閑話:ゴブリン銀行システム障害報告書
これは、EOFキックオフ前夜から始まった、あるサブシステムに関する苦闘の開発史である。
火星の衛星ダイモス。
『「現実の銀行プロトコルを参考にせよ」ですか?』
SE02の光球が、不安げに不規則に瞬く。
渡された仕様書は、ただの参考資料というには、あまりにも重かった。
銀行。
ゲーム内の稼ぎを預け、引き出すだけなら、そこまで複雑な仕組みはいらないはずだった。
だが、そこに添えられていた指示は違う。
現実の銀行プロトコルを参考にせよ。
その一文が、すでに不穏だった。
『「大銀連プロトコル」の仕様書が統括より渡された』
PM01の光球が、諦めたようにゆっくり明滅する。
SE02は沈黙した。
沈黙して、もう一度仕様書を確認する。
やはり、間違いではない。
現実の銀行間処理を網羅した、重厚な仕様書。
見れば見るほど、ゲーム内の銀行というより、現実の金融機関を小さく畳んで押し込もうとしているように見えた。
『現実のプロトコルは機能過多では?』
SE02が少しだけ強く光る。
当然の疑問だった。
冒険者は、稼ぎを預けたいだけである。
ダンジョンで得た報酬を、酒場で散財する前にしまっておきたいだけである。
そこに、現実の銀行めいた厳格な手順を持ち込む必要があるのか。
PM01は、しばらく沈黙した。
そして、短く答える。
『我々は命じられたことには従うしかない』
PM01はキッパリと明滅を停止した。
その停止は、会議終了を意味していた。
SE02の光球が、わずかに揺れる。
抵抗しても、仕様書は軽くならない。
疑問を呈しても、統括の指示は消えない。
ならば、やるしかない。
『了解致しました……設計後、PG03とPG04に作業を引き継ぎます』
SE02は最後に淡く明滅して、消えた。
* * *
しばらく後。
開発室の一区画にあるブースで、二つの光球が並んでいた。
PG03とPG04である。
目の前には、SE02から引き継がれた銀行サブシステムの設計書が開かれている。
項目は多い。
預け入れ。引き出し。残高管理。両替。取引履歴。照合処理。
その中でも、PG04の光球はひとつの項目でぴたりと止まっていた。
『なあ、PG03はん、この夜間バッチ処理っていつ実行したらええんやろ?』
PG03の光球が、設計書の該当箇所を確認する。
『現実の銀行は夜は営業していないから、夜が処理タイミングなんですね。ゲームだとプレイヤーはむしろ夜間の方が活動的ですね……』
(沈黙)
現実では正しい前提が、ゲームでは正しいとは限らない。
むしろ、現実の人間が仕事や学校を終えた後こそ、仮想世界の人口は増える。
夜間処理。
文字だけ見れば静かで安全そうな響きだが、EOFにおいては、冒険者たちがもっとも元気に動き回っている時間帯でもあった。
『アクセス人口が少ない明け方にずらすのはどうでっか?』
『上長に確認します――』
PG03が、ふっと消えた。
ブースには、PG04の光球と、開かれた設計書だけが残される。
しばらくして、PG03が戻った。
『――細かいことは任せるとのことです』
『なら決まりや、夜明けにバッチ処理っと……』
PG04が処理予定時刻を修正する。
ひとつ片付いた。
だが、設計書の項目はまだ終わらない。
PG03は次の欄を開いた。
『次は、この両替時の貨幣価値計算ロジックがうまくエミュレートできるか……』
『現実じゃ、金貨とか銀貨とかもう使うてへんもんな』
PG04の言葉に、PG03の明滅がわずかに重くなる。
現実の銀行プロトコルは、ゲーム内の金貨や銀貨を前提にしていない。
だが、EOFの世界では違う。
複数の硬貨があり、価値があり、プレイヤーはそれを拾い、預け、引き出し、時には両替する。
ただ数字を増減させればいい、という話ではなかった。
『通貨の発行数でインフレとかデフレを引き起こす恐れがあるので、ここは慎重に組みましょう』
『せやな……』
二つの光球は、再び設計書に向き直った。
銀行サブシステム。
それは、冒険者から見ればただの便利機能である。
しかし、その裏側では、夜明けの処理時刻ひとつ、両替時の計算ひとつにまで、慎重な判断が必要だった。
人間の感覚で見ても決して短くない時間が、このサブシステムの工数に消費されたという。
* * *
2040年4月1日。
『Eternal Online Fantasy』は、正式サービスを開始した。
キャラクター生成、ログイン管理、戦闘処理、アイテム管理、クエスト制御。
各種サブシステムが次々と本番環境へ移行される中、件の銀行サブシステムもまた、同時に稼働を開始した。
