オルフ
深夜。
この時間になると、農夫オルフは一人、馬の様子を見に馬屋に行くのが習慣であった。
昼間活動する馬たちも、深夜に異変がないか見る必要がある。
最近はオルフの父も年老いたので、その役はもっぱらオルフ一人の役割になっていた。
が、この日は少し勝手が違った。
「しっかし、でけえなあ……」
オルフが見上げる。
パッと見たらそれは……馬小屋に唐突に現れた、質感の違う『壁』のようにも見えた。
真っ赤なレンガを敷き詰め、その間を塗り固めたら、あるいはそれに似せたものができるかもしれない。
木造の馬小屋の中央に位置するそれは、それほど異質で、また同時に硬さと巨大さを兼ね備えていた。
だが当然、それは壁などではない。。
それはまさに、竜の『鼻』だった。
証拠にその上部に二つ、ハの字を逆にしたように穴があり、絶えず交互に空気が出入りしている。
竜はちょうど、馬小屋に頭を突っ込んでいるような状況だ。自身も2メートル近くある巨体のオルフが、ため息を着くほどそれは大きい。
しかし、突如現れた竜にも、オルフはそれほど驚きはしなかった。
今日『マスター』が現れたことで、村長のココから、今夜にも『竜』が現れる可能性があると聞いていたからだ。それが祠ではなく、馬小屋である可能性も十分あることも。
竜に会っても取り乱さないこと。そして掃除が終わり次第、速やかにココに報告すること。この二つを約束し、オルフは今ここにいる。
(村長の話では、朝まで目が覚めねえって話だったけんども)
近くに寄ると、やはりその大きさに驚く。何せ、馬二十頭は収容できる小屋を、ほとんど頭部のみで埋め尽くしているからだ。
(でげぇなあ……。こんなん暴れだしたら、ひとたまりもねえべ)
オルフの感想だった。
やがてオルフは、自分の仕事に取り掛かることにした。
小屋の清掃の前に、まず馬の状態だ。
ドラゴンに頭を突っ込まれた小屋の状況を確認しなければなるまい。
竜の周りを回るようにして中を見回ったところ、小屋は半壊していたものの、幸いにして馬自身には被害は無い事が分かった。ただ、自身の部屋が半壊し、酷く怯えている馬は多かったが。
(竜がいなくなったら、直してやるか)
オルフはそう思い、小屋の清掃に取り掛かるべく、鍬をとる。
…………。
小屋の清掃を始めたころだった。
違和感を感じた。
『壁』を見る。
先ほどまでぴったりと閉じられていた、目。
それがゆっくりと開いていく。
その様子をまじまじと見た。
ゆっくり、中心から。開いていく。
まぶたの奥に控える、縦に閉じるもう一枚のまぶた。開くとそこに眼球を保護する粘膜がうっすら張っているのさえ、はっきり見えた。
禍々しい黄色の瞳。開ききった目の大きさは、それだけで仔馬一頭分はあるかと思うほど。
縦に伸びる線状の瞳孔は、怯えきったオルフをはっきり捉えた。
(お、お、おおお落ち着け!)
オルフは自分に言い聞かせる。
いくら怖くったって、召喚された竜が動き出すのは夜明けだ。
それに、竜が動き出すにはマスターの命令も必要だ。
寝ぼけたのか知らないが、気まぐれに開いたと思われる瞳がもう一度閉じられるのを待った。
開いた瞳が、うっすら薄まる。それを見て、オルフは落ち着く。しかし、間もなくのことだった。
フン、フン、フン。
吸気口のような竜の鼻が小刻みに空気を吸う。フン、フン、フン。
匂いを嗅ぐ動作。やがてそれは、オルフの元にまで移動してくる。
やがて、竜の眼は見開かれ、黄色に光る二つの双眸がオルフを捉えた。
見つめられたオルフは呼吸すらできなかった。
自分の想像を超えた巨大な生き物。動き出したらひとたまりもないだろう。
だが黄色に染まる静かな瞳は、美しいとすら思った。
やがて、その高貴な生き物はすーっ、と、大きく、ゆっくり息を吸い込み始めた。
その喉が大きく膨らみ、一瞬炎のような紅の光が灯った。
美しい。
竜の喉を見て、そう思った。彼が宝石を見たことがあるならば、真っ赤なルビーを連想する色だ。
そしてそこまでが、オルフの記憶にはっきりと刻みこまれた。
――――焦げ臭い。
そう思うオルフの思考と、肉体が同時に消失したのは、その一瞬、後のことだった。




