第五十話:草原のペガサス(前編)
商業都市セレノスの裏通り。
市場通りの喧騒から少し外れたその一角には、昼間だというのに赤提灯を揺らす居酒屋があった。暖簾の向こうからは、焼き物の香ばしい匂いと、昼酒特有のゆるんだ空気がふわりと流れ出してくる。
「くー! 昼からビール、サイコー!」
店の小上がりで、緋色の祭服をまとった女性が空になったジョッキを高々と掲げた。
ナナである。頬はほんのり上気しており、目元はすでにご機嫌そのものだ。
「大将! 生大おかわり!」
威勢よく声を張るその姿に、同席している面々はそろって微妙な顔をしていた。
「ランチ営業で大ジョッキは飲みすぎだがね」
呆れたように言ったのはシャチョーだ。
席には『トーチ』の面々に加え、セレノスのおっさん同盟まで揃っている。昼食のはずなのに、空気だけはすっかり宴会だった。
「えー、いいじゃなーい。昼だからこそ美味しいんじゃん」
ナナはけろりとして言いながら、次に運ばれてきたたこ焼きの皿へ手を伸ばした。
その隣では、狼男のジンが湯気立つたこ焼きを前に、じっと表面を見つめている。ふわふわ揺れる鰹節が、熱気にあおられて踊っていた。
「ジンちゃん、たこ焼きフーフーしたげよっか?」
ナナがにやにやしながら身を乗り出す。
獣人は大抵が猫舌だ。ジンも例外ではない。
「いえ、結構です(素)」
間を置かず、きっぱり返すジン。
「えー! ノリわるくなーい?」
「絡み酒だがね、ほんと困った人だがね」
シャチョーが肩をすくめると、向かいの席ではケンタが苦笑いを浮かべた。昼間からこの調子では先が思いやられる。
その時、店の引き戸ががらりと開いた。
「こんにちは〜! チコリと愉快な仲間たちでーす」
明るい声とともに入ってきたのは、新人パーティのチコリたちだった。
店内の視線がそちらへ向く。小柄なハーフエルフの少女が先頭で手を振り、その後ろからユウタたちが続いてくる。
「おー、チコリちゃん、ユウタくん、お花見ぶりだがねぇ」
シャチョーはさっそく上機嫌で身を乗り出し、なぜか席を空けながらお酌の準備まで始めた。
「まてまて、チコリもユウタも未成年だぞ」
すかさず止めたのはケンタだ。
本人も今は子ども姿なので、言っている絵面が妙にややこしい。
「VRでも未成年は飲酒禁止なんかね?」
シャチョーがきょとんとした顔で首を傾げる。
「別にそう言うわけじゃないけど……」
ケンタは言葉を濁した。禁止事項を厳密に語り出すと長くなるし、そもそもここでそれをやる空気でもない。
「僕、コーラでいいです」
空気を読んだユウタがそう言って、ケンタの隣へすっと座った。運ばれてきたコーラの瓶を受け取ると、手慣れた様子でコップに注ぐ。
「私もー! あと、たこ焼き追加で!」
チコリは元気よく大将へ手を振った。
昼下がりの居酒屋は、ますます賑やかになっていくのだった。
* * *
「ええーっ! ペガサス見たの?!」
結が思わず立ち上がって叫び、店の空気がぴたりと止まった。
小上がりの一角にいた一同だけでなく、カウンター席の客や厨房の大将までが、何ごとかと視線を向けてくる。
「す、すいません、お騒がせして……」
結はみるみる頬を赤くし、ぺこりと頭を下げながら、そっと座り直した。
弓を握っている時なら堂々としているくせに、こういう時だけ妙にしおらしい。
「で、どこで見たの?」
今度は声量をぐっと落とし、結は身を乗り出してチコリに耳打ちするように訊ねた。
「南エリスですよ。あのバウワウ迷宮を出たとこです」
チコリはたこ焼きをひとつ頬張ったまま、もぐもぐと答えた。
