表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
81/90

閑話:それは黒くて素敵な飲み物

 日没してまもない商業都市セレノス。


 市場通りの喧騒が少しずつ遠ざかり、酒場『ルーイン・ゴート』には夕食時のざわめきが満ちていた。


 『トーチ』の面々は、いつもの大きなテーブルを囲んでいる。


 皿の上には、肉料理、豆の煮込み、湯気の立つ白いご飯。食事はそろそろ終わりかけていた。


「ふう。食った食った」


 ケンタは椅子の上で小さく伸びをすると、コップに残っていた黒い飲み物をぐいっとあおった。


 しゅわしゅわと泡が弾ける。


「うへー、よくご飯と一緒に甘い飲み物飲めるね」


 結が顔をしかめた。


 そう。チビアバターと化してからのケンタの飲み物は、黒ビールなどではない。


 黒くて甘くて、炭酸はじけるコーラだった。


「合うぞ。コーラをご飯にかけて、コーラ茶漬けにするやつもいる」


「それも茶漬けと呼んでいいの?」


「いいさ。出汁茶漬けだって、お茶じゃないだろ」


「理屈はそうだけど、心が納得しないよ」


 ケンタは空になったコップを掲げ、近くのウェイターを呼んだ。


「これって、赤と青のヘブンコーラだよな? 赤と白のコケ・コーラはないのか?」


 ウェイターは申し訳なさそうに首を振った。


 この店には、それしかないらしい。


「味が全然違うんだよなあ……コーケの方が飲みたいなあ」


「そんなに違う?」


「ラムネとサイダーくらい違う」


「同じじゃん!」


「違うだろ」


 ケンタは真顔で言った。


「そこには、深い炭酸の谷がある」


「浅そう!」


* * *


「で、俺が呼ばれたと……」


 タクヤはテーブルにつくやいなや、不平をもらした。


 場所は変わらず、セレノスの酒場『ルーイン・ゴート』。


 夕食後のテーブルには、空になった皿と、問題の黒い炭酸飲料が入っていたコップが置かれている。


 ケンタはそのコップを、まだ名残惜しそうに見ていた。


「なんで俺が炭酸飲料の面倒まで見ないといけねーんだ?」


 タクヤが眉を寄せる。


「こっちは詳しくないのか?」


 ケンタはがっかりした顔で見上げた。


「そうは言ってねぇ……が、アレは門外不出だろう」


「門外不出! 一子相伝?」


 結が妙に食いついた。


「どこの暗殺拳だよ……レシピの話だぜ」


 タクヤは頭を振った。


 それから、空のコップをちらりと見る。


「似たようなモンはできるだろうが、嗜好品はわずかな違いが『コレジャナイ』になるんだよな……」


「そんなこと言わないからさ、近いのでいいんだ」


 ケンタはすぐに言った。


 だが、その顔はすでに、近いものでは満足しなさそうな顔だった。


 タクヤはジトっとケンタを見下ろす。


「どうせ、香りが1ミリずれてるとか、味が境界条件踏み越えてるとかゆーんだろ?」


「言いそう……」


 結が小さくうなずいた。


「言わない、言わない。仕様はざっくりでいい」


「ホントかよ……」


 タクヤは疑いの目を逸らさない。


 ケンタは真顔でうなずいた。


 その真顔が、逆に信用できなかった。


 タクヤは深く息を吐く。


「なら、白鹿亭に行くぞ。甘い物ならホワイト氏に聞けばいい」


* * *


 白鹿亭に着くなり、ケンタは説明を始めた。


 黒くて甘いこと。

 炭酸がしゅわしゅわ弾けること。

 ただ甘いだけではなく、どこか薬草のような香りがすること。

 赤と青のやつではなく、赤と白のやつに近づけたいこと。


「なるほどであ〜る」


 ミスリル・シェフのホワイト氏は、深くうなずいた。


 すると、その頭上に『?』マークが点灯した。


「出た! クエストだ!」


「炭酸飲料でクエスト発生すんのかよ……」


―――――――――――――――――

【コーラの実の納品】

依頼者:ミスリル・シェフ ホワイト

目的地:南の密林(ジャングル)