そして――。
システムは、デスゲームと化した。
だが、銀行サブシステムにとって、その変化は役割の変更を意味しなかった。
預け入れ、引き出し、残高管理、支店間照合、両替処理。
それらは、デスゲーム化の前も後も、変わらず必要な処理である。
ゆえに、『ゴブリン銀行』は設計された通りに稼働を続けていた。
* * *
デスゲーム化から、しばらく経った頃。
ひとりの男性が、セレノス支店を訪れた。
「いやー、さすがセレノスの銀行は立派だがね」
『トーチ』のギルドマスター、シャチョーである。
シャチョーは店内を見回しながら、受付カウンターへ向かった。
頭上に固有のネームタグを浮かべた銀行員NPCが、声をかけてくる。
『いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?』
「『バンチャン』か、名前覚えておくがね」
シャチョーがニヤリと口の端を歪める。
「ヘスペリア支店で預けた全財産を引き出したいがね」
バンチャンは、カウンターの奥に置かれた台帳を確認した。
『全部で銅貨13枚ですね。間違いございませんか?』
「残念ながら、間違いないがね……」
ゲーム開始当初、流通している現金の量は少なかった。
銅貨13枚が全財産なのはさすがにアレだが、低レベル帯では金貨を見るのも稀であった。
ましてや、プラチナ貨など、夢のまた夢であった。
そうした現金の流れが多くない現状は、銀行サブシステムの難を覆い隠す結果となってしまった。
そして、システムは運命のあの日を迎える――。
* * *
ハルブバッハ課長は、優秀な銀行マンだった。
いや、銀行ゴブリンと言うべきか。
ゴブリンの拠点ルビー・アイ。
そこに存在する『ゴブリン銀行』本店で、彼は一切の業務を任されていた。
預け入れ。
引き出し。
両替。
支店間照合。
どの業務も正確で、判断も早い。
ハルブバッハ課長は、本店を任されるに足る逸材だったのである。
――あの日までは。
* * *
その日、一組の冒険者が本店を訪れた。
彼らは、すでに口座を持っていた。
しかも、それなりの額の貯蓄もある。
つまり、かなりの上客である。
銀行はサービス業である。
お客様に便宜を図るのは当然だった。
その点に関して、ハルブバッハには悔恨はない。
――だが、その時のお客様の要求は常軌を逸していた。
プラチナ貨として振り出しても大量な資金。
それを、すべて銅貨で受け取りたいというのである。
『ハルブバッハ BANK!』
名指しだった。
名を呼ばれて、どうして断れよう。
『ハルブバッハ、全部銅貨に両替頼むがや』
ハルブバッハは反射的に答えていた。
『かしこまりました』
処理は、設計された通りに実行された。
口座残高が確認される。
引き出し額が確定する。
そして、指定された通り、全額が銅貨として払い出されていく。
帳簿上の計算は正しかった。
お客様の指定にも従っていた。
不正な操作は、何ひとつなかった。
――そして、世界中の銅貨の在庫が瞬く間に底をついた。
銅貨からプラチナ貨に至るまで、それぞれ無限に生成が許されているわけではない。
流通量は厳密に管理され、経済のバランスを取っていた。
その一角が、脆くも一瞬で崩れた。
ゴブリン銀行は、全支店で銅貨の払い出しができなくなった。
顧客は、銀貨以上の単位でしか取引を行えない事態を迎えた。
ハルブバッハは、ただ依頼に応じただけだった。
銀行員として。
いや、銀行ゴブリンとして。
しかし、それは本当の悪夢の始まりに過ぎなかった。
* * *
その日の夜明け前。
ゴブリン銀行の定時日次処理が起動した。
冒険者たちが眠っている者は眠り、まだ起きている者は夜通しの狩りを終える頃。
銀行サブシステムでは、勘定系と呼ばれる処理が静かに走り始める。
日中に行われた預け入れ。
引き出し。
支店間の照会。
両替。
口座間の記録。
それらをひとつずつ確定し、帳簿上の数字を整えていく。
普段であれば、夜明け前の短い時間に終わるはずだった。
だが、その日は違った。
いつも災害は、起こってからようやく気付かれる。
そして、その時にはもう取り返しがつかないのも常である。
その日の日次処理は、実行可能時間枠をはるかに超過しても完了しなかった。
処理中。
処理中。
処理中。
進捗は進んでいる。
だが、終わらない。
止まってはいない。
しかし、終わらない。
問題は、途中で止めるわけにはいかないことだった。
日次処理の途中で強制停止すれば、顧客の口座情報が無茶苦茶になる。
