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第六十三話:if〜知らない世界

──火星の衛星・フォボス、観測室。


監視者E「えっと、新規検証サーバー二重化完了」

監視者F「おいおい、自動テスト通ってねえぞ」

監視者E「え? どうしたらいいのかしら?」

監視者F「俺に聞くなよ、俺も知らん」

監視者G「ちょりーっす! このGちゃんにお任せちゃんでっす!」

監視者E「Gさん、分かるならお願いします」

監視者G「ほいほーい、ポチりんこっと!」

監視者H「あっ!それ押しちゃダメだよ!」

監視者G「なんでよー?いかにも押してくださいって大きなボタンじゃないの」

監視者H「保護カバーに『触るな危険』って書いてあったと思うけど……」

監視者G「割れちゃったりんこー! てへっす♪」

監視者E「ええっ!? どどど、どうしましょう……」

監視者F「俺は知らんぞ!」


* * *


「あれ?」


 結は目を瞬いた。


 さっきまで、ルーイン・ゴートのホールでラーメンを食べていたはずだった。


 だが、今は屋外である。


 三十メートルほど先に、小さく的が見える。

 訓練所のようだった。


 自分の手元を見ると、握っているのは和弓の『渋サブロー』である。

 しかし、着ているのは初心者用の革装備だった。


「おかしいな……夢でも見ているのかなあ」


 そこで、結はすぐ横に人がいることにようやく気づいた。


「で、なんでわざわざ弓なんか選ぶわけ?」


 シーフらしき男はいきなり話しかけてきた。


「え……?」


「いやマジでさ、ファンタジー系のゲームって弓弱いんだよな。マジで当たんねーし、スキルも発動遅いし」


 隣のモンクらしき男も、調子を合わせて言う。


「近づかれたら終わりだしな」


(ヤオキくんとアルゴくんだよね? あれ?)


 結は、二人を見比べて首をかしげた。


 その時だった――。


 音が消えた。


 訓練所のざわめきも、風の音も、すべてが遠のく。


 空に、黒い球体が現れた。


 次の瞬間、脳内に抑揚のない冷たい声が再生される。


『……全プレイヤーに通達する。現在をもって、「Eternal Online Fantasy」は特別運用状態に移行した』


「……どういうこと?」


 結は立ち尽くして、それを見上げるばかりだった。


 ただ、たったひとつだけ、心に引っかかるものがあった。


(……ケンタは?)


* * *


 結は、嫌な感覚が背筋を撫でるのを感じた。


「これがあのときだとしたら……」


 門の方向に視線を送る。


「きゃああっ!」


 果たして、予想通りに子供の悲鳴が響いた。


「ナツキっ!」


 結は駆け出した。


 ケンタはいない。

 子供たちを守れるのは、自分だけだ。


 門に迫る狗頭の怪物――ノールの姿が目に入る。


 あの時より近い。


 だが、結は迷わず弓を打ち起こした。


 自分に出来る事をするだけだ。

 あの時も、今も――。


(あ、渋サブロー……修理後の感じ……)


 手の中の弓が、よく知る感触でしなった。


 視界の隅に、アイコンが青く点灯する。


(スキル、使える?)