依頼内容:

ローズティア湖を渡った先に南の密林があ〜る。

そこでコーラの木を探して、その実を収穫するのであ〜る。

制限時間:なし

難易度:★★★★★

報酬:料理レシピ『魅惑のカフェレシピ』

―――――――――――――――――


「コーラって木になるんだ……」


 結がぽつりと言った。


「うむ、知らなかったのか? 結」


 ケンタはさも当然のようにうなずく。


「いや、知らないよ。普通は知らないよ」


「それより、星五つだぞ」


 タクヤがクエストウィンドウの一行を指差した。


「コーラの実を取りに行くだけで、なんで難易度が星五つなんだよ」


「でも、報酬は料理レシピ『魅惑のカフェレシピ』だぞ。平和そうだ」


「平和なクエストは星五つにならねぇんだよ」


 タクヤが顔をしかめる。


 結はクエストウィンドウとホワイト氏を見比べた。


「ほんとにこれで合ってるの?」


「合っているのであ〜る」


 ホワイト氏は胸を張った。


 それから、なぜか一歩、厨房の方へ下がった。


「では、厨房の仕込みがあるのであ〜る」


 そう言うと、ホワイト氏はそそくさと厨房の奥に消えた。


「逃げたね」


「逃げたな」


「ま、初期のコーラはコーラ・ナッツを使ってたと思うが、ケンタの希望とは違うかもな」


「とりあえず、南の密林行ってみようぜ」


 ケンタは小さな体で、すっと南を指差した。


「南っても、ここからだと東南東だぜ。ドルイドのゲートが一番近いかな」


「よーし、だったらチコリにお願いだ!」


「おまえ、ほんと遠慮ないな……」


* * *


 チコリは申し訳なさそうに、何度も頭を下げていた。


「ほんとにすいません……」


 その様子に、タクヤが片手を上げる。


「いや、いいって。無理言ってるのはこっちだし、わりいな」


「『南の密林』のゲートは、カオスの町でしか売ってなくて、持ってないんです」


 チコリは肩を落とした。


 ドルイドのゲート魔法は、行き先ごとに習得が必要になる。便利ではあるが、持っていない場所へは当然飛べない。


「中央図書館でも売ってるんだが……まだ行けないか」


 ケンタが悔しそうにつぶやいた。


 中央図書館には、すべての魔法とスキルが納められている。


 オーダー、カオス、どちらの陣営でも購入可能な中立施設。だが、そこへ行くには拡張パックの解放が必要だった。


 つまり、今はまだ行けない。


「俺が買ってきてもいいが、それなら歩いて行ったほうが早いな」


 タクヤが言った。


 カオスの町『バロルグ』へ向かうなら、『南の密林』は通り道になる。


「なら、『ウルフ・フォーム』掛けます!」


 チコリが顔を上げた。


 そして今度は、チコリの方が手を合わせる。


「その代わり、『南の密林』のゲートを買ってもらっていいですか? 帰りでいいんで……」


「もちろんいいさ、まかせろ」


 ケンタが胸を張って宣言した。


「買いに行くのは俺なんだが……まあ、お安いご用だ」


 タクヤは苦笑しつつも了承した。


 出発は、翌朝ということになった。


* * *


 翌朝。


 一行はチコリのグループゲートで北エリスのドルイドリングまで飛んだ。


 円を描くように並んだ石柱が、朝の草原に影を落としている。

 その向こうには、南の川に架かる白亜の橋が見えた。


「じゃ、ここからは走りだね」


 結が白亜の橋の方を見て言った。


「それじゃ、『ウルフ・フォーム』掛けます!」


 チコリが杖を掲げた。


「ウルフ・フォーム!」


 淡い光が一行の体を包んだ。


 次の瞬間、ケンタたちの視界がぐんと低くなる。


 この魔法は、足を速くする『狼の魂』の上位版である。


 姿形まで狼と化し、速度も『狼の魂』より若干速くなる。


「うわー、なんか不思議な感じ!」


 初めての四つ足アバターに、結が戸惑った声を上げた。


 前足がある。


 後ろ足もある。


 しっぽもある。


 そして、地面が近い。


「これ、どの足をどの順番で出せばいいんだ?」


 ケンタが真剣な声で言った。


「ケンタ、ほんと細かいな。テキトーでいいんだぜ」


 そう言い残して、タクヤは軽やかに走り出した。


「あっ」


 結とチコリも、あわててその後を追う。


 最初はぎこちなかった結の足取りが、すぐに整っていく。


「あ、なんとなくテキトーな感じ分かってきたかも」


