火竜
屋敷の内部が慌ただしくなった。
警護にあたっていた兵士の足音がドタドタと屋敷中に鳴り響く。指示を叫ぶ声。宴会場は騒然となる。
「落ち着いてください!」
ココの声が響いた。
「今屋敷の兵士が確認しているところです。なに、野盗でも出たのでしょう。ご心配なく!うちの兵士は優秀です。すぐに収集するでしょう」
ココの説明に宴会場が少し落ち着く。
「野盗……?」
リンの声。だが気のせいか、わずかに震えているようにも聞こえた。
「……」
俺は席を立った。
「え……ちょっと!」
リンの声を背に受け、俺は出口へと駆け出した。
ざわつく。
全身の身の毛が逆立つ。
俺は玄関先に放置されていた兵士の剣を手に取り、外に飛び出す。
灯りの灯る屋敷の中から、夜の帳の中に出た。振り返る。
そこには、炎に照らされた巨大な竜がいた。
体長は雄に200フィート(60メートル)を超えていた。真紅の体。鋭い爪を蓄えた両腕。広げた両翼は夜空を覆い尽くすかのようだった。
微かに明るい野山の真ん中、厳かに佇む竜の首が、ゆっくりとこちらを向いた。
縦に伸びた瞳孔が、確かに俺と合った。
(竜……?俺の竜……なのか?)
竜はそのまま大きく息を吸い込み――――野山に向けて紅蓮の炎を吐き出した。
「なっ……!?」
一瞬にして周囲が明るくなり、直撃を受けた牛舎や田畑は焼失する。高熱で熱された大気が、容赦無く俺に吹き付けた。
ガアアアアアアアアアアアアアッ!
紅く染まった夜空に竜の雄叫びが轟いた。
それが合図だったかのように、山里が一気に騒ぎ出す。
悲鳴、嬌声、絶叫、怒号……。
野は赤く染まり、一瞬にして昼夜は覆った。
「何事だ……!」
「これは……」
「竜がいるぞ!竜だ!」
竜の咆哮を聞いて次々と飛び出してきた屋敷の住人達とココ。みなが惨状に声を上げた。
「これは……一体……」
驚愕するココの目が、俺に向く。ココの目の色は驚愕からみるみる憤怒に変わっていくのが分かった。だがココはそれ以上言葉を発する間もなく、そのまま避難する人々の波に流され、消えていった。
反対に、避難する人の中から、リンがこっちに向かってくるのが分かった。
「竜……?」
驚愕に見開かれたリンの瞳。
「竜……なんで……?」
リンの目がこちらを向く。
「まさか……」
「違う!」
俺は声を張る。
「違う……俺は何も……」
リンは何も言わなかった。何も言わず、惨状を確認した。焼き尽くされた野山、田、畑、森林、人家……。その中心に厳かに佇む、巨大な真紅の竜。
「とにかく逃げるんだ」
俺は言った。
「どこに?」
「どこに、かは分からない。どこでもいい。とにかくここから」
数秒の間考え、リンは納得したようだった。マスター、トレーナーがいたところで、あの暴君竜の前には手の施しようがないように思えた。
「……分かった」
リンは竜に背を向け、走り出した。俺も後に続く。
一瞬だけ竜の方を振り向いて、そして考えた。
……あれが俺の竜?なんで?俺の竜が……。
俺が思案を巡らせるその中。
――――竜の喉元が、またも大きく膨らむのを見た。
「リン、こっちだ!」
「え?」
俺は前を走るリンの手を必死に引く。リンがバランスを崩すのもお構いなしに引っ張り、俺は逆方向に踵を返した。そして。
轟音と共に、三度山は炎に包まれた。
俺とリンのすぐ脇を炎が過ぎった。その炎が向かう先は、多くの人が逃げた方向だった。悲鳴が上がる。
驚愕しきったリンの肩を抱き、俺はまた走る。
半壊したレンガ造りの小屋を見つけ、竜の死角に入るよう避難する。小屋は炎の熱気でかなり熱かった。二人とも息を切らし、そして無言だった。
「とにかく逃げよう。ここから」
俺はまた言った。当然、最終的にはそうするつもりだった。リンは黙ってうなずく。
そんな中、俺は剣を抜いた。
「何をする気?」
「分からない」
俺は答えた。それは当然だ。剣を抜いたところであの巨大な竜を倒せるとは到底思えない。
だが、剣を抜かずにはいられなかったし、竜から目を離すこともできなかった。
俺は壁を背にして竜の姿を確認する。視界に入るのは炎に包まれた里。のどかな里の面影は消え、悲鳴がそこかしこから聞こえる。
そんな中、俺は一人の泣きじゃくる小さな女の子を見つけた。見たところ三歳くらいだが、親とはぐれたのか、炎の中、一人彷徨っている。
……一人くらいなら。
俺は小屋から飛び出した。一瞬、リン出てきそうになるのを、目で制止する。
小屋からその子供までの距離は遠かった。数百メートルはあるだろう。
俺は走った。あと三十メートル。二十メートル。十メートル。
――――竜の瞳がこちらを捉えた。
「アル!!」
リンの声が響いた。俺は反射的にブレーキを掛けた。
その瞬間、女の子と俺の間を裂くように火柱が走る。
俺は立ち尽くし、やがて炎が広がっていくのを確認すると、小屋の方に逃げるように走った。あの子供の安否は、確認することすらできなかった。
「はあっはあっはあっはあっ」
俺は呼吸も絶え絶えに、小屋に戻った。
「大丈夫?」
リンが言う。だが、俺には何も言うことができなかった。
更に業火の音が響き、悲鳴が上がる。炎は里を包み、熱を増して広がっていく。
これはいったい、いつまで続くのだろう。思った。
本当に逃げられるのだろうか。焼き尽くされるのを待つだけなのだろうか。
――――いや、それとも。
俺は剣を握る手に力を込めた。
「どうして、泣いているの?」
「え?」
リンの言葉。俺は自分の頬に手を当ててみた。確かに涙の跡がそこにあり、頬は濡れている。
「何で?」
自分でも分からなかった。怖くて泣く、などという心理状況でもない。
それに、あの子供に同情する間もなかった。
そのはずなのだが。