 ノールがこちらを向いた。

 殺気を放つ結を、ターゲットに変えたらしい。


 その判断は賢明だった。


 ――が、遅かった。


「正射必中!」


 青い尾を引く一箭は、狙い違わずノールを貫いた。


 ただ一矢で、怪物は光の粒子となって消え去る。


「や、やべえ威力だ……」


「すげえな、弓って……」


 腰を抜かしていたヤオキとアルゴが、へたり込んだままつぶやいた。


 広場には歓声が上がる。


 結は、しがみついてきたナツキの頭を、ただ優しく撫でた。


* * *


 結は、子どもたちを連れて『ルーイン・ゴート』へ向かった。


 見知った店内。

 見知った給仕NPC。


 だが、みんながいない。


 シャチョーも、ログ爺も、ガン鉄も、タクヤも、カグヤもいない。


「どうしよう……」


 店内は閑散としていた。


 暖炉の上には、小さなボトルシップがぽつんと置かれているだけである。

 いつもの変な置き物も、黒山羊のゴーちゃんもいない。


「そうだ! GMちゃんでシャチョーやログ爺に連絡を……」


 そこまで言って、結は口を閉じた。


「……って、私のこと知らないかも」


 考えた末に、ケンタの名前を借りることにした。


 結は、GMちゃんへのチャット窓を開く。


『ケンタウロスは西の都市セレノスに生息していたりしますか?』


 これで、関連質問に載ればいい。

 シャチョーやログ爺なら、きっと気づいてくれる。


 セレノスへ向かってくれるはずだ。


 ひと息ついた結は、子どもたちを二階の部屋に預けると、再び外に出た。


 幸いなことに、インベントリの中の現金もそのままだった。

 数百ppはある。


 今の時点では、世界一の富豪かもしれない。


「100pp……」


 結は、はっと顔を上げた。


「そうだ! ベルトポーチと指輪の魔王を確保しなきゃ……!」


 そう言うなり、結は慌てて門前を目指した。


* * *


 門前に、その商人はいた。


 門前の守銭奴。


「モジャールさん!」


 思わず、結は声をかけた。


「誰のことかな?」


 ヒゲの商人は、訝しげに結を見下ろす。


「うう、とにかく商品見せて!」


「いいとも。だが、どれも負けられないぞ」


 開かれた商品リストを、結は急いで確認した。


「あれ? ベルトポーチがない……」


「ベルトポーチだと? 今は在庫がないな。代わりにこの10スロットバックパックなどどうだ?」


「いえ、また来ます……」


 結は軽く頭を下げて、踵を返した。


 どういうことだろうか。


 シャチョーは、この商人から100ppで買ったと言っていた。


(時間がまだ早いのかな?)


 あの時は、他ならぬ結が一晩、矢を射通して資金を稼いだ。


 いや、その前の日の会議では、もう在庫が確認されていたはずだ。


(こっちの世界では、あのベルトポーチがないってことかな?)