 結はぐんとスピードを上げた。


 そして、先を行くタクヤをあっさり追い越す。


「ひゃっほー!」


 楽しそうな声が、街道の先へ飛んでいった。


 その後ろ。


 最後尾では、ケンタが右前足と右後足を一緒に出しながら、ヨタヨタとついてきていた。


「ま、待ってくれよー」


* * *


 一行は、白亜の橋を渡り、南エリスへ入った。


 狼の姿になったおかげで、移動速度そのものはかなり速い。


 ただし、全員が同じように快適だったわけではない。


「右、左、右、左……いや、右前、左後、左前、右後……?」


 ケンタは時々ぶつぶつ言いながら走っていた。


「まだ考えてるのかよ」


「考えないと足がからまるんだ」


「からまるほど長くねぇだろ」


 タクヤに言われながらも、ケンタは真剣だった。


 以前ペガをめぐってひと騒動あった、レイブン族の砦の巨木も遠目に見えてくる。


 その巨木を横目に通り過ぎ、さらに南下。


 しばらく進むと、景色が大きく変わった。


 ローズティア湖のゾーンである。


 ゾーン境界付近には、わずかに陸地がある。


 だが、それ以外はほぼ全面が水に覆われた湖ゾーンだった。


 水面は広く、空を映して静かに揺れている。


『南の密林(ジャングル)』は、この湖の東隣になる。


「よーし、舟が出るぞー!」


 さっきまで足の運びに苦労していたケンタが、急に元気よく叫んだ。


 この湖には、海のような定期船があるわけではない。


 岸辺に小舟が放置されているだけである。


 ただし、その小舟は親切設計だった。


 乗れば自動で動き出し、先頭のプレイヤーが思った方向に進む。


 つまり、漕がなくてもいい。


 遭難しない程度には、世界が甘やかしてくれる。


「これで、トロットとかギャロップとか迷わないで済むなあ……」


 小舟の先頭に乗ったケンタが、しみじみと言った。


「そりゃ馬だろ。ほんとに分かってるんか?」


 タクヤが呆れる。


「四足歩行なら同じ原理だろ?」


「雑すぎるだろ、その理解」


「まあ、まあ、船頭さん、前見てね」


 結が言った。


「おおっと!」


 ケンタが慌てて前を向く。


 岸の近くは浅瀬になっており、奇岩がいくつも水面から突き出していた。


 小舟はそれを縫うように進みながら、東を目指す。


 湖面を渡る風が、狼の姿になった一行の毛並みを揺らした。


「この辺は岸が崖になってるんだね。上がるのは無理かな?」


 結が周囲を見回して言った。


 ゾーン境界以外は、切り立った崖に囲まれている。


 移動できるのは、水の上だけだった。


 崖の上にも樹木の緑は見える。


 だが、そこに踏み込む方法はなさそうだった。


「ランダム・テレポートで高低差バグを使えば行けるかもしれん」


 ケンタが少し考えてつぶやいた。


「やめとけって」


 タクヤが短く言った。


「もう見えてきたぞ」


 小舟の前方に、低くなった岸が見えてきた。


 その先に、昼でも薄暗い密林が口を開けていた。


* * *


 昼なお暗い密林だった。


 鬱蒼と茂った樹木が、ぶつかり、捩れ、絡まり合っている。

 さらに、その樹皮の上をツタ植物が覆い隠し、幹と幹の境目さえ曖昧にしていた。


 陽光は、頭上の葉に砕かれて届く。

 湿った空気は重く、足元には腐葉土の匂いが沈んでいる。


 そこはさながら、緑の海の底だった。


 一行は、すでに『ウルフ・フォーム』を解いて人型に戻っていた。


「ふー、やっぱ二足の方が落ち着くな」


 ケンタが腰を伸ばしながら、辺りを見回した。


 四本足の混乱から解放されたせいか、表情には少しだけ余裕が戻っている。


「じゃあ、代わりに『狼の魂』を全員にかけますねっ」

 チコリがニッコリ笑って、二足のまま移動速度を上げるバフを全員に配っていく。


「で、ここのお邪魔モンスはなんだっけ?」


 EOFの各ゾーンには、ほとんどの場合、そこの適正レベル帯では太刀打ちできないモンスターが配されている。


 アナウンス担当GMのサイゴードン曰く、「冒険にはスリルというスパイスが必要だ」とのことだが、低レベルプレイヤーしかいない初期の頃は、単なる嫌がらせだった。


「なんか虫だった気がするな」


 タクヤが周囲を警戒しながら答えた。


「セレノス・サンダー・ビートルみたいなやつ?」


「いや、もっとデカくてうるさかったような……」


 ブウウウウウン!!