「もっとも、飛んでるところが高すぎて、鳥と見間違えちゃいました……」
そう言ってコーラをあおると、照れたようにぺろっと舌を出す。
「いいなー! 見たい! 乗りたい! 流鏑馬したい!」
結の目がきらきらと輝いた。
さっきまでの恥じらいはどこへやら、もう頭の中では草原を駆ける自分の姿でも見えているのだろう。
「結ちゃんが珍しくやる気だがね」
シャチョーが感心したように目を丸くする。
「ユニコーンが乗せてくれなくなって、乗馬に飢えてるんだよ」
ケンタが横から補足した。
本人はコーラしか飲んでいないのに、なぜか酒でもちびちびやるような顔つきでコップを傾けている。
「よっしゃ、このシャチョーが一肌脱いだるがね!」
どん、と胸を叩いて立ち上がるシャチョー。
「お〜! タクシーはお姉さんたちに任せなさ〜い!」
ナナも負けじと声を張り上げ、ぐいっとチコリとフレイアを抱き寄せた。
完全に酔っ払いの勢いである。
「ペガサス見に行くの!?」
「行く行く!」
「オレも行きたい!」
きゃっきゃとはしゃぎながら立ち上がる子どもたちに、ケンタが嫌な予感しかしない顔をする。
「いや、お前ら、遠足じゃないんだぞ」
「遠足みたいなもんだがね!」
シャチョーが盛り上がる。
「ついでに弁当も用意してもらうでよ!」
こうして、昼酒で妙にテンションの上がった大人組に、さらに目を輝かせた子ども組まで加わり、一団は再び南エリスへ向かうことになった。
* * *
一行は、バウワウ迷宮のある丘に再集結した。
「そういや、お花見したんだって?」
ナナが、にやりとしながらシャチョーの背中をつねり、耳元へ顔を寄せる。
「どうして、誘ってくれなかったのよ、ひどいわ、ひどいわ、よよよ」
そのまま、わざとらしく泣き崩れた。
「今度は泣き上戸なんかね……」
シャチョーが呆れたように言う。
足元では、ナナが肩を震わせていた。
「だ、大丈夫かね……って、寝とるがね」
泣いているのかと思えば、もう寝息を立てている。
切り替わりが雑すぎた。
そんなやりとりを横目に、結は『追跡』スキルの窓に夢中になっていた。
EOFの『追跡』スキルは、目の前に浮かんだ窓に、スキル値に応じた距離までのモンスター名を一覧表示する。名前の色で親密度もある程度わかるし、リストから対象を選んで『追跡』ボタンを押せば、おおよその方向も示してくれる便利なスキルだ。
「ケンタ、ペガサスってネームド? 名前わかる?」
結に訊かれ、ケンタは腕を組んで首を振った。
「俺がレアを引いたことあると思う?」
「なに自慢しとるんだがね」
シャチョーが即座に突っ込む。
「あ、これじゃないですか?」
共有モードに切り替えた追跡リストの中ほどを、チコリが指差した。
――――――――――――――――――――――――
:::
ハーミット・ダンディ
【ペガ】
ポチ・ザ・グレート
:::
――――――――――――――――――――――――
「いやいや……そんなベタな……」
結が眉をひそめる。
だが、ベタだから違うとも言い切れないのがEOFである。
「まあ、一応行ってみるか」
ケンタが言い、結はその項目を選んで『追跡』を押した。
結の身体が、クルリと向きを定める。
――南だ。
「『レイブン族の砦』の方向だね。行ってみよう」
結が顔を上げると、一行はぞろぞろと南へ向かい始めた。
もっとも、寝込んだナナを置いていくわけにもいかない。
結局、シャチョーが背負うことになった。
「お、重いがね……」
* * *
――それは、地を這っていた。