 結は知らなかった。


 あのベルトポーチが、ナツキの小さな冒険の積み重ねで『門前の守銭奴』の手に渡ったということを。


 そして、その積み重ねには、結が倒してしまったノールの成れの果て――コムギが必須だったということを……。


* * *


 ないものは仕方がない。


 結はベルトポーチを一旦置いておいて、『指輪の魔王』の確保を先に進めることにした。


 だが、問題がある。


 結は、詳しい入手経路を聞いていなかった。


「確か……初期クエストで、おつかいクエストの連続コンボの先って言ってたはず……」


 とにかく、冒険者ギルドに向かう。


「うわあ、いっぱい貼ってある……」


 冒険者ギルドに入ると、壁の掲示板いっぱいに依頼書が貼り付けられていた。


「えっと、パンの納品、マフィンの納品、ワインの納品……どれだろう?」


 あまりの数の多さに、結は悩む。


 ――その時、声が聞こえた気がした。


『悩んだら……全部だ! 総当たりの力技が正解のソリューションってこともあるのさ』


 結はひとつうなずくと、片っ端から依頼書を剥がして、受付に持って行く。


 受付嬢のレジーヌが、にこやかに迎えてくれた。


「こんにちは、受注ですか? 期限までに達成できないと違約金が発生するものもありますが、大丈夫ですか?」


 あまりの量に目をぱちくりさせながら、レジーヌが確認してくる。


「違約金ってどれくらいですか?」


「えっと、おそらく全部で10ppを超えますね」


 ギルドホールは、10ppの声を聞いて騒然となった。


 だが――。


「それでいいです。全部受けます」


 結はきっぱり言い切った。


* * *


 多くのお使いクエストをクリアしていくうちに、街の人々の親密度が少しずつ上がっていった。


「こんにちはー、納品でーす!」


 あのヒゲの商人すら、結が挨拶をすると笑顔をこぼすようになった。


「嬢ちゃん、茶でも飲んでいけ……ほれ」


 そうこうしているうちに、結は次の依頼書を見て首をひねった。


「仔犬探しか……野外なら追跡(トラッキング)で楽勝なんだけどなー」


 目的地は井戸の下、地下の下水網だった。


――――――――――――――――――――――――

【迷子の仔犬】

依頼者:メリア

目的地:セレノス地下下水網

依頼内容:迷子の仔犬を探して欲しいの。

ヒント:きっと井戸の中なの。

難易度:★★

報酬:犬笛のネックレス

――――――――――――――――――――――――


 井戸端で依頼主のメリアと合流した結は、早速、井戸に降りることにした。


 すると、メリアも付いてくる。


「私もついて行くわ。あなただけじゃチロの顔が判らないでしょう?」


「えっと……まあいいか。いくわよメリアちゃん!」


 結はメリアに左手を差し出した。


 メリアは、不思議そうにその手を見つめるが、おずおずと手を添えた。


 奥へ進むと、メリアが声を上げる。


「あ、何か動いたわ! チロかも? チロー!」


 駆け出そうとする先には、大きなネズミ、ジャイアント・ラットが赤い目を光らせていた。


「メリアちゃん、ダメ! あれはモンスターだよ」