「そうそう、そんな感じ――なにっ?!」


 頭上に、多数の羽音が響いた。


 葉の天井が震える。


 湿った空気そのものが、巨大な羽音にかき回されているようだった。


「きゃ!」


 チコリの悲鳴が上がった。


 急降下してきた何かが、彼女の身体を横から跳ね飛ばしたのだ。


「チコリ!」


「なに!? メガでっかい!」


 鬱蒼と茂った葉の隙間から、赤と青の個体が見え隠れする。


 羽は速すぎて形を捉えられない。

 ただ、太い脚と、針のような何かが一瞬だけ見えた。


「チコリちゃん、大丈夫?」


 結が駆け寄り、倒れたチコリの様子を確認する。


 一撃を受けただけで、チコリの右腕は赤紫に腫れ上がっていた。


 パーティで共有されているステータス欄に、緑色の液体を垂らすフラスコのデバフアイコンが並ぶ。


 さらに、HPゲージが緑に点滅し始めた。


 次の瞬間、そのゲージがガクガクと急降下を始める。


「やばい、毒だ!」


 ケンタが慌てて祈りを捧げる。


「キュア・ポイズン!」


 デバフアイコンは一瞬だけ揺らいだ。


 だが、消えない。


「くそう、消せない……毒のレベルが高いのか?」


 チコリのHPゲージは、まだ減り続けている。


「グレーター・ヒール!」


 ケンタはすぐに回復魔法を重ねた。


 とりあえず、HPだけでも戻す。


 だが、緑色に染まったゲージは、また急速に短くなっていく。


「生命の讃歌!」


 タクヤも遅延ヒールを飛ばした。


 時間ごとに少しずつ回復するタイプの魔法で、毒による継続ダメージとの相殺を狙ったのだ。


 ケンタもさらにヒールを重ねる。


 ようやく、ゲージの減少が少しだけ緩やかになった。


「囲まれたな……」


 タクヤが低く言った。


 唸る羽音が、辺りの空気を震わせている。


 身体まで振動するような圧迫感だった。


 密林の気温が、さらに上がった気がした。


 それでも、ケンタの首筋には冷たい汗が流れていた。


* * *


「チコリ! ホームポイントはどこだ? 神殿の近くなら、駆け込めば……」


 ケンタが叫ぶ。


 だが、結はチコリを抱きかかえたまま、首を振った。


「ダメだよ。痛みで気を失ってるみたい」


 チコリの顔は青ざめ、額には脂汗が浮かんでいる。

 呼吸は浅く、右腕の腫れはさらに広がっていた。


「それより、コンプリートなんとかは使えないの?」


「あれはエレネが同じゾーンに居ないと使えないんだ」


 ケンタは唇を噛み、考え込む。


「他に何か……何かないか……」


「チコリは俺がみる。結ちゃんはアイツらを落としてくれ」


 タクヤが駆け寄り、チコリのそばに膝をついた。


「あ、はい」


 結はようやく気がついた。


 ここにいるのは、ヒーラークラスが三人。

 そして、ハンターの自分。


 戦闘で前に立つのは、自分しかいない。


 鬱蒼と茂った葉の天井。その向こうで、赤と青の巨体が何匹も旋回している。

 だが、まともには見えない。


 羽音だけがある。


 湿った空気を震わせ、頭の奥まで痺れさせるような羽音。


 結は目を閉じた。


 視界を捨てる。


 代わりに、耳を澄ます。


 葉擦れ。

 チコリの浅い息。

 ケンタの祈り。

 タクヤの低い詠唱。

 そして、その上を乱暴に切り裂く羽音。


