閑話:エールカの旅立ち(前編)
中央大陸の片隅。
深い沼地の奥に、カエル族の国がある。
――ケロック王国。
その国の護りを固める双璧と呼ばれた聖騎士の一人が失脚してから、すでに一年が過ぎていた。
ちゅど〜ん!
王国の最深部にある宮廷魔導研究所では、今日も盛大な爆発音が響いていた。
「ケホッ、ケロッ……また失敗しちゃった。てへっ」
もうもうと立ち込める煙の中、煤だらけになったローブをぱたぱたとはたいているのは、宮廷魔導士のエールカである。
赤い肌に、流れるような黒い縞模様。
その上に、宮廷魔導士の象徴である赤いローブをまとっている。
「てへっ、じゃないですケロ」
苦情を言うのは、その傍らにいるカエル族の少女だった。
こちらも頭から煤をかぶり、メイド服の上につけたエプロンまで真っ黒になっている。
「姫様、もう少し慎重とか用心とかいう言葉を覚えて欲しいケロ」
「ルル、姫と呼ぶのはやめてと、何度も言ってるのですケロ!」
「そういうわけには参りませんケロ。姫様は王位継承権第1897位の立派な王族でございますので」
「1897位だからこそやめて欲しいケロ。限りなく一般人ケロ。下手に姫とか名乗ったら爆笑の渦ケロ」
「それはともかく、カレウス様の件、調べがつきましたケロ」
「おお、さすがはルルなのですケロ」
エールカの表情がぱっと明るくなる。
「黒幕は、やはりあの男でした。ミカエルです」
「やはり、あいつでしたケロか……」
エールカはこめかみから油汗を垂らし、露骨に嫌そうな顔をした。
ミカエルは大公家の次男である。
少し前から、エールカにしつこく言い寄ってきていた。
王家と姻戚関係になるのが目的なのは、見え見えであった。
「証拠はあるケロ?」
「残念ながら、非公式な証言が得られただけでして、御前裁判での証言は難しそうですケロ」
「それにしても、第1897位のほぼ庶民になぜそんなに執着するケロか……」
「え? 姫様、気付いていらっしゃらないケロ?」
「何をケロ?」
エールカは心底不思議そうな顔をした。
その美しい赤い肌と、流麗な黒縞。
本人もたまにチャームポイントだと言ってはいるが、それがオス共に与える破壊力には気付いていないようだ。
ルルはため息をひとつつくと、黙って爆発の後片付けに戻った。
* * *
エールカとルルは、一年前に起きた事件を、改めて洗い直していた。
聖騎士カレウスが、贈賄事件の首謀者とされた事件である。
ケロック王国の双璧と呼ばれた聖騎士、カレウスとケラウ。
二人は、エールカの幼馴染だった。
その上、カレウスはエールカと将来を誓い合った仲でもある。
だからこそ、エールカは今も信じていた。
カレウスは無実だ、と。
だが、一年前の裁判では、あからさまな偽証拠を覆すことができなかった。
カレウスは聖騎士の資格を失い、王国を追放された。
あの時。
王族の端くれであるエールカに、傷がつかないようにとでも思ったのだろう。
カレウスは、エールカに別れを告げた。
「待って……カレウス!」
呼び止めた声は、届かなかった。
御前で決まった裁定に、エールカが逆らうこともできなかった。
ただ最後に、お守り袋だけは受け取ってもらえた。
その中には、転移魔法のスクロールが一枚だけ入っている。
いつか。
いつか二人で訪れようと誓った、特別な場所へ行くためのものだった。
「…………」
いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
エールカはそれに気付いたが、今は流れるにまかせた。
ルルも、気付かないふりをしてくれている。
羊皮紙のスクロールに羽根ペンを走らせながら、エールカは考え続けた。
カレウスの潔白を証明するには、どうすればいいのか。
「いっそ、この身を犠牲にして、大公家と取り引きをすべきケロか?」
いつの間にか、独り言が口から漏れていたらしい。
「正気ですか!?」
ルルが、ものすごい剣幕で振り返った。
「そんなことをしたら、カレウス様は絶対戻って来ませんケロよ?」
ぶんぶんと大仰に首を振る。
もっとも、カエル族の首振りは少々見極めが難しいのであるが。
「それどころか、本当に王国を滅ぼす黒騎士になってしまうかもしれませんケロ!」