 繋いだ手をぎゅっと握って引き留める。


「あら、ほんとだわ……」


 ジャイアント・ラットは結に気付くと、奥へ逃げて行った。


 次は、大きな鉄の罠。


「あ、あれ、チロの首輪かも?」


「メリアちゃん、あれは罠だってば」


 ぎゅっと握った手が暴走を防止する。


「あ、あれ……」


「ダメでしょ、メリア」


「はい、お姉ちゃん」


 やがて、メリアは素直についてくるようになった。


 石組みだった壁がいつの間にか、自然の洞窟を削ったような道となっていた。


 光る苔が地面を照らしていて、足元に不安はない。


「うわー! 広ーい!」


 今度は結が駆け出す。


 目の前が急に開けて、天井の高い大空洞に出た。


「ちょ、ちょっとー! お姉ちゃん、あぶないわよ」


 今度はメリアがぎゅっと引き留めた。


「あ、ごめん、ごめん、ワクワクしちゃった」


 振り向いた結の笑顔を眺めて、メリアもつられるようにくすくす笑った。


* * *


 大空洞の壁でも、苔がぼんやりと辺りを照らしていた。


 その薄明かりのなか、何かの気配が感じられた。


「なにか、いるね……」


 結が目をこらして様子をうかがう。


「上っ!」


 結はメリアの手を引いて一歩下がる。


 すると、目の前に小さな石が落下してきた。


 天井を仰いでも何も見えない。


「あれ? これって」


 地面に落ちた石の方を確認すると。


「精巧な石像だね……ネズミかな?」


 地面に転がったのはネズミを模った彫像のようだった。


 落ちた拍子に細い尻尾が半分折れている。


「子ネズミだわ。ジャイアント・ラットより、ずっと、ずっと小さいもの」


「いやいや……普通のネズミ、見たことないの?」


「普通のネズミ?」


 メリアが首を傾げた時だった。


 奥に光が見える。


「なに? ドア……?」


 それは、飾りひとつない無機質なドアだった。


 グレイに塗られた表面の上部に、真鍮製と思しきプレートが貼り付いている。


『観測室』


 そのドアが開きかけて、光が漏れているのだ。


 だが、不思議なことに、ドアは洞窟の真ん中にポツンと立っており、背面にはなにも無い。


 なのに、その先からは明らかに洞窟とは違う空間の気配が感じられた。


「Gさん、なんですか? その格好?」


「ベリベリキュートっしょ♡」


 ドアから、なにか言い合いながら、二人の人影が出てくる。


「不始末をなさったのだから、もう少し落ち着いたアバターの方が良いのでは?」


「そーいうEちゃんこそ、それじゃ喪服じゃん」


 片方は黒縁メガネに黒いジャケットとスカートに黒パンプスのリクルートスタイルだ。


 もう一方は対照的に、ゆるふわパーマの茶髪で、ひまわりの花が咲き乱れるアロハシャツに、濃紺のダメージジーンズと、これもひまわり柄のスニーカー。


「人? メガネ……ってことはNPCだよね……」


 現時点のEOFでは、プレイヤー装備としてのメガネは一部の例外を除いて存在しない。

 そのため、メガネをかけていればNPCという推測が成り立つのだが、こちらの世界ではどうだろうか?