「――そこっ!」


 結は弓を引き、湿った空気を震わせる音へ向けて矢を放った。


 矢は葉の隙間へ吸い込まれる。


「ギュイイイィ!」


 耳障りな異音が密林に弾けた。


 羽根の根元を貫かれた昆虫――巨大な蜂が、枝葉をへし折りながら落下してくる。


 頭から胸にかけては暗い青。

 腹から下は、毒々しい赤。


 まるで、森の中でこぼれた炭酸の悪夢だった。


「次っ!」


 結は集中して、弓を引き続けた。


 見えなくてもいい。


 音がある。


 風の乱れがある。


 羽音の奥に、狙うべき一点がある。


 結は呼吸を細くし、次の矢をつがえた。


* * *


「毒返しの呪!」


 タクヤがシャーマンのまじないも試す。

 だが、チコリのステータス欄に並ぶ緑の毒アイコンは、ぴくりとも動かなかった。


「くそ! この毒アイコン、揺れもしねえ」


 タクヤとケンタ、レベル最大のヒーラーが二人もいる。

 回復力だけなら、まだ余裕はあった。


 ケンタが『グレーター・ヒール』を重ね、タクヤが『生命の讃歌』を維持する。

 チコリのHPゲージは、削れては戻り、削れては戻る。


「このまま回復で持たせて、効果時間切れを待つしかないか……」


「ダメだ……待てねぇ」


 タクヤが低く言った。


 パーティに共有されたHP、ソウル、スタミナのゲージ。

 チコリのHPには、まだ余裕がある。

 だが、ソウルゲージは残りわずかで、か細く脈打っていた。


「HPが満たされていても、魂が持たねえぞ」


 そう告げると、タクヤはチコリの腫れ上がった腕に顔を寄せた。


「タクヤ?」


 ケンタが目を見開く。


 毒を吸い出すつもりなのだ。


(ゲームでそんなことをしても……)


 一瞬、否定の言葉が頭をよぎった。


 だが、ケンタはすぐに頭を振る。


(いや、違う。できることは試すべきだ)


 ケンタは自分のステータス窓を開いた。


『キュア・オーバーレヴ』も、『コンプリート・キュア・オブ・ジ・エンド』も使えない。

 婚姻相手のエレネが同じゾーンにいないからだ。


 指輪を多重装備してバグらせても、それをステータスに反映できなければ意味がない。


(婚姻バグとゾーン以外に、ステータス更新が走る処理があれば……)


 ケンタはインベントリから、いくつかのWIS指輪を取り出して重ねた。


 視界の端を注視する。


 そこには、自身の各種ゲージとバフアイコンが浮かんでいる。


 順に触れてみる。


【HPゲージ】変化なし。


【ソウルゲージ】変化なし。


【スタミナゲージ】変化なし。


【狼の魂】外せる。


【女神の騎士の加護】外せない。


【ホーリーシンボル】外せる。


 バフアイコン欄には『女神の騎士の加護』だけがぽつんと点灯している。


 だが、ステータス更新は起こらない。


「くそ……」


 ケンタは小さく吐き捨てる。


 その頭上で、羽音が唸った。


「――そこっ!」


 結の矢が、葉の向こうへ飛ぶ。

 赤と青の巨体が悲鳴を上げ、枝を折りながら落ちてきた。


 それでも、羽音はまだ消えない。


(あとは、水に入った時だけ出る呼吸ゲージとか……)


 ケンタは周囲を見回した。


 腐葉土。

 絡み合う根。


 池も川もない。


(なければ出せばいい)


