、『バグ活』の編集長、堀渡景樹の仮の姿なのである。
「ふぁぜか、ほのふがただと、はずふぁひふなひ」
口いっぱいにホットケーキを詰め込んだまま喋るので、何を言っているのかはさっぱりわからない。
それでも沙織には、なんとなく言いたいことが伝わったらしい。
「まあ、少女の姿なら頼みやすいですものねー」
「よく翻訳できますな……」
響は、景樹の甥にあたる。
弱小雑誌『バグ活』がどうにか掴んだ、一本の蜘蛛の糸であった。
* * *
厨房では、白い髭を蓄えた太っちょのシェフが、満足げにうなずいていた。
「伯父さんのために、ここのシェフへ甘味属性を追加した甲斐がありましたぞ……」
響も満足げに、自らの髭をつまんで伸ばす。
伸び切った髭が、びよ〜ん、と元に戻る。
その動きとともに、響の目が輝いた。
「思いつきましたぞ! 旧EOFにあった、お菓子の幽霊屋敷のハロウィンイベントも、VR版向けにリファインしましょう」
「それは、楽しそうですね」
「……永遠なる魂魄の救済をテーゼに……いや、子供を主役に据えた方が、可憐なる狂想曲という感じに……」
「ちょっと難しくないですかねえ」
「これは失敬。考えすぎるのが、私の悪い癖ですな」
響は苦笑しつつ、さらにスケッチブックへ鉛筆を走らせる。
描かれているのは、またゴブリンのようだった。
今度のゴブリンは、肌が緑色に塗られている。
「今度は、ヒレがありませんね」
「こいつが遍く世界に散らばる凡庸たる標準――ノーマルゴブリンです」
「なるほど。凡庸たるノーマルゴブリン、と……」
響は、さっと描き上げたゴブリンの絵の横を、鉛筆の尻でつついた。
すると、ゴブリンの絵がスケッチブックから抜け出し、テーブルの上へ降り立った。
体長三センチほどの、小さな緑色の小鬼である。
小鬼はテーブルの上を見回すと、そろそろと歩き始めた。
「こちらが、冷徹なる冬の化身――雪ゴブリン」
今度は、白灰色のゴブリンがテーブルの上へ現れる。
「灼熱の脅威――砂ゴブリン」
「苛烈なる上位種――ホブゴブリン」
「魔弾の射手――ゴブリンアーチャー」
「四元素の主――ゴブリンメイジ」
響が次々と絵をつつくたびに、小さなゴブリンたちがテーブルの上へ抜け出してくる。
「そして、冥界の王――ゴブリンロード!」
小さなテーブルの上は、たちまち、ちっちゃなゴブリンたちで埋め尽くされていった。
「ちょっとだけ可愛いですけど、これは危なくないんですか?」
沙織は、少しだけ不安を覚えた。
いくら小さいとはいえ、かなりの数である。
そのうえ、弓兵や魔法使いまで混じっていた。
* * *
「彼らは、このテーブルから出られないので大丈夫でしょう」
響は髭を整えると、ゴブリンロードを指さした。
「見てください。こいつの額にある赤い魔石が、敵対者の魔法攻撃を封じるのですぞ」
「なるほど。絶対なる紅の魔法障壁、という感じですか?」
沙織も意外と乗りがいい。
「そうですな。ほっほっほっ……いてっ!」
響は顔をしかめ、鼻を掻いた。
そこに刺さっていたのは、爪楊枝の先ほどの大きさしかない矢だった。
テーブルの上では、ゴブリンアーチャーが小躍りしている。
どうやら、飛び道具はテーブルの外へ出られるようだ。
「あれ? なんだか数が増えていません?」
一種類につき一匹ずつだったはずのゴブリンたちが、いつの間にかテーブルの上へひしめき合っている。
「おかしいですな……」
響が首をかしげている間にも、ゴブリンたちは倍々に増えていった。
ゴブリンアーチャーの数も増え、沙織の鎧へ向けて、小さな矢が次々と飛んでくる。
だが、矢は鎧に弾かれ、軽い音を立てて床へ落ちていった。
訝しげにゴブリンたちを眺めていた響の髭が、ぴんと伸びる。
「そういえば、ゴブリンロードは召喚術持ちでしたぞ」
テーブルの上に残された隙間は、すでにあとわずかである。
「これ、テーブルがいっぱいになったら、どうなるんですか?」
沙織はボールペンの先で、テーブルを指しながら聞いた。
「その辺りの細かい挙動は、エンジニアに聞かないと……」
響の髭が、心なしか元気なく垂れ下がる。
テーブルの上に築かれたゴブリン王国は、なおも拡大の一途をたどっていた。
* * *
プログラマがデータ容量の不足に直面したとき、取るべき方策は三つある。