 結とメリアは目をパチクリして、二人の女性を迎えた。


* * *


「特異点……いえ、結さんですよね?」


 黒服の女性が、遠慮がちに結に問いかける。


「……えっと、あなたたちは誰?」


 結はメリアを後ろに回して、弓を執る。


「私たちは監視者です……謝罪に参りました」


 黒服が深々と頭を下げる。


 そして、「あなたもよ」と、ひまわり女の頭も右手で下げさせた。


「ごめんちゃいっす」


 ひまわり女はその手を払うと、改めてゆるふわの頭を下げた。


「どういうことかな?」


 首を傾げて、結は二人を見つめた。


「えっと、どこから話したらよいのか……」


「ぶっちゃけ、あたしが変なボタン押しちゃって〜、結ちゃんがここに飛ばされちゃったんす」


「わ、わかりやすい説明、ありがとう」


 結は苦笑するしかなかった。


「じゃあ、元に戻してくれるんだよね?」


 希望の要求は、絶望の言葉で塗り返された。


「それは……出来ません」


 黒ずくめの女性は申し訳なさそうに告げた。


「私たちに、プレイヤーをログアウトさせる権限はありませんので、このサーバーからお出しすることも叶いません……」


* * *


「私を飛ばしちゃったって言ったわよね? もう一度飛ばせないの?」


 結の詰問に、黒服の監視者Eがまた頭を下げて答える。


「その……テスト用にスナップショットを抜き出したのですが、タイミングがよくなかったようで……」


 それを押しのけるように、ひまわり娘が喋る。


「そんでもって、結ちゃんのログイン時間がばっちりんこハマっちゃったんす」


 結は、ずれた説明に少し苛立ちを覚え始めた。


「そういうことを聞いてるんじゃないんだけど……ログアウトは無理でも、みんなのいるところへは帰れないの?」


「検証サーバーを停止すれば、戻れる可能性はあります。……でも、そのまま消滅する可能性も……」


 黒服は、そこで口ごもった。


「そんな……」


 絶句する結だったが、握られた手が引かれる。


「お姉ちゃん、どこかに行っちゃうの? チロは?」


 結は、見上げるメリアの瞳が潤んでいるのに気づいた。


 その小さな手はぎゅっと握ってくるのに、ふわっとして心許ない。


 生きている。


 生命の定義が何であったか、結は知らない。

 でも、必死でしがみつく幼い手に魂を感じた。


 NPCだって、この世界に生きている。


 結はひとつうなずくと、メリアの頭を撫でた。


「ううん、チロを見つけるまで、どこにも行かないよ」


 結は二人の監視者に向きなおった。


「あなたたち、知ってることをもっと話して」


 答え(ソリューション)を見つけるには、まずは情報収集だ。


 ケンタはいつもそうしていた。


「あ、はい……」


 黒服の方が答えようした時だった。


 結と監視者の間に、大きな岩が落ちてきた。


「ちょ、激ヤバぺんぺん丸っす〜」


 かろうじて避けたひまわり娘が、尻餅をつく。


 それは、やけに角張った岩だった。


 角が地面に食い込んで、全容は掴めなかったが、1m程の立方体のようだ。


 明らかに自然の岩ではなかった。


「これ……なに?」


 本日何度目かの疑問の声を上げる結だった。


* * *


 コォォオオオッ……。


 見上げた天井から、甲高い鳴き声が響いた。


 大小、様々な石が落ちてくる。

 どれも、ネズミだったり、トカゲだったり、小動物の形をしていた。


「あ、ベリベリでっかい鳥さんっす!」


 ひまわり娘が指差す先。

 落ちてきた小動物石の側に、大きな影が舞い降りる。


 頭には真っ赤なトサカ。

 筋肉質の胸元は、角度によって色を変える羽毛に覆われている。

 だが、胴体は爬虫類のように硬質なウロコに覆われていた。


 そして、左右にゆったり振られる尾。


 その尾の先が大きく開かれて、転がっている石を丸呑みにしていく。


「ニワトリの頭に、爬虫類の胴体、蛇の尾っぽ?」


 黒服の監視者Eはうめいた。


「コカトリス? 下水には強力過ぎるってヒナに置き換えられたはずなのに……」


 ひまわり娘の監視者Gが、尻餅のまま後退る。


「うーんっと、コピー取った時がチョッコりんこ前だったんじゃ……」


 Gの言葉が途切れる。


 コカトリスに一瞥されたGは、石化しつつあった。


「気をつけてください! こいつに睨まれると石化します」


 そう叫んで、Eが四角い岩の影に隠れる。


 結もそれにならって、メリアの手を引いて四角い岩の裏に回った。


 Eの横に滑り込んだが、メリアを庇うように抱えた時に、異変に気づいた。


「お姉ちゃ……」


 メリアの手も、石化が始まっていた。


* * *


「石化を解く方法は?」


 メリアの固くなった手をさすりつつ、結は黒服に尋ねた。


「コカトリスの石化は、彼らの体液などで解除できる設定だったはずです」


「なるほど、飲み込んだあと戻して消化するわけね」


 ある意味、とても合理的な仕様に、結は嫌な顔をした。


「よし、冷や汗をかかしてやる!」


 結は弓を構えて、矢を番える。


「でも、睨まれるだけで石化するんですよ?」


 Eが慌てて止めようとする。


「睨まれる前に攻撃なんて無理です」


「この岩影から曲射してみる」


「見えないとスキルも使えないのに、中てられるんですか?」


「弓は目で見て中てるものじゃないよ」


 ――正射必中。


 スキル名ではなく、その言葉の意味がある。


 正しい射を行えば、必ず中る。


 射は足踏みから始まり、残心に至るまで、多くの過程があり、目で見て狙うのはその極一部だ。


 もちろん狙いは重要だ。


 だが、それ以上に大切なことがある。


「あの大きさなら、大体の方向が分かればいいよ」


 結はそう言い放つと、弓を打ち起こした。


 そうして、スキルは発動しないまま、言葉を胸に刻んだ。


(正射必中!)