 ケンタはインベントリから一本の青い杖を取り出した。


―――――――――――――――――

【ブルー・アクア・ロッド】

使用効果:大量の水を入排出する。

―――――――――――――――――


 『魔女の大釜』の水が、まだ内部に残っているはずだった。


 ケンタは近くの窪地へ杖を向ける。


 ごぼり、と音を立てて水が吐き出され、腐葉土を押し流す。

 たちまち、小さな池ができた。


 ケンタは池の縁に膝をつき、顔を水へ突っ込んだ。


 視界の端に、呼吸ゲージが浮かぶ。


 ステータスは変わらない。


 顔を上げる。

 呼吸ゲージが消える。


 やはり、変化はない。


「ダメか……いや、まだだ」


 ケンタはもう一度、水に顔をつけた。


 呼吸ゲージが減っていく。

 短くなり、ついに尽きる。


 息苦しさが胸を締めつける。

 次の瞬間、HPゲージがわずかに削れた。


 ケンタは顔を上げる。


「ぷはっ!」


 濡れた前髪を振り払い、すぐにステータス窓を見る。


「ダメか……」


 ステータス窓に変化はない。


 だが、微かな違和感があった。


(なんだ? 何かが変だ……)


 ケンタは、ゲージとアイコンの列を眺めた。


 何かが、引っかかる。


 やがて――。


 ケンタは気づいた。


 たったひとつの仕様の隙間に。


「見つけた!」


 濡れた顔のまま、ケンタは立ち上がった。


「ソリューションがあったぞ!」


* * *


「タクヤ、キャンセル・マジック系のまじないあったよな?」


 ケンタが顔を上げて言った。


「あるけど、あれじゃ毒は消せないぞ」


「消すのは毒じゃない。『狼の魂』を消すんだ」


「よくわかんねえが……わかった」


 タクヤは疑問をひとまず脇へ置き、短く詠唱する。


「解呪の祝詞!」


 キャンセル・マジックと同じ効果を持つ、シャーマンのまじないである。


 チコリのバフ表示欄から、『狼の魂』のアイコンがすっと消えた。


「次は毒霧をかけてくれ。なるべく弱いやつな」


「毒霧? チコリにか? 勘弁してくれよ……」


 タクヤは眉を寄せ、即座に首を振った。


 すでにチコリは猛毒に侵されている。

 そこへさらに毒を重ねるなど、正気の沙汰ではなかった。


「頼む! 今は俺を信じてくれ!」


 その間にも、チコリのHPはじりじりと削れていく。

 ケンタがヒールで押し戻すが、緑に染まったゲージはまた少しずつ短くなっていった。


 タクヤは一瞬だけ目を閉じる。


 そして、息を吐いた。


「わかったよ。でも弱くする方法は知らんぞ」


「小声で唱えるといいって『バグ活』には載ってたぞ」


「そんな民間療法みてえな攻略記事を信じるのかよ……」


 タクヤは肩をすくめた。


 だが、もう迷っている時間はない。


「毒霧……」


 ほとんど囁くような声で、タクヤがまじないを唱える。


 チコリのバフ表示欄に、新しい緑色のアイコンが灯った。


『毒霧』


 その後ろには、相変わらず毒々しい色で居座るアイコンがある。


『ヘブン・ホーネット・デッドリー・ポイズン』


「よし、これで準備完了だ」


 ケンタは濡れた前髪をそのままに、両手を組んだ。


「マス・キュア・ポイズン!」


「おいおい、それは複数一括解除だが、効果は普通のキュア・ポイズン以下のやつだろ……」


 タクヤが怪訝な顔をする。


 だが、次の瞬間。


 その表情が固まった。


 チコリのバフ表示欄に、何もない。


 さっきまで居座っていた『毒霧』も。


 あれほど頑固に消えなかった『ヘブン・ホーネット・デッドリー・ポイズン』も。


 跡形もなく、消えていた。


「嘘だろ? 夢でも見てるのか俺……」


「夢じゃないさ、バグだ」


 ケンタが短く答えた。


「複数解除魔法は、最初のアイコンでだけ成功判定されるバグがある」


 ケンタはニヤリと口の端を上げる。


「つまり、『毒霧』の判定で『ヘブン・ホーネット・デッドリー・ポイズン』も剥がれるってわけさ」