エールカは目を瞬いた。
「黒騎士? なんのことケロ?」
「あっ……」
ルルが、しまったという顔で口を押さえた。
いかに鈍いエールカでも、さすがに気付いた。
「ルル……今のカレウスの噂を掴んでいるケロ?」
「…………」
しばしの沈黙の後。
メイドは、すべてを白状した。
カレウスが、ローズティア湖の湖底で隠遁生活をしていたこと。
その周辺では、黒騎士と呼ばれていたこと。
そして今は、再び行方知れずになっていること。
「そうケロか……」
エールカは、静かに目を伏せた。
そして、決意した。
最初から、そうするべきだったのだ。
証拠など。
復権など。
もう、どうでもいい。
「ただ、ついて行けばよかった……ケロッ」
その声は、震えていた。
* * *
カエル族は、基本的には夜行性である。
だが、地下にあるケロック王国は昼なお暗い。
そのため、長く暮らすうちに、本来の活動時間とは少しずつずれが生じていた。
玉座の間の奥にある、王の執務室。
寝付けなかったオーレク王は、机に向かって書類へ目を通していた。
その傍らには、執事長のケルフレッドが静かに控えている。
「ふう……」
やがて、オーレク王は書類を机へ放り出すと、目頭を揉んだ。
もっとも、カエル族の目は左右に離れている。
両方の目頭を揉むには、両手を使う必要があった。
ふと顔を上げる。
壁に架けられた、一振りの剣が目に入った。
赤い鞘に収められているのは、さらに赤い、燃えるような刀身。
――聖剣ソルドボルグ。
その持ち主は、もうここにはいない。
「バカなことをしでかしおって……ケロ」
オーレク王はそうつぶやくと、再び書類へ目を落とした。
ケルフレッドは何も言わない。
ただ、何か言いたそうにわずかに身じろぎした。
そのとき。
扉が、こんこんと叩かれた。
「誰じゃケロ?」
誰何の声に応え、入室を許されたのは、財務担当大臣のエルグラント大公だった。
「これは叔父貴殿。こんな昼日中に、どうしましたかな?」
エルグラント大公は、オーレク王の叔父にあたる。
立場としては王と臣下。
しかし、それだけでは割り切れない関係でもあった。
大公は返事もせず、真っ直ぐ壁際のソルドボルグへ歩み寄った。
そして、剣の前で足を止める。
「オーレクよ。そろそろ、これの継承者を決めぬか?」
振り返りもせずに告げる。
「叔父貴殿。それはプロム様のお告げがなければ無理であると、何度も申し上げているではないですか」
「じゃが、また襲撃があったらどうするのだ? お主がこの剣を執るのか?」
「そ、それは……」
オーレク王は言葉に詰まった。
ソルドボルグを、ただの剣として振るうだけならば。
剣の心得がある者であれば、誰でもよかった。
だが、聖剣としての真の力を発揮するには、神の加護が必要となる。
王であるオーレクにも、その加護はない。
「決まりじゃな」
エルグラント大公は、まるで最初から答えが決まっていたかのように告げた。
「神の名の下に、継承者選抜の儀を執り行うのだ」
* * *
(茶番だ……)
師範席に座るケラウは、心の中でつぶやいた。
儀式のために用意されたのは、王宮の迎賓の間だった。
聖剣ソルドボルグの継承者を決めるための儀式だというのに、名の知れた者は一匹もいない。
候補者のリストは、貴族の子息たちの名前で埋め尽くされていた。
ケラウは手にしていたリストを、豪奢なテーブルの上へ放り出した。
そして、目の前で木剣を交える二匹へ視線を向ける。
二匹とも、明らかに腰が引けていた。
無理もない。
得物は木剣とはいえ、当たれば痛い。
打ちどころが悪ければ、大怪我をすることだってある。
そのうち、片方の紫色の坊ちゃんには見覚えがあった。
エルグラント大公の次男、ミカエルである。
(あれで、ソルドボルグを持ち上げられるのかね?)
ケラウは大きなあくびをすると、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
次に目を開いたときには、すでに勝負がついていた。
相手の若者が尻餅をつき、その肩へミカエルが木剣を当てている。
「勝者、ミカエル殿!」
審判の声が、迎賓の間に響いた。
だが、ケラウは難しい顔をした。
(今の、わざと倒れた……か?)