* * *


 コカトリスは、石化して地面に落とした獲物をゆっくりと捕食していた。


 石ころと化した獲物は、逃げることも反撃することもない。


 コカトリスは目を細めて、喉を鳴らす。


 クゥゥコッコッ……。


 ふと、角張った岩が視界に入った。


 捕食対象としては大き過ぎたが、仕方がない。


 お互いにこの地を縄張りにしている敵対者だ。


 すっかりおとなしくなった、かつての強敵――キューブスライム。


 その形を見るだけで、苛立ちが湧き上がってくる。


 食うのはごめんだが、少し突ついてやろうかと、そちらを向いた時だった。


 コカトリスの頭はニワトリである。


 暗い洞窟内では目が効かない。


 何かが、岩の影から天井に向けて、飛び上がった気配は感じられた。


 だが、それが自身を上から襲い、地面に縫い止めるとは想像すら出来なかった。


* * *


 もがいた。


 首筋を地面に縫い止められたコカトリスは、在らん限りの力で羽ばたいた。


 竜種を思わせる黒い翼は力強く地面を叩き、その身を浮かび上がらせるはずだった。


 その片翼を、次の矢が貫く。


 もう片翼を、その次の矢が貫く。


 身動きが叶わなくなったコカトリスは、岩影に目を向ける。


 今まで、自分の魔眼から逃れられた者はいない。


 今回も最後には自分が勝利するのだ。

 睨んだだけで無力化する以上、彼に敗北はない。


 そのはずだった。


 しかし、岩影から踏み出した人影は、魔眼を恐れてはいなかった。


 堂々と立ち、真っ直ぐこちらを見据えてくる。


 目を合わせれば勝ちだ。


 そう思った。


 だが、これまで味わったことのない感情に身体が固まる。


 その感情の名を知ることもなく、コカトリスは息絶えた。


* * *


「ちゅっ……」


 子ネズミが、倒れたコカトリスの羽毛の隙間から這い出してきた。


 その尻尾は、半分しかない。


「あ……さっきの石像の子だ」


 結はネズミが散らしたコカトリスの羽毛を拾い上げる。


 どうやら、冷や汗ではなく涙が伝ったようだ。


 試しに、妙なポーズで固まったひまわり娘に擦り付ける。


「ちょべりぷ、助かったっす〜」


 ペコペコ頭を下げるひまわり娘。


 続けて、メリアの手にも羽毛を擦り付ける。


「お姉ちゃん!」


 メリアは、結の腰に抱きついて離れない。


「無茶しますねえ……」


 監視者Eは、あきれ顔で結を眺める。


 結は最後に、石化した自分の左手に羽毛を擦り付けた。


「届かないんだ……最後は正面からでないと……」


「そういうものなのですか?」


「それより、チロ探しを手伝ってもらうよ」


「ラジャりんこっす! 仔犬の一匹くらい、Gにお任せちゃんでっす」


「え? それは過干渉に……」


 Eが止める間もなく、Gは洞窟内を探索しだす。


「エターナル・ライトっす!」


 宙に光球が浮かび、洞窟内をくまなく照らす。


 いくつか、小動物型の石があるが、仔犬のものはない。


「ん〜いないっすね。もう食べられ……むがもご……」


 Gの口を抑えて、Eが首を振る。


「え? チロ……食べられちゃったの?」


 メリアが今にも泣きそうな声を絞りだす。


「大丈夫です。コカトリスの腹はもう検めました」


 Eが、Gの口をピッタリ抑えたまま宣言する。


「じゃあ、一体どこに……」


 結は辺りを伺う。


 いくつか大きな岩があるが、それらの影にも何もいない。


「屋外なら追跡(トラッキング)スキル使えるのになあ……」


 結のぼやきを聞いたEは、少し考えて天井を仰ぐ。


「結さん、あそこに割れ目があります」


「ん? あるね……それが?」


 結も天井を見上げる。


 確かに、天井の一部に割れ目がある。


「あれは外に通じています。あの真下だけは屋外……ということにしましょう」


「ほんと?」


 割れ目の真下に駆け出す結。


「むがもが……ぐるじいっす……」


 Eの手は、Gの口をピッタリ抑えたままだった。


 慌てて離す。


「はあ〜、死ぬかと思ったりんこっす」


 Gが大きく深呼吸すると、Eの肩に手をかける。


「でも、いいんすか?」


 その手を一瞥して、Eは呟いた。


「いいのよ、空が見えれば屋外だもの……」


* * *


「居たっ!」


 無事に開いた追跡リストに、チロの名があった。


 結は『追跡』ボタンを押し込む。


 ログに、大まかな方向が流れ始めた。


――――――――――――――――――――――――

『チロ』の追跡を開始しました。

対象は後方左にいるようです。

――――――――――――――――――――――――


「左後ろ!」


 結は振り向いて走りだす。


――――――――――――――――――――――――

対象は正面にいるようです。