(1)新規データの受け付けを停止する。
(2)データ領域を拡大する。
(3)不要なデータを解放し、容量を確保する。
そして、データ容量の不足を想定していなかった場合――最悪の事態が起こる。
『バッファオーバーラン』。
正規のデータ領域をはみ出し、無関係な領域へデータを保存してしまう事象である。
はみ出すと言えば軽微な事象にも感じられるが、想定外に上書きされる領域の利用者から見れば、完全なデータ破壊だ。
破壊される側がそこに何を保存していたかによって、現れる症状はまったく異なる。
そのため、原因の究明が難しいバグとなる。
すでに使用を終えたデータが上書きされるだけなら、一見すると問題なく動作する場合も多い。
だが、実行中のプロセスが異常終了することもあり、最悪の場合には重要なデータが破壊され、復旧不能となる。
今回の場合、どうやら最悪の事態は免れたようだ。
サーバーは落ちていない。
そして、ゴブリンは増え続けている。
テーブルの外へ、はみ出しながら……。
サーバーとしては異常終了を免れた。
だが、その中にいるプレイヤーたちは、別の意味で最悪の事態に直面していた。
酒場の床を埋め尽くす、無限に増殖する小さなゴブリンの群れである。
* * *
ピンクの忍者がホットケーキに夢中になっている間に、周囲は小さなゴブリンたちで埋め尽くされていた。
皿に残った最後のホットケーキには、緑色の小鬼が齧りついている。
その横に添えられたクリームソーダの中では、ヒレの付いたアクアゴブリンが優雅に泳いでいた。
「なっ! 俺のホットケーキだぞ!」
ピンク忍者ことシャドウ・メープルは、メープルシロップのカップへ取りつこうとするゴブリンから、それを取り上げようとした。
だが、カップが傾き、頭からシロップを浴びてしまう。
「なんだよ! もう!」
シャドウ・メープルは苛立ちながら、辺りへ手裏剣を放った。
しかし、的が小さすぎて当たらない。
当たりそうになったゴブリンアーチャーにも、ひらりと避けられてしまった。
それどころか、舌を出して馬鹿にされたうえ、鼻へ小さな矢までお見舞いされる。
「いてて!」
シャドウ・メープルが周囲を見渡す。
白髭のシェフは、ちょうど厨房へ逃げ込んだところだった。
だが、そこがゴブリンたちに制圧されるのも、時間の問題だろう。
「天川! 響! 大丈夫か?」
「編集長、とりあえず外に出ましょう!」
沙織が叫んだ。
「お、おう!」
シャドウ・メープルはシロップまみれのまま、出入り口へ向かって駆け出した。
* * *
「忍法・霧隠れの術!」
姿を隠し、そのまま出入り口を目指す作戦だ。
しかし、プシュウーという音とともに、術は失敗に終わった。
『光学的秘匿性ガ不足シテイマス』
妙な機械音声までもが、追い打ちをかけてくる。
「なんでだよー!」
シャドウ・メープルはぼやきながら、爪楊枝のような矢や、豆粒ほどの氷を避けて走った。
どうにか三人は、店の外へ飛び出した。
ほっと一息ついたのも束の間、『白鹿亭』の出入り口から、小さなゴブリンたちが次々とあふれ出してきた。
「そのスケッチブックに戻せないんですか?」
響が抱えるスケッチブックを指さす沙織。
「この『超高精度鉛筆型デバイス』の尻で突けば消せる仕様ですが、召喚されたものは『超高精彩スケブ型デバイス』で描いたものではないので、消せませんな」
「ゴブリンロードだけでも消せねえのかよ?」
「店内に戻れますかね?」
「全身に爪楊枝が刺さって、痛そうな未来しか見えないですね」
「なら、とっととログアウトしちまおうぜ」
シャドウ・メープルが、その場に座り込んだ。
EOFのログアウトは、野外では座って三十秒、街中であれば即時である。
しかし――。
『戦闘中ハ、ログアウトデキマセン』
「なんでだよー!」
砂粒ほどの礫弾魔法が、シャドウ・メープルの頬を打った。
「戦闘中はログアウトできない仕様ですぞ」
「なら、隣のゾーンに逃げっぞ!」
三人は再び走り出した。
隣のゾーンは、市場通りのある商業区だ。
九十九折りの通路の先にあるゾーン境界へ飛び込む。
が――。
「あれ? 進めねえぞ……」
ゾーン境界の暗がりで、シャドウ・メープルが手足をじたばたと動かす。