* * *
「姫様、出立の準備はできま――」
旅支度を終えたルルがエールカの部屋を訪れたとき、部屋の主は留守だった。
「あれれ? まさか、ひとりで……って、それはないか」
ルルがそう言い切るのには、理由がある。
ケロックは、カエル族の住処という顔だけでなく、上層と下層が複雑に接続した巨大なダンジョンでもあるのだ。
その上、エールカは極度の方向音痴である。
絶対に、ひとりで出歩くはずがなかった。
果たして、ティーテーブルの上には書き置きが残されていた。
――――――――――――――――――――――――
ルルへ
お父様にご挨拶して参りますケロ。
戻ったら出立致しましょうケロ。
エールカ
――――――――――――――――――――――――
「あ……王は今、ソルドボルグの継承の儀に……」
ルルの顔色が変わった。
ソルドボルグは、カレウスの剣だった。
エールカにとっても、共に戦った戦友のような剣である。
それが、虚偽の似非儀式に持ち出されていると知ったら。
ただでは済まない気がする。
「大変!」
ルルは慌てて部屋を飛び出し、駆け出した。
* * *
エールカは、父の執務室を訪れた。
だが、オーレク王は留守だった。
出迎えた執事長のケルフレッドは、少し考えてから告げる。
「姫様、王は迎賓の間ですケロ。私がご案内いたしますケロ」
そう言うと、ケルフレッドは背筋を伸ばし、廊下を真っ直ぐに進んでいく。
「助かるケロ――」
エールカも、そのすぐ後ろをついて行った。
「こないだは、迎賓の間に行こうとして、デスロードの部屋に入っちゃったケロから」
「よ、よくご無事でしたケロね」
さすがの執事長も、わずかに引いている。
「アンデッド蛙はよく燃えるので、楽勝だったケロ」
エールカは、自慢げに胸を張った。
「ちょっとだけ、自分も焦げちゃったケロんね」
「はあ……」
やがて、ケルフレッドが足を止める。
「着きましたぞ。王はここで、ソルドボルグの継承の儀を執り行っておりますケロ」
「ソルドボルグ? 継承? ケロッ?」
その瞬間、エールカの声が低くなった。
「あれは、カレウスの剣でケロ?」
迎賓の間へ足を踏み入れる。
そこでは、貴族の子息たちが、不思議な踊りを踊っていた。
――それが木剣の打ち合いであることに気付くには、少々時間が必要だった。
* * *
ケロックの下層は、その大半がカエル族の地下墳墓となっている。
そこには、カエル族のアンデッドが跋扈していた。
だが、下層の深部を経由しなければ、ケロック王国の王宮区画へ辿り着くことはできない。
外敵の侵入を防ぐには有効な構造である。
しかし、アンデッドは、生きたカエル族にとっても厄介な敵対者だった。
その日、人間の冒険者たちが、デスロードの間へ侵入した。
目的は、デスロードが持つ『大太刀』と『脇差し』だろう。
だが、ケロック下層は高難易度ダンジョンである。
そのボス部屋であるデスロードの間が、簡単に攻略できるはずもなかった。
「やべえ、逃げるぞ!」
部屋へ足を踏み入れた途端、冒険者たちはマギタイプの集中砲火に晒された。
HPを大きく削られた上、奥にいるはずのデスロードまで反応し、こちらへ向かってくる。
冒険者たちは一目散にゾーン境界を目指した。
だが、もともと複雑な構造である上、今は完全に慌てている。
「来た道、どっちだ?」
「止まるな! 追いつかれる!」
その背後では、追手が途中にいた同族を次々と巻き込み、いつしか大行列となっていた。
昔。
旧EOFにおいて、とあるプレイヤーギルドが、ここでネタイベントを行ったことがある。
キングの部屋と、デスロードの部屋。
二つは同じゾーンに存在していた。
もし、ゾーン境界を越えずに二つの部屋をつなぐ道があったなら。
キングとデスロードの直接対決が実現するのではないか。
その企画は、ゲーマーたちの好奇心を大いに刺激した。
生ガエルの王と、死にガエルの王。
果たして、どちらが強いのか。
そして。
実際に、その二つの部屋をつなぐ細い道は存在したのである。
「やべえ、なんか生ガエルがいっぱいいる!」
「なんか、豪華な部屋だね」
「見物してる場合か! 走れ!」
逃走を続ける冒険者たちは、偶然にも、その細い道へ入り込んでいた。
そして、そのまま迎賓の間を走り抜けていった。
(つづく)
――閑話:エールカの旅立ち(前編) あとがき
最後まで読んでくれて、ありがとうございますですわケロ。
ケロック王国第1897王女、宮廷魔導士のエールカですのケロ。
後編は、このあとすぐに投稿予定ですわケロ。
つづきも読んでもらえたら、うれしいですのケロ。
もし少しでも楽しんでもらえましたら、ブクマや★で応援をしていただけると、とっても励みになりますですわケロ。
わたくし、ようやく決心しましたのケロ。
旅立ちの時が、やって来ましたのですわケロ。
それで、お父様にご挨拶へ伺ったのですけれど……。
なぜか、みなさんで不思議な踊りの儀式をしてましたのケロ。
そのうえ、人間のみなさんまで見物にやって来たみたいですの。
新しいお祭りでも始まるのですケロか?
――エールカ