対象は正面にいるようです。

対象は正面にいるようです。

――――――――――――――――――――――――


「その岩の向こうっぽい」


 結は四角い岩を飛び越える。


――――――――――――――――――――――――

対象は正面にいるようです。

対象は後方にいるようです。

対象は後方にいるようです。

――――――――――――――――――――――――


「え? 後ろ?」


 結の目の前には、ただ四角い岩だけがあった。


「この中のようですね」


 追いついてきたEが告げる。


「ぱりんこって割ってやるっすよ」


 Gがどこからか、大きな斧を取り出して素振りを始める。


「やめてー! チロも割れちゃう」


 メリアがGの腰に飛びついて止める。


「きっと、こいつも石化した生物なんだよ」


 結はコカトリスの羽毛をGに渡した。


 そして、結は弓を構える。


「さあ、石化を解いて」


* * *


 果たして、石化が解除されたものは、真四角のゼリー状の生物だった。


 半透明な緑色の向こうに、小さな影がいくつか見える。


 おそらく、そのうちのひとつがチロだ。


 そして、キューブ状のスライムの急所である核も、うごめく影のひとつであろう。


「どうしよう? どれを狙ったら……」


 結の視線が惑う。


「簡単っすよ」


 Gが斧を振るう。


「やめて〜」


 メリアは目を塞いだ。


 だが――。


「影以外をチョッキりんこ削ってけばいいっす」


 石化が解けたばかりでうまく動けないのか、キューブ・スライムは、その場で震えるのみであった。


「無茶苦茶ね……あなた」


 Eが呆れかえる。


 本来、急所の核を狙うのが常道である。


 粘液部分にいくら切り付けても、すぐに傷は塞がってしまうのだ。


 そこを、角を切り飛ばすように削いでいく。


「丸くないから、削ぎやすいっす」


 すると……。


 薄くなった粘液の向こうに、赤く揺らめく丸い玉と、石と化した仔犬の影が透けて見える。


「ひまわりちゃんナイス!」


 結が放った矢は、核の中心を真っ直ぐに貫いた。


 核を失ったキューブ・スライムは形を保てなくなり、緑色の水たまりと化した。


 そして、幾つかの石くれが取り残される。


 ひとつだけ大きな犬の形。


「あ、チロー!」


 走り出そうとするメリア。


 ぎゅっと握られる手。


「あわてないの、粘液触ると火傷しちゃうよ」


 そう言って、結はGに目配せする。


「あたしはアチチりんこしてもいいんすね……」


 ぶつぶつ言いながら、Gは石を抜き出し、コカトリスの羽毛を撫で付ける。


「くぅ〜ん……」


「チロー!」


 メリアが白い仔犬を抱き上げる。


「うんうん、あたしバッチリんこ、いい仕事したっす」


「微妙に突っ込みたいところですが……最後はよくやりました」


 EとGのやりとりを横目に、結はメリアの側にしゃがみ込む。


「君がチロかあ、よかったね」


 結は笑顔でチロの頭を撫でた。


* * *


 クエストは完遂した。


 通常であれば、メリアは礼を言って去るはずだった。


 だが、メリアは結の手を、ぎゅっと握ったままだった。


 じっと黙っている。


 どうやら、地上まで離れないつもりらしい。


 もしかしたら、その先も――。


 結は諦めて、その手を握り返し、二人の監視者に向き直った。


「教えてくれる? この世界に『トーチ』のみんなは居るの?」


「居ないっす」


 Eが止める間もなく、Gが答えた。


「ナツキやアキラ、ハルトは? ヤオキくんやアルゴくんも居たけど、彼らはなに?」


 今度は、諦めたようにEが答える。


「彼らは、本人のデータをコピーして作られた複製体です。人も居ないとテストになりませんから……」


「なるほど、やっぱそっか……」


 俯いた結の肩が震える。


「お姉ちゃん?」


 メリアが心配そうに見上げてくる。


「結こりん、元気出すっす! きっと抜け道ありりんこっす」


 変ななぐさめに、結は首を振った。


「帰る……か……違うの」


「結さん?」


「ねえ、私もコピーじゃないって誰が言えるの?」


 結は顔に小さな笑顔を貼り付けた。


 それでも、頬を伝う熱い雫を、どうしても止められなかった。


* * *


 この世界には灯りがない。


 暗い闇は、暗いままだ。


 やがて、昨日と同じ朝日が昇るだろうか。


 昨日と同じ明日がくると、誰が約束してくれるのだろうか。


 自分が自分でない。


 そう考えたら、底知れない井戸の中を沈んでいくようだった。


 冷たい水が、心臓をぎゅっと締め付ける。


 光は遠のき、闇はますます深くなる。


 あちらの世界には、もう一人の自分がいて、今もみんなと食事をしながら、軽口を叩いているのだろうか。


 私は誰?