グルルッ……メェエエェ……。
猛獣が喉を鳴らすような低い唸りと、悪魔の供物にされた草食獣の悲鳴めいた声が、草原の奥から重なって響く。
ズルリ……。
それは何か長いものを引き摺りながら、踏み分けるでもなく、ただ押し潰すように草を倒して進んでいた。
草原という開けた大地に相応しい巨体。
草原という風美な大地に相応しくない禍々しさ。
草原という自然の大地に抗う、不自然な姿。
その巨大なボスモンスターは、ゆっくりと地を這っていく。
――北へ。
* * *
南エリス草原の中央には、巨大な木がひとつ、天へ向かってそびえていた。
カラスの亜人、レイブン族の砦でもあるその巨木には、幹を巻くように螺旋状のスロープが設けられており、最上部の天守へと続いている。
「うーん、この辺なんだけどなあ……」
結が『追跡』の窓を見ながら首を傾げた。
「『追跡』は高度差が判らないから、上空かもな……」
ケンタが上を見上げる。
だが、ねじくれた巨木の枝と生い茂る葉が空を覆っており、その先はほとんど見えなかった。
「親密度はどうなんじゃ?」
ログ爺が尋ねる。
「高ければ、近くで呼べば来るかもしれんぞい」
「えっと、いちおう青だね」
「カリスマバフを掛けてみるかの――」
そう言うと、ログ爺は結に向けて杖を掲げた。
「レディアント・ヴィサージュ!」
淡い光が結を包み、追跡窓の表示が変化する。
「おー黄緑になった!」
「ほいじゃ、呼んでみてちょーよ」
結はひとつ頷くと、口に手を添えて声を張った。
「ペガやーい!」
その途端、草原を渡る風が吹き抜け、巨木の葉がざわりと鳴った。
威嚇するようなレイブンの鳴き声も、そこかしこから満ちてくる。
――その中に、小さないななきが混じっていた。
……ヒッ……ヒヒン…………。
「こっち!」
声の方向へ、結が駆け出す。
ケンタとシャチョーも、すぐにその後を追った。
「居た!」
巨木の裏側で、白い馬がレイブン族に囲まれていた。
槍を突きつけるレイブン族たち。
不安げに後ずさりし、鼻を鳴らす白馬の背には翼が見て取れた。だが、その翼は小さく縮こまるように、ぴたりと身体へ貼り付いていた。
……ヒン……。
「正射必中!」
考えるより先に、結の身体が動いていた。
放たれた矢が、槍を突き出そうとしたレイブン族を撃ち抜き、光の粒子へ変える。
「バックスタブ!」
別のレイブン族へ、シャチョーが鋭く突きを入れた。
さらに後から追いついたユメゾウやベルウッドも加わり、残るレイブン族の排除にかかる。
――やがて。
囲んでいたレイブン族は一掃され、あとには白い幻獣だけが残った。
それは震えながら、じっとこちらの様子をうかがっていた。
* * *
よくよく見れば、そのペガサスはまだ仔馬のようだった。
スラリと伸びた脚はしなやかそうではあるが、まだ細く、力強さまでは感じられない。
ペガサスを象徴する純白の翼も、小さく身体へ貼り付くように畳まれていて、雄々しく飛翔できるようにはとても見えなかった。
「なんだ、まだ仔馬じゃんか」
ケンタが思わず漏らしたその感想に――
『僕は馬じゃない! お前だって子供じゃないか!』
白い幻獣が、ふんっ、と鼻を鳴らした。
「しゃべった!?」
ケンタは目を丸くする。
「君、大丈夫? 怪我はない?」
脚の震えを見て、結が心配そうに問いかける。
『助けてくれて、ありがとう、ハーフエルフのお姉ちゃん』
ペガサスは結へ向かって、ぺこりと頭を下げた。
「おかげで怪我はないよ。僕の名は『ペガ』、誇り高きペガサスさ」
「それで、なんでレイブン族に囲まれてたんだ?」