「商業区は、まだ実装されておりませんぞ」
「なんでだよー!」
「すみません、実装完了の予定は来週でして……」
「困りましたね……」
沙織は、港の光景を眺めた。
『白鹿亭』からあふれ出したゴブリンたちは、徐々に港を埋めつつあった。
* * *
ぽちゃん――。
やがて、港の桟橋まで埋め尽くしたゴブリンたちが、次々と海へ落ち始めた。
「ウガッ……ゴボッ……ゴボッ……」
海へ落ちたゴブリンが、光の粒子と化して消えていく。
「おっ! 奴ら、溺れてやがるぜ……海に落とせば、数を減らせるんじゃね?」
「それは、どうですかな……」
海へ落ちたゴブリンが、すべて溺れるわけではなかった。
ヒレの付いたアクアゴブリンたちが、海面をすいすいと泳ぎ始める。
「くっそー! 駄目か……」
「いえ、待ってください。あれは?」
沙織が指さした先で、港の海面が大きく盛り上がった。
流線型のヒレが水を切る。
次の瞬間、鋭い歯の並んだ巨大な口が、アクアゴブリンたちをまとめて呑み込んだ。
「でっかいサメだな、おい……」
「そういえば、プレイヤーが港で泳げないように、サメを配置していたのでした」
「港で泳がれると困るんですか?」
「カオス陣営の密航妨害……いえ、ゲーム性向上のためですな」
「なるほど……港には、カオス陣営への嫌がらせのためにサメを配置、と……」
「そこは、オフレコで願いますぞ」
響の髭が、元気なく垂れ下がる。
「でも、おかげでいい案が浮かびましたよ」
沙織はメモ帳を手にしたまま、ペン先を舐めると、笑みを浮かべた。
* * *
沙織の指示を受け、響がスケッチブックへ鉛筆を走らせる。
一定のリズムを刻みながら、いくつもの曲線を描いていく。
次いで、鉛筆の尻でスケッチブックを叩いた。
トン、トン、トトン、トントトン♪
そのリズムに乗るように、描かれたものが次々とスケッチブックから飛び出してくる。
すべて、沙織の指示どおりだった。
「消せないなら、逆に描けばいいんです」
響が新たに描いたのは、簡単に大量生産できる、小動物の捕食者――蛇である。
レッド・スネーク。
イエロー・スネーク。
グリーン・スネーク。
アナコンダ。
キングコブラ。
ありとあらゆる蛇の眷属が、港を埋め尽くす小さなゴブリンたちを、嬉々として丸呑みにしていった。
「丸呑みにぴったりの大きさだな、おい……」
やがて、蛇たちは『白鹿亭』の中へも侵入していく。
店からあふれ出していたゴブリンの波が、次第に治まった。
「食われたな……」
「食われましたな……」
「食われましたね……」
三人は、ゴブリンロードの失冠を確信した。
しばらくすると、腹を大きく膨らませた蛇たちが、ぞろぞろと戻ってくる。
響が鉛筆の尻で一匹ずつ突くと、蛇たちは腹を膨らませた姿のまま、スケッチブックの絵へと戻っていった。
三人が『白鹿亭』の中へ戻ると、先ほどまでゴブリン王国が築かれていたテーブルの上は、きれいさっぱり片付いていた。
その奥では、白髭のシェフが蛇に囲まれたまま、ぶるぶると震えている。
「おーい、おっさん! ホットケーキをもう一回頼む!」
中身がおっさんのピンク忍者は、声を張り上げた。
「メープルシロップ大盛りでな!」
(おわり)
――閑話:過剰なる眷属 あとがき
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
『バグ活』編集部の天川沙織です。
次回の『マジチー』は、本編を来週火曜日のお昼頃に投稿予定だそうです。
いよいよ、天空城に挑むらしいですよ。
そちらも読んでいただけると嬉しいです。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブクマや★で応援だけでもしていただけると、とても励みになります。
今回の記事は、『発見! 無限増殖技!』という見出しで行こうと思ったのですが……。
よく考えたら、あれってプレイヤーにはできませんよね。
そもそも、本番リリースまでには修正されていますよね?
きっと。
たぶん……。
それにしても、編集長ったら。
あのあと、ホットケーキを三十枚も食べたんですよ。
お腹がパンパンに膨らんで、まるで象を飲み込んだ蛇みたいでした。
――天川沙織