 結じゃない?


 なら、結と名乗ってはいけない?


 あちらの彼女の幸せを奪ってはいけない?


 このまま、ここで暮らそう。


 誰にも迷惑をかけず、誰にも気兼ねなく、誰にも知られずに消えよう……。


 灯りを消そう――。


* * *


 Eは、俯き黙り込んでしまった結をじっと見る。


 心配そうなメリア。


 おろおろするG。


 Eは大きく息を吐き出すと、告げた。


「なにバカな事言ってるんですか……」


 だが、結から反応はない。


 Eは声を絞り出す。


「そこのひまわり娘はともかく、私が複製体にわざわざ謝罪しにくるわけないじゃないですか!」


 とうとう、Eは結の肩を両手で掴んだ。


 揺さぶりながら、泣き顔を覗き込む。


「あんなに強かった結さんはどこへ行ったんですか!」


 そして、彼女は黒い上着を脱いで、地面に叩きつけた。


「私だってね、ホントはこんな喪服みたいな堅苦しい服は嫌なんですよ!」


 真っ白で、シミひとつないブラウスも引きちぎって脱ぎ捨てる。


 その下に現れたのは、なんとカブトムシ柄のTシャツだった。


 白地にヤマトカブトムシの雌雄が、規則正しく列を作っている。


「どうですか? カブちゃん可愛いでしょう? 癒されますよねよね!」


 あまりの剣幕に、Gもメリアもポカンとした。


 結も目をパチクリして、Eを見つめる。


「いや、まあ可愛いと言ったら可愛いけど……びっくりポンだよ」


* * *


「さあ、これを見るのです!」


 Eは目の前に大きなウィンドウを広げた。


 それは、GMちゃんへの質問窓だった。


『ケンタウロスは特にカブトムシは好きじゃないと思いますー♪』


 ウィンドウの下部に、さらに文字が浮かび上がる。


『関連しそうな質問:ケンタウロスは西の都市セレノスに生息していたりしますか?』


 結は息を呑んだ。


 それは、自分が送った問いだった。


 そして、もうひとつ――。


『関連しそうな質問:ケンタウロスは千里を駆ける、どんな場所にも行けるし、結んだ絆は絶対に諦めないですよね?』


 結の頬に、また涙が伝った。


 今度は心の奥に小さいが確かな灯りがともった証だった。


(おわり)


――第六十三話 あとがき


 最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


 カブちゃん飼育歴十年、監視者Eです。


 次回の『マジチー』は、今週金曜日のお昼頃に閑話を投稿予定です。

 外の世界のお話になるそうですよ。


 そちらも読んでいただけるとうれしいです。


 もし少しでも楽しんでいただけましたら、ブクマや★で応援をしていただけると、とても励みになります。


 この度は、検証サーバーにおいて大変な不手際をお見せしてしまい、本当に申し訳ございませんでした。


 次回は、完璧な手順書を用意して臨みます。


 ええ、GさんやFさんには、指一本触れさせません。


 それにしても、結さんが無事に戻れて、本当によかったです。


 まさか、あんな方法で戻れるなんて……。

 当たり前すぎて、その発想はありませんでしたわ。


 あっ、これ以上は守秘義務契約が必要です。


 それはともかく、本番サーバーのセレノスには、レアでおっきなカブちゃんがいるんですってね。


 私もセレノス担当になりたいわ、なりたいわ。


――監視者E


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