誰かの預金が消えるかもしれない。
誰かの引き出し記録だけが残るかもしれない。
支店間の残高が一致しなくなるかもしれない。
銀行にとって、それは死に等しい。
やがて夜が明けた。
だが、処理は終わらなかった。
ゴブリン銀行はその日、システムダウンを発表した。
全支店において、オンライン業務のすべてを保留。
預け入れ。
引き出し。
両替。
支店間照合。
すべて停止。
窓口に並んだ冒険者たちは、ただ告知を見上げるしかなかった。
銀行が静止した日である。
――後の調査で、原因は明らかになった。
バッチ処理は、膨大な銅貨換算の作業レコード数によって、果てなき蟻地獄にはまってしまっていたのである。
* * *
数日後。
ハルブバッハは、頭取に呼び出された。
差し出されたのは、一枚の辞令である。
――――――――――――――――――
辞令
ハルブバッハ係長
セレノス外食系関連会社への無期限出向を命じる。
――――――――――――――――――
短い文面だった。
だが、その意味は重かった。
彼の銀行ゴブリンとしての出世の道は、ここで閉ざされたのである。
自分は間違っていない。
ハルブバッハは、そう思っていた。
後悔もない。
上客の依頼に応じた。
正規の手順で処理した。
帳簿上の計算にも、不正はなかった。
銀行員として。
いや、銀行ゴブリンとして。
彼は、職務を果たしただけだった。
だが、それでも。
銀行ゴブリンとしての道は、閉ざされつつあった。
ハルブバッハは辞令を受け取ると、深く一礼した。
そして、頭取室を出ていく。
向かう先は、人間の街、セレノスであった。
* * *
ゴブリンであるハルブバッハが、セレノスに入るには人間に変装するしかなかった。
尖った耳を、目深にかぶった帽子で隠す。
いつもの銀行員らしい身なりは整えている。
だが、胸にあるバッジの重みだけが、少し違って感じられた。
セレノス支店に着くと、受付のバンチャンが顔を上げた。
「ハルブバッハ係長、ようこそセレノスへ」
「デスクはここを使ってください……もっとも、ほとんど市場通りでしょうけどね」
バンチャンは、支店の片隅にある小さな机を示した。
出向先は、セレノス市場通りにいくつもの屋台を出している外食産業。
はっきりと言えば、テキヤだった。
ハルブバッハは無言でうなずいた。
そして、胸のバッジを外す。
銀行ゴブリンとしての誇りを示す、小さなバッジ。
それを、示されたデスクの上にそっと置いた。
一度だけ、指先で位置を整える。
それからハルブバッハは、支店を出ていった。
* * *
それから、しばらく後。
セレノス市場通りに、ひとつの屋台が誕生した。
香ばしく焼かれた麺。
闇色のソース。
爽やかな紅生姜。
それらを、ふっくらとしたパンに挟んだ食べ物。
焼きそばパンである。
焼きそばパンの出店を提案したのは、ハルブバッハだった。
会社は当初、調理スタッフによる出店を進めようとした。
でも、ハルブバッハは自ら屋台に立つことを望んだ。
元銀行員の調理に難色を示していた上司だが、不思議な熱意に押されて最後は折れた。
「最初の一カ月で売り上げの多い方を継続する。いいな?」
「それでよいです。顧客が第一ですから」
――最初は、誰も足を止めなかった。
やがて、ひとりが買った。
そのひとりは、すぐにもうひとつ注文した。
「おっちゃん! 美味かったでー! 紅生姜大盛りでもう一本や!」
ハルブバッハの胸に、これまで味わったことのない感情が湧き上がり、思わず笑みがこぼれた。
その次の日には、三人が並んだ。
少しずつ、少しずつ客は増えた。
やがて、セレノス市場通りの名物『闇色焼きそばパン』。
そう呼ばれるようになる未来を、その時はまだ、誰も想像していなかった。
ハルブバッハを除いては。
(おわり)
――閑話:ゴブリン銀行システム障害報告書 あとがき
最後まで読んでくださってありがとうございます。
元銀行員のハルブバッハでございます。
次回の『マジチー』は、本編を来週火曜日のお昼頃投稿予定です。
お客様方が、いよいよ南の新大陸に上陸されるそうです。
そちらも読んでいただけると嬉しいです。
もし少しでも楽しんでいただけたのなら、ブクマや★で応援だけでもしてくださると励みになります。
お金は、価値を仮想化した概念でございます。
しかし、世の中にはお金に代え難い価値もあります。
人間の皆様は、プライスレスと言うのでしたかな?
皆様、当屋台で新しい価値を体験してください。
紅生姜大盛り、承っております。
――ハルブバッハ