ケンタが口を尖らせながら言う。
「ペガサスなら、飛んで逃げればいいじゃんか」
『……ちょ、ちょっと事情が……』
「ははーん? さてはまだ仔馬だから飛べないんだな」
『馬じゃないし、飛べるさ……ちょっとだけ高い所が怖いだけで……』
ペガは明後日の方向を向きながら、口の中でもごもごと言った。
「高所恐怖症なのか? ペガサスなのに?」
ケンタはさらに目を丸くした。
ペガはそんなケンタを睨みつけるように、ひひんっと嘶く。
『飛べるさ! そこの木で練習するんだ!』
ケンタは後ろを振り返った。
レイブン族の砦であるその巨木には、天守までスロープが設けられており、歩いて昇れるようになっている。
「なるほど、それでトラブルになったのか」
『狭いから、ちょっとぶつかっただけだ!』
「そんなチビなのにか?」
『お前だってチビじゃないか! チビって言う奴がチビなんだ!』
「俺は誇り高きおっさんだ!」
「まあ、まあ、二人とも落ち着いて」
結が苦笑しながらなだめる。
そのついでのような調子で、結はペガへ顔を寄せた。
「撫でていい? 乗っていい? ついでに飛んで流鏑馬いい?」
『お姉ちゃん、話聞いてた?』
「結、話聞いてたか?」
* * *
『もちろん、お姉ちゃんなら乗っても良いよ』
ペガが頭をふるふると振りながら言った。
『でも、乗せて飛ぶのはまだ無理かなあ……』
「そっかあ……残念」
結は目に見えてしょんぼりした。
『待ってて、僕、もう少し練習するよ!』
悪いと思ったのか、ペガはそう宣言すると、くるりと向きを変えてスロープの方へ歩き出した。
「まて、まて、まて! またトラブルになるぞ」
慌ててケンタが呼び止める。
『じゃあ、どうすればいいのさ』
ペガが不満げに振り返る。
ケンタはうーんと腕を組み、その場で考え込んだ。
「お姉さんに任せなさい! ……ヒック、ウップ……」
ケンタとペガが一斉にそちらを向く。
シャチョーの背で吐きそうになりながら、どうにか言葉をひねり出したのは、緋色の祭服をまとったウィザードだった。
「ナナさん、大丈夫ですか?」
チコリが慌ててナナの背中をさする。
「……やめて……逆に吐きそう……ウップ」
「ひえー、勘弁してちょーよ!」
シャチョーが本気で嫌そうな声を上げる。
ようやく地上に降り立った魔女は、コホンとひとつ咳払いすると、杖の先をペガへ向けた。
「お姉さんが特訓に付き合ってあげるわ」
不敵に笑ったナナは、そのまま二つの便利魔法を立て続けに重ねがけする。
「レビテーション!」
「インビジブル!」
「おお、なるほど、浮遊術で飛びやすくして……透明化はなんだ?」
ケンタが首をひねる。
「じゃ、早速行くわよ」
『行くってどこに?』
ナナの勢いに押され、ペガはとことことその後をついていく。
「天守に決まってるでしょ! 一番上!」
(つづく)
――第五十話 あとがき
最後まで読んでくれて、ありがとう。
誇り高きペガサスのペガだよ。
馬じゃないからね。そこ大事。
後編は来週火曜日のお昼頃に投稿予定なんだって。
続きも読んでもらえたら、僕もうれしいな。
もし少しでも楽しんでくれたなら、ブクマとか★で応援とかしてくれるとうれしいな。
え? 僕の名前が雑だって?
……じゃあ、なんて名前がいいのさ。
ペスとかシロとかよりは、ずっとマシだと思うんだけどなあ。
それより、あのお酒くさい赤い服のお姉さんだよ。
なんだか、ろくでもない予感しかしないんだ。
こう見えて、幻獣の勘はけっこう当たるんだからね。
――ペガ