 チコリのHPゲージが、ようやく安定する。


 緑の点滅も消え、呼吸も少しずつ穏やかになっていった。


 その顔色が戻り始めたのを見て、タクヤは深く息を吐いた。


「相変わらずのイカサマ野郎だな」


「いやあ、そんなに褒めるなよ」


「褒めてねえぞ? やれやれだぜ」


* * *


「もうひとーつ!」


 結が放った矢が、葉の隙間へ吸い込まれる。


 それが、最後の一矢となった。


 ギュイイイィ、と甲高い異音を残して、赤と青の巨体が枝をへし折りながら落下する。


 羽音が止んだ。


 辺りが、ふっと静寂に包まれる。


 だが、それは錯覚だった。


 巨大な羽音に押し潰されていた密林の音が、少しずつ戻ってくる。


 風が樹々を揺さぶる音。

 葉と葉が擦れ合う音。

 どこか遠くで鳴く鳥の声。

 足元の腐葉土を、小さな生き物が這う気配。


 結は弓を下ろした。


 ハチの撃墜に集中し過ぎて、頭の奥がぼーっと霞んでいる。


 数拍遅れて、ようやく思い出した。


「あ! チコリちゃん大丈夫?」


 我に返った結は、慌てて仲間たちの方へ駆け寄った。


「大丈夫だ。落ち着いたぜ」


 タクヤが、チコリを両手で抱えて立ち上がったところだった。


 チコリの顔色は、まだ少し悪い。

 だが、さっきまでの苦しげな呼吸は治まり、表情も穏やかになっている。


「わあ、よかった!」


 結はチコリの顔を覗き込み、胸をなで下ろした。


「蜂も片付いたようだな。じゃあ、帰るとしますかね」


 タクヤが周囲を見回しながら言う。


 その時だった。


「待ってくれ、こいつらからコーラの匂いがする」


 青と赤の蜂の死骸を漁っていたケンタが、妙に真剣な声を上げた。


「おお、コーラの実がドロップしてる!」


 ケンタは小さな実をつまみ上げる。


 黒みがかった実から、甘くて薬草めいた香りがほのかに漂っていた。


「ケンタも……よかったね」


 結が苦笑いを浮かべる。


 チコリの無事と、ケンタの目的達成。

 どちらもよかったのは確かだった。


 だが、ケンタはその実を鼻先に近づけ、少しだけ眉をひそめた。


「でも、この香り、ヘブンの方っぽいんだよなあ」


「ほら、やっぱりザックリじゃねえ」


「だね……」


 そんな一同の前を。


 ブウウウンッ……。


 一匹の蜂が、ゆっくりと横切った。


 その体は、赤と白。


 ケンタが探していたコケ・コーラの色そのものだった。


 蜂はそのまま、密林の奥へと消えていく。


(沈黙)


「今の! 赤と白だった!」


 ケンタが叫んだ。


「俺たちの戦いはこれからだ!」


「やれやれだぜ……」


(おわり)


――閑話:それは黒くて素敵な飲み物 あとがき


最後まで読んでくださって、ありがとうございます!


元気が取り柄のドルイド娘、チコリですっ!


次回の『マジチー』は、本編を来週火曜日のお昼頃に投稿予定です。

なんだか、オオオニ組のみなさんが大変なんだってー。

そちらも読んでもらえると嬉しいでっす!


もし少しでも楽しんでいただけたなら、ブクマや★で応援してもらえると、とっても励みになります!


それにしても。

コーラの実を取りに行くだけの、簡単なお仕事だと思ってたんですよ。


なのに、まさかあんなメガでっかい針に刺されることになるなんて……。


ここだけの話、私、注射が苦手なんですっ。

健康診断で採血の針を見ただけで、目の前が真っ暗になっちゃうくらいで……。


……あれ?

今回も真っ暗になってましたね?


えへへ。笑えないやつでした。


でもでも、ケンタさんたちって本当にすごいんですね。

毒を治すために、あえて毒をかけるなんて、普通思いつきませんよね。

毒を以て毒を制す、ってやつでしょうか?


それと、えっと……。


タクヤさんに、お姫様抱っこ……。


……また、気を失いそう……。


ぱたり。


――チコリ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